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紅の嵐姫 藍の淑妃  作者: 大雪
過去編
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第四話 教師の苛立ち


「あ~れれ? 藍銅、何してるのさ」


 そこは後宮にある書物の宝庫ーー【図書殿】。

 王宮内にある【大書物庫】に次ぐ豊富な蔵書の数々を有するとして、この海国でも群を抜いた大施設である。

 地下二階、地上四階建てからなるそこは、後宮の住神達が学問を学ぶ場でもあり、書物のある区域以外にも多くの多種多様な区域を有していた。

 その中で、自習室として使われる部屋で幾つかの書物を片手に書き物をする藍銅を見付けた瑪瑙が声をかけたのだ。


「ん~? 何々~? 『簡単な刺繍 基礎編』、『花嫁修業の入門 正しい家事の仕方』、『相手に喜んで貰う料理をするには』ーー藍銅に必要ないじゃん」


 むしろプロ級だろ、とビシリと言い切る瑪瑙に藍銅は大きくため息をついた。


「俺じゃねぇよ。あの姫のだよ」

「ん~? ああ、まだ教えてるんだっけ?」

「そう、教えてるんだ」


 勝負を挑まれてから半年後に、この勝負を終わらせるべく紅藍の実力の底上げを試みてから既に二年目。

 色々と工夫し、初歩の初歩から叩き込み続けた藍銅ではあったが。


「教師って、偉大だな」


 どこか遠くを見る藍銅に瑪瑙は慌てた。

 完全に目が死んでいる。


「あ、あああああのさっ! でも紅藍姫、前よりも料理とか色々上手くなったよ! 前はもっと凄かったじゃんっ!」

「そうだな。包丁を握れば自分の手を切り、火を起こせば火事、何とか料理を作れば試食した奴らがICU送りになったという」

「たいていの物を食べてきた強靭な胃袋を持つ上層部の胃を破壊出来るなんて凄いよ!」

「お前っ! そのせいで海国の政治機能が危うく大幅低下しかけたのを忘れたのかっ!」


 最初は王妃様だった。

 紅藍が苦心し作り上げた料理を自ら率先して食べようとした。

 元々心優しく慈愛に満ちあふれているお方の事。

 それを自ら食べる事でご自身の垣根の無い底なしの慈愛を見せようとしたのだろう。


 だが、それは間違いだ。

 自殺行為と同意義である。


 そんな王妃様を救うべく、自ら『自害』イコール『試食』を希望した男妃達は数知れず。

 そしてそんな状況を打破するべく、男妃達を庇った試食してくれた上層部。


『ぐわっはぁっ!』


 男妃達ばかりでなく、上層部の男性陣もこれまた美貌の男の娘揃い。

 そんな彼らが、美貌も色香も台無しになる様な断末魔を上げて倒れていったのは記憶に新しい。


 そして、上層部の男性陣の半数を撃沈した瞬間、海国のバランスが崩れかけた。

 確かに最大の柱は『王』である。

 が、その補助をしている上層部があれだけ倒れればバランスだって崩れよう。


 それでも何とか王は頑張って支えてくれたが、余波が他国に及ぶ事までは防ぎきれなかった。

 結果、最大級の余波を修復ーーというか、自国だけでも大変なのに他国の面倒まで見る羽目となった水の列強十カ国、主に凪国と津国は切れた。


『余計な仕事増やしてんじゃねぇぞっ!』


 目がマジだったーーと、後に謝罪に出向いた海国の使者達は語る。


 そんな国を危うく滅亡させかけた紅藍の料理。

 その制作者である紅藍姫は、それこそ国家転覆罪の大犯罪神として投獄されても当然であったがーー。


『みんなが自分から食べたんですけど』


 王妃の一言で、投獄は思いとどまった。

 というか、王妃に言われずとも危険とわかっていて食べたのは自分達である事は誰もが重々承知であったから、最終的には黙殺する方向で居たが。


 やはり、本能に従っておくべきだったと、後に上層部は語っている。


 だが、それで全てが終わったわけでなく、やはり後厄は藍銅に降りかかってきた。


