第十二話 重たい愛
「はぁ~、沢山食べた食べた」
「……食い過ぎだろ、自慢の美貌が歪むぞ」
「淑妃が王妃様の事『食べ過ぎの豚』って言ってるわ」
「えぇ?!」
みるみるうちに涙目になる王妃様。
それを慰める紅藍。
我関せずの楓々。
これはあれか?
殴れと?殴っていいと?
「誰が王妃様の事だって言ったああぁっ!」
「淑妃」
「お前だよお前っ」
思い切り指させば、袖で口元を隠しながら紅藍は心外とばかりに目を見開いた。
「この私の完璧なプロポーションのどこがふくよかなのっ」
「おまっ!」
王妃様は豚呼ばわりして、自分はふくよかってーー。
「豚……豚……」
「王妃様、大丈夫です。王妃様なら可愛らしい白豚となって陛下に美味しく食べられると思いますから」
「食べられるの?!」
別の意味でしっかりと食われるだろう。
それも、骨までしゃぶられるに違いない。
「わ、私美味しくないよっ! ってか、食べられるなら楓々に食べられた方が良いっ」
「王妃様ーー」
ぶわりと王妃様と楓々のバックに咲く百合の花。
あれ?新しいカップリング成立?
これって瑪瑙切れないか?いや、切れるだろ。
血迷って大噴火起こすぞ。
「解りました、王妃様。いざとなったらこの私が美味しく食べて差し上げます。奴隷時代の飢餓経験を舐めないでください」
え?その飢餓って別の意味だよね?
意味だって言って、マジで。
コツン……コツン……
後ろから、響く靴音。
確かに整備された道を歩いているのだろうが、その音だけ聞けば正しくホラー。
暗闇の中に響き渡る不気味な靴音が、ゆっくりと近づいてくる。
それを知ってか知らずか、楓々と王妃様がこちらを見た。
「なんて」
「嘘に決まってるではないですか」
「だよね?! ですよねっ!!」
いくらお腹が空いても王妃様は食べませんーーそう言い切る楓々に勢いよく頷きながら、ふと藍銅は気づいた。
王妃様『は』、って事はーーあれ?
別の相手なら食べるの?
「淑妃、細かい事を気にしてたらハゲるわよ」
「五月蠅い、ムシるぞっ!」
一々五月蠅い紅藍に怒鳴った時だった。
「楓々うぅぅぅっ」
拘束、いや、高速船船長の調教を頼んだ筈の瑪瑙が楓々に突進してきた。
そうして伸ばした手が、愛しい女を抱き締めようとした瞬間ーー。
その腕の中から消えた楓々。
代わりにベチャンと地面に倒れる瑪瑙。
地べたに座り込み、めくれ上がった裾から伸びる白い足を露わにしながら上目遣いの涙目。
「酷い楓々っ! 僕を弄ぶなんてっ」
「さあ王妃様、そろそろ風も冷たくなってきましたから戻りましょう」
「焦らしプレイ?! 僕強いよっ」
そして再び飛びかかり、またかわされる。
あの瑪瑙を弄ーーいや、振り回すなんて、流石楓々。
しかも元奴隷とは思えないその身のこなしは、きっとあの某将軍の師事を受けているからだろう。
天河のストーキング被害者の、彼女の師事を。
「ってか、瑪瑙。お前、なんで此処に居るんだ」
「あ、藍銅! 酷いよ自分ばっかり王妃様達とウフフンアハハンな事してっ」
「死ぬか?」
「いやだよ、楓々とのラブラブ新婚生活もまだだって言うのに」
「一生あり得ないので安心してください」
そう言って、さっさと王妃様を連れて戻ろうとする楓々に瑪瑙が飛びついた。
「逃がすもんかっ」
「楓々!」
