第二十三話 王妃馬鹿
「いい? 紅藍姫」
「これは大切な事ですよ」
優雅な手つきで、徳妃が砂糖を三つ白いコーヒーカップに入れて口に含む。
その横で、優美に微笑む賢妃が、溜め息が付くほどの流れる様な所作で紅茶をカップに注いだ。
「もう一目見て、あの方以上の方は居ないと分かったんだよ」
「それでいて、王妃様は本当に」
扇で口元を隠して可憐に徳妃が微笑む。
賢妃はほっそりとした白い指でクッキーをつまみあげると、紅い唇で口づける様にそれを咀嚼した。
「王妃様は本当に素晴らしい方なんだよ」
「瑪瑙の言うとおりです」
そうしてかれこれ三時間。
紅藍はずっと徳妃と賢妃から王妃様の素晴らしさを教えられ続けていた。
しかも、無駄に色香を振りまかれた状態で。
普通の神経をしている者なら、今頃腰砕けで再起不能になっているだろう。
それ程までに、一挙一挙の動作が色っぽくて、蠱惑的なのだ。
だが、それ以上に大切な事がある。
というか、三時間もよく話す話題があるなと思う。
というか、どこまで王妃様が好きなんだと思う。
というか、陛下に寵愛されている男妃達と世継ぎを産む為だけの王妃様ってそんなに仲が良ものなのか?とツッコミたいのだが。
ってか、本当に、本当にーーどういう関係なんですか、男妃達と王妃様は。
まあ、いがみ合うよりは仲良くして欲しいとは思う。
しかし、王を巡る互いの関係を思えば……あまりにも王妃様が可哀想だ。
「って、こんな事してる場合じゃないのよっ!」
そしてふと勇気を出してーーというより我に返って叫べば、徳妃と賢妃から鋭い視線が向けられた。
「こんな事って何?」
「私達の大切な王妃様の武勇伝を聞くよりも大切な事があるとでも?」
きっと、ここに凪国王妃の従姉妹に当たる津国王妃が居れば呟いただろう。
『凪国上層部並に面倒でウザっ』
海国も中々のウザメン揃いだと言える。
しかし、徳妃も賢妃もそんな事を紅藍に思われているとは夢にも思わずーーいや、気づいて居るかもしれないが無視して自分達の話を続けた。
「まあ話は変わりますが、そもそもです。あの愛らしく愛おしい王妃様を繁殖用の雌馬扱いするなど、なんと腹の立つ」
「だよね~、もうさっさと八つ裂きにしてやりたいよ」
「もちろんですよ、徳妃。ああ、もし赦されるなら私がその様な暴言を吐く者達の喉を潰し、手足を切り落とし、その顔をグチャグチャに切り刻んでやりたいものです」
ほほほほと、扇で口元を隠しながら艶美な笑みを浮かべる賢妃に紅藍は退いた。
「切り落と……グチャ…グチャ」
「それでもまだ生ぬるいですが。ああ、冥土の土産として、たっぷりと可愛がって差し上げる事もしなければ」
「いや~ん、賢妃ってば激しい~」
どこぞの某筆頭書記官の様な発言だが、その可憐な美貌と蠱惑的な色香のせいかその口調は抗いがたい魅力に富んでいた。
これに抗えるのは、ごく一部しか居ないだろう。
そして紅藍もそのごく一部だったのか、うっとりするどころか、引いた。
「あれれ~? どうしたの? 紅藍姫」
微妙に距離をとっている紅藍に、瑪瑙が首を傾げた。
それは、どんなに警戒している相手だろうとも虜にする、禍々しいまでの色香に溢れたものだった。
だがーー。
「……」
「……」
とっても嫌そうなーーというか、お近づきになりたく有りませんオーラを出す紅藍に、瑪瑙だけでなく天河もまた、黙った。
「……」
「……」
「……」
しばらく、静寂が辺りを支配する。
それこそ、先程まであった全ての音が消えてしまったかの様なーー異様な静けさに覆われていた。
「……」
「……」
「……」
静けさは重みを増し、そして遂には全てを押しつぶそうとしたその時。
