第九話 追いかけっこ
そうーー色々と見誤って……いや、これは予想の範疇、だっ!!
「紅藍姫えぇぇぇぇえっ!」
「ふっ! この私の自慢の脚力に吠え面をかけばいいのよっ!」
逃げる紅藍を追い掛け、砂煙を上げて走る藍銅。
紅藍が家出してきてから二月。
それは、もはや海国後宮の名物とも言えた。
「まあ、またやってますーーるな」
「そうでーーそうだな、しかも日々加速してるし」
長年『女』として扱われて身についた女性としての身のこなし。
そして、高貴な貴婦神に相応しい気品ある口調。
それは身に纏う美しい女物の衣装とあいまってーーいや、あいまってどうする。
少し油断すれば、すぐに刻み込まれた『女』としての自分が出そうになる男妃達は必死に口調を男のものに変えていく。
ただし、それは微々たる成果しかもたらしていなかったが。
だが、今はそれよりも後宮中をかけまわる二神が問題だった。
「よく体力が続くな」
「淑妃様はまだしも、紅藍姫の体力がここ最近著しく右肩上がりだ」
はっきりいって妃妾千神、その世話役や侍女、女官達を含めると数千にも及ぶ者達が余裕で暮らせる後宮内はとんでもなく広い。
もちろん、王宮そのものがバカでかいが、それでも後宮は一つの街といっても良い広さ。
そこを爆走する二神は、正しく強靭な足腰の持ち主だと言えよう。
そして馬鹿がつくほどの体力の持ち主ーー。
か弱さどこ行った、淑妃。
儚さはどこ行った、淑妃。
理知的な瞳が美しい、触れる事すら躊躇わせる清楚で優雅な美姫はどこにーー。
「紅藍姫えぇぇぇぇっ!」
「お~ほほほほほほっ!」
「あれか、これって勝負に勝って試合にまけるか?」
「試合に勝って勝負に負ける、だろ」
たぶんどちらも違う。
「というか、今度は何をしたんだ紅藍姫は」
「また王妃様達と王都巡りしたんじゃないのか?」
「馬鹿、それ言ったら怒られるぞ」
「なんで」
「紅藍姫曰く、デートだそうだ」
は?
その男妃は隣に立つ別の男妃に驚きの視線を向けた。
「なんか、お忍びは危険だから駄目と言われたっけ、『ならデートならいいのね! デートする恋神同士には危険はつきものだもの! だからこれはお忍びではなくデートよ!』って言ったとか、言わなかったとか」
「どっちだよ」
「まあとにかく、デートらしい」
「デートって……陛下を差し置いて、おい」
「だよな。陛下なんて王妃様と一度もデートなんてした事ないし」
もちろん、自分達も。
ーー男妃達は、その現実を見なかった事にした。
「ってか、なんでデートに危険がつきものなんだよ」
「恋神同士を引き裂く悪者達が常に邪魔するから、らしい」
それで言うと、王妃のお忍びを快く思わない上層部や男妃達がその悪者になるだろう。
「それに、恋はスリルとサスペンスがなければ発展しないとか」
「いやいや、発展したら駄目だろ」
王妃様と紅藍の間で発展したら、本気で困る。
「けど、今回はそれだけじゃないな」
「他にもあるのか?」
「なんか、お土産が原因らしい」
そこまで言うと、男妃は口を閉ざした。
そして何があろうとも、その男妃の口からその事実が暴露される事はなかったーー。
「これは俺に対する嫌がらせかぁぁぁあああっ!」
数秒もせずに、藍銅自ら暴露してくれたからーー。
それは30分前に戻る。
「淑妃、はいお土産」
「その前に言う事があるだろう、ゴラァ!」
藍銅は今日もまた王妃様達とお忍びを堪能してきた紅藍を正座させて説教した。
が、今日はお土産があるからと、自分の説教もそこそこに袋から何かを取り出す相手に藍銅が心の中で涙したのはある意味当然の事だった。
そしてすぐに、藍銅は別の意味でも涙する。
「まずはお土産受け取って」
「その前に神の話を」
「受・け・と・れ」
手をわきわきとさせる紅藍。
それは脅しか?脅しなのか?!
