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紅の嵐姫 藍の淑妃  作者: 大雪
過去編
6/35

第三話 教師と生徒

 ちく、ぶす、ちく、ぶす。

 ちく、ぶすぶすぶす。

 ぶす、ぶす、ぶす、ぶす。


「うぎゃああああっ! もういやああああっ!」

「五月蠅い」


 うんざりとした藍銅を余所に、紅藍は切れた。


「ちまちまちまちまちまちま、もうどんだけ縫えばいいのよっ!」

「縫ってないだろ。指に刺しまくってるだろ、それ。なんだ血の呪縛か? 呪いの発動か?」

「五月蠅いわよっ! どう見ても綺麗な刺繍じゃないっ!」


 勢いよく見せたのは、白い布地に飛び散った幾つもの赤い染み。

 なんだか怨念さえ感じるそれは、たぶん藍銅が初めて見るレベルの呪いを感じる。


「というか、なんだってこの私が淑妃に師事しなきゃならないのよっ」

「なんでって――」


 それは俺が聞きたい――と、藍銅は心の中でこの状況を作り出した貴妃を呪った。


 事の始まりは、昨日。

 そんな案外最近の午後の昼下がり。

 半年も続く終わりのない勝負に悩んだ藍銅が、四妃の纏め役であり、この後宮の真のドン、いや、統括者である貴妃――瑯玕に相談した。

 思えば、それが間違いだったのだが、藍銅は結構真剣だった。


 そんな真剣な相談に、瑯玕は笑顔でのたまった。


『勝たせて差し上げれば良いでしょう?』

『それが出来るならとっくにやってる』


 水泳勝負から数日後。

 全力で手加減して勝たせてやったら、イカサマがバレて烈火の如く切れた紅藍。

 胸倉を掴まれ、振り回され、目を回しながら、藍銅はもう二度とイカサマはやらないと心から誓った。


『この私を侮辱するなんて許せないっ!』

『いや、侮辱じゃ』

『こんな屈辱! 私は正々堂々と勝負しているのにっ――』


 そう言ってボロボロと泣き出した紅藍に、藍銅は言葉を詰まらせた。

 確かに、紅藍は一度だってズルはしなかった。

 どんなに苦戦しても、正々堂々と勝負を挑んで戦ってきた。


 こちらにとっては色々思う所はあるけれど、紅藍にとっては真剣勝負。

 藍銅は自分を反省した。


『だから、勝たせてやる事は出来ない』

『では、実力で勝って貰えば宜しいでしょう』


 実力で?

 というか、実力が無いから半年続けてもぼろ負けしまくっているというのに?