 すなわち、紅藍を一般レベルまで何としてでも引き上げろとーー。


 なんで俺?と藍銅は疑問を覚えたが、何故か上層部の中で藍銅は紅藍の『保護者兼教師』となっていた。

 まあ、教師はわかる。

 紅藍に色々と教えていたから。

 しかし、保護者って何だ。

 俺はあれを娘に持った覚えは無い。


『いや、娘っていうか、妹?』


 もっとヤダ。

 しかし、そんな藍銅の叫びを聞いてくれる様な心優しき上層部は誰も居らず、男妃達も自分達の身の安全の為に藍銅に全てを丸投げしたのである。


 またーー。


『藍銅、わかってるでしょうね?』


 王妃をだっこした貴妃の笑顔が蘇る。

 わかってるって何が?ーーと問う間もなく頷いたのは、その時の貴妃が恐かったから。

 まあーーあやうく、王妃がICU送りにされかけたのだから仕方が無い。


 そんなわけで、藍銅は死ぬ気で紅藍を教育するべく、自身の教育スキルを鍛える日々を送る羽目となった。


「そんな悲惨な顔しないでさ~!」

「悲惨な顔もするわっ」


 確かに今は前よりもマシにはなった。

 なったが、相変わらず料理は見た瞬間『命の危険信号最大音』、一口口に含めば脳が毒と認識して吹き出す。


 極めつけは


『どうしてはき出すのよ! そこは飲み込んでこそ男でしょう! やっぱり男妃や男の娘って中身まで軟弱なのねっ!』


 紅藍のいらない一言。

 あの料理を食べないでいいなら身も心も『女』になる、と言いかけた男妃達をどんな思いで留まらせたと思っている!!


 とにかく、早く何とかしないと、こっちの身が保たない。

 

「まあ一番なのは、紅藍姫の後宮立ち入り禁止をする事だけど」

「それが出来れば、苦労しない」


 というのも、事もあろうに紅藍が来る事を王妃様が楽しみにしているのである。


『紅藍姫、今日はまだ来ないのかしら?』


 むしろ来ない方が心穏やかーーと言いたいが、絶対に哀しげにペタンと伏せられている兎の耳の幻覚に男妃達は自分達を激しく罵った。


 料理で死ぬ事がなんだと言うのだ。

 死なない強靭な肉体を作りあげる試練と思えば良いのだ。


 それは、上層部も同様で、王妃の笑顔を見るために自ら地獄に飛び込む覚悟を決めた。


 そんなわけで、紅藍の後宮立ち入り禁止が出来なくなった今、紅藍の実力を上げるしかない。

 そうして、さっさと藍銅を凌ぐ実力をつけさせて、勝負で勝たせるしかないのだ。

 そもそも紅藍は藍銅と勝負して勝ちたいが為に後宮に来ているのである。


 勝負で勝てば、紅藍の気も済むだろう。


「もう名物だしね、君と紅藍姫の勝負は」

「……」


 その勝負の大半が女子力勝負だけどなーーと藍銅は心の中で呟く。


「まあ、見ている分には面白いし」

「散々命の危険に晒されて何を」

「晒されてはいるけど、それは料理を食べなければ回避出来る事だし」

「他でもあるだろ」

「うん。はたきで掃除中に鉢植え叩き落として下を歩く相手の目の前を通過したとか、後宮の電気のブレーカーを落としたとか、水道を閉め忘れて水浸しにしたとかーー水が少ない地方だったら死活問題だよね!」


 水が豊富で良かったね~と笑う瑪瑙だが、豊富だから良いと言う話ではない。


「けど、それも少しはマシになってきたし」

「……確かに、な」

「それに、紅藍姫。色々とぶっ飛んでて、見た目は典型的な貴族の姫君だけどさ~」

「中身もだろ」

「いやいや」


 瑪瑙が机に頬杖をついて藍銅を見上げる。


「確かに藍銅の都合とか色々考えてないけど、でも、あれだけ藍銅に色々とこてんぱんにされても諦めない不屈の精神とか凄いと思うよ~?」

「……にしては、負けたら五月蠅いが」

「でも最後にはきちんと負けたって認めてるじゃん。間違っても、陰険陰湿な他力本願の報復とかに出ないしさ。『次こそは勝つんだからっ! 吠え面かいて後悔すると良いわ~っ!』って叫んで帰ったとしても、それを他の相手にぶつける事はしないしょ」


