第十話 情報開示
それから、紅藍は藍銅に明燐との手紙を取り上げられた。
というか、強制的に提出させられた。
「淑妃、嫉妬? 私と明燐様の熱々のペンフレンド関係に」
「するかぼぉけぇっ! 変な事書いてないかのチェックだっ」
既に書いているのは解っている。
しかし、それでもあえてチェックするのは、その内容が自分の許容範囲内かどうかーーだけではなく、自国の情報をこのバカが漏らしていないかどうかの確認であって。
間違っても、これ以上自分に対する被害が深刻化しないかのチェックではない。
「とりあえず、順番に見せろ」
「はい、これ一番最初の返信」
そう言って手渡された手紙を開きーー
『拝啓 お便りうれしく拝見いたしました。こちらこそ初めまして、紅藍姫。私の名前は明燐、凪国の侍女長をしております』
うん、ここまでは良いだろう。
というか、凪国の明燐様と言えばそれこそ品位を極めた凪国一の美姫、いや、炎水界でも名高い聡明かつ才色兼備で文武両道な美姫である。
『この度戴いた手紙の内容について、少なからず私からのアドバイスをお伝えいたします』
なんだか雲行きが妖しく、いや怪しくなってきた。
『つきましては、まず必要な道具から。それらはこの手紙と一緒にお届けしましょう。鞭、縄、蝋燭、最新型の木馬もお付けします』
木馬って何?!
木馬って!
『更に、このセクシー下着・水着特集も差し上げましょう』
いりませんいりませんっ!
『これであなたの申す淑妃のお方も恍惚の局地へと旅立たれる事でしょう!! お礼は淑妃のセクシー下着スタイルの写真で宜しくてよ』
「明燐様ああぁぁぁああっ!」
「凄いでしょう! 手紙を出して一週間で物が届いたのよっ」
「は?! 一週間?!」
海国と凪国の距離は遠い。
陸路は言うに及ばず、海路でも高速船を使用して一週間近くはかかるだろう。
「明燐様ファンクラブ、奴隷№150879の会員カードを持つ海国の高速船船長の一神が頑張ってくれたんだって! 音速突破!」
音速突破?!
そのまま船体ごと沈んで海の藻屑となってしまえば良かったのに!!
「凄かったわ、本当に」
『ふっ、もう我の神生に悔いなし』
その日の為に勝負下着を選び、来たるべき運命の日に憧れの女王様にハイヒールで踏まれ、蹴り倒され、更には言葉責めを受けてきた某船長は、紅藍に手紙を渡すと同時に昇天の声をあげて地面に倒れたという。
その寝顔はとても幸せそうで。
「王妃様ととりあえず近くの長椅子に座らせようとしたら、陛下の命を受けた方達が連れて行かれてその後は音信不通だけど」
捨てられたなーー。
藍銅は船長の末路を思い、少しだけ胸がスッとした。
というか、そんな変態が王妃様の目に触れるなんて!!
「で、それからしばらくして、凪国王妃様から『ごめんなさい、うちの侍女長が妙な手紙を出して』っていう謝罪の手紙が来て」
「果竪様ーー」
思わずその名を呼び感動する。
が、もし凪国の間者が紛れ込んでいたら、確実に藍銅は殺られていただろう。
凪国は間者に至るまで、心が狭い。
凪国王妃の名を呼んで良いのは、凪王と上層部、そして彼らが認める者のみ。
それに比べれば、海国の者達のなんと心広い事かーーと藍銅達は思っているが、基本的に傍観者に徹する炎水家からすれば五十歩百歩。
目くそ鼻くそを笑う、である。
「それで、沢山の贈り物まで贈られて」
「そうか、贈りーーって、まさか紅藍姫の部屋にあるあの大量の大根グッズはっ」
「凪国王妃様からの贈り物よ」
やっぱり。
あれは幻覚ではなかったのか。
自分以外にも紅藍の部屋を見た者達は居たが、全員が全員あの大根グッズは全て自分の幻覚で片付けた。
凪国王妃でないのだ。
こんな所に大量の大根グッズがある筈がない。
花嫁道具だとして、我が国の王妃様が嫁いでくる際に届けられた大根グッズは全て王宮の地下に押し込めてあるのだから。
え?なんで捨てないのかって?
仮にも一国の、それも自国よりも強大かつ巨大な大国の王妃からの贈り物を捨てるという事は、その国に正面切って喧嘩を売りつけたという事になり、国同士の関係性も悪くなる。
だから捨てず、「大切に保管しましょう」と言って王宮地下の一画に押し込んだのだ。
そうしてようやく大根の悪夢から解放されたというのに!!
