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紅の嵐姫 藍の淑妃  作者: 大雪
過去編
8/35

第五話 場所

 言いようのない怒りが身を焦がす。

 この怒りは何だ?

 一体どうしてこんなに苛々とするのだ?

 わからない、わからない、わからないーー。


 激しく燃え上がる怒りをもてあまし、けれど足は止まることなく進んでいく。


 気づいた時、藍銅は自分が後宮の外れに居る事に気づいた。

 目の前には高く聳えた壁。

 それは後宮を守る外壁の一つ。

 分厚いそれは、十メートルもの厚みを持つと言われている。

 その向こうには、後宮に隣接する広大な庭が広がっている。

 

 本来であれば、後宮の入り口から一度出なければ訪れる事の出来ない場所。

 そして後宮から出る事が出来ない男妃達にとっては、訪れた事さえない場所でもある。


 しかしーー。


 壁の側に落ちた髪飾りに、思わず舌打ちを漏らす。


「ちっ……」


 藍銅は髪飾りを拾い上げると、すぐ目の前の壁にスッと手をついた。

 何も無いつるりとした壁のある部分を触った時、カチンと音が鳴った。

 仕掛けが動き出す音が鳴る。

 カタカタと歯車が鳴り、ガタンと壁が動く。

 そこに現れたのは、先の見えない暗い長い縦穴。

 神一神が余裕で通れる広さのそれ。

 壁に掛かっている洋灯の一つに手を触れ、明かりを付ける。

 それを一つ手に持つと、ぽっかりと口を開けた闇に怯む事もなく藍銅は地下への階段を降りていった。


 それは、後宮と外部を繋ぐ地下通路。

 海国後宮には、この様に沢山の仕掛けが施されていた。


 外部からの侵入者を防ぐ為の幾つもの罠。

 侵入した者達を排除する為に、後宮の至る所に施された罠。


 更には、緊急時に後宮から安全に抜け出す為の数々の仕掛け。


 それらは男妃達全員に伝えられ、この地下通路の存在も男妃達の間ではなんら驚く事ではなかった。


 そもそも、海国王宮自体に色々な仕掛けが施されているのだし。

 ただ、中でもこの後宮がその粋を集めた場所である、というだけで。


 そんな他にも幾つかある通路を通るなどして、時折男妃達は外に出ていた。

 それは、限られた場所だけで生活を強いられる男妃達の、ちょっとした息抜きだった。


 たとえそこに生活に必要な全てが、娯楽に必要なものが揃っていたとしても、外を求める心のままに。


 もちろん、王宮からは出ないし、後宮から出たとしても隣接する区域ぐらいで、それ自体もごく僅か。


 ただし、それは同時に男妃達を狙う者達の魔手が及びやすいという事でもあった。

 後宮に居るから、奪われないで済んでいるのだ。

 それは自身を危険に晒す愚行とも言うべき行為。

 けれど、王と上層部は黙認し、男妃達の纏め役である四妃もそれを認めていた。


 抑え続ければ、腐り枯れ果てる事を、彼ら自身が誰よりも知っていたから。


 望まず奪われ、襲われ、囲われ、閉じ込められ、欲しくも無い愛と言う名の欲望を押し付けられてきた。


 それが初めて自由を得られたのだ。

 一神の神として扱われ、そしてもっと大きな世界を知る。


 たとえ今は無理でも、それでも望んでしまう広い世界。

 もっともっとと、その先を望む。


 けれど同時に外で虎視眈々と自分達を狙う者達の存在を痛いほど分かっており、そんな心を閉じ込める終わりのない日々。


 挟まれた相反する二つの心。

 出たい、出たくない。

 外に行きたい、行けば捕まる。


 ともすれば鬱屈し、そんな我が身に絶望し憎悪と憤怒に苛まれるのを必死に堪えて、堪えて。


 後宮から出られない籠の鳥である自身に絶望してーー。