『藍銅、あなたの様に一度聞けばほぼ完璧にこなす――そんな、最初から何でも出来る相手は早々いませんよ。殆どの者達は学び、何度も失敗して実力をつけていくものです』

『瑯玕だって何でも出来るだろ』

『出来ませんよ』


 そう言った瑯玕の言葉の意味を、藍銅が本当の意味で知るのはもっと後の事になる。


『まあとにかく、紅藍姫はあなたに勝つまでは絶対に諦めませんよ。さっさと離れたいならば、紅藍姫の能力を底上げする事ですね。頑張って下さい』

『は?』

『何が、は? ですか。教えるのはあなたですよ』

『はぁぁあ?! 瑯玕でいいじゃんっ』

『何故この私が? 私にとって大した得にならない事をどうしてしなければならないのです』

『王妃様には教えてるだろ』

『王妃様は可愛いから良いんです』


 駄目だ、こいつ。

 そう思ったが、藍銅も藍銅で王妃をこねくり回す様に可愛がっている身な事から、あまり強く突っ込めない。


『という事で、これから王妃様の雨に濡れた子犬の目指導がありますので、じゃあ』

『え? まだそれやって――』


 最後まで言い切る間もなく去って行った貴妃に、とりあえず藍銅は自分の力で何とかする事を誓った。


 そうして、そのすぐ後に勝負を挑んで殴り込んできた紅藍を捕獲し、この状況へと追い込んだのである。


 すなわち、勝負に勝つ実力を付けさせる為、紅藍を徹底教育するというーー。

 その最初の授業が、刺繍だ。

 しかし、その最初の一歩で既に藍銅は投げ出したくなっていた。


 こいつ、全然駄目だ、マジで。


 将来は教師志望とか言っている貴妃はマジ凄い。

 というか、神に教える職業全てが凄い。

 俺には無理だ。


「ああもう! 苛々するっ!」


 そうしてビリビリと布を破る、紅藍。

 獣かお前は。


「こんなの出来なくても嫁に行けるわっ」

「勝負には勝てないけどな」

「ぐっーー」

「そして、苛立って布を破り捨てる女も嫁には行けないけどな」

「んなっ!」


 全身の毛を逆立てる猫の様な紅藍を余所に、藍銅はチクチクと刺繍を続けた。

 そうしてほどなく、見事な花の刺繍が出来上がる。


「王妃様だってもう少しマシなものを作るぞ」


 というか、そもそも王妃様は紅藍の様にぎゃあぎゃあと喚いたりしない。

 確かに刺繍などは苦手だが、黙々と縫い続ける。

 ああ、それを考えれば王妃様はなんて良い生徒だったのか。


『淑妃、凄い凄い!』


 舞を舞っても、歌を歌っても、何をしても凄いと褒めてくれる王妃。

 王が絡むと凶暴化するが、それがなければ王妃はとても可愛い存在だった。

 いや、王が絡んでも可愛い。


「癒やされたい」

「愛されたい? なんて破廉恥なっ! こんな日の明るい時間から王とイチャイチャしたいなんて!!」

「耳腐ってるのか?」


 思わず、王と後宮の男妃達はそんな関係ではないと叫びそうになり、藍銅は慌てて口を手で押さえた。

 この事実を知るのは、ごく一部の者達だけである。

 対外的には、男妃達と王は関係があるという事になっているのだから。


 しかし、蓋を開ければそんな事は全くない。

 というか、そもそもあの王が王妃以外に目を向けるものか。


 王妃を愛し過ぎて愛し過ぎて、少々犯罪に片足突っ込んでいる状態の王を思い出し、藍銅は溜め息をついた。


「とにかく! こんなのはもうやめよっ!」

「忍耐力もないのか、お前」


 もう少し堪え忍べよ。


「そんなもの無くても生きていけるわっ」

「いや、無いと色々と大変だぞ」


 そう言うと、紅藍がハンッと鼻で笑った。


「何が大変と言うのかしら? この私に堪え忍ぶべき事などないわっ」

「旦那の浮気とか」


 藍銅はボソリと呟いた。

 貴族の結婚は、恋愛結婚も増えてはいるが、それでもまだまだ政略結婚が多い。

 そして、結婚前から、結婚後に愛神や妾を囲う者達も多く居た。

 中には自分も囲うという猛者も居るが、相手よりも立場が弱ければひたすらに堪え忍ぶしかない。

 そして愛神の子供を育てさせられたりするのだ。


「貴族の浮気はゲームみたいなものでしょう? お父様とお母様が言ってたわ」


 ゲーム……。

 紅藍を見て藍銅は再度ため息をつく。

 典型的な貴族の我が儘娘。

 彼女の両親も政略結婚で、それぞれに愛神を作り、隠し子まで居るとか。


 そんな両親に育てられた彼女は、それが当たり前なのだ。


「何? 違うの?」


 紅藍が藍銅の顔を覗き込む。

 それは、本当に純粋な疑問を抱いているようで、その以外さに藍銅は目を瞬かせた。


 それが当然。

 生まれ持った価値観を手放さそうとせず、ひたすら自分の価値観を相手に押し付けてくる者達などわんさか居た。

 間違っても、違うの?などと聞く相手など、殆どとして居なかった。


「淑妃?」

「……違わない、それが貴族の価値観だろ」


 そうーー貴族は、それが普通。

 堂々と不倫すらして、子供まで作る。

 そして邪魔になれば、捨てる。

 大戦以降は格段に減ったと言うが、それでも、まだ沢山居る。


「でも、俺は嫌だ」


 はっきりと拒否した藍銅に紅藍が首を傾げる。


「嫌?」

「そうだ。俺は、俺はただ一神の相手だけで良い。将来を共に過ごす相手は」

「……」

「愛し合う相手は、この世でただ一神」


 瑪瑙辺りが聞けばロマンチストと笑うだろうか?