今度は油断からか、しっかりと後ろからしがみつかれてしまった。
「離してください」
「イヤだね! ってか王妃様、いい加減楓々をくださいよ」
「楓々は物じゃないわっ」
いや、王妃様付きの侍女だから、王妃様のものだろう。
ただし、任命者は陛下だが。
「大切にしますから」
「しなくていいです」
「楓々ってば恥ずかしがり屋さんなんだから~」
「というか、私は侍女としての道を究めるので、結婚なんて、無理です」
「結婚しても侍女仕事はしても良いから」
というか、周囲が結婚退職を認めないだろう。
まだ日は浅いが、王妃様付きの侍女としての楓々の働きっぷりは侍女長も認める所であり、その忠誠心も十分に信頼が置けるものだった。
ーーと、ここでそんな日の浅い侍女に任せて良いのか?という疑問も生まれるだろう。
だが、基本的に神材不足で、侍女だろうと使える相手なら別の部署の仕事も行う日々。
侍女=雑用係、いや、全ての役職で=雑用係がつく、それが海国王宮。
そうなると、一日中ぴったりと専属で王妃様の側につける『信頼のおける』侍女は限りなく少なく、楓々が来るまではその確保すら難しかった。
だって、既に幾つかの職を兼任してる者達ばかりだったから。
特に信頼がおければおけるほど。
おかげで、悩みまくった人事部。
信頼が置けない者なら沢山いるし、いくらでも補充出来るというのにーーと、何度呟いたか。
が、もし仮に万が一、信頼関係なく補充するとしても、やはり大きな壁にぶつかる事は必死だった。
それは此処ーー後宮という場所の存在意義から始まる。
というのは、男妃達を守る為の後宮は王宮で最も警備の厳しい場所。
ゆえに、王や上層部、そして彼らから認められたごく僅かな者達しか入れない場所とされていた。
そしてそんな場所に予め専属で配属された侍女や女官、また後宮維持に必要な者達は、少数精鋭を地で行く最低神数しか居なかった。
だが、彼女達は上層部や彼らが選びに選び抜いた資質の者達。
むしろ、それほどの逸材でなければ、後宮に配属させられないという事でもある。
後宮の存在意義を考えれば、死んでも『質より量』というバカは居ない。
そんな優秀過ぎる彼女達と同等の者達が居て、初めて後宮配属の選考に必要な情報収集が開始されるというもの。
しかしーーまずそんな逸材を探す事自体が、中々に難しい事だった。
加えて、選考までに持っていくまでに時間がかかり過ぎるし、かけた所で見つかるか解らない。
それに優秀な神材とはいえ、後宮にだけ注ぎ込む事は、国を統治する者達として行う事は出来なかった。
特に、広大な国土、そこに幾つもの領地と都、街、村、集落を有する海国では。
ならば絶対数をどうこうするのではなく、今ある人数からという案が出てくるだろう。
すなわち、男妃達の世話をする者達を減らせば良いのではという考えだ。
それも確かに出たが、いくら警備が厳重とはいえどこに『目』や『耳』があるか解らない。
全く居ない状態で何かあれば、きっと五月蠅く喚く者達が居るだろう。
それに、後宮の侍女や女官達は『戦闘侍女』、『戦闘女官』という特殊な者達で、それこそ戦いともなれば一騎当千の実力を発揮する。
彼女達のおかげで、何度も拉致未遂をくぐり抜けてきた事もあり、護衛という面からも男妃達から引き離す事は出来なかった。
ならば王妃は良いのか?