 そうーー男妃達は皆、絶望していた。


 毎日のように聞こえてくる、男妃達を狙う者達の動向。

 いつか外にと願っていてはいても、彼らが居る限り、外には出られないのだとーーどこかで諦めていた。


 今行っている事の全てが無駄だと、嘆き我が身を呪う者も居た。

 口には出さないけれど、その瞳は死んでいた。


『外に出たいなら出ようよ』


 藍銅の心に風が吹く。

 その風をもたらしたのは、あの少女。


 王が愛し、自分達が凪王に懇願して騙す様に連れてきたこの国の王妃ーー紅玉。


 彼女は言った。

 外に出たいのならば出れば良いと。


 そんな事は無理だーーと諦めた様に言う自分達を、海王から聞き出した仕掛けを使って後宮の外へと連れ出した。


 そこは、後宮に隣接する中庭の一つ。

 もちろん、自分達が出る事が予め知らされていた為に警備は厳重だったがーー。


『ね? 出れたでしょう?』


 それは、小さな一歩。

 けれど、外に出られたーーその事実が、男妃達の心を変えた。


 出ようと思えば、出られる。

 そう、出れるのだ。

 もちろん何の準備もなしにーーは無理だが、きちんと準備さえすれば、可能なのだ。

 そうーー自分達のやっている事は、その準備の一つ。

 何も無駄なことはない。


 それを勝手に絶望し、勝手に外に出られないのだと思い込みーーその行動範囲を狭めていたのは、他の誰でも無い自分達自身なのだと気づかされた。


 確かに自分達を狙う者達は居る。

 でも、出る方法はあるのだ。


 それを教えてくれた、王妃様。


 王が愛しているから、無条件で男妃達は従っているわけではない。

 絶望に染まった心に希望の風を吹かせてくれた王妃様だからこそ、男妃達は彼女を認めているのだ。


『ほら、次はこことここね』


 そうして、今では片手の数ほどの隣接した区域に訪れる事は可能となった。

 もちろん、元々が後宮並に警備の厳重な場所ではあるが。


 けれど、いつかはその外にも出られるかもしれない。


 それを、王妃様が気づかせてくれた。


 その日から後宮は閉ざされた場所であると同時に、開かれた場所となった。


 暗闇が終わり、藍銅の視界が開ける。

 階段を降りて、長い通路を歩いた先にあるこれまた長い階段を上った先の扉を開け放ったそこに広がるのはーー。


「きゃああぁぁぁあっ! 紅藍姫危ない危ないいぃぃぃっ」


 本来後宮に居る筈の王妃様と、今にも木から落ちかけている紅藍。

 この中庭でも一際立派な大樹の枝に、紅藍がひっかかっている。


 地上からの距離はそれほどではないが、たぶん落ちたら腕の一本は確実に折れるだろう。

 というか、どうして両手でしがみつかない。

 片手で自分の体重を支えられるほどの腕力がお前にはあるのか。


 いや、逃げようとした藍銅を捕まえようとして、運良くひっかかった片手で暫くしがみついていた事はあったが。


 藍銅は蘇った記憶に脱力した。

 だが、それは仕方が無いこと。


 そもそも、それが起きたのはこの中庭での事。


 そして此処こそが、紅藍との初めての出会いの場でもあった。


 あの日も、藍銅は他の四妃と共に王妃様とここに息抜きに来ていた。

 そこに現れたのが、紅藍姫だった。


 あの時は本当に度肝を抜かれたものだった。

 ここは普段から後宮に隣接する場所として警備が厳しく、得に男妃が滞在している時は更に警備の厳しさが上乗せになる。


 当然、許可無き者は全て排除されるというのに、紅藍は忍び込んできた。

 それはもはや執念のなせる技で、その時の紅藍はきっと男妃達を狙う者達を越えていただろう。


 もちろんボロボロの姿。

