第十六話 価値観
食事も無くなり一段落した所に、飲み物が到着し再び話の花が咲く。
主に話すのは紅藍で、王妃様はそれを笑顔を浮かべて聞いている。
楓々は時折口を出すが、それ以外は王妃様が過ごしやすい様に色々と気を配っていた。
「で、淑妃ったらもう怒って怒って!」
「あははははは! 淑妃らしいですね」
涙を浮かべて笑う王妃様に、身振り手振りで話をしていた紅藍は嬉しさが止めどなく溢れていく。
今までこんなにも自分の話で喜んだり、笑ってくれる相手は居なかったから。
いや、こうやって仲良く話す相手など、居なかった。
だから、紅藍は次から次へと息つく暇も無く話をした。
もう、これが最後の機会だからーーと言うかの様に、王妃様に自分の経験した事や知っている事を伝えた。
「ははははは! はは、ご、ごめん、なさい、ちょっとお腹がっ」
笑いすぎた王妃様が机に突っ伏し、待ったをかける。
それに紅藍も素直に応じて口を閉じた。
「紅藍姫は色んな事を知ってるんですね」
「そうですか?! でも、淑妃なんて『お前は何にも物を知らん』って言うんですよっ!」
「そんな事ないと思いますけど。確かに最初は知らなくても、今は淑妃に勉強とか色々教えて貰ってますし、こうしてお忍びで王都の暮らしも見て、以前よりも沢山知ってると思いますよ」
「そ、そうですよねっ」
王妃様の言葉を受け、紅藍はうんうんと頷いた。
「そうよっ! 私だって色々と勉強してるんだからっ」
「そうですね、紅藍姫はとても物知りですーー私よりも」
そう言った途端、それまでの空気が一変する。
別に凍り付いたわけではないが、先程までの楽しさは消え、しんみりとしたものが流れている。
その中心は、王妃様だ。
「あ、あの、王妃、様?」
どこか哀しげな王妃様の横顔。
視線が、窓の方へと向いている。
そこから見えるのは、王都の景色。
マジックミラーになっている為、外からは中の様子は窺えないが、中からは外を自由に見ることが出来る。
「本当に、紅藍姫が居なければーーこうして此処にくる事も、こんな景色を見る事も出来なかったんですよね……私」
王妃様の言葉に、紅藍は冷たい氷を丸呑みにした様な感覚を覚えた。
世継ぎを産む為だけに娶られ、遠い凪国から嫁いで来られた王妃様。
決して手酷い扱いを受けているわけではないが、夫の寵愛は男妃達だけに注がれている。
もちろん、それは全て重々承知の上ではあるだろうーーなんたって、承知の上でこちらに来たと聞いている。
そして男妃達とも仲良くやっているがーーその内心がどうかまでは分からない。
そんな特殊な立場にあるからだろうか。
王妃様は後宮から出られないーー男妃達と同じように。
まあ、王の子を育む妃達が後宮から出られないと言うのは良くある話。
というか、基本的に後宮というのはそういう場所だろう。
もし万が一妃達が自由に出歩いて、誰か別の男の子を宿したなんてなったら大事であるし、それを王の子としようものなら国が荒れる。
だがーー。
王妃様は元々平民出身で、貴族の姫君達の様に将来の妃がねとしての教育を施されてきたわけでもない。
それが俗に言うロイヤルウェディングの花嫁という立場にのし上げられてしまった。
だが、どう見ても王妃様は一国の王妃というよりは、同じぐらいの身分の男性と平凡な結婚をし、安定した平凡な生活を築いていくタイプに見える。
凪国ももっと考えてあげれば良いのに。
紅藍からすれば、海国の王妃という地位が王妃様にとって負担になっている様にしか見えなかった。
しかも、夫は男妃達を寵愛し、ただ跡継ぎをつくる為だけの道具として取り寄せられた様なもので。
で、その道具が自由に出歩いて別の男の子供を妊娠したら困るから、外に出てはならないーーという所だろう。
とはいえ、王妃様もそんな環境に嫌気が差し、また陛下と大げんかして外に出てしまった事があったらしい。