 それは確かに、と藍銅は納得した。

 以前別の話で、王妃様を侮辱したとある貴族の姫君達がお叱りを受けた腹いせに侍女達に当たり散らし、殺害一歩手前までいった話などザラにある。


「それに、以前は強引に料理を食べさせてきたけど、今は自分の料理の威力を認識したのかそういう事はしないし」

「当たり前だ」

「それに、勝負だって自分の力で勝つ事にこだわってて、見てて清々しいし、勝負方法だってーーまあ、料理とかそれ自体が凶器ではあるけれど、それでも暴力を伴う様なものじゃない」

「あいつの料理自体が暴力だが」

「そうならないように藍銅が頑張ってるんでしょ! まあとにかく言いたいのは、紅藍姫ってただの我が儘姫とは違うと思うよって事だよっ! わかる?」


 瑪瑙の言葉に、藍銅はムッとした。

 そんな事は言われなくたってわかっている。

 瑪瑙なんかよりずっとずっと藍銅の方が紅藍と一緒に居たのだから。

 怒った顔も、以外と上手く出来て喜ぶ顔も、悔しがる顔も、必死に練習して疲れ果てて眠る寝顔も、藍銅の方がずっとずっと見てきた。

 ムカムカとした苛立たしい気持ちに、ついつい手にしていた筆を折る。


 パキンと澄んだ音が自習室に響き、藍銅はハッとした。

 割れた筆がポトリと机に転がる中、自分の行動に困惑する。


 何で、こんなに苛立たしく思ったのだろう。

 今まで瑪瑙にからかわれる事なんて何度もあったし、最近では殆どを「ハイハイ」と聞き流していた。


 なのに、藍銅よりも紅藍の事を知っていると言う様な発言に、つい我を忘れた。


「ーーあ~あ、それここの備品だから怒られるよ」

「……五月蠅い」

「五月蠅いじゃないよ、全く」


 瑪瑙がぶつくさと言いながら、壊れた筆を拾う。

 そして無理だというのに、割れた筆をくっつけたりしていた。


「けど、紅藍姫の実力、藍銅が思っているよりも早く上がるかもよ」

「大した自信だな」

「いや、自信っていうか、近頃は料理も美味しくなってきてるし」

「は?」


 こいつは今何と言った?