 けれど、彼女はそんな自分の姿に厭わずーー。


『私と勝負しなさい!』


 だった。

 そしてその後は盗神っと叫ばれ、紅藍の婚約者が自分に懸想して彼女を捨てたのだと、知りたくも無い事を色々と知らされた。


 そしてーー拒みきれず、受けた勝負。

 それに彼女が負けた時から、始まった。


 この、終わりの見えない関係がーー。


 自分と紅藍の縁が切れるのは、彼女が藍銅に勝った時。

 きっと彼女は晴れやかな顔をして去って行くだろう。

 それを、藍銅は望んでいた。


 あんな我が儘娘、さっさと居なくなってしまえーー。


 そう思っていた筈なのに。


「紅藍っ!」

「きゃっ!」


 紅藍の手が滑り、体が木から離れる。


 それを見た時、藍銅は走り出していた。


 このままでは確実に怪我する。

 怪我をすれば、紅藍はしばらく来れなくなるだろう。

 そのまま、勝負も流れるかもしれない。


 けれど、それは同時に紅藍との別れを意味する。


 気軽に外に出られない藍銅が紅藍と出会えるのは、紅藍が後宮に来るからである。

 紅藍が来なくなれば、藍銅には会う術はない。


 勝負を挑まれてうんざりしていたのに。

 藍銅は、勝負が流れるとわかっていても、その体を抱き留めていた。


「――っ」


 ボスンと落ちてきた衝撃は、以外なほど軽かった。

 そして以外に小柄な体に、藍銅は息を呑んだ。


 王妃様も小柄だが、紅藍を抱き抱えた時に感じた感覚は、今までに感じたものがないものだった。


 抱き抱える手に、力がこもる。


「ちょっ! 痛いっ」

「あ、すまん」


 腕の中から悲鳴が上がり、藍銅は紅藍の体を降ろした。


「淑妃、どうしてここにっ」


 驚いている様子の王妃様に、藍銅は溜め息をついた。


「これが落ちていたもので」


 それを懐から取り出せば、紅藍がアッと声を上げた。


「私の簪っ」

「高価なものだろう。あんな所に落とすな」

「う、五月蠅いわねっ」


 そう言って自分を睨み付ける紅藍に、藍銅の心がゾクゾクとする。

 いい、いいぞ。

 そうやって自分だけを見ろ。

 他の誰も視界に入れず、ただ自分だけをーー。


 と、藍銅はそんな事を心の中で叫ぶ自分に気づき困惑した。

 自分は一体何を考えているのだろうーーと。


「ってか、なんだって淑妃が此処にいるのよっ! 後宮から出ちゃ駄目なんでしょうっ」

「今更だな、その台詞」


 本当に今更だ。

 今まで何度出てきていると思っている。

 しかも、最近此処に来る事が増えたのは、紅藍のせいでもある。

 勝負に負けて此処で喚く彼女を連れ戻す為、藍銅は何度も此処に足を運んでいた。


 そして今回も、紅藍は此処に居た。


「で、王妃様は何故此処に?」

「え、えっと、紅藍姫を追い掛けて」


 泣きながらこの隠し通路を抜ける紅藍に気づき追い掛けてきたのだという。

 そう、紅藍もこの隠し通路を知っていた。


 何度も、何度も此処を通ったから。

 もちろん、隠し通路を外部の者に知られる危険性に危機感を抱く者も居たが、海王があっさりと許可したのだ。

 他の四妃も。


 そして今まで、この隠し通路の存在が漏れた形跡はない。


 すなわち、紅藍が誰にも話していない事を意味する。


 しかし、誰にも話してなくても、こう度々隠し通路を使われるのも問題である。

 勝負に負けた紅藍が此処に来る度、いつもこの隠し通路を通ってきてしまうのだから。


「で、どうして紅藍姫が木から落ちかけてたんですか」

「それは」


 言葉を濁す王妃様が恐る恐ると言った様子で紅藍を見る。

 それに何かひっかかるものを感じながら、藍銅は紅藍を見た。

 そして、ここでようやくある事に気づく。