手の動き自体は、淫蕩と淫猥しかない獣達と同じだった。
しかし、同じ動きでも、自分を虐げてきた者達のそれとは全く違って何のイヤらしさも感じない。
感じないが、その時以上の身の危険を感じるのは何故だ。
どう考えてもロクデモない事をする気だ。
藍銅は紅藍に屈した。
「なんだ、これ」
「ジャジャ~~ン! 新作の究極のセクシーブラセット! 隠しているつもりで隠していない男の夢下着!」
開けられた箱の中にあったのは、紐、に、風が吹けば飛ぶような薄いレースの布が申し訳程度にぶらぶらしている下着だった。
いや、下着というのもおこがましい。
あれはただの紐だ。
隠すべきところを間違ったーーいや、そもそも隠してないし。
そして最大の問題はーーそれが女性物の下着という事。
パァン!と、藍銅はそれを近くの暖炉に投げ込んだ。
しゅっと音を立てて炎が大きくなるが、それもすぐに収まる。
満足な燃料にさえなれないものになど、用は無い。
「ああぁぁぁあああっ! せっかくのお土産になんて事するのよっ」
「五月蠅い! 余計なもん買ってくるなっ!」
「何よ! 淑妃が一番喜ぶものじゃない! ここの妃達の誰もが喉から手が出るほど欲しがる最高級品なのよっ!」
「誰が欲しがるかぁっ!」
それはもう血を吐くような叫び。
しかし、紅藍はそれを一笑した。
ああ、なんだってこんな事になってしまったのだろうかーー。
だが、その始まりを藍銅は細部に至ってまで覚えていた。
あれは、今から一月前の事だ。
何度も繰り広げられる勝負の中で、紅藍は言ったのだ。
『今日こそは私が勝つわよ!』
『それ、いつも言ってる』
『五月蠅いわね!』
『それで、今日もおんなじ勝負か?』
『いいえ、今日は少しルールを変えましょう。あと、私が勝った時には何でも言う事を聞いて貰うんだからっ』
高らかと宣言した紅藍に、藍銅は「はいはい」と軽くあしらう。
どうせ勝てるわけがないのだから、真面目に聞くだけ無駄である。
『で、紅藍姫が勝ったら何をさせるんだ?』
『ふっ! とっても恥ずかしい事よ!』
恥ずかしい事?
藍銅は今まで自分が変態どもにされてきた事を回想してみた。
ーーとりあえず、あれらを越える事でもなければ羞恥心は全く感じないだろう。
それこそ、全裸で後宮内一周だって、平気で行える。
たぶん、一般的には羞恥心をどこかに忘れてきたかの様な鈍感レベルなのだろうが。
しかし、その後に藍銅の身に起きた事は、今までの経験を遙かに突き抜けた。
『女性物の下着をつけてもらうわっ!』
『……』
『女装しても下着だけは女性物は恥ずかしくてつけられない。男性物という者達は多いんでしょう? だから』
十分に羞恥心をあおれる、恥をかかせられると意気込む紅藍に。
『後宮の男妃達全員女性の下着は基本装備よ』
『え?! むしろ普通?! 喜ばせてしまう?!』
どこからともなく現れた王妃様の一言に、藍銅は体の中で爆弾を爆破させられたかの様な衝撃を受けた。
『そんな、まさか、そんな』
『因みに、貴妃はセクシーランジェリーの紐パン、徳妃はベビードールスケスケ版、淑妃は切り込み激しいTバ』
『うわあああぁぁぁぁああっ!』
勝手に神のランジェリー事情を暴露されかけた藍銅が王妃様の口を慌てて塞ぐも、既に遅かった。
『そんな激しすぎる露出をーーごめんなさい、私、陛下を見くびっていたわ。下着まで女性物だなんて流石は完璧を求める陛下』
やめてそんな部分での尊敬。
『そして男に男としてのプライドも全て捨てさせて自らセクシーランジェリーを身につけさせるなんて、陛下のセクシーボディーはどれほどのものなのっ!』
知らん。
いや、知ってはいるが、忘れたい。
『つまり、生半可な下着では駄目という事ね』
そして、なんでか紅藍によってセクシーランジェリーが贈られるようになったのだ。
「嫌な思い出だ」
「くっ! あの素晴らしいランジェリーでも気にくわないとなると、これはもう全裸しかないの?!」
「何をだ! そして紅藍姫は俺を一体どうしたいんだっ!」
「私の(買った)下着を着させたい」
「誰が着るかあぁぁああっ!」
「あの程度じゃ駄目って事ね! けど、あれを越えるレベルとなれば、もう隠す部分を観音開きにしたタイプじゃないと」
「下着として間違ってるだろそれっ!」
いや、色々な意味では間違ってないーーと、この場に下着メーカー勤めが居れば言っただろう。
「この、待てっ!」
「ふ、私はまだ捕まるわけにはいかないの! 淑妃が真に恥じ入る下着を強制装備させるまではっ!」
ガシっ!
