第二十一話 王妃様の過去
「私は、本当は王妃になんてなるような女じゃないですからね」
そう言うと、王妃様はポツリポツリと語ってくれた。
「産まれはまあーー普通の一般家庭だったわ。父が居て、母が居て、弟と妹も居たわ。そして、父が決めた婚約者も居たの。ふふ、これでも少しは羽振りの良い商神の娘だったの」
その頃の事を懐かしむ様に、王妃様は柔らかい表情を浮かべている。
「でも、そんな幸せは私が十二歳の時にあっけなく崩れ去ったわ」
「……」
「夜盗に襲われたの。母は私達の前で陵辱され、美神の母に似た妹と弟も陵辱されて……本当に奴隷として売り飛ばされる筈だったんだけど……抵抗された事に腹が立ったのね……夜盗達が黙らせようとして首を絞めて、殴って……挙げ句に殺されたの」
「っーー」
「……我を忘れた父は夜盗達に飛びかかり、そして殺されたわ。最後に……たまたま父に似て平凡だった私だけが生き残ったの、運良く陵辱されずに。ただ、大怪我を負って……そうね、三神も美しい獲物が居たんだもの。大して美しくもない娘なんて、彼らを楽しませる玩具でしかなかった……」
そう言うと、憎々しげに唇を噛みしめた王妃様が吐き捨てる様に言う。
「私はね、散々殴られ蹴られて、彼らの飼う獣の餌にされかけたの」
紅藍は息を呑む。
そんな、恐ろしい目に遭ったというのか。
この、目の前に居る、王妃様が。
「たまたま警備隊が来て、夜盗達は逃げていった。ふふ、その警備隊はただ近くを通っただけで、助けを求める私を突き飛ばし、殺された家族の死体を穢らわしいものとして立ち去った彼らに私は助けられたわ」
それは、まだ大戦時代のお話。
「……家族を失い、家を失い、生きていく糧も全て略奪された。他に近しい親戚も居なくてね……だから、すぐに孤児となったの」
「……い、許嫁は?」
確か許嫁が居たと言った。
その家は助けてくれなかったのか?
「私達の関係は政略的なもの。そこに愛があればまだマシだったけれど、全てを失った娘なんてただの厄介物。『夜盗の玩具にされた娘など世間体が悪い』と許嫁の両親に言われたわ。そして、許嫁からも『お前の様な地味な娘と結婚するなど嫌だった。せいせいする』って、ね」
頭から、夜盗の慰み者にされたと決めつけた許嫁の両親。
これで関係を断ち切れると清々しい笑顔で言い放った許嫁。
近隣の者達も、腫れ物を触るように接し、最後には『街の雰囲気を悪くするから出て行ってくれ』と言われて、追い出された。
「その元許嫁はね、私と縁が切れて喜んだその次の日に、別の女性と婚約したの。ずっと好きな相手だったんですって」
「そ、んな……」
「酷いって思う気持ちすら、沸かなかった」
それ程に、傷つく心すら凍り付いてしまっていたから。
両親と妹弟の遺体を埋葬した時もそう。
無一文の者などお断りとばかりに、先祖代々の霊園にも埋葬できず、夜ごと一神で家族の遺体を一つずつ運んで山の中に埋めた。
そして全てを埋め終えて数日後に花を添えに行けば、遺体は一つ残らず山の獣に掘り返されて無くなっていた。
「もう、涙すら出なかった」
獣達は生きる為に行った事。
それでも、あんなに苦しんで死んだ家族は、遺体さえも食い散らかされていくのかと。
泣きたかった筈なのに、泣けなかった。
叫びたかったのに、声が出なかった。
「そのまま、私は街には戻らなかったわ」
その後、どこをどうやって……いや、身一つの子供がどうやって辿り着いたか分からない。
けれど気づいた時には、見知らぬ街に居た。
「新しい街で、私は働いたわ。もちろん、仕事と言っても下働きで賃金もまともに貰えれば良い方だった。それでも、必死になって働いた。働いている時は、まだ家族の事を忘れられたから」
一緒に死にたいと願った。
今すぐ死にたいとも思った。
でも、そんな気持ちで彷徨ったのに、結局死ねずに新しい街に辿り着いてしまった。
だから覚悟を決めた。
それにどうせ、いつかは死ぬ。
それが一刻も早く来る様に願いつつ、その日が来るまでの間、仕方なく生きる事にした。
「でも、今思えばそれさえもおかしかったわ。だって、それこそ働かなければ糧は得られずほどなく餓死か病死でもしていたんですもの」
「王妃様……」
「薄情な娘よね、本当に……死にたいとあれだけ願っていたのに、家族の所に行きたいと願っていたのに、働いて、寝て、食べて……結局は心の底では生きたかったの、私」
自嘲する様な笑みは、恐ろしいまでに王妃様に似合わなかった。
