次なる依頼は海を越えて
「明日もまた仕事かぁ」
「だな」
僕はリクと一緒にポップカッシュをポリポリつまみながら、ぼんやりと天井を見上げた。
「今度は僕もご一緒しますぜ! 師匠!」
ラムザのバーカウンターの上には、僕らのつまむポップカッシュの袋と一緒に、不気味な手が並んで乗っかっている。黒字に赤いラインの入ったその不気味な手は、自称魔王。ただ、手しかないので、威厳とかは全くないし、不気味ではあるけれど怖くはない。
「今日の晩飯の時んでも、適当に仕事見繕ってくっか」
外は大雨。さっきからずっと雨が屋根を叩く音がする。僕はこの音が好きなのだけれど、リクは雨が嫌いなようだった。さっきから彼の機嫌があまりよろしくない。
「あ~、ジメジメジメジメ、辛気くせぇな!」
そして再びリクが愚痴り出そうとした時だった。急に雷の音が聞こえだした。
「うわ、雷まで鳴り始めやがった!」
リクが思いきり顔をしかめる。
だんだん雷の音は酷くなっていき、窓からも時折閃光が走るのが見えた。時折外が真っ白になる。
そんな窓の外の様子をぼんやりと眺めているときだった。
一際大きな、雷が落ちたような音が辺りに響いた。
「うわ?! 落ちたか?」
リクが驚いて、ポップカッシュを入れた皿を落とした。
乾いた実を宙に残して、陶器の皿がいち早く落ちていく。あぁ、落ちる、皿が、割れてしまう!
しかし、僕は感じられたのは皿が落ちて割れる音だけで、割れた瞬間を目にすることはなかった。
「明かりが?!」
皿の割れる音と共に、室内の明かりが消えた。カウンター奥の部屋辺りから、人々が慌てふためく声が聞こえてくる。
そういえば今フローラとますたーの二人は外に買い出しに出かけていたけど、大丈夫だろうか? まぁ、二人なら安全なところに避難していることだろう。
「あれ? こっちも真っ暗だ!」
不意に目の前に明かりが現れた。
ちなみに、今僕らがいる部屋は外からの雷の光でかろうじて周囲を見回すことができる。
店のスタッフ達の顔がいきなり浮かび上がり、僕らは驚愕した。
「うわ、いきなり出てこないでくださいよ!」
「そうだ! 一体どうなってる?」
僕の言葉を引き継ぎ、リクも文句を言う。
店のスタッフの青年は今まで厨房にいたのだろうか、真っ白な服を着ており、所々何かの染みが見えた。
彼の名前は知らないが、彼の後ろにもまだ何人かいるらしい気配がする。
「ここの光球は誰が管理していたんだ? これが消えることなんて今までなかっただろ?」
イライラとリクが青年をなじる。彼は僕やリクよりも少し幼い顔立ちをしており、リクは少し冷たく当たった。
「いや、僕には分からないんです。今先輩たちが原因が何なのか店中を探していますが・・・・・・」
彼は、この店にやってきて間もなく、まだ修行中の身だとか。ただ、才能はお墨付きをもらっているらしく、自分の話をするとき彼は少し照れくさそうにはにかんだ。
「それで、僕は他の部屋の様子も見てくるように言われて、ここを見に来たんです」
彼がそう言っていると、天井の上の方からドタドタと足音がし始めた。 たぶん上の階にいた冒険者メンバーたちが何事かと動き回っている音だろう。彼はそんな2階の方を見上げ「2階には先輩方が今向かっています」とぼそりと言った。
しかし、不意にそんな彼の顔が強張った。
「どうしたの?」
僕が彼の急な表情の変化に驚いて訪ねると、彼は今にも泣きそうな顔で震える声で言う。
「今、なんか踏みま・・・・・・」
「踏むなっ!!」
急に彼の足下から飛び出てきたのは自称魔王こと手だった。ちなみに彼はこの店ラムザの先輩によりマオちゃんと命名されている。
「マオ君、君度さっきまでどこ行ってたの?」
魔王と呼ぶのははばかられるので、僕達も今はマオ君と呼んでいるのだ。
そういえば、彼は雷が鳴り始めた辺りで姿を消した気がする。魔王なんだからまさか雷が怖いわけじゃないよね?
「いや、何か、怪しげな気配を感じまして。この雨と雷の中に誰かの意志を感じる」
「あ? どういうことだ、それ」
マオ君は半ば自分に言い聞かせるように言った。それにリクが首を傾げる。僕もそれに同じだ。ちなみに、青年はおびえた顔のまま立ち尽くしていた。
「とにかく、俺少し外の様子見てきます!」
マオ君はすっと僕らの前を横切り、魔法で扉を開け、雨が降りしきる外へと飛び出ていった。ひとりでにドアが閉まる。
「さっきのは、一体?」
相変わらず青ざめた顔で青年が言う。
「まぁ、無害なモンスターってところか?」
リクが斜め上を身ながらごまかすように言った。僕も青年から視線を外す。
「え、あ、そう、ですか」
青年はしどろもどろに言う。その表情はまだ納得いかない、というか、腑に落ちない、というような様子を感じられたけど、マオ君については普通の人には信じてもらえない要素を多く含むので、詳しいことは語らないに限る。
「あ、の、それじゃ、僕は店の裏手の方へ行ってきますね。そこにも先輩方がいらっしゃるので!」
彼は少し早口に言うと、再び店の奥へ去っていった。気づけば彼の去っていった先には既に人の気配がしなくなっている。店の従業員たちはみんなこの明かりが消えた原因について調べるためあちこち動き回っているのだろう。
そういえば、さっきの青年はまるで僕らに怯えたようだった。マオ君のせいが大きいのだろうけど、何かそれだけが彼の怯えの理由ではなかったような気がする。しかし、僕にはさし当たって誰かを怯えさせるようなところはない。考え過ぎかな?