「王妃様にもきちんと分配したわ」
「すんな余計な事っ!」
せっかく片付けたのに!
いやいやと大根のぬいぐるみを片手に抵抗する王妃様を説得したのに!
毎夜大根のぬいぐるみを横において眠る王妃様に複雑な思いを抱き、なおかつ大根に嫉妬する陛下を宥めるのに自分達がどれだけ苦労したか解ってるのかっ!!
『海王陛下! これからの大根の海への進出にも協力してくださいね!』
と、瞳を輝かせる凪国王妃にはっきりと「イヤだ」と言えず、その後も鬱々とその時の事を引き摺る陛下。
『嫌なことはきちんと嫌と言える大神になりましょう』という教育方針の失敗作の様な対応し、長いもの?に巻かれてきた陛下。
『俺は、俺は駄目な神なんだっ』
と、どんなに狡猾な相手だろうと、狸だろうと、冷酷非道で残忍な敵だろうと決して屈することなく打ち破ってきた陛下の初めての敗北宣言が、凪国王妃。
え?凪王には敗北してないのか?
まず戦ってません、初対面で膝を屈したそうです。
つまり本能でその危険を感じ取り、自らしっぽを振って恭順の意を示したとか。
炎水家とは別の意味でやばかったそうです、あの凪王とその取り巻きこと上層部達は。
そんな中で唯一オアシス的要素を有していたのが、凪国王妃。
だから、海王は凪国王妃には甘い。
だって、オアシスだから。
その水分の殆どを大根に注いでいようとも。
『海王、貴方に偉大なる指名を与えます。私の果竪の為にーー』
と、陛下がパシリにされている光景に、いくらうちの上層部が涙を流していようと。
いやいや、そもそもうちの上層部自体が凪国上層部のパシリですから。
むしろパシリでない国なんて無いですから、炎水家以外は、この天界十三世界の一つーー炎水界では。
そんな恐怖の国ーー凪国。
豊かで実り多く、資源にも恵まれた広大な国土。
大国に相応しい神口。
圧倒的な軍事力に、潤った財源がもたらす国庫と黒字経済。
あらゆる面で他の国々の追従を許さず、全ての面にて優れた成果を見せる。
かの国に喧嘩を売って生き延びられる国など、ない。
炎水界最強の帝国ーーそれが、凪国。
海国も炎水界では大国だがーーあの国には敵わない。
今までも、今も、これからも。
炎水家を除いて、かの国の王と上層部こそ、我らの主。
自分達の上に立ち、悠然と支配する側に立つ。
そしてそれを当然と認める気持ちが、自分達にあった。
もちろん、忌々しく思っている国もあるだろうが、殆どはその圧倒的なカリスマ性の前になすがままの恭順を近い、そして心酔する。
それはある意味恐ろしい。
本能的に、産まれながらすり込まれた炎水家を含めた十二王家、そして天帝陛下への忠誠には敵わずとも、それでも。
集団心理は、時には恐ろしい刃となり狂気を生み出すのだから。
「ちょっと、淑妃っ」
「っ!」
自分の中に深く潜り込み過ぎた藍銅は、激しく揺さぶられる感覚に我を取り戻す。
濃い霧が一瞬にして晴れた先に居たのは、紅藍の顔。
間近で見れば、思いの外くりんとした大きな目に自分の顔が映っているのが解った。
ふわりと、花の香りがする。
「雪花?」
「は? あ、もしかして香水の事?」
紅藍が自分から手を離し、くんくんと袖に鼻をあてる。
「ごめん、匂いきつかった?」
「い、いやーー」
きついという程の匂いではない。
むしろ、他の貴族の姫君達の方がよほど強い匂いを纏っている。
と、どうして限られた者しか入れない後宮で暮らす藍銅がそんな事を知っているかというと、後宮に保護される前の経験、そして後宮に来るその限られた者たる上層部が原因だった。
特に上層部男性陣はこれ以上ない婿がねとして、貴族女性、豪商の娘達やら何やらと付きまとわれる。
中には、礼節を保ち、品位を極めた女性達も居るが、そういう者達はまず相手の迷惑を考えずに近づく事はしない。
だから、あのくどすぎる香りは、とにかく自分の欲望を押し通そうとする者達だけのものとなる。
まあ、平民にだってそういう者達は多いが、それでも地位と身分、財力のある者達には敵わず、まず近づく前に蹴散らされる。