「けどそれに気づかず、これは死ぬまでの間と自分を誤魔化し続けて……そうして、何とかかんとか生きてきたの」
どれほどの苦労があったのだろーーその笑みの裏に。
きっと、紅藍如きでは一部すら計り知れない。
「そんな中で、私は新しい恋神も出来たわーーああ、もちろん陛下じゃないから」
「え?」
現在海国王妃となった女性の『恋神発言』。
たとえそれが『昔の恋神』とはいえーーというか、今は陛下と結婚しているから昔の恋神な筈だ。
というか、とにかく王妃様の口から別の男性との恋が出てくるとなると……民としては、とても複雑な気持ちとなる。
これがたいして尊敬もしていない愚王ならまだしも、相手はあの陛下だ。
賢君と名高い美しく有能たるこの国の王に心酔する者達は多く、それゆえに何としても王と縁続きになりたい、王の妃になりたいと願う者達は恐ろしい程に多い。
たとえ、王が男色家だとしても。
だから、王妃様のこんな発言をもし彼らが聞こうものならーー血の雨が降る事は、紅藍でも容易に想像出来た。
しかし当の本神はケロッとしている。
「ふふ、こう見えて私も成神している女性ですからね。恋神の一神や二神ぐらいいたんですからね」
と、そう言った王妃様の目が、目が……。
「あの、王妃、様?」
「なのに、あの詐欺男が……お前に恋神なんて出来る筈が無い? 男を見る目が無い? というか、恋神が居たなんていうのはお前の妄想?!」
王妃様が怖い。
そして、水に関係する王妃様なのに、どうして後ろに炎?
ってか、今って神力って使えたっけ?
「あの、あの、あの、詐欺男がああぁぁぁぁあっ!」
「ひぃぃぃ! 王妃様ああぁぁっ!」
地面に降り、地団駄を踏む王妃様。
それに続いて飛び降りた紅藍の頬を、何かが風と共に通り抜けていく。
続いて、ドォォォンと何かが倒れていく音が響く。
後ろにあった、先程まで座っていた木が、根っこから倒れていた。
「え……」
「誰が嫁き遅れだああぁぁぁぁっ!」
暴れる王妃様に、紅藍は凍り付いたまま動けない。
「そりゃあ男を見る目は確かに無いわよっ! そうよね! 最初の許嫁はさっさと別の相手と婚約しちゃうし、次の彼氏は所謂暴力彼氏、その次の彼は所謂貢がせ君、その次の彼は遊び神で、最後の彼氏はどこぞの貴族の姫に見初められて私を捨てたものっ!」
「え?! そうなんですか?!」
というか、ひい、ふう、みいーーって、五神も?!
まあ、紅藍も五神の婚約者に逃げられたがーー。
あれ、もしかして以外な共通点?
不敬にも紅藍は見付けてしまった共通点に、王妃様への親近感を覚えてしまった。
嫌な親近感である。
「男なんて、男なんて、男なんてえぇぇぇっ!」
暴れる王妃様の口から、およそ結婚している女性とは思えない言葉が次々と出る。
まあ、五神もの男に捨てられれば、結婚なんてーーと思うのも無理は無いだろう。
というか、そもそもなんでここまで男に酷い目に遭わされて陛下と結婚したのだろうか?
いや、男に酷い目に遭わされているから『男に夢を抱かず』、『愛される事を望まず』、世継ぎを産むという仕事にだけ専念出来る最高の逸材とされたのかもしれない。
今までにも陛下の妻になろうと思った女性は数知れず。
しかし、その誰もが男色家の陛下が抱える男妃達ばかりの後宮と、陛下が男妃達ばかりに通って寵愛する様に敗北してきた。
もちろん、それは今も同じ。
というか、王妃様に求められているのは
『陛下の愛を求めない事』
『陛下の男色家を認めて、男ばかりの後宮を認める事』
『陛下が男妃達ばかりに通い寵愛する事を認める事』
『子供を産む道具に徹し、お飾りの王妃でいる事』
である。
そして噂では、子供を産んでも育てるのは男妃達だという。
つまり、本当の意味で王妃様は子供を産むだけで、産めば全て男妃達に奪われるという事だ。
だから、王妃様に会うまでは同情もしていた。
しかし実際に王妃様、そして男妃達に会って、紅藍は心底驚いた。
そんなおどろおどろしい状態とは無縁の、王妃様と男妃達の様子。
もしかしたら上辺だけかとも思っていたが、どうやら違うらしいと気づくまでにそう時間はかからなかった。
いや、もしかしたら紅藍がただ気づかないだけで、実際には裏で色々とあるのかもしれない。
けれど、一緒に居るとそれすら忘れてしまいそうな穏やかな空気に、気づけばそれにどっぷりと紅藍は浸かっていた。
それこそ、家出先に後宮を選ぶ程に。