 紅藍が何かを守るように、両手で抱き抱えているものがある事を。


 ピィィと、紅藍の手の中から鳴き声が聞こえた。


「雛?」

「あ、わざとじゃないのっ!」


 王妃様の言葉に、藍銅はその雛と大樹を交互に見る。

 そしてばつの悪そうな紅藍の顔も。


「ちょ、ちょっとムシャクシャして蹴っちゃっただけよ!そうしたら」


 その時、親鳥の鳴き声が聞こえ、藍銅の肩に降りた。

 それは藍銅に一番懐いている鳥でもあった。


「あ、その鳥っ!」

「その雛の親だろう」

「親?! 親ならどうして攻撃してくるのよっ」


 紅藍が喚き散らす。


「私はただ戻そうとしてただけなのにっ」


 そんな紅藍の言葉に、勘の鋭い藍銅は大体の顛末を知った。


 たぶん、自分にコテンパンにされた事でムシャクシャしていた紅藍が、八つ当たりでこの大樹を蹴ったのだろう。

 で、運悪く枝に作られたこの親鳥の巣を揺らし、雛を落としてしまった。

 雛を危険に晒した紅藍が、その時点で完全に親鳥の攻撃対象となったのは言うまでもないだろう。

 そしてーーたぶん、その雛を巣に戻そうとするが攻撃され、突かれたか何かしているうちにバランスを崩してああなったのだろう。

 隠し通路を抜けてすぐに見てしまった紅藍の姿が蘇る。


「確かに私が悪かったけど、でも少し蹴ったぐらいで揺れる木の方がもっと悪いじゃないっ!」

「……」


 悪態をつく紅藍に、藍銅の肩に止まった親鳥が威嚇の声を上げる。

 余計に怒らせてどうする。


 だがーー。

 藍銅は紅藍の姿を見た。

 服は所々破け、手や足、顔にも擦り傷をつくっている。

 にも関わらず、手だけは雛を傷つけない様に抱えたまま。


 そうーー木から落ちかけた時も、紅藍はそうして雛を抱いていた。

 だから、両手で枝にしがみつけなかったのだ。


「……はぁ」


 もう一度溜め息をつくと、藍銅は肩に止まっている親鳥に向けて音を出す。

 その行動にキョトンとする王妃様や紅藍を余所に、淡々と音を出していく。


 親鳥の敵意が少しずつ収まっていく。


 あの者は確かに巣を危機にさらしたが、雛を命がけで守った。

 それこそ、自分が傷つくのも厭わずにーー。


 それを伝え、親鳥が受け入れる。

 親鳥も確かにそれを見ていた。

 ただ、血が上った頭がそれを認めるのを拒否していただけ。


 けれど紅藍が守ったからこそ、雛はまだ生きている。

 怪我一つ、なく。


「淑妃、何してるの?」

「親鳥を宥めていた」


 そう言うと、藍銅は紅藍に手を伸ばした。


「な、何よ」

「その雛を渡せ。巣に戻す」


 親鳥の怒りは収まったが、すぐにでも雛を巣に戻す必要がある。

 だが、すぐに渡すだろうという藍銅の期待は裏切られた。


「紅藍」

「イヤ」


 高価な服が破れ、泥だらけになり、至る所に擦り傷を作る原因となった雛。

 それは、貴族の姫からすれば我慢ならぬ事態であるだろうし、そんな状況に追い込んだ雛は即座に厄介物として手渡すだろうと思っていた。


 けれど、紅藍は藍銅の手を拒む。


「その雛をどうするつもりだ。親鳥の元に返してやれ」


 命がけで守った雛だ。

 まさか怒りにまかせてーーなんて事はないとは思うが。


 馬鹿だなぁ、そんな事を本当に考えているのか?


「っ!」


 どこかで、自分を嘲笑う声が聞こえる。


 本当に厄介物なら、とっくの昔に殺している。

 今もずっと、そんな風に抱えていたりしない。


 笑う声が、わかってないなぁとばかりに藍銅を嘲る。


 そんなんだから、他の奴らに言われるのだとーー。

 お前は本当の意味で、わかっていないーーと。


 何を!!