という事になるが、王妃の場合は暗殺さえ気をつけていれば特に問題はなかった。
嫌がらせをする様な令嬢達は後宮内に入れないから、暗殺者達だけを警戒すればいい。
そしてどちらかと言うと、その身柄だけでなく、貞操も狙われやすい男妃達と比べて、王妃の場合は命だけだから、対処しやすいというのも事実だった。
それよりも危険なのは、男妃達。
厳重な警備を強いているのに、あえて拉致監禁をチャレンジするバカ達をどうしたら良いのか、これには警備責任者達も頭を抱えていた。
そうして一神放置されていた王妃様。
まあ、だからこそ男妃達の誘拐未遂騒ぎが起きている時には全ての目がそちらに行き、その隙をついて王妃様は外へと逃げ出せたわけなのだが。
そしてその事実に恐怖を抱いたのが、誰であろう陛下その神。
すぐさま王妃様に始終張り付ける相手を探して見付けたのが、楓々だった。
他の侍女や女官達の様なスキルは持っていないけれど、自分の身を挺して王妃様を守ろうとした彼女ならば、信頼出来る。
そうして、楓々は陛下によって直々にスカウトされたのだ。
今では、四六時中べったりと二神で側に居るようになり、最近では少々別のことに心配を覚え始めた陛下の姿が見受けられるようになってきたのは内緒だ。
というか、別に良いではないか。
どうせ楓々は瑪瑙の想い神。
見た目は天使だが、中身は狡猾な悪魔である瑪瑙に目を付けられた時点で楓々の未来は決まっている。
だから、今突然同性愛に目覚めたとしても、決して王妃様と楓々が結ばれる事は無いというのに。
『ーー女になりたい』
散々男としての矜持も尊厳も踏みにじられ、『女』として扱われてきたというのに。
自ら女になりたいと望むほど、追い詰められている陛下。
その愛には敬服するが、同時に重たさも感じる。
重い、重すぎる。
だから逃げられるんだ。
藍銅はもし愛する相手が出来ても、そこまでの重たい愛し押し付けないようにしようと心に誓った。
だが、彼は知らない。
類は友を呼ぶ。
主と部下が似てない方がむしろおかしい。
そしてそれが、後に彼の壮絶な鬼ごっこへと繋がるのだが、この時はまだ誰一神として気づいていなかった。
「それで瑪瑙」
「楓々、可愛いアンティークドールが届いたんだぁ~。一緒に遊ぼうよぉ」
「瑪瑙」
「徳妃、アンティークドールって?」
「王妃様にも遊ばせてあげるよ! あのね、凪国の朱詩様から贈られたのっ!」
にこにこと笑う瑪瑙は見た目人形が似合いそうな面をしているがーー実際にも人形やぬいぐるみが大好きだったりする。
部屋には沢山のぬいぐるみや人形が置かれていて、それを使っての人形遊びが趣味の一つだった。
良い大神がーーと言いたい所だが、まだ成神してないので子供。
いや、そもそもこいつは『壊れている』。
自分達と同じように。
まあ、あんな悲惨過ぎる神生を送らせられてくれば、粉々に壊れてたっておかしくない。
それでも必死に生きて、生きて、生きてーー生きる為に、傷ついても無視して、そして……壊れた。
そしてその壊れた部分は、出来た歪みは今も消えない。
だが、それでもまだマシな方だ。
後宮に来てーー特に、王妃様が来てからは一気に『まともに見える』様になった。
いや、実際には少しずつ、少しずつ修復されてきているのかもしれない。
けれどーーそれにはまだまだ長い時がかかる事は藍銅にも分かっていた。
長い時をかけて壊されたものが癒えるには、同じだけの、いや、それ以上の長い時が必要である。
そしてその瑪瑙の『まともに見える』のに拍車がかかったのは、楓々に出会ってから。
彼女達は気づいているかは解らない。
けれど、自分達からすれば、同じ壊れている者達からすれば、瑪瑙はとても良い方向に進んでいるのだ。
だから、逃げないで欲しい。
振り払わないで欲しい。
見捨てないで、欲しい。
壊れ、歪み、狂う中で、それでも生きる為に瑪瑙は人形を使った。
凪国の朱詩がそうであるようにーー。
人形に愛しい相手を投影して側に置き、かわいがり、また自分を投影した人形も作り出して遊ばせる。