「ぷっ、あははははははは!」
「ほほほほほっ」
瑪瑙がお腹を抱えて笑い、賢妃は扇で口元を隠して典雅な笑い声を上げた。
「は?」
「あははははは! もうおかしいよっ! 何コレ! 王妃様の時とそっくり!」
「瑪瑙の言うとおりですねぇ。ふふ、これ程までに似ているとは」
「王妃様の時もそうだったよね~。ああ、思いだした思いだした! 初めてボク達にあった相手はみ~んなバカみたいに見惚れて動けなくなるってのにさぁ」
「ええ、ええ。だからこそとても新鮮でしたよねぇ」
そうしてひとしきり笑った徳妃と賢妃は揃って紅藍を見た。
「な、何よ」
「ふふ~~」
「王妃様が可愛がるのも理解出来ますね。ああ、でもまさか此処までとは」
「けどさ~、賢妃。王妃様はもう少しーーううん、もっともっと優しかったと思うけど」
「それはそうです。そもそもご自分の立場を完全に理解した上で来られた方でしたからね。そして、王の妃達である私達をそのまま受け入れてくれましたから」
「まさか、あんなにも丸ごとなんて思わなかったけどね~」
瑪瑙はケラケラと笑い、コーヒーカップに口をつけた。
そして一気に中身を飲み干すと、クッキーを一つ手にとって口を開いた。
「けど、そんな王妃様に似ているからーーいつもーー」
「ええ、それはありますね」
ひそひそと、徳妃と賢妃が顔を寄せ合って囁く。
それは麗しい美姫二神が創り出す絶景たる光景だが、紅藍からすれば何とも言えない不気味さを感じた。
王妃様と楓々が同じ行動をすれば、微笑ましく思えるというのに。
「あれか? 純真さがない?」
「え? 何それ。清らかな天使って言われてるボクへの挑戦?」
「まあーー楽しい事を言われるのですね、紅藍姫は」
「いや、楽しいどころかあんまり関わりたくないです」
目の前でパタパタと手を振る紅藍に、徳妃と賢妃の笑みは濃くなった。
「ただ、お二人がとても王妃様の事を大切にしているのは分かりました」
紅藍の言葉に、おやっと徳妃が目を瞬かせる。
その隣で、賢妃が満足そうに頷いた。
「それに私も、王妃様の事をただ子供を産むためだけの道具と言う神達は……はっきりいって近づきたくもないわ」
あの優しい王妃様をその様に言う者達など、紅藍はその存在すら認めたくも無い。
確かに真実はそうでも、それをわざわざ口にするその配慮の無さも、何よりも嘲りたっぷりに言う彼らの中にあるあからさまな悪意も、紅藍からすれば腹立たしい以外の何者でもない。
「紅藍姫の言うとおりですよ」
ニコリと笑って賢妃が扇を閉じた。
そして、艶やかな唇で紡ぎ出すそれは。
「それにしても後宮から出られぬこの身が厭わしい。そういう自分をわきまえぬ豚達が居るのは後宮の外ですからね。もし、彼らがこの後宮でその様な事を言って下さるのならば、私は喜々として即刻手足を切り落として差し上げますのに。ああ、知ってます? 手足を切り落としても治療法いかんでは死なないんですよ? 確か昔の人間界で四肢を切り落とす処刑方法があったそうですよ。ああ、他にも四肢がない人間を好む自称やんごとない、非常に高貴な輩達が居て、そういう商品をわざわざ注文していたそうですよ」
怒濤の勢いで紡ぎ出される、コトバ。
九割方理解不能。
「それはダルマと呼ばれていたそうです。とくに美しい少年や少女の『ダルマ』を愛で飾り、いかがわしく穢らわしい欲望の対象として弄び、孕ましては産まれた子も『ダルマ』にした輩も居たそうです。もちろん、大変遺憾ながら神々にもそういった趣向の者達は多く居るそうですよ。私としては全く理解出来ませんが、確かに四肢を切り落とせば逃げれませんから拷問としては一つの手となりますね。ですから、その状態でたっぷりとかわいがって差し上げましょう」