「にしても気味が悪いな。誰も人が降りてこねぇ」
リクが暗がりで腕組みをするのが見えた。
確かにそうだ。上の階には何人も人が入るはずなのだ。さっきドタドタと何人もの人が行き交うような足音が聞こえたし。
なのに誰もこの一階に降りてこないなんておかしい。
一階に降りる階段は今僕達がいるバーになっている場所、それから店の奥の従業員用の通路に一つ。そして外にも一つ2階に上がるための階段がある。
その中で一番使い易いのが、ここに降りてくる階段だ。そこの方が他と比べて広いし、なだらか。暗いからこそ、この階段から誰かやってきそうなものなのに。
「なんだか人の気配がしなくなってない?」
さっきから聞こえるのは自分とリクが動く音と、外の雨や雷の音だけ。雨の勢いは衰えず、むしろ増しているように感じた。雷だって、相変わらずごろごろと唸っており、激しく空が光る。
「なんかだんだん人がいなくなっていくような気がするな」
「そ、そんなこと言わないでよ。本当にそうなったらどうするのさ!」
思わずリクを睨むと、彼はふざけたようにニヤッと笑った。
リクはただ僕をからかうためだけにそう言ったみたいだけれど、僕は違和感を覚えた。やはり静かすぎる気がする。
屋外は絶え間なく音がし続けているものの、人の気配がないとかそういうこともあり、室内はとても静かだ。けれど、人の気配がしないこと以外にも静けさを感じるような気がする。
「どうした? 黙り込むなよ、なんか喋ろうぜ」
リクが少し弱気な声を出す。
さっきから僕はずっとこの違和感について考えていた。そして、リクが話しかけてきたその瞬間、僕は違和感の正体を閃いた。
「いやさ、さっきから妙に静かだな、って思ってたんだけど、天使と悪魔の声がしないんだ」
僕の中にはひょんなことから悪魔と天使が住み着いた。にわかには誰も信じてくれないけれど、何人かは実際に僕の中の悪魔を見たことがある。リクものそのうちの一人だ。
「え? そいつら確か、ことあるごとにケイに話しかけてくるんだろ? 今この状況ほど話の種になりそうなものはねぇじゃねーか」
確かにリクの言うとおりだ。特に天使は話好き。今僕らがこんな不可思議な状態になっているというのに、ちっとも口を挟んでこないとは一体どうなっているんだろう?
「やっぱこの状況は普通じゃねぇな。手のヤローが言ったみたいにこれには誰かの意志が絡んでいるかもしれねぇ」
「それじゃ、この明かりが消えたり、悪魔や天使が話しかけてこないのが、誰か意図的なものってこと?」
リクはこくりと頷く。しかし、僕は腑に落ちなかった。
この店にいつも浮いている光球を消すことはできるかもしれない。しかし、僕の頭の中にいる精神にまで影響を与えられるか?そんなことができるのは僕らなんて到底足元にも及ばないような大魔法使いくらいだろう。
「ま、考えたところでしゃーねーや。とりあえず原因の究明を待て、ってとこか」
僕は頷く他になかった。
考えて分かることではない。
なぜ急に魔法の明かりが消えたのか。天使と悪魔は一体どうしているのか。
僕は頭の中の彼女たちに何度も呼びかけてみたが返事はない。
さっきの青年やその先輩たち、そしてマオ君が何かいい情報を持って帰ってくるのを期待して待つばかりだ。
「はぁ、空気が重い。誰でもいいからきてくんねぇかなぁ。もう一人くらい話し相手が欲しいぜぇ」
「確かに。誰かやってきてもいいようなものなのに。誰かこないかな」
そうは言ってみたものの、相変わらず建物の中から物音はしない。2階から誰か降りてくるような気配もなしだ。
こうなったら濡れるの覚悟でさっきの青年が向かっていった裏口へ行ってみようか。 たぶん彼らは裏の空き地にいるはずだ。確か空き地の壁にはよくわからない機械や道具が設置されていた。きっと彼らはそれを調べているんだろう。
「ねぇ・・・・・・」
僕が外に行こうと提案しようとした時だった。予期せず店の戸が開いた。
「誰?」
最初はマオ君かと思ったが、雷に照らされたその姿は小さな手の姿をしていない。買い出しに出かけたままのフローラやますたーかとも思ったけれど、人影は一つ。しかもその影は結構大柄だ。男性だろうか?
まだ店を開けている時間ではない。つまりは客が開店していると勘違いし、雨宿りに入ってきたわけじゃない。
いぶかしんでいる僕らを他所に、水を滴らせながらその影は店へ入ってきた。フードを目深にかぶっており、暗い室内ではその人物の様子はよく分からない。時折、ドアの外で光る雷光により、影がくっきりと浮かび上がるだけ。
しかし、僕は男が動き、その動きと同時に走った稲光で彼の正体が分かった。
「お前・・・・・・?」
リクが隣で息を呑む。男は長い赤毛を三つ編みにして、背中に垂らしていたのだ。さらに、見覚えのある黒ずくめの服装。
それはどう見ても、僕の学生時代の同級生であり、尚且つ謎めいたところの多い、ネアルという男だった。
「ネアル?」
僕とリクは同時に言い、僕はネアルの顔の前に思わずリクの顔を見た。リクはネアルのことを知らないはずだ。僕の同級生でも先輩でも後輩でもなかったはず。
といっても僕が学校に通っていた当時、同じ学校に通っていた生徒全ての数を覚えているわけではないし、冒険者学校に年齢制限はないから、その辺の判断が難しいのだけれど、彼らが学生の時代の知り合いではないはずだ。
そして、驚いたのはリクも同じだった。
「何でケイがこいつのことを?」
「それは・・・・・・」
僕がそれに答えようとしたとき、低くよく通る声がそれを遮った。
「今はそれを話しているときではない」
その声はネアルから発せられたものだった。しかし、その声は普段のネアルから想像できない声音だった。どこか不気味で、それでいて引きつけられるような声だ。
ネアルはおもむろにフードを取った。僕たちの側からは何も光源がないはずなのに、ネアルの目が紅く煌めく。
僕たちは黙り込んだ。
「今俺は追われている」