 自分を笑う声に怒鳴り、藍銅は頭に響く声を打ち消す。


 五月蠅い、五月蠅い、五月蠅いーー!!


 俺は、知っている。

 他の誰よりも。

 他の誰よりも紅藍と一緒に居たのは、自分だ!!


 紅藍と出会ってから、一番長い時を過ごしたのは自分なのだっ!!


 ならば、どうしてーー


「っ!」


 聞こえてきた言葉に、目を見開く。


「紅藍っ」


 と、王妃様の叫びに藍銅は我に返った。

 見えたのは、紅藍が木に張り付いている姿だった。


「何してるんだっ」

「雛を戻すの」

「だからそれは俺が」

「私が自分で戻す」


 紅藍がこちらを振り向かずに言い切った。


「自分でって……まともに木にも登れないくせに」

「それでも」

「どうせまた落ちる。だからさっさと」

「それでもっ!」


 紅藍が藍銅を振り返る。


 ーーああ、またこの瞳だ。

 

 激しい雷光の様な眼差しに、藍銅は体を震わせる。

 自分を射貫く強い光に、歓喜がこみ上げる。


 その瞳に、魅入られる。


 あの時と、同じように。


「私がやった事よ。私が自分で始末をつけるわ」

「紅藍」

「自分でやった事の責任は持てと言ったのは、淑妃じゃない」


 そう言うと、紅藍は雛を抱えたまま木登りを開始した。

 けれど、上れるわけが無い。


「紅藍姫……」


 オロオロとする王妃様。

 藍銅は舌打ちをした。


 そして、その大樹の裏側に回ると、清楚な女物の衣装をものともせずに一番近い枝へと登った。

 その鮮やかな手つきに、木に登ろうとしていた紅藍はキョトンと藍銅を見上げるだけだった。


「手を伸ばせ」


 まるで魅入られた様に、素直に伸ばした紅藍の手を掴む。

 そして一気に力を入れた。


「きゃっ!」


 その体を引き摺り上げ、枝に引き上げた。


「んなっ!」


 驚く紅藍を余所に、幹に寄り掛かるようにして立たせる。

 そしてすぐに、また更に上の枝に登る。


「淑妃っ」

「来い」


 また紅藍の体を引っ張り上げる。

 それをもう一度繰り返したところで、ようやく巣に着いた。


「ほら、とっとと戻せ」

「淑妃……」

「でないと、親鳥がまた騒ぎ出す」

「……」


 こんなの自分の力じゃないーーとは紅藍は言わなかった。

 素直に雛を巣に戻す。


「……ありがとう」

「ようやく素直になったか」


 もしギャアギャア喚く様なら、怒声の一つでも浴びせようかと思っていたが、以外なほど素直な言葉に少々拍子抜けした。


 親鳥が戻ってくる。

 兄弟の帰りに、巣に居た雛達が嬉しそうに鳴いた。


 それを見届け、もう一度藍銅は親鳥に言葉をかける。


 謝罪の言葉を。


 それを受けた親鳥の言葉に、藍銅はホッと息を吐いた。

 そして隣に居る紅藍を促す。


「さあ、降りーー」


 藍銅は固まった。


「ぴぃ、ぴぴ?」


 なんかぴぃぴぃ言ってる。


「何してるんだ」

「見てわからないの?」


 わかるか。


「説明してくれ」

「親鳥と会話」


 全く通じてないから。

 親鳥もかなり困惑している様子が見えた。


「そのぴぃぴぃっていう音って、親鳥と会話の音でしょう?」

「まあ、うん」

「それ、どうやったら出来るの」

「どうやったらって……」


 とりあえず、一朝一夕では出来ないだろう。


「どうしても知りたいなら、後で教えるから」

「イヤ、今教えて」

「はぁ?!」


 ここで授業か?