現実の自分が出来なかった事を、人形にさせる。
そして憎い相手を人形に投影しーー。
『あはは! あははははははははっ!』
四肢をちぎり、首をねじ切った人形。
炎の中に投げ込まれた人形。
腹を切り裂かれた人形。
水の中に投げ捨てられた、人形。
高い所に吊され、鞭打たれ、何度も叩かれて蹴られて。
憎い相手に出来なかった全てを叩き込む。
そうして、王妃様が来る前の瑪瑙の部屋にはーー沢山の体がバラバラとなった人形が散らばっていた。
いや、むしろ床が見えないぐらいに積み重なっていた。
それが、今では人形は四肢をちぎられる事なく、きちんと綺麗にされて飾られている。
安定してきた精神。
子供の時に歪められた、心。
奴隷として、多くの者達の欲望に晒され穢され弄ばれてきた中で、歪み壊れた心は少しずつ、癒えてきている。
だから、だからーー。
「でも、新しい子の洋服がいまいちなんだよね~。あ~あ、誰か新しい服を縫ってくれないかな~?」
その時、キュピピーンと紅藍の瞳が光ったのを、藍銅は目撃してしまった。
ああ、数秒前に戻って瑪瑙をシメたい。
「人形の、洋服、裁縫、裁縫は女の嗜み、淑女の必須スキル」
「お、おい」
「淑妃! 勝負よっ」
イヤだ。
なんていう藍銅の意思は無視された。
「裁縫勝負よ!」
「流血事件発生の間違いだろ」
そう、紅藍の裁縫の腕前も、これまた凄まじい。
布と肌を間違えているとしか思えない、針刺し事件。
布が血に染まるのが先か、作品が完成するのが先か賭けようと言われれば、藍銅は全財産を前者の選択肢に一点賭けする。
「勝負よ淑妃っ!」
「ちょっと待て冷静に考えろ。以前も裁縫やってお前ぼろ負けしただろ」
「してなわいよっ!」
「しただろっ!」
「ボロ負けじゃなくて、あと一歩での負けよっ!」
「一歩どころかスタート地点から逆走したのはどこの誰だっ」
そして傷だらけとなった紅藍の手を治療するのは、藍銅となる。
またその手が傷だらけになるのを見なければならないのかーー気が重い。
「なんかまた勝負するみたいだね、楓々」
「そうですね」
「とりあえず救急箱用意した方が良いみたいだね~」
この前あった包帯は前回の勝負で全て使い切った事を思い出し、瑪瑙が補充する物品を頭の中でリスト化していく。
「人形の服って作りにくいんだよね」
「そうなんですか?」
「うん、小さいから初心者だと縫いにくいの。それなら大きいものの方が良いし、何より自分で着れて後々まで使用出来るものの方がいいと思うわ」
「たとえば?」
「花嫁衣装とか」
その時、チーーンという音が鳴ったのを瑪瑙は聞いた。
花嫁衣装?
「淑妃! 花嫁衣装も作るわよっ! そうね、ハンデとしてあなたは自分が着た『陛下に愛でられたっぷりと愛された』時に着た花嫁衣装を作ると良いわ」
「なんでだよっ! ってか、一々余計な一言が多いんだよっ」
一言どころか、八割は余計な事だと思うーーと、瑪瑙は思った。
王妃様と楓々が思ったかは知らないが。
「ふふ、色は何色にしようかしら」
「相手もいないくせに」
それが禁句だったのは言わずもがな。
紅藍が藍銅に飛びつき、それこそ取っ組みあいの開始。
「ってか! 紅藍姫が作ったら血塗れの花嫁衣装だろっ」
「国によっては赤い衣装が花嫁衣装よ!!」
「赤であって血には染まってないだろ! ってか、誰が作るかっ!」
そうして大絶叫を続けた藍銅。
だが、普段ならほどなく冷静さを取り戻す藍銅もこの時ばかりは怒りが突き抜けていた。
だからーー。
「じゃあ黒! 黒の花嫁衣装っ」
「夜の女王かっ! それは花嫁衣装とは言わんっ」
「黒の花嫁衣装を着た、これから着ようとしている女性の皆様に謝れ!」
「誰が謝ーー」
「あ」
「あ」
「あ」
とうとう臨界点を突き抜けたのだろう。
プチンという音と共に、藍銅が倒れた。
倒れた原因は、血圧上昇。
原因、気分による変動。
回復方法は、『怒らない事』、『心を安らげる事』、『落ち着いた生活を送る事』
「無理だろがぁぁぁぁ!」
そんな藍銅の叫びと共に、再び血圧が上がったのは言うまでも無い。