普段だったら、だから何だ、そう返したかもしれない。それにそんなことを言われても困る、そう言っただろう。
しかし、今の僕は喋ることはおろか、口を開くことすらもままならなかった。まるで魔法でもかけられたように体が動かない。
でも、動こうと思えば動けるような気がした。ただ動こうという気があまり起きない。
「俺は今誰か他人に勘違いされている。はめられたのかもしれない。それか、本来追われるべき男が偶然、俺と似た姿をしていたのかもしれない」
ネアルがすらすらと話すのは前回会ったとき、彼が占いで僕の考えを読んだとき以来だ。
話の中に笑い声が全く入らないネアルの話し声というのはどこか気持ちが悪かった。もちろん笑いが入っていればそれはそれで気持ちの悪い話し方だけれど。
「しかし何にしても癪に障る」
もう一度ネアルの目が紅く光った。
それで僕はとある事件のことを思い出した。それはこの店、ラムザで働く、僕の先輩に当たる女性の冒険者二人が行った依頼から始まったものだ。
その依頼の最中、彼女らはある出会いをし、その出会いから海底洞窟の捜査をすることとなった。海底洞窟の中はアンデットモンスターがまとっているような黒い魔力に覆われ、普段は賢くを人を襲ったりしない、トカゲのような見た目をした種族、リザードマンが操られており、彼らに襲われたのだとか。そして、彼らにかかった魔法を解いた先輩方は、魔法をかけた相手が赤い目の人物だと聞く。街に帰った彼女らは早速そのことを依頼主達に報告し、後日赤い目の人物を見かけたら、街の護衛部隊などに報告するように、との張り紙が張られた。ネアルは、もしかするとその事件の容疑者にされてしまったのかもしれない。癪だ、と言ったのは、誰に対してのものかは分からなかったのだけれど。
「俺はこれから旅に出る。一連の事件の真犯人はここにはいない」
なぜ彼はそう断定できるのだろう? 僕がそう思ったとき「なんで、そんなことが分かるんだ?」と、リクがこともなげに口を開いた。
ネアルの表情はよく分からなかったけれど、返事を返すのに間が空いたところを見ると、彼も少なからず驚いていたのだろう。なぜ僕は身動きできないのに、彼は難なく喋る事ができるのか。
しかし、ネアルの反応についてよくよく考えると、彼も今この場で起こっている異常な状態について気づいていることになる。ネアルは今のこの状況についてどれほどのことを知っているのだろう。
「俺は、ありとあらゆる魔法を知っている。もちろん全てではないが、それらを使えば、大体のことは調べがつく」
いくらか緊張が解けたような声でネアルは言った。
「ふ~ん、そうか」
リクもなにやら軽い調子で頷く。しかし僕だけは相変わらず思うように身動きがとれない、いや、取りづらい。
「それで俺は旅に出ようと思う。君、リクといったな。護衛を頼みたい」
予想外の言葉に僕は驚いた。しかし、リクの方がもっと驚いている。当事者なのだから当たり前だけど。
「な、何で俺?」
自分の顔を指差しながらリクは信じられないといった風に聞いた。
確かに護衛というにはリクは細身すぎる。 もっと厳つい、強そうな人が護衛には向いているんじゃないか? というかネアルに護衛は必要なのか。
「これは依頼だ。これに君を選んだ理由は今は関係ない。君が答えるべきはこの仕事を受けるか、受けないかのどちらかだ。どうする?」
相変わらずネアルの表情は伺えない。リクの方へどうにか視線を移すと、彼は眉間にしわを寄せ、悩んでいるようだった。
「時間がない。この仕事のチャンスは一度きりだ。俺はすぐにでも街を出る。ただ報酬ははずもう」
その言葉にリクが弾けるように反応した。報酬という言葉に目を輝かせるリク。
僕としてはやめておいた方がいいような気がするけど、何も喋れない。
でも、僕がなんと思おうと決めるのはリクだ。何も言わずに本人の判断に任せるのが一番いいかもしれない。
「分かった、やるよ」
リクは神妙な面持ちで深く頷いた。僕はいろんな不安がむくむくと膨らんでくるのをどうにか抑える。
「それで報酬なんだが、おまえの店にあったものに俺が探している物があったんだ。買うには高すぎるからな、報酬の代わりにそれをくれねぇか?」
リクの言葉にネアルはしばし押し黙り、その後微かに頷いた。
「いいだろう」
するとリクは満足気に笑みを浮かべた。。
「それならすぐ出発だな! 準備してくっから待っててくれ」
リクはどこか嬉しそうに駆け出し、あっという間に、階段を上って行ってしまった。その姿を見送り、視線を前に戻すと、いつの間にかネアルが目の前に立っていた。
「わ」
ネアルは僕より頭一つ分ほど背が高い。僕は彼の顔を見上げた。
「ケイ、薄々気づいているんだろ?」
僕は目を見開いた。
「え、なんのこと?」
「誰がこんな状況にしているのか、だ」
気づけば僕の口だけは自由に動くようになっていた。ただ体はより拘束が厳しくなった気がして、全く動かない。
ネアルはふっと笑い声をもらし首を振った。
「まぁいいさ。俺はこれからしばらく旅に出る。俺の店の方はおまえが斡旋所から連れてきた奴らに任せてあるから」
これこそ、だから何? だ。もっとネアルには言うべきことがあるのではないか?さっきから起こっている異変について、とか。ネアルの様子を見る限りでは少なくとも僕やリク以上の情報は持っているはずだ。
「カッシュのやつにも俺はしばらくいないと伝えておいてくれ」
「う、うん」
ネアルは本当に別れを言いにきただけなのか? 辺りが暗く、雨が降りしきり雷がなるようなこの悪天候が、僕を疑い深くさせた。
何か普通でない。
マオ君の言っていた誰かの意志、それはネアルのものなのか?
「待たせたな! もう出発できるぞ!」
不意にリクの声がした。きっといつでも冒険に出られるよう準備していたのだろう、さっき2階に向かったばかりなのにもう帰ってきた。
リクはリュックを背負い、背中とリュックの間に何か見知らぬ板のような物を挟んでいる。一体あれはなんだろう?
