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紅の嵐姫 藍の淑妃  作者: 大雪
過去編
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第二十五話 後宮の力関係

「うぅぅっ」

「はぁ……」


 もはや手を握るに留まらない隣の男妃。

 がっしりと腕を組み、すりよるーーというよりはしがみついてくる朝霧に紅藍は大きくため息をつく。


「ちょっ! 歩くの速いよっ」

「速く歩かないと賢妃の宮殿に辿り着かないでしょうが」

「おい、賢妃様を呼び捨てにするなっ! あのお方はこの後宮を収める四妃の一神なんだぞっ」


 王妃を除き、総勢百名からなる男妃達をまとめ上げている。

 すなわち、後宮の四大ドンの一柱を担う実力者。


 しかしーー。


「なんか複雑だわ」

「あ?」

「普通後宮の統治者って、王妃様でしょうが」

「……」

「他の後宮を見ても……まあ、王の寵愛を得ている寵妃が後宮の権勢を誇っていて、実際にはそっちの寵妃の方が後宮の主っていう場合もあるけど、一応名ばかりでも王妃たる正妃様が後宮の主である事が普通でしょう? なのに、海国の後宮は」


 王妃様は名ばかりの正妃であり、実質的なーーいや、名の方でも四妃たる貴妃、淑妃、徳妃、賢妃の四神の男妃達が後宮の実権を握っている。


 おかげで、王妃様は真実名ばかり、いや、名すらもない種馬だけの存在としてその存在を軽んじる者達が多かった。


 それが、紅藍からすればとても腹立たしい。

 そう、徳妃と賢妃にも言ったが、心底腹が煮えくりかえってならない。


 そうして隣でぷんすかと怒る紅藍に、朝霧は口元を袖で覆って息を吐いた。

 それは当たり前の事実に呆れたのでもない。


 危うく、紅藍の言葉を否定してしまいそうになった自分の口を押さえ、何とかボロを出さずにすんだ事に安堵しての事だ。


 口から漏れ出そうになった言葉。

 漏れ出ていたならば、今度こそ女官達に抹殺されるだろう。

 いや、その前に敬愛する主ーー賢妃様に半殺しにされる。


 朝霧にとって賢妃様の怒りを買う事は絶対にあってはならない。

 もし真実を暴露し、あの穏やかな賢妃様が時折される「虫けらでも見る様な眼差し」を向けられたら――。


 向けられてみたい。

 その麗しき美声で罵られて、白い繊手でぶたれ、足蹴にされたい。

 いつもされているけれど、あんなんじゃ足りない。


 自分だけではない。

 他の男妃達もまた望んでいる。

 賢妃様付きの男妃達は全員があの方に苛められたいと――。


「って俺は何を考えてるんだよっ!」


 ゴンッと近くの街灯の柱部分に朝霧は頭を打ち付ける。

 立ち去れ煩悩。

 消え去れ煩悩。


 いや、こんなのが自分の煩悩なんて認めない。


 ってか罵られたいって何だ?

 苛められたいって何だ?

 踏まれたり蹴られたりするのが嬉しいって何なんだ?!


 それを神はドMさんと言う。

 ドM――被虐的思考を持ち、ひたすらに苛められる事を快楽とする者達を指す。

 そしてそれには、先天的と後天的が居るというが――朝霧の場合は。


 違う、断じて自分はドMさんではない。


 いや、この体が悪いのだ。

 男に『女』として徹底的に仕込まれたこの体が!!

 苛められ続けてきたこの体が!!

 男なのに完全に『女』として反応するこの体がっ!!


「くたばれ俺っ!」

「ちょっ! 朝霧妃どうしたのっ!」


 目の前で自傷行為に走られて冷静で居られるほど、紅藍は神生経験を積んではいない。


「落ち着きなさい!!」

「違う、違うんだ! ああ姉様、僕を見捨てないでええぇぇっ」


 賢妃の蔑みの視線はとても心地よいが、姉の蔑みの視線だけはダメだ。

 こんな嫌らしくて穢らわしい淫らなのが弟だなんて知れたら、今までの過去に男達からされた仕打ちともあいまって絶対に――


『こんな穢らわしくて嫌らしいのが弟なんて嫌だわ』


「うわああぁぁぁぁんっ」

「何?! なんでそんなにヘコんでんの?! またゴキブリでも出たの?!」


 それから朝霧が落ち着くまで、三十分ほどかかった。


 そして街灯の下で、紅藍は正座させた朝霧を前に仁王立ちして言い放った。


「ってか朝霧妃、あんたがなんで突然柱に頭打ちしたのかは分からないけれどそれは止めときなさいよ。傷物になったらどうすんのよ、嫁のもらい手――って、もう嫁に行ってるか」