それは紅藍からすれば当然とも言える事だが、その時に起きた騒動で王妃様は自分が外に出る事で周囲に迷惑をかけてしまうと思い、それ以降は外に出ようとされなくなってしまった。
けど、紅藍からすれば、王妃様が奴隷商人に買われたからこそ、そこで楓々と出会い、彼女や他の奴隷達を助ける事が出来たと思う。
そうでなければ、きっと楓々も、他の奴隷達も、今もずっと苦しんだまま。
淑妃にも言ったが、王妃様が怖い目にあった事を除けば、決して間違いだったとは思わない。
それでもーー王妃様は自分の軽率さを反省し、後宮に引きこもる日々。
けれど、今まで自由に飛び回っていた鳥が空を恋しがる様に、心の何処かでは外に出る事を望んでいた。
それが、あの行商での『懐かしい発言』に繋がる。
だから連れ出した。
張り詰めた糸が少しでも緩まるように。
どんなに頑丈な糸でも、ずっと張り詰めていればいつか切れるように、王妃様の心がいつか切れてしまわないように。
最初は『無理』、『駄目』、『みんなに迷惑がかかる』と言って拒否していた王妃様を必死に説得して、楓々まで巻き込んで、強引に連れ出した。
それを皮切りに、また次も、次も、次もと連れだしていくうちに、少しずつ王妃様の拒否もなくなっていき、楽しまれる様になった。
王妃という地位は確かに義務と責任が付きまとう。
けれど、だからといって全てにおいて雁字搦めとなれば、その地位に咲く花はあっという間に萎れ腐り堕ちてしまう。
慎ましく生活し、なおかつ勤勉で努力家な王妃様なのだ。
少しぐらい、少しぐらい羽目を外したって。
もちろん、二度と奴隷商神に捕らえられないように、予め対処した上で外に出れば問題は少ないだろう。
けど、周囲にそれを伝えようにも中々納得してくれない頑固頭揃いだと気づいたから。
先に、実績を作ったまで。
今回は大丈夫だと。
やったもん勝ちという言葉があるが、それは本当の事だろう。
既成事実よりも強いものは無いと、紅藍は今回の事で思い知った。
まあ、全てが全てそれで上手く行くわけではないが、それでも王妃様の事に関しては。
先程よりも楽しげに外を眺める王妃様の横顔を見ながら、紅藍は心の中で拳を握る。
今、こうしてここで王妃様の楽しそうな笑顔を見れるのは、ここに来たからなのは間違いない。
「はい、紅藍姫、お茶です」
「あ、ありがとう」
横から楓々に茶器を渡され、紅藍はそれを受け取る。
白い湯気が立ち上るそれは、甘い香りを放っていた。
「ん? なんかこれ、初めて味わう味だけど」
「はい、初めてお出しするものですから」
「は?」
「凪国王妃様から、我が国の王妃様にと送られた茶葉で、『甘蜜茶』と呼ばれるものだそうです」
「え?! 凪国王妃様からのって、そんなの私が飲んで大丈夫なの?!」
「もちろんよ」
王妃様がにっこりと微笑まれる。
「それに、『甘蜜茶』自体は凪国でも高価なものじゃないから。平民にも行き渡っているお茶なの。ふふ! そうね、食物自給率の低い凪国では数少ない自給率百パーセントの作物だから、民達も安価で手に入るの。でも、値段の我にとっても美味しいのよ?」
「というか、凪国以外では余り手に入らないものだと思いますが」
楓々の言葉に、再び紅藍が驚愕の声を上げる。
「や、やっぱり高価なものじゃないですかっ」
「そ、そう? でも、海国の『海花茶』の方が私は高価だと思うけど」
「そんなの、海国では民達も気軽に飲める代物ですよっ」
「でも、『海花茶』は逆に他国では栽培出来ず、輸出品としてはとても利益の高いものですけどね」
凪国でしか栽培出来ない『甘蜜茶』。
海国でしか栽培出来ない『海花茶』。
どちらも自国民にとっては安価で美味しい手軽な飲み物だが、他国からすれば王族貴族、または金持ちしか飲めない代物である。
が、互いにそれを気軽に飲んできた凪国出身の王妃と、海国出身の貴族の姫はそれに気づかない。
それはある意味、価値観の違いと言う。