「あ、ケイ。なんでか2階にはもう誰もいないみたいだったぞ? みんな裏庭の方にでも行ったのか?」
僕は首を左右に振ろうとしたんだけれど、相変わらず体が動かなかった。
「知らない」
ただそれだけ返事を返した。
「そうか、そりゃそうだよな」
リクは軽く頷くと、ネアルに視線を向けた。
「そんじゃ行こうぜ。急いでるんだろ?」
「いや、少しケイと話をしておきたいんだ」
僕は驚いた。もう別れの言葉は十分に言ったはずだ。カッシュへの伝言も聞いたし。しかし僕はどうにも動けない。
僕は不意にネアルが怖くなった。何か僕にとってよくないことをネアルはしようとしているんじゃないか。
それでも僕は逃げることができなかった。まるで体全体を針金でぐるぐる巻きにされたみたいだ。
「そうか、そんじゃ俺どうしようか?」
「中庭の方を見てくればいいんじゃない?」
僕の口から予想もしなかった言葉が出た。僕はこんなことを言おうとしたわけじゃない。僕は完全に誰かに操られている。これはやっぱりネアルの仕業なのか? いや、もしかするとこれはネアルが勘違いされている赤目の人物の仕業かもしれない。それなら説明が付く。
しかしリクを遠ざけて、どうしようというのだろう。僕は確かにリクがいなくなるととても不安だ。でも、遠ざけるのならネアルの方を優先すべきじゃないか? リクの腕前はよく知らないけど、たぶんリクよりネアルの方が強いはずだ。でも、これがネアルの仕業なら・・・・・・、あぁ、堂々巡りだ。
「そんじゃ、俺はちょいと裏の空き地の方の様子を見てくるよ」
リクは無情にも去っていく。
僕はネアルと二人きりになった。
またここから逃げ出したい衝動に駆られる。僕の顔はリクが去っていった方を見ていたものの、彼の姿が見えなくなると、ネアルの方に視線を戻さないわけにはいかなくなった。
「え?」
僕は思わず声を漏らした。
僕が視線を戻した先。そこにネアルは立っている。しかし、彼は僕の手の平を突きつけていた。僕とネアルの間には少しの間がある。
「何、を?」
ネアルは一体僕に対して何をしようとしているのかわからない。何か魔法を使おうとしているのか。
こういうときこそ僕の中の天使と悪魔が役に立つはずなのに、今日に限って彼女たちからは何も反応がない。普段出てきてほしくないときにも出てきているというのに。
ネアルは何も言葉を発さず、手を突きつけたままにいる。すると、ぼんやりと僕の胸の辺りが光り始めた。はっと僕は白いローブを羽織った自分の体を見る。
「あ、体が」
気づけば体が動くようになっていた。もしかしてネアルは今、僕の呪縛を解いてくれたのだろうか。危険かもしれないからリクを他の場所にやった、とか?
しかし、僕の体が動くようになってもネアルのポーズはそのままで、僕の胸は光り続けた。
そこで僕は再びはっとする。
僕のローブの胸辺りには、とある宝玉が入れてある。それは僕が昔行った思い出の冒険で手に入れた宝物だ。その宝玉の中には妖精のような小さな人の形をした生き物が眠っており、生き物の周りの意思は澄んだ青色をしている。その玉が一体どのようなものなのかは、全くわからないのだけれど、どんなものであれ、手放す気はない。僕はそれをいつも、ローブの胸ポケットにしまっているのだ。
その宝玉にいつも僕は勇気をもらってきた。このラムザにやってきたときだってそうだ。そのときもこの宝玉に力をもらった。
もしかしてネアルの狙いはこの玉なのか?僕が慌てていると、白いローブの胸の部分がはだけ、中にきていた黒いローブが露わになった。それと同時に宝玉も宙に滑り出す。
僕は急いで手を伸ばすが、僕の手をすり抜けるようにして、宝玉は飛んでいった。
玉は僕とネアルの間の宙に留まり、僕はネアルの顔を見た。
「ネアル! 何をする気だ?!」
僕が聞くと、ネアルは口の端を吊り上げた。笑っている!
「ネアル!!」
僕がいくら叫ぼうと彼の耳に僕の声は届いていない気がした。僕は宝玉の方に駆け出そうとする。しかし僕の足を押し留めるように辺りが一瞬、光に包まれた。ネアルの手が光を発している。この光は純粋な魔力による光だ!