 いや、瑪瑙自体がただ一神を追い求めてきた身である。

 長い時を経て再会し、今は王妃付きの侍女である彼女にだけ捧げられた愛。


 今までの神生はロクデモない事ばかりだった。

 それでも、せめてこれからは。


 ようやく得ることの出来た、平穏。

 神並の神生。

 尊敬出来る主君、信頼出来る仲間。


 それだけで十分過ぎるほどだったけれど、それでもいつかはーーと心のどこかで願い求めている。


 生涯を共に出来る相手が欲しいーーと。


 穏やかで、平穏な家庭を築きたいと。


 それには、ただ一神の相手で良いのだ。


「なら、淑妃は苦しいわよね」

「え?」


 ハッと我に返れば、紅藍がジッと藍銅を見つめている。


「だって、この後宮には淑妃の他にも沢山王の妃が居るわ。王妃様だって、居る。だから、淑妃だけを王が愛するなんて出来ない」

「紅藍」

「仮に、王の寵愛が淑妃一神に注がれたとしても、それが永遠に続くことはないわ。心は変わる物。たとえ淑妃が一番愛されていても、新しい妃が入ればそちらに寵愛が移るかもしれないし、そうでなくても、他の妃が新たに寵愛されるかもしれない」


 今までの紅藍を知る藍銅だからこそ、その淡々とした口調に驚いた。


「永遠なんて存在しない。特に、王の寵愛を争う後宮では不変のものなんて、ない。だから、淑妃がたった一神だけを求めるなら、辛いわよ」


 そう言うと、紅藍は口を閉じた。

 そして視線を伏せ、新たな布をとってチクチクと無言で刺繍する。

 もちろん、指に針を刺す方が限りなく多いが。


「……紅藍姫」

「……」


 紅藍は答えない。

 ただ、刺繍だけを見続ける。


「それは、紅藍姫の経験なのか?」


 刺繍の手が止まる。


「ーー私の経験じゃない。ただ、そうやって不幸になった相手を知ってるだけ。割り切れず、かといって捨てられず、そうして不幸になった」

「……」

「貴族で居る限り、たとえ大戦以降は恋愛結婚が増えたからって、全ての貴族達の意識がそう簡単に変わるわけがない」

「……」

「ならば貴族を捨てようにも、今までの生活水準を落とせる相手はそう多くない」


 再び、刺繍に戻る紅藍の手が、掴まれる。


「淑妃?」

「……なら、お前ならどうする?」

「私?」

「お前は」


 知っていると言いながら、まるでそれが自分の事の様に話す紅藍についつい藍銅は聞いてしまった。

 答えなど、分かりきっていたというのに。

 それは後々まで藍銅に首を傾げさせる。


 何故、あの時そんな質問をしてしまったのだろう?ーーと。


「私の答えなんて分かりきっているじゃない。私は私に相応しい相手と、今度こそ結婚するのよ! そう、私の家の家格に釣り合うような相手とね!」


 ふんっと胸を反らす紅藍の手首を、藍銅はがっくりと脱力しながら離した。


 そうだーー。

 この姫は、そういう姫だ。


「それより、ここはどうするのよ」

「ーーああ、これはな……って、絡んだ刺繍糸を解くのが先だろ」


 そうして力が抜けた指先で、藍銅は絡んだ糸を解いていく。

 だが、藍銅は気づかなかった。

 そんな自分を、紅藍がいつもとは違う眼差しで見つめていた事を。


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