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屋根裏の演奏者 第十五回

 差別というより、競争心をわざと煽るのだろう。昨今流行りのアイドルグループは選挙まで行うが、デタケンが仕掛け人の一人だという噂もある。いずれにせよ、あまり好きになれない人物なので、晴明が食ってかかったときは、正直、胸のすく思いがした。

 一度、晴明にピアノを弾くときの癖を、指摘されたことがある。相変わらず、つっけんどんな言い方に腹が立ったが、ピアノの前で冷静になってみれば、かれの指摘が当を得ていることがわかった。晴明に悪意はない。むしろ非常に純真である。わかっているつもりだが、どうしても馴染めない。

「あれ、声楽科の子だよな。竜也の隣の」

 悟の声を聞いて、顔を上げた。

 昼休みなので、授業は行われていないが、始終、どこからか歌声や、楽器の音が聴こえてくるのが、音大というもの。女子学生が圧倒的に多く、柔らかな晩春の陽射しのもと、彼女たちが談笑しながら行き交うさまは、華やいだ雰囲気を醸した。

 色白の娘が多く、ふんわりした明るい色の服に、少女趣味の短い靴下を合わせるのが、流行っているようだ。そんな中、全身を黒で統一した女子学生の姿は、やはり目立った。

 北村紅葉は連れもなく、声楽科らしい姿勢の好さで通り過ぎた。

「なんだか、あの娘を見ていると、気もちを掻き乱されるよ。それも、あまり大っぴらには言えないような、よこしまな」

 少し驚いて顔を向けると、悟は赤くなって、うつむいていた。猥談をまったくしないかれとしては、意外な発言に感じられた。

「そそられる?」

「いや、うん、まあ。たとえばさ、恋愛感情が、情緒と情欲のない交ぜになった、ほろ酔い気分だとすれば。あの娘の場合、がつんと情欲を、ストレート・ノーチェイサーでやっつけられるような。あやしい魅力があるよ」

  ◇

 私は二杯めの紅茶を飲み終えた。

 窓の外には、夕闇がせまりつつあった。一日の苦行から解放された勤め人や労働者たちの、安堵の吐息で、少しずつ街が賑わい始める頃だ。

「なるほど、かれはヴァイオリンを弾けない……実際に、弾けなかったんだね」

 席を立とうとした美架を、手で制した。彼女は腰を落ち着け、軽く指を組んだ。家事で荒れた形跡のない、意外に美しい指。

 ヴァイオリンの音は、緑館一〇三号室の住人、林晴明の部屋から聞こえてきたという。けれどもそれは、不可能であるという。なぜから、かれは決して部屋に他人を入れない。そしてかれは、ヴァイオリンを弾けない。

 美架は言う。

「そのことは、一週間後の授業で証明されたようです」

「まったく弾けなかった?」

「シェーンベルクがノコギリを挽いているようだ。と、出田教授は述べたそうです」

 笑っていいのか、眉をひそめるべきなのか、反応に窮した。私には後期のピカソ以上に、シェーンベルクがわからない。

「わざと拙く弾いているのでは? 出田健にあてつけるために」

 同じ雑文書きとして、出田の名は知っていた。出版社の廊下で、二、三度すれ違ったこともある。向こうはもちろん、私の存在すらご存知ないから、会釈をしても、傲然と無視されたばかり。美架は即座に首を振った。

「考えられません。とても、そんなことができる性格ではないようです」

「だろうな。それは、きみの話からも見えてくるよ。一途で純真で不器用。全力で弾いた結果が、シェーンベルクのノコギリか」

 そんな晴明の部屋から、真夜中に、二度もヴァイオリンの音が聴こえてきた。

「待てよ。深夜の演奏会は、必ず水曜日の夜に行われるのだったね。ちょうど、器楽表現論だったか、出田の授業が行われた、同じ夜に。だとすると、昨夜あたり、三度めの演奏が行われた可能性があるんだね」

「演奏は行われました」

「ええ?」

「私が昨夜、深夜の緑館へ出向いて、聴いてまいりまいたから」

 ちなみに勅使河原美架は、「私」を「わたくし」と発音する。

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