その光は虫の吐く糸のように宝玉へ絡みつく。
「ネアル! やめろ!!」
僕は再び叫ぶ。しかし、ネアルはにたにたとした笑いを浮かべたままだ。彼の突きだした手はそのままで、魔力の光も弱まるどころか強さを増している。
僕がもう一度玉に手を伸ばした途端、目の前で青にひびが入った。僕は思わず悲鳴を上げそうになったが喉が引きつれて声が出ない。
僕の頭の中には宝玉を手に入れたときの冒険の様子や、これまでの冒険の日々が走馬燈のようにかけ巡った。この宝玉がなくなったところで僕がどうにかなる訳じゃない。でも、今僕は身が引き裂かれるように辛い。
これは一体何なのだろう? 僕は目の前で起きていることを見ることができず、思わずぎゅっと目をつむった。
そのとき僕は一度見たら忘れられないような光景を見た。いや、光景というのだろうか、これは。だって目をつむっているのだから何か見えるはずがないのだ。しかしそれははっきりと見える。
僕の目に一瞬だけだが、見えたのは、僕の頭の中にいる悪魔、キルアの姿だった。彼女の姿は夢の中で何度か見たし、実際に僕らの前に出てきたことだってある。
しかし、今回僕が見た彼女の姿は今まで見た中で一番恐ろしい姿をしていた。
普段はきっちりと閉じられ、赤い文様のような封印までされている彼女の片目がぱっちりと開いていたのだ。その目は本来白であるはずの部分が血のような赤色をしていた。白い部分は全くない、本当に真っ赤だ。そして瞳の部分は黄色く、瞳孔は真っ黒。
その顔で彼女は僕の方を向いて、牙を剥き出し笑っていた。 彼女の後ろは真っ暗な闇、どこにも天使の姿はない。
大きく広げられた悪魔の羽と彼女の牙や、瞳が僕の頭にこびりついた。
僕は目を見開く。一瞬しか見ていないのに、頭の中から消えない。
しかし、目を開けたが最後、僕の目の前にはひびの入った宝玉が写る。玉の中はよく見えない。
降りしきる雨と止まない雷の音が空しく響く。
「ネアル・・・・・・止めてよ。元に戻ってよ・・・・・・」
僕は息も絶え絶えに言う。もうネアルの顔を見ることができない。彼の笑みと悪魔の笑い顔はとてもよく似ていたから。
そうして、魔力によってできていた白い光が不意に視界から消えた。
顔を上げるとさっきと変わらない場所に、ひびが入ったままの宝玉が浮かんでいる。
ネアルの手は相変わらず突き出されたまま。
しかし、魔力の放出を止めたということは、もう僕を苦しめることを止めてくれたのだろう。宝玉を返してくれるのだろう。僕はそう思った。
外で雷が低く唸る。
僕は顔を上げる。
外が光る。
僕は宝玉に手を伸ばす。
雷鳴が轟く。
僕は目をつむる。
地響きが起こる。
目を開けネアルを見る。
ネアルが指を玉に突きつける。
僕がもう一度玉に手を伸ばす。
ネアルの指先から白い光が放たれる。
僕の手の中で宝玉が砕ける。
「嫌だああぁああぁぁあぁぁあぁ!!」
:
「船旅っていいよね! リクも連れてきてあげたかったな!」
僕の横でにこにことクイットが言う。
僕らは今船上の人となっている。昨日の大嵐とは裏腹に、空は澄み渡っていた。
今回僕らはまた店の仕事のため、移動をしているのだ。今までは近い場所にばかり出かけていたが、今回はぐっと遠出をして、別の大陸へ行く。こういうとき港町であるシアグラードはとても便利だ。あっという間に船を手配することができた。それにラムザのメンバーであればいくらか割引もしてもらえるのだ。今まで何度か船に乗ったことはあるけれど、今回今までと比べてかなり大きめの船。この船の中には沢山の物資が詰まれ、人々も沢山乗っている。特に今回は冒険者が多く乗っているそうだ。どうも最近、今僕らが向かっている大陸、メルタにあるグラン・ビルドという火山で伝説のドラゴンが見つかったとか。
かくいう僕らも、今回の仕事もそのドラゴン関係なのだ。今度の依頼は、謎の生き物を例のドラゴンが現れたという火山に届けるというもの。その謎の生き物というのは本当に謎の生き物、としか言いようのない見た目をしていて、強いて言えば、火の玉みたいな見た目だ。彼には顔もあり、短い手もある。足はないのだが、彼はふわふわと浮かぶことができるので、不自由はない。そして、彼は自称ドラゴンの子供だという。しかも彼は伝説のドラゴン、マグナリアスの子供で、いまメルタの火山近くに出没した例のドラゴンは彼の親だという話。話を聞くと、その辺な生き物、通称”ひのたん”は悪い魔法使いのせいで、体をとられたのだとか。
ちなみにひのたんという名前は店の先輩、ハーブさんがつけたもの。彼女はよく言えば覚えやすい、悪く言えば安易な名前をつけることで有名なのだとか。
そうして、僕らはひのたんの体を取り返す手伝いをするべく、メルタに向かっているというわけだ。ちなみに報酬の方はシアグラードに研究所を構える学者、ユウナリア氏に払ってもらう手筈だ。そのユウナリアさん、ひのたん、そしてさっき言った先輩ハーブさんたちにはいろいろとあったらしいのだけれど、時間が迫ってきていたので多くは聞けずに店を出た。でもクイットが話を知っているというので、後でひのたんとの出会いなどの話を聞いてみることにしよう。
(あのさ、ケイ。考えないようにしてるとこ、悪いんだけど)
不意に頭の中で声が響いた。今までは急に声をかけられるといちいち驚いていたけどいい加減それにも慣れた。今の声は天使のバリアのものだ。
(何?)
僕は短く返事を返す。大体何を聞いてきたいのかは分かっている。
少し隣にいるクイットを見たが、彼女は海の様子を楽しんでいるようだ。今は無理に話題を作らなくてもいいだろう。
(あの宝玉のことなんだけど。あなた割れるのを見たんでしょ?)