だから、結果的に貴族女性、豪商の娘達やら夫の居る身でーーという者達が大半を占めてしまうのだ。
そしてそういった者達が纏う香は、それぞれ単独で適量であれば良い香りだが、混ざったりすれば悪臭そのもの。
いや、そもそも単独であっても度を超した使用量である為、鼻が曲がる匂いとなる。
が、自分達は逃げれば匂いを嗅がずにすむが、べったりと匂いのつけられた上層部はーー。
『消臭剤作ったよ』
大量の消臭剤、しかも効き目ばっちりを抱えて現れた王妃様の株がその時撃上がりしたのは、言うまでも無い。
そして、男妃達はより王妃様に傾倒し、上層部は溺愛した。
そんな王妃様も纏っていた香りが、『雪花』から作られた香水。
『雪花』は、雪深い山脈の戴きに咲く幻の花だったが、最近では王宮でも栽培されている。
持ち帰った数株をたまたま同じような条件を作り出した環境下に植えてみれば、みるみるうちに増えたのである。
それからは、山脈に咲く野生のものには手を付けず、全て王宮で作ったものが出荷されている。
その花から作った香水は薫り高く、貴族女性や豪商も好むものだった。
また、近年では庶民にも少しずつ浸透していっているらしいが、まだまだ高級品の垣根に留まったまま。
もちろん、紅藍は貴族の姫君だから、手に入れる事は可能だろう。
それほど財政が傾いているわけではないと聞くし。
それに、紅藍が纏う香りは王妃様と同じく控えめであり、藍銅はこれっぽっちも不快感を抱かないで済んだ。
けれどーー以前紅藍が身に纏っていた香りとは違う気がした。
いや、確かに違った。
前はこう、もっとはっきりとした香りで。
「王妃様がくれたのよ」
「ああ、なるほど」
「それでね、調合方法も教えてくれて」
香水の調合も王妃様は自分で行える。
流石は王妃様。
素晴らしいです王妃様。
決して身贔屓ではなく、心の底からご尊敬申し上げます。
「私も調合してみたのよね、はいこれ」
そうして渡された香水瓶の蓋をきゅぽんと開けられる。
が、そこでどうして藍銅は鼻を近づけてしまったのだろう。
たぶん、成り行き、勢い、それ以外にある筈もない。
「ぐっ!」
途端、鼻を刺激する強烈な刺激臭に、これはまさか新たな劇薬の類いか?!と警戒する。
道行く女性にこういうものを嗅がせて気絶させ、拉致するという事件も最近巷では起きているというから。
クラクラとする頭と薄れゆく意識を必死に奮い起こし、藍銅は涙目で紅藍を睨み付けた。
「なんだこれはっ」
「雪花の香水」
「雪花に謝れ!」
そして端正こめて雪花を栽培した関係者にも謝れ!
きっと、自分達が愛情をこめて育てた雪花の末路がこんな劇薬だなんて知ったら、世をはかなんで山脈の頂きから飛ぶ。
「ちょっと想像していたのと違うだけじゃないっ」
「ちょっとどころかっ! 象や熊だって一撃で倒れるわっ」
「何よ! 試した事あるの?!」
試さなくても解る。
生物としての本能が警告する。
これは、化学兵器だと!!
「紅藍姫っ」
「な、何よっ」
「今日から、調香の授業も始めるからな」
「へ?」
「まずこれだっ!」
そうして机に叩き付けたのは、調香の基礎的な知識が載った分厚すぎる書物。
角で殴れば凶器。角じゃなくても、かなりの威力を発揮するだろう。
「ちょ、ちょっと! 今の授業の時間割のどこにそんな余裕がっ!」
既に、殺神的なスケジュールを組んでいる、紅藍の時間割。
もちろん組んだのは、藍銅である。
「うっさい! 肉体的、精神的ダメージをこれほど負わされたにも関わらず、お前の駄目すぎる調香の腕前を鍛えてやるという俺の深すぎる慈愛の精神にケチつけんなっ!」
「どこが慈愛よ! ただの鬼畜じゃないっ! ってか嫌! これ以上やると死んじゃうっ」
「ならもう勝負は受けんっ」
「んなっ! 淑妃の鬼いいぃぃぃっ」
そして果たして、紅藍の調合腕前が上がったかどうかは……とりあえず、そういう噂が聞こえてこなかった事に始終する。