 名ばかりではあるけどな――と、ようやく冷静になった朝霧は無言で紅藍から渡されたハンカチで額を冷やしていた。

 血こそ出なかったが、少し赤くなっているのは間違いない。

 果たして全力で柱に頭突きして「少し」ですむのかは疑問だが、所詮男の娘。

 というか、美神は傷など負わないのだ――という普通ならあり得ない仮説を、身を挺して証明しているかのように、街灯下で見た朝霧の額には傷は全くなかった。

 ほんのり赤みを帯びているだけで。


 それを見た紅藍は一言。


「私があんたを傷物にしてくれるわっ!!」


 そう周囲に誤解される様な言葉を吐きながら、朝霧に飛びかかったという。

 が、紅藍もまた冷静さを取り戻した後は切々と朝霧に説教する。


 すなわち、母親から貰った体に傷を付けるなと。

 それは貴族の姫君とは思えない言葉だが、その言い方はどこか淑妃を思わせる。


 四妃の一神――理知的な瞳が美しい淑妃。

 その粗野な口調とは裏腹に、情に厚く常に周囲に気を配り心配する様は後宮の『オカン』と影で言われている。


 そしてその淑妃から師事する紅藍は、まさしくそっち方面も受け継いでいるようだ。


「それに王妃様も心配されるわ」

「っ……」


 王妃様の名を出されると朝霧はもう何も言えない。


「まあ、朝霧妃からすれば第一は賢妃なんでしょうけど」


 溜め息をつく紅藍に、朝霧は再び否定したくなった。

 が、全部は否定出来ない。

 確かに賢妃が第一。

 自分の師匠であり、尊敬すべきお方。

 美しく麗しくこの後宮の四妃の一神を担う偉大なる存在。


 しかし、王妃様もお慕いしている。

 むしろ別格である。


「でも本当に腹立たしいわね、王妃様が格下扱いなのは」

「は?」

「でなくとも後宮は四妃達が統括していて、中に居る後宮の妃達は全部貴妃派、淑妃派、徳妃派、賢妃派のどれかに分かれているんでしょう? 普通の後宮なら、そこに王妃派があるのに。これはやっぱり王妃様が後宮では全く権力が無いって事よね」

「だから、ちが――」


 朝霧は叫びかけたが、またもや賢妃の蔑みの視線――だったらお仕置き目当てで言ってしまいそうになるので、姉の蔑みの視線を思い出す事で必死に言葉を飲み込んだ。


 そうして、骨の髄まで徹底して叩き込まれていた秘匿すべき事実を全力で秘匿した。

 しかし、それでもなお口について出てしまいそうになるそれこそが、朝霧の王妃への忠誠であると彼は気づいているだろうか。


 王妃様こそが、海王陛下の寵妃であるーー


 もし紅藍の言葉を否定し、怒鳴り散らさんばかりにその間違いにの修正が赦されたならば、朝霧はそう叫んでいただろう。


 偉大なる海王陛下。

 自分達男妃達を後宮に保護してくれただけではない。

 その政治手腕、国を建国し、発展させていく様は正しく賢君の名に相応しい。

 自分達の、いや、あの上層部すらも膝を屈し頂く王。


 今は後宮から出られない身でも、後宮の男妃達全員が後宮を出てからも偉大なる陛下に仕える事を望んでいる。


 それは朝霧も同じだった。


 その為に、文武を学び、政治を学びいつか王宮に勤める事を夢見て勉学に励んでいると言っても良い。


 そんな陛下に愛された王妃様。


 決して美しくはないけれど。

 決して優秀ではないけれど。


『あなた様が朝霧妃様ね。私の名は紅玉と申します。今日から皆様と共に海王陛下を支える一神となりますので、これから色々と教えてくださいね』


 そうしてにわか仕込みなのは一目瞭然だが、それでも男妃という自分達に一切の嫌悪も同情も侮蔑も見せずに挨拶をしたあの方に、思わず目を奪われた者達は多い。


 今まで、王の妃の座を狙ってきた女とは違う。


 王妃様はありのままの自分達をそのまま受け入れた。

 まあーー四妃様達のぶっ飛んだ物言いにツッコミをいれる事も多かったけど。


 いや、そもそも自分達を見てーーあの四妃様達を見て全く動じなかったのは、朝霧が知る中では王妃様が初めてだった。


 淑妃に仕える自分の姉ですら、最初に淑妃様を見た時にはしばし言葉を失っていたというのに。


 そんな王妃様はーー


『凪国で慣れました』


 笑顔で言い切ったその一言に、全員が納得した。

 秘密裏の情報では、彼女は後々凪国王妃様付きの侍女、または王妃宮の女官として召し上げられる予定だったという。

 だから、特に凪国の侍女長と女官長は、影では紅玉様を海国に嫁がせる事にはかなり渋っていたのだと四妃様達から聞かされた。


 因みに凪国からは、そうして王妃様付き予定となる神材が度々失われていたりする。

 それは国内で留まる事もあれば、国外に行かれてしまったり。


 国外ではもちろん、うちの王妃様である紅玉様が有名だ。

 