(あぁ、でも・・・・・・)
今僕は冒険用の格好で胸にプレートをつけているため、ローブの中を確認することはできない。しかし、僕は今までと変わらず宝玉を胸ポケットへとしまっていた。
はっきりと宝玉を割れたのは見たはずだ。しかし。
(割れてなかったわけね)
そうなのだ。
僕は気づいたら店の床の上で倒れていて、状況を知らせにきてくれた青年に起こされた。ちなみに彼は僕とリクが暗い中で話したあの青年だ。
僕が起きてみると雨は相変わらず降っていたけれど、雷の音はしなくなっていた。
青年によると、雷が裏庭の方に落ちたらしく、そのせいで明かりを作っていた機械が支障したらしい。ただ、雷が直撃したわけではなく、軽い故障だということで、すぐに直るだろうという話だった。
そして、そんな僕の横に、ひびだらけで霞んでしまった玉が落ちていたのだ。しかし、割れてはいなかった。
でも、その玉の中にいた人は・・・・・・
「ケイ!」
「え? 何?」
不意にクイットに話しかけられ、いつの間にか甲板をじっと見つめていた目線を上げた。
「せっかくだからここでしばらく話でもしようよ! 私船旅は初めてなんだ!」
クイットは心の底から楽しそうな笑顔を見せた。思わず僕も笑う。
(今は昨日のことは思い出さずにおくよ。考えたって分からない)
(そ。そんじゃ私たちもあんたの視線から海を楽しむことにする)
その後ぷっつりと天使の気配はなくなった。最近話しかけられる直前は気配、というのか、何というか、近くにきた、というと少しおかしいかもしれないけど、そういったものが感じられるようになった。そして、僕に気を使っているのか、キルアは昨日からずっと話しかけてくることはなかった。
ちなみにリクは青年が中庭にいるときに、仕事に行くと言って、どこかに行ってしまったらしい。きっと僕の様子を知らずに行ったのだろう。ネアルは本当に何を考えているのか分からない。敵なのか味方なのかさえも、今は分からなかった。
「それにしても、ブレイズすごく嬉しそうだよねぇ」
クイットは甲板の手すりにもたれ、海を見ながら言う。
「確かにね。ブレイズってそのマグナリアスってドラゴンを見るのが夢だったんだっけ」
ラムザにやってきたばかりの時、僕はブレイズの部屋にリクと入らせてもらった。そのときブレイズの部屋に張ってあるポスターを見たんだ。そのポスターに描かれていたものこそ、マグナリアスという竜。
僕は特にドラゴンに出会いたいとは思わないけれど、冒険者にとってドラゴンは憧れの存在だ。僕も見るだけなら見てみたい。
「そういえば今ブレイズたちは?」
クイットがふと僕の顔を見て、聞いてきた。
「今ブレイズとキトンは部屋にいるよ。マオ君とひのたんもたぶん部屋じゃないかな」
クイットは何度か頷き、また海の方を見た。
「これから5日は船で過ごすことになるって」
天候によれば一日くらいは前後する、っていう話だった。船に揺られて、メルタの港町、ヘイブグレアに到着したら、グラン・ビルド火山に向かう予定だ。火山到着は、ヘイブグレアに着いてから歩いて、一週間ほどかかるだろうか。まだ火山に向かう道のりについて詳細は分からないが、そこに行く人は数多くいるし、街で聞けば道順はすぐに分かるだろう。
「あのさ、クイット。ハーブ先輩やひのたん、ユウナリアさんたちのことを教えてくれないか?」
話をしようと言い出したクイットから何か話しかけてくる気配があまりないので、僕は話題を作った。是非彼女の話を聞きたい。ひのたんやユウナリアさんの、ラムザとの繋がりは一体どんなものなのか。
「あぁ、そうか、あのときケイいなかったもんね! おっし、話してしんぜよう!」
さっきまでののんびりした表情を一変させて、クイットは思い切りやる気を出した。どうも相当いろいろあったようだ。
これからメルタに着くまでまだまだ時間はあるから、じっくりと話を聞かせてもらうことにしよう。
:
船旅が始まった日、そしてその次の日は何事もなく船は進んだ。船から見る海というのは数時間も見ていれば満足するもので、いくら清々しい天気であっても僕ら一行はどこかだらけていた。波は穏やかだったから船酔いをするようなことはなかったけれど、余計暇に感じる。
僕は朝から一人、船室のベッドに転がって考えごとをしていた。今考えていたのはひのたんのことだ。
彼は同じ変な生き物同士マオ君と仲良くなり、彼らは今ブレイズの部屋へ行っている。マオ君はどうか知らないが、ひのたんは外の世界を見るのが初めてらしく、冒険の経験豊富なブレイズに話を聞きに行っているのだ。マオ君も冒険談を聞くのは嫌いじゃないらしくしばらくブレイズのところに入り浸っている。
クイットとキトンは女の子同士でいろいろとお喋りをしているようだ。
僕だってブレイズのところへ行ったりしてもいいのだけれど、考えごとをするには一人が一番だ。今、僕が思っていることを感じ取ってくれているのか、天使と悪魔の二人も今は出てこない。
それで、ひのたんのことを考えるにおいて、クイットの話は大きな手がかりになりそうだ。クイットの話をによると、彼は海底洞窟の奥にあった箱の中に入れられていたという。ラムザの先輩、ハーブさんと、もう一人、ルビーという女性がいるのだが、彼女二人が行った先で彼を発見したのだとか。
それと、今回ひのたんを火山に届ける依頼の報酬を支払ってくれる学者、ユウナリアさんにもきちんと関連性があった。というのもハーブさんたちが冒険した海底洞窟を探検する権利を彼女が持っていたんだ。元々ハーブさんたちが受けた仕事は海底に沈んだ、潜水艇の重要な部品を探してくる、というもので、その潜水艇こそ、ユウナリアさんが遠隔操作し、例の海底洞窟を発見したものだった。
そして何らかの事情により ―― この辺はクイットも詳しく知らないようだ ―― 海底洞窟をハーブさんたちが調査することになった。そこでユウナリアさんに許可を取り、海底洞窟に向かった、ということだ。許可を取るためにはまた条件があり、その条件をクリアするのにクイットは関わったという。
そこの手伝いでクイットが見たものはとても興味深いものだった。ただ、今回の依頼とは関係がないのでここは省こう。
それで、洞窟の中に入れば、アンデットがまとっているような邪悪な魔力が流れていた、と。奥に進めば進むほどその魔力は強くなり、中でリザードマンとよばれるトカゲのような姿をした種族が操られていて、彼らに襲われたりと、普通だとあり得ない状況になったという。しかも、彼らと戦った部屋の奥にあった扉は封印された後があり、その扉を開けた途端、魔力が外に流れ去ったという。でも、その扉を開けたおかげでリザードマン達の魔法は溶け、その扉の向こうでひのたんとも出会ったわけだ。けれど、一体どうしてこのようなことになっていたのか、など、沢山の謎が残っていて後味が悪い。そこでハーブさん達はリザードマン達に話を聞いたんだとか。
それで、彼らの話によると、赤い目をした怪しげな人物に魔法をかけられた、という。
そして、これをハーブさん達がユウナリアさんに伝え、話は街に広まり、話は僕らが冒険に出る前に繋がるわけだ。そう、赤目の男、ネアルの異変に。
しかし、ネアル本人が言うには誰かに勘違いされている、とのこと。つまり、リザードマン達の言う赤目の人物と、ネアルは別人だということのようだ。その勘違いされた相手というのが海底洞窟を訪れたらしい赤目の人物だ、とは言っていなかったものの、そうとしか考えられないだろう。学生時代にもあまり仲がよかったわけではないけれど、ネアルが悪いことをするようには思えない。
ただ、今回の事件がある。なぜ僕を攻撃するような態度を取ったのか。今はそれでネアルに対する信頼が揺らいでいるんだ。
リクはネアルについていって大丈夫だったのかな。この間の雨や雷、ラムザの明かりを消したこと、そして僕の体を動けなくしたこと。
どこまでがネアルの仕業なんだろう。そしてネアルは一体何を考えていたのだろう。なぜ僕の宝玉をが割れるのを笑いながら見ていたのだろう。
あの笑みが僕の信頼を揺るがせている元凶だ。
今僕の周囲は異常な状況になっている。
死の塔に上る話が出てきた辺りから僕の人生は狂い始めたんだ。塔に上ることによって僕以外の仲間は狂い、そして死んでしまった。どうにかシアグラードへと帰り、僕の傷が癒えたところにラムザのオーナー、ウィルスさんが現れた。そうして、ラムザにやってきてみれば、天使と悪魔に住みつかれたり、魔王が弟子になったり大変なことばかり。昔の友人もおかしな行動に走り出すという始末だ。
一体どうなっているんだろう。
もちろんラムザにいって楽しいことも沢山あった。天使や悪魔、魔王がいても苦しんだことは今のところない。
ただ、どれも悩もうと思えばいくらでも悩める厄介な代物だ。
(あんた、さっきから聞いてれば、またうじうじ言ってんな!)