「あぅ」
宣言した矢先から捕まった。
「はぁ……はぁ……もう、逃げられないぞ」
「こ、こうなったらもうあの方を召喚するしか」
「あ?」
召喚?
神力が使用出来た大戦前ならいざ知らず、今は無理ーー。
「凪国の明燐様を」
「やめてうちの国が壊されるっ!」
藍銅は本気で紅藍を止めにかかった。
よりにもよって魔界の大魔王より恐ろしい相手をどうして選ぶんだ。
そしてそれほど恐ろしい相手を召喚する様な状況なのか、今は。
召喚効果は『鞭での全破壊』だぞ!一部分の破壊なんて無理だぞ!
ーーいや、その前に全国民が奴隷化させられてしまうっ!!
「というか、召喚出来たとしても来ないだろっ」
「来るわよっ! 来るって書いてあったもの!」
「何にだよっ」
「手紙に」
「……因みに、明燐様との関係は」
「ペンフレンドよ」
ペンフレンド?!
文通相手?!
ってか、文通?!
あの女王が文通相手募集中?!
いやいや、募集するなら奴隷だろ!
いや、奴隷志願者で列を成してるから、そもそも募集する必要なし!
「いつっ! どんな状況下でそうなったんだっ」
「淑妃が私の選ぶランジェリーを着てくれなくて困っていたら、王妃様がそういう事に詳しい相手が居るからきっと力になってくれるって、連絡先を」
「王妃様あああぁぁっ!」
何してるんですかあなたぁああぁぁっ!
もはや血を吐くレベルの叫びが後宮内に木霊した。
「はっきりいって、今回買ってきたのが海国で作成出来る最高レベルのセクシーランジェリーだって言ってたから、これを越えるものを手に入れるには明燐様しか居ないのよっ!」
確かに手に入れそうだ。
むしろ、自分の収集しているランジェリーから見繕ってきそうだ。
いやいや、その前に召喚されたら困る!
「紅藍姫は知ってるのか?! あの方の威力をっ」
「明燐様の通った後には奴隷しか居ないっていう、あれ?」
とても正確に知っているらしい。
しかし今は褒めている場合ではない。
「というかやめろ! 凪国から呼ぶのだけはやめろ!」
「他の相手ならいいの?」
「誰一神呼ぶなっ!」
分かってない、紅藍姫は分かってない!
「おまっ! 凪国からの来訪者イコール破壊の使者って言葉を知らないのか?!」
「……」
「確かにその手腕は見事だが、それまでに散々国を面白半分に引っかき回すその悪辣さ! 骨の髄まで絞り尽くし、散々使い古してポイッ! 上層部の一神が降り立っただけで、巨大台風が直撃したかのように荒れ果てて何も残らないとされているんだぞっ!」
「……仮にも水の列強十カ国の第一位じゃ」
「第一位だから、その鬼畜さも第一位なんだよっ!」
そんな上をも恐れぬ失礼な発言をかます藍銅に、紅藍はいつか海国と凪国が戦端を切り開きそうだと予感した。