九割どころか、ほぼ完全理解不能なのは紅藍の頭が悪いからなのかどうなのか。
「私を飼ってくれた者の中にこれまた変態的な拷問マニアがいましてねぇ。美しくなければ生きる価値が無いとして、美しい者達は全て自分の性的欲求の犠牲として妾や奴隷とするにも関わらず、平凡な容姿の者達は拷問で苦しませた挙げ句に惨殺。まあでも、最後には心を明け渡した筈の某妾によって台に貼り付けられ、生きたまま楽しい解剖実験(瀕死の度に百回ほど治癒術使用)をされたのですから、最高の苦しみの中で死ねて本望でしたでしょうけどねぇ」
微笑む賢妃に、徳妃が頬杖ついて甘える様に首を傾げた。
「そういえば、この前『世界の拷問百選集』を読んでたよね~」
「いつ必要になるか分かりませんから。それにここに居るとそういう事からは遠ざかってしまいますから。いざという時に出来ないでは何の意味もありません」
「まあねぇ。ま、その時にはボクも呼んでよ~」
「良いですよ。と、ああ、拷問話に始終してしまいましたが、大切なのは王妃様の事です。もちろん、王妃様の耳にその様な愚かな戯言が入らないようにしますが、もし入ったが最後、すぐさまその場に居た者達を抹殺して無かった事にするのも大切ですね、いえ、やりましょう絶対に」
そこに居る大半の者達が、男妃達とか無関係者達だったらどうする気なのか。
だが、賢妃は全く意に介さず、傾国の美姫も裸足で逃げ出す様な恍惚とした面持ちで告げた。
「王妃様を大勢の前で辱められるなど、決してあってはならない事なのです。そう、あのお方の心にもし傷を付けよう輩が居るならば、私は断固殺ります。ええ、その為には多少の犠牲も侵略も構わないと思います。むしろ辞しません」
他国に攻め込む事すら辞さないその姿勢をどう評価するべきか、紅藍は本気で迷った。
褒め称える
批難する
だが、断る。
紅藍はあえてそこで「無かった事にする」を選んだ。
褒め称えられる程上手に嘘はつけないし、かといって批難出来るほどの正義感も勇気も持っていない。
むしろ、後者は零だ。
罵ってくれても構わないーーと、紅藍は誰に向かって言ってるのか分からない呟きを心の中で行った。
「ああ、こんな事を考えていたら、本当に今すぐそんな愚か者達を始末してやりたくなりました」
「だねぇ~、ああもう! 後宮からさえ出られればっ!」
「むしろ上層部に頼んで後宮に放り込んで頂きましょうか?」
「それ最高! そしたらたっぷりと遊んであげるよ」
猫が喉を鳴らす様な声で囁く徳妃に、賢妃が満足げに頷いた。
「ただその時には王妃様の目に触れぬように気をつけなければ。あの方はとてもお優しいお方ですからねぇ。そういうバカ達がつけ込まないとも限りません」
「大丈夫だよ! そこは子飼いの妃達にきちんと命じておくから」
「おや? あなたが傍に居て差し上げるーーとかではないのですか?」
「もちろん、傍に居て差し上げるよ。そいつらを始末した後に、たっぷりと。ふふ、きっととても疲れた顔をしてれば『どうしたの? 徳妃。疲れてるみたいね、お菓子でも食べる?』ってたっくさん甘やかしてくれるんだからぁ」
そうしてキャァキャアと歓声をあげる徳妃に、賢妃は微笑ましい笑顔を、紅藍は危険な神を見る視線を向けながら思った。
思いだした。
確か、こういう輩を指す言葉があった。
その言葉はと言うと。
王妃、馬鹿
違う。
王妃馬鹿
言葉は聞いた事はあったが、まさか実物を目にする事があるとはーー。
色々な意味で、その一言に尽きた。