「でもーー凪国の王妃様は庶民の飲む様な物も飲んでいるって事ですよね? それだと」
紅藍の疑問は、ある意味貴族の姫君としては当然だった。
凪国王妃様から送られたという『甘蜜茶』。
いくらご自分が飲まれているからといって、庶民が好む様なものを、元は自国の平民とはいえ今は他国の王妃となった相手に送るものだろうか。
いや、そもそもあんな大国の王妃が、庶民に浸透した『庶民の食べ物』を口にするなんてある意味信じられない。
というのは、紅藍の知る貴族達は同じ野菜でも厳選された高級野菜を、肉や魚、果物その他も選び抜かれた最高級や滅多に手に入らない稀少な物を食卓に上らせている。
もちろん、その調理だって超一流の料理神に行わせていた。
そしてそれが当然だと、教えられてきたし、周囲を見てもそういう者達ばかり居た。
まあ、これは類は友を呼ぶのあれで、紅藍の両親の周りにはそういう似たり寄ったりの価値観を持つ者達しか近づいて来なかったという考え方もあるがーー。
しかし、それを『当然のこと』、『常識』という価値観を植え付けられて育ってきた紅藍にとっては、凪国王妃の行った事は『あり得ない事』、『非常識』と捉えてしまう。
と言いながら、そんな紅藍は先程庶民が口にする『固い黒パン』を食べていたが。
そして、後宮で侍女見習いをしてからの食事は、実家で食べて居た食事よりも品数、原材料の質共に落ちているが。
しかしそれは、最初から後宮ではそういう料理しか食べられない場所と認識していたから特に疑問も覚えなかっただけであり、さっき食べた『固い黒パン』も王妃様の選んだ食べ物にケチをつける気が無かったから大人しく食べていただけ。
加えて、実は結構美味しかったからーーを付け加えよう。
う~~んと考え込む紅藍に、王妃様は優しげに笑った。
「そうね、確かにそういう考え方をされる方達もいますね」
最初は決して否定しない。
紅藍の考え方もまた一つと受け入れ、その上で別の考え方もあるのだと示す。
「高い物も美味しいけれど、でも全てが美味しいわけではないと思います。そして、安い物もすべてが味が落ちるわけでないし、中にはとても美味しい物もあります。さっき『左』の方が出してくれた料理もそう。美味しくなかったですか?」
王妃様の質問に、紅藍はぶんぶんと首を横に振った。
「も、もちろん美味しかったですよっ」
「『左』の方が喜びます。でもーーきっとその材料費にかかった金額は、紅藍姫のご両親が口にする様な高い値段のものではないと思います。けど、十分に美味しかったと紅藍姫は言われた」
王妃様の言葉に、紅藍はこくこくと頷く。
「つまり、値段が高かろうと安かろうと美味しいものは美味しいって事ですね」
「そ、そう、か」
「それにここが重要ですけど」
「王妃様?」
「最終的にはその神の好みだと思います」
「え?」
「たまたま安いものが好みの味だって事もありますよね? それに、家具やら何やらも安くて良い物が見つかった時って、私の場合は高い物で良い物が見つかった時よりも嬉しくなるの。だって、高い物は『それだけのお金を払っている』から『ある意味良い物でも当然』という考え方があるけど、安い物はそれだけ限られた中で値段以上に良い物を作っている、あ、これお得! っていう気分になるんです」
まるで目から鱗の様な言葉に、紅藍は目を瞬かせる。
「あ、でもね、だからといって高い物が嫌とか、駄目とかいうわけではないですからね。高い物も、職神の方が凄く苦労して、技術の粋をこらして作って下さったんだな~っていう気持ちが伝わってきますし。でも、安い物も私は好き。というか、最終的にはどっちも好きって事ですねーーって、あれ? なんか、答えっぽくなってないですね、これって」
そう言って悪戯っぽく笑う王妃様の笑顔に、紅藍は再びぶんぶんと首を横に振る。
が、その瞳はまるで熱に浮かされる様に、王妃様の笑顔に魅入られていた。