 そして紅玉様に何かあれば、即座に凪国侍女長と女官長は我が国の王妃様を取り戻しにくるだろう。


 それは、決してあってはならない事。


 もう紅玉様を、王妃様をお返しする事など出来ない今、海国は凪国に初めて真っ向から相対する事になるかもしれない。


 二つの大国での争い。

 しかも、王妃様を巡っての闘い。


 もちろんそれは絶対に赦されない事であり、下手すれば両国とも炎水家によってお取りつぶしになるだろう。

 いや、それ以上に大勢の民達が巻き込まれるし、周囲の国々にも被害は及ぶだろう。


 それは海国も凪国も望んでいない。

 だから戦は起こさない様にするがーーそれでも、もし。

 もし、王妃様が我が国から失われる様な事になったならばーー。


 朝霧の瞳に暗い光が宿る。


 敬愛する陛下がようやく得た光を、失うわけには行かない。


 それを阻止する為には、朝霧は何だってする。

 何だってーー。


 と、シリアスに決めた時だった。


 すぐ傍の茂みが揺れ、朝霧は紅藍に飛びついた。


「賢妃仕込みの武術の腕を披露する機会と思いなさいよ」

「幽霊相手に通じないだろ!!」


 だからなんだって相手を幽霊と断じるのか。

 そして、自分達の種族を頭から忘れているその発言はなんなのか。

 人間界に住んでいた人間達ですら、幽霊、いや、悪しき災いをもたらす悪霊、怨霊と呼ばれる者達と戦う術を持ち合わせていたというのにーーまあ、一部の能力者達限定だが。


 人間よりもよほど強い力を持っている神のくせに。

 まあ、神力制限はされているが、それでもよほど強靭な肉体と高い能力を持っているくせに。


 そして、賢妃に武術を叩き込まれているくせに。


 なんだ、その深窓の姫君よりも更に儚く弱々しい様は。

 可憐な泣き顔は。

 庇護欲をかきたてる震える様は。


 王都でも滅多に見ない可憐な美少女たる容姿を持っている為に、余計に見る者の庇護欲をかき立ててしまう。


 だが、誰もが息を呑むほどの儚い美貌の持ち主だろうと、紅藍からすれば「うざい」以外のなにものでもない。


「とにかく、手を離して」

「やだ! 捨てないでっ」

「ちょっと! 他に聞かれたら誤解されるでしょうがっ」


 それぐらいの常識は持ち合わせている紅藍。

 いや、それ以前にこんな状況を見られ、その言葉を聞かれたら、どう考えても紅藍が朝霧に酷い事をしている加害者としか見られないだろう。


 腹立たしい事に、どう見ても朝霧は被害者、いや、囚われの姫君の様にしか見えないのだから。


 ガサガサガサーー


「ひぃぃぃいっ!」

「うっさいわね! 静かにしてなさいっ!」


 紅藍は朝霧を怒鳴りつける。

 確かにーー妙だった。


 後宮には動物は居ない。

 鳥とかは外から飛んでくるので居るのは普通だが、小動物や犬猫などは王都と違って外から持ち込まない限りは居ない。


 ならば神ーー。

 しかし、この様な感じで何も言わずに近づいてくる者がこの後宮に居るだろうか。

 これではまるで不審者ですーーと言っている様なもので。


「っ!」


 キラリと光る、銀色の光が茂みから垣間見える。


「紅藍姫っ!」


 ぐいっと体を引っ張られ、そのまま地面に押し倒される。

 何かが空を切る音が聞こえた。

 そして舌打ちする声も。


「誰だ貴様はっ」


 鋭く誰何する朝霧の声が響く。

 しかし、返ってきたのは鋭い刃だった。

 それも朝霧ではなく、紅藍に向けての。


「なっ!」


 刃が眼前に迫る。

 けれどそれは紅藍の首を飛ばす事はなかった。

 それよりも速く、朝霧が紅藍の体を引き寄せ横に飛んだからだ。


 どんなに見た目は女でもやはり中身は男ーー。


 なんてぼんやりと思う紅藍は、たぶん彼女が思うよりもずっと混乱していた。


 後宮は王宮の中で最も警備の厳重な場所。

 なのに、なんで。


 いや、その前にーー。


 紅藍は、気づいた。


「ちょっ……ここって」


 呆然とした紅藍の声音に、朝霧もまた気づいた。


 ここは。

 本来なら、来るはずの無い場所。

 賢妃の宮に行く為には決して通らない場所。


「嘘、でしょう?」


 呆然と呟いた言葉に応える様に飛んできたのは、禍々しい銀の煌めきだった。

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