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瓶詰めの蝶々 第六十回

「高木からは、情報を逐一流してくれる約束をとりつけたよ。もちろん、事件の決着がつくまではリークしないと、誓わされてね。ま、やつの目も節穴じゃないから、堀川秋海を、週刊誌の雇われ記者と同じに視ちゃいない。おれが無粋なスッパ抜きをやるような男でないことは、承知の上さ」

 おのれの愉しみを削いでまでね、と、かれは悪魔的に付け足した。

「では、さっそく現時点でおれが掴んでいる情報を、並べさせていただこう。血に飢えた記者どもが、涎を垂らして欲しがるネタの、百鬼夜行ってところだぜ」

 とくにメモを参照するでもなく、まるで陳腐な世間話でもするように、堀川は淡々と語るのだ。さすがに犯行現場である“鏡の家”の見取り図は、あらかじめ用意していたようだが。

 引き裂いたメモ用紙に、太い鉛筆で書き殴ったような図は、堀川の手製だろう。額を突き合わせた三名とも、いつしか無言でそれを凝視していた。

「どうだい。穴だらけな密室のようで、意外にスキがないだろう」

 誰に言うともなく、堀川がつぶやく。稚拙な図に籠もる、不可思議な鬼気に圧倒されたまま、私は口を開いた。

「でもそれは、リチャード・カッシングが青髭みたく、鍵を持ってうろついていなければ、の話でしょう」

「そうだ。この事件は、青髭公の亡霊が実在すると仮定すれば、すべて辻褄が合うようになっている」

「亡霊……」私は生唾を呑んだ。

「見つからないのだよ。敷地内からはもちろん、山狩りまがいのことをやってみても。死体も出なければ、画家が現に生きて、小仏峠周辺をうろついているという痕跡のほうも、まったくない」

 だから、亡霊なのか。愚かなワトソン役を自認しつつ、私はなおも食い下がる。

「兇器は、画家愛用のステッキだったのですよね。かれが消息を絶ったとき、携行したとみられる」

「棒一本隠すのはたやすいが、生きて動いている痕跡は、そうやすやすと隠匿できるものじゃない。雨風をしのぐ場所は限られてくるし、飯も食わなくちゃならん。むしろ死体のほうが、ずっと隠しやすいのさ」

 カッシングはすでに殺害されている……堀川はそう言いたいのだろうか。小仏峠の屋敷に棲まう、何者かによって。

 むろん、容疑者の中には、瓶詰めにされた蝶、由井崎怜子も含まれよう。仮にもし彼女が画家を殺めていたとすれば、彼女の殺害へと導く、強い動機が生じることになる。

 例えばもし、井澤絵莉子がカッシングを強く愛していたとすれば。あるいは、櫻井晃子が、自身を拾ってくれた画家に恩義を感じていたとすれば。知能に障害のある飛井には、複雑な犯行は無理なようだが、単純な衝動から、偶然に奇怪な「作品」が生じてしまったとは考えられないか。

 ただ、絵莉子にはほぼ完璧なアリバイがある。櫻井と飛井は、一応お互いがアリバイを証明している。二人が共犯者でなければの話だけれど。

 頭上を電車が通り過ぎたあと、美架がぽつりと言った。

「なぜそこは、“鏡の家”と呼ばれているのでしょう」

 いまひとつ的外れに思える彼女の一言が、なぜか私を慄然とさせた。

(鏡なのですね)

 以前にも、彼女がそうつぶやいたのを、思い出さずにはいられなかった。数ヶ月前、またしても堀川によって私と彼女が巻き込まれた、奇矯な秘密クラブにまつわる盗難事件の折だ。一見何の脈略もない一言が、彼女の中では事件の核心へと繋がっていた。

 ニヤリと口の端を歪めて、堀川が言う。

「それがよくわからないんだ。まあ、あの建物の存在自体、外部の人間には謎だらけなんだが。井澤女史に高木が尋ねても、はぐらかされたというよ。前に美術評論家が雑誌に書いていたのは、家そのものが、画家自身を映しだす鏡なんだというがね。見て来たような嘘というのか、どうも故事つけ臭いね」

「そうですね。もっと、具体的な意味がなければ……」

 三白眼の視線を宙にさまよわせ、ほとんど独り言のようにつぶやくのだ。そんな彼女を、堀川は興味を剥き出しにした目つきで凝視していた。

「ほかに、気になる点はあるかね?」

 相変わらずあらぬ所を睨んだまま、美架はほとんど無意識に、人さし指を軽く下唇に当てた。出た。と、私は思う。何色かは知らないが、彼女の脳細胞が廻転し始めたときの癖だ。

「三人の女性のフルネームを、書き出していただけますか」

「三人? ああ、小仏峠の魔女たちだね」

 アロハシャツごと腕まくりしていた上着のポケットから、堀川はちびた鉛筆を取り出した。密室の見取り図が書かれたメモ用紙の余白に、やけに強い筆圧でこう並べた。

 井澤絵莉子

 由井崎怜子

 櫻井晃子

「何かわかるのかい?」

 ぼくが尋ねると、彼女は目顔でうなずく。

「姓に“井”の字が。下へ降りてゆく恰好で」

「うん。そのことには、音大生の岡田くんだったか、かれも気づいていたそうだよ。まあ、井の字がつくのは、雑用の飛井だってそうだし、ここにいる酒井くんにもついている。取るに足らない偶然ではないのかね」

「これはテルコと読むのでしたね」

 堀川の反論をさらりと無視して、彼女は「晃子」の文字を指している。うなずいた堀川を正面から見据えて、宣言するように美架は言った。

「彼女たちは“井戸の中の三姉妹”です。『不思議の国のアリス』はもちろん御存じですよね。有名な気狂いお茶会の場面において、その結末のない、奇妙な物語は、眠りネズミの口から語られます」

 むかしむかし、井戸の底に小さな三姉妹が棲んでいた。

 彼女たちの名は、

 エルシー(Elsie)。

 レイシー(Lacie)。

 そして、ティリー(Tillie)!

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