不意に頭の中に声が響いた。天使、バリアの声だ。堪忍袋の尾が切れた、とでも言うような口振りをしている。
(あのねぇ、あんた迷惑ぶってるけど迷惑なのはこっち! 私達だって好きであんたの中にいるんじゃないんだからね!)
言われてみれば確かにそうだ。本来僕は彼女達を呼び出すべき人物じゃない。本当だったら、彼女たちを封じていた像の持ち主、ブレイズかキトンが彼女たちの主になるはずだった。しかし、ひょんなことから僕が像の仕掛けを解き、今のようなことに。
(ま、これも運命だろうけどさ。あんたの運がいいこともあって、私達も今のところ呑気にやってられるけど)
天使は少しクールダウンしたような声音で、もしあんたが運のいいやつじゃなかったら今頃死んでる、と付け加えた。
普段ならすぐ言い返すところだけど、どこか落ち込んでいるような声にも聞こえたから、僕は何も言わなかった。
(そりゃ、落ち込みもするわな。あんたらのせいで今キルア相当落ち込んでんだから)
え? キルアが?というか、あんた”ら”って?
(あんたらっていうのはあんたと赤いやつのこと! そのせいでキルアは本来の自分の姿を思い出しちゃってさ。しかも、あんたはうじうじばっかし言ってるし)
こっちも気が滅入るんだよね、とバリアは元気なさげに言う。
こんなバリアと違って、キルアは本当にいい心をしてるんだな。僕に気を使うところもあるようだし。
(まぁ、正確に言うと私の本来の心が大部分を占めたキルアの心だけど)
バリアが呟く。あぁ、そうか。
バリアはキルアを封印することで、性格が少し悪魔的にねじ曲がっている。それと同じようにバリア本来の性格もキルアに影響しているんだろう。
(とにかくさ、あんたが考えてどうにかなることじゃないでしょ。とりあえずもう少し情報が入るのを待ちなさいよ)
確かに、バリアの言う通りだ。
僕がいくらネアルのことや謎の赤目の人物のことを考えても仕方ない。考えて分かることじゃないんだ。いくら悩んでも、赤い目の人物が誰なのか分かることはないし、ネアルの心情だって分からない。
悩んだところで気が沈むだけだ。今は仕事のことを一番に考えよう。
(そうそう! そうじゃなくっちゃ! きっと明日になったらキルアも元気になってるよ。あんたもやることないならもう寝ちゃえば?)
ふと窓を見ると、真っ黒な空が見えた。雲が出ているのか星など光るものは見えない。だから、今がどれくらいの時間なのか分からないけれど、もう寝てもいい頃合いだろう。
マオ君たちはまだ部屋に帰ってこないけれど、もしかしたらブレイズのところで今日は寝るのかもしれない。
とにかく、深く考えないと決めた今はもう寝るほかにすることがなかった。
(そんじゃ、もう寝ることにするよ)
ここは素直にバリアの言うことに従っておこう。
一人でしばらく悶々としていたせいか、心なしか疲れている気がした。
(おし、そんじゃおやすみ)
満足げな声を残し、バリアの気配が遠ざかる。
僕は布団の中に入り、ベッド脇のスイッチを押した。部屋の電気が落ち、緩やかな揺れと、心地のいい波の音が伝わってくる。
僕はすっかり安心し、すぐに眠りに落ちた。
:
まだ眠っていくらも経っていない気がする。
僕は誰かの手に揺すぶられていた。まだ眠いのでその手を払いのけようとしたけれど、僕がいくら僕を揺する手を払おうとしても、何も手応えがなかった。
直接頭の中に響くような声が、起きてください! と響く。
いくら腕を振っても何も手応えがないことにイラつきながら、僕の意識はだんだんと現実へ戻ってきた。
なんだか辺りが騒がしい。天井の方からなぜかドタドタと何かが走り回るような音が聞こえてくる。それに混ざって怒号や悲鳴までもが聞こえ始め、僕はあまりの騒がしさに飛び起きた。
「あー! もう、うるさい!」
僕が叫ぶと、腹の辺りから赤く光る何かが浮かび上がってきた。目を凝らすと、マオ君だ。
僕は何度か目を瞬き、ようやく今自分が船の上にいることを思い出す。
とにかく僕はベッド脇を探って、部屋の明かりを入れた。
「師匠! 大変ですよ! 外がえらいことになってます!」
相変わらず頭に直に響くような声で、マオ君が言う。
見渡せば、ベッド脇にはひのたんの姿も。
「何やってるんだよ! 早く加勢に行けよ!!」
甲高い声で彼が言い、マオ君も頷くように上下に揺れた。
僕がいる部屋は甲板より2層下の部分で、外の音はあまり聞こえてこないけれど、沢山の足音や、聞こえてくる声から尋常ではないことが伺える。だんだん僕の部屋の周りも騒がしくなり始めた。
「クイットやブレイズたちは?」
僕は急いでベッドから立ち上がり、アーマーを装着しながら聞いた。
船の上は安全だろうと思いこんでいたから鎧なんかはすべて外していたんだ。
「クイットさんのことは分かりませんけど、ブレイズさんとキトンさんはもう甲板に出てます!」
マオ君がせっぱ詰まったように言った。
そういえば物語なんかじゃよくあるじゃないか。主人公一味が船に乗って旅をしていると、モンスターに襲われるなんてことが。窓の外を見ると、タコの足が巻き付いている、とか! 不意に視界の端に動くものが見えた気がして、窓の方を見た。
「わぁああぁ! 外、外!」
僕が指さすと、ひのたんが悲鳴を上げた。
「わぎゃあぁあぁ!! 何あれ!」
外を見ると案の定大きなタコがいたのだ! しかし、見えたのは足ではなく、目! 瞳孔が横に伸びる独特の目が僕を睨む。巨大すぎて顔の全貌は見えなかったけれど、片目と、頭の上の方の部分が少し見えた。その頭の部分には、何やら青白い光を発する何かが見えた。まさかあれは脳? あんなものが透けて見えるなんて! しかも光っているとは!