「お前、まさか、食べてるのか?!」

「うん。ああ、ちゃんと本能で食べられる基準に達したのだけだけどねっ」


 そう言うと、瑪瑙は懐からごそごそと何かを取り出した。

 それは、綺麗にラッピングされた袋で、リボンを解けば、袋の口からころりとクッキーが転がり落ちてきた。


 形は歪で色もお世辞にも綺麗とは言えないが、美味しそうな匂いがする。


「王妃様と作ったとかで、貰った」

「誰に」

「紅藍姫。以外とお菓子作りの方が早く上達しそうだね」


 そう言って、それを口に含む瑪瑙からガリッと音がする。

 クッキーにしては固すぎる音。


「まだモソモソボサボサしてるけど、まあ食べられる。あ、藍銅も食べる?」


 手渡された一枚のクッキー。

 けれど、藍銅はそれを無視した。


「むぅ~! 教え子の作品なのに~」

「五月蠅い」


 瑪瑙の軽口が止まった。

 そして、どこか慌てた様にお菓子の袋を仕舞い込む。


「あ~、ってか、僕」


 用事があるからーーと続けたかったのだろう。

 しかし、それは冷え切った空気を物ともせずに飛び込んできた闖入者によって破られた。


「淑妃! 私と勝負よ! 今度こそ私が勝つんだからっ」


 最高に虫の居所が悪い藍銅の前に飛び込んで来たのは、『飛んで火に入る夏の虫』状態の、元凶。


 いや、藍銅には紅藍が元凶であるという認識すら、自己認識出来ていない。

 ただ、この苛々ムカムカする気持ちをどうにかしたかった。


「良い度胸だーー」

「ん? なんでそんなに苛々してるの?」


 誰のせいだーーと心の中で怒鳴る藍銅は、一切の手加減をしなかった。


 そして今回もぼろ負けした紅藍は、今までで最低の成績を収めてしまったのだった。


「こ、このっ! 覚えてなさい!」


 そんな捨て台詞を吐いて涙目で走り去る紅藍に、ようやく藍銅の怒りが静まっていく。

 けれど落ち着きを取り戻した時には、既に紅藍の姿はそこにはない。


「淑妃……」


 観戦ーーというか、たまたま図書殿から場所を移した勝負の場近くに居た男妃達が恐る恐る声をかける。

 彼らから見ても、今回の勝負は色々と思うところがあった。

 もはや親の敵とも言う様にこてんぱんにした淑妃に、いつもの彼らしさは全くなかった。

 叩き潰された紅藍の負けっぷりは、流石の男妃達も一言もの申したい。

 そうして、やはり勝負を見守っていた瑪瑙を含めた四妃達でさえ固唾を呑んで黙っていたにも関わらず、声をあげてしまった。


「淑妃、あれはいくら何でも」

「あぁ?」


 落ち着いたのに、また紅藍の話題を出されて、藍銅は苛立たしげに声を上げた。

 ムカツク、ムカツク、ムカツク。

 お前が紅藍の話題を出すな。


 そうして苛立ちに支配された藍銅は、ふと自分に意見を言おうとした男妃の髪を飾るリボンに気づいた。


 名ばかりの妃だが、周囲の目を誤魔化す為に常に女装している男妃達。

 美しい女物を身に纏い、長い髪を結い上げ簪を挿す。

 その男妃も美しい簪をつけていたが、問題はその結い上げた髪を縛るリボン。

 それに施された刺繍はーー。


「それ、は」

「え? これは紅藍姫が」


 紅藍?


「ああ。刺繍の練習とかで色々と自己練で縫ってたんだ。で、時間があったから教えたらお礼だって」


 別に断る理由もなかったから、貰っただけだ。

 その男妃には、まだ決まった相手も居らず、恋しいと思う相手も居ない。

 だから別に貰う事は不義理でも何でもない。

 それに紅藍の方も現在はフリーだし。


 ただ、お礼として渡しただけだと、男妃もわかっていた。


 しかし今、男妃は目の前に立つ藍銅に命の危機を感じていた。


「淑妃」


 だが、藍銅は男妃の呼びかけに答える事なく、ただそれに視線を集中させていた。

 よくよく見れば、他の男妃達にも見覚えのあるものがある。


 どれも、紅藍の手によるもの。


 そんなの、すぐにわかった。

 今まで、自分が一番紅藍の側に居たのだから。


 勝負を挑まれてからは、たぶん紅藍の家族よりも藍銅の方がずっと、ずっと。


 突然現れた、少女姫。

 激しい雷光の様な眼差しを藍銅に向けてきた。


 今まで、そんな目を向けられた事は一度も無かった。

 誰もが藍銅を、獲物を前にした獣の様な情欲の眼差しで見つめてきた。

 穢れたーー穢れた、汚らしくイヤらしい目つきで、藍銅を嬲ってきた。


 後宮に入ってからは、穏やかで平穏な日々。

 海王や上層部の冷たい眼差し、他の男妃達の穏やかな眼差し、そして王妃様の優しい瞳。


 こんな風に、一目で射貫かれる様な強い、けれど穢れない澄んだ眼差しを向けられた事はなかった。


 ドクン、と、藍銅の心臓が鼓動を打つ。


「あの、淑妃」


 藍銅は音も無く男妃仲間達に背を向けると、紅藍の走り去った方向へと歩き出した。

 後ろから呼ぶ声と、四妃達の溜め息を背に聞きながら。


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