 いや、んな事をしている場合ではないだろう。

 下には王妃様が居るし、何よりもここは後宮の外である。


 しかし、紅藍は譲らない。


「なんでそんなに知りたいんだ」

「知らなきゃ会話出来ないでしょうがっ」

「する必要ないだろっ」

「あるわよっ!」


 紅藍が叫ぶ。


「知らないと、謝れないでしょうがっ」


 謝れーー。


「誰に?」

「親鳥と雛っ!」

「……」


 教えろ教えろと騒ぐ紅藍に、藍銅はしばし固まる。


「……あ~~、難しいけど」

「そんな言葉ぐらいでこの私が諦めるとでも?」


 んなわけない。

 それは藍銅が誰よりも知っていた。


 でなければ、この数年もの間、諦めずに再戦を挑み続けてきたりなどしない。


「とりあえず、ごめんなさいーーか」


 藍銅はゆっくりと、聞き取りやすくその音を発音した。


 紅藍がその言葉をマスター出来たのは、それから一時間後の事だった。


 チチチと親鳥が鳴く。

 紅藍の謝罪を受け入れた親鳥が、再び巣から飛び立つ。

 雛達の糧となる餌を求めて。


「さて、戻るぞ」


 王妃様は先に隠し通路から後宮に返した。

 後は、藍銅と紅藍が戻るだけ。


 というか、紅藍は別に戻る義務はないが、このまま一神で帰すという選択肢は藍銅の中にはなかった。


「行くぞ」


 しかし、紅藍は動かない。


「紅藍姫?」


 紅藍は見ている。

 木の枝に座りながら、遠くを見つめていた。


「紅藍姫」

「……こんな感じなんだ」

「え?」

「下から見るのと、ううん、建物の中からとも全然違うのね」


 その言葉に、藍銅は紅藍の見つめる先を見る。

 だが、そこから見えるのは、何度も見てきた光景でしかない。

 広がる広大な庭。


 後宮自体が王宮の最奥にある為、王都までは見えない。

 ただ、上まで上ればーー。


 巨大な大樹の上を見上げ、藍銅はしばし考え込む。


「紅藍姫」


 紅藍を呼び、藍銅はその体を強引に立たせる。


「な、何ーー」


 藍銅が幹に足をかけて枝を登り、紅藍を引き上げる。


「きゃっ! な、何ーー」

「いいから」


 何度も、自分が先に上って紅藍を引き上げていく。

 これが他の木ならとっくに枝が細くなって上れないが、この大樹は違う。

 どっしりとした太い枝を登り続け、ようやく辿り着いた上部。

 天辺までは無理だが、ここまでは行ける。


 そこは、藍銅にとっては馴染みのある場所だった。


「こ、ここ」

「俺の寝床。俺以外で来たのは、紅藍姫が最初だ」


 木の枝が複雑に絡まりあった場所は、ちょっとしたスペースになっている。

 しかも、絡まりあった枝が転落防止の柵の様になっており、昼寝しているうちに転がり落ちるような事もない。


 こういう場所は他にもあったが、ここが藍銅にとって心地の良い一番のお気に入りの場所だった。


 二人が寝っ転がってもスペースがある天然の木の寝台。


 飛び跳ねても、絡み合った幾つもの太い枝がしなってその衝撃を外に逃がす。

 頑丈で、寝心地の良いそこに紅藍を降ろし、藍銅は遠くを眺める。


 やはり、王都までは見えない。

 けれど、広がる王宮を見渡す事は出来る。


 この木は、後宮を囲う壁よりも高く聳え立つ大樹。

 後宮からいつも眺めていた。

 そしてここに来てすぐに、藍銅はこの木に登った。


 その時の感動が蘇る。

 どうして忘れていたのだろう。

 あの時はあんなにも感動して、夜も眠れぬほどだったというのに。


 いつの間にか、忘れてしまった。

 いつの間にか、慣れてしまった。


「凄い……」


 昔の自分がそこに居る。

 紅藍が、昔の藍銅の様に、その光景に見とれている。


「凄い凄い凄いっ!」


 立ち上がり、ピョンピョンと跳ねる紅藍が落ちないように注意しながら、藍銅も広がる絶景を見つめていた。



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