僕とひのたんがそれを見てほぼ放心状態にあるのに対し、マオ君だけは一人変わらなかった。
「師匠! こうしちゃいらんねぇよ! 俺先行ってる!」
敬語を使うのをすっかり忘れ、勢いよく部屋から出ていった。 途端近くで悲鳴が上がるのが聞こえる。たぶんマオ君の見た目に驚いた声だろう。モンスターに間違えられて攻撃されなきゃいいけど。
「おい! 早く準備するんだ! のんびりしてると船が沈んじゃうぞ! 帰れなくなるぞ!」
ひのたんが我に返り、僕をせかす。
「あぁ、そうだ!」
僕は止まっていた手を忙しく動かし、鎧を着て、プレートをつける。そして、片手に壁に立てかけておいた剣を掴んで、部屋を出た。後ろにひのたんがついてくる。
部屋を出た先には船員らしき、白い制服を着た男たちが去っていくのが見えた。乗客の姿はあまり見えない。冒険者らしき、武器を持った背中が階段の方へ走っていくのが見えただけだ。たぶん戦えないものは部屋に避難し、船員たちは乗客の様子を見たり、状況を知らせたりして回っているのだろう。
僕はひのたんの方を振り返る。
「ねぇ、たぶんだけど、君は戦えないだろ?」
ほとんど気体のような体をしている彼だ、魔法でも使えない限り、全く持って戦闘には使えない生き物である。ただ、彼にもできることがあるのだ。
「え、う、まぁ、この姿だと、戦えないよ」
言い辛そうに彼は言う。やはり魔法すら使えないようだ。何も道具を持てないのだし、特徴もあまりないから、戦えないのは見た目からしてほとんど分かりきったことだった。
「それじゃ、クイットの部屋の様子を見てきてくれないか。マオ君もクイットはどうしてるか知らなかったし」
僕が言うと、ひのたんははっとした顔をして頷いた。
「おぅ、わかった! クイットの様子を見に行った後も、僕はこの辺を回って、戦える人を集める手伝いをする!」
相変わらず子供っぽい、舌っ足らずな口調で彼は言うと、ぴゅーっと飛んで行った。目指すはクイットの部屋へ、だ。
そして僕は外へ出るべく、階段の方へ向かった。
:
外に近くなればなるほど辺りは騒がしくなっていった。剣などの金属製の武器がぶつかる音、人のかけ声、悲鳴、罵声、モンスターのものらしき身の毛もよだつような叫び声、船の軋む音、足音。
甲板のすぐ下の、客室の並ぶ一帯は、逃げ惑う人々が多く、大混乱だった。僕の横を怪我した冒険者達が通り過ぎていく。彼らは全員僕を見て、がんばってくれ、とか、敵は多いぞ、とか一声かけてくれた。みんな自分の力で歩いており、命には別状のない怪我みたいだったけど、押さえた患部は血で塗れていた。
僕は急に焦りを感じて、走るスピードを上げた。階段を駆け上り、一番最後、甲板に上がる短い階段の前で呼吸を整える。
剣を使ってちゃんとモンスターと戦うのは死の塔以来だ。ラムザに入ってからはろくなモンスターと戦う機会もなかったし、魔法ばかり使った。時間があるときに何度か、剣の練習をしたからなまってはいないと思いたい。
どんどん早くなる鼓動。僕は胸を押さえ、一度深呼吸すると、階段を駆け上った。
「うわ」
ぼくはただそう一言だけ呟いた。
甲板は戦場のような有様だった。実際に戦場を見たことはないのだけれど、きっとこんな状態に違いない。あたりにいいろんな血液らしき液体が散らばり、至る所で、声があがる。いろいろな死骸もそこかしこに散らばっていた。
人らしき死骸はないことに少し安堵しつつも、早速、僕の目の前に水音をたてて、大きなヒトデのようなモンスターが落ちてくる。
モンスターが降ってきた上を見て、僕は驚愕した。暗い空にコウモリのような羽が生えた、人型に近い形をしたものが空を飛んでいるのだ。しかし、それらがたてる笑い声のような鳴き声は明らかに人間のものではない。見た目も声も悪魔のようだ。
あんなモンスター見たことがない。少なくとも海に生息しているモンスターではないはずだ。しかし、あまりその悪魔について考察している時間はなかった。僕の目の前にはヒトデ型の魔物がいるのだ。
僕は剣を抜き、鞘を階段の下に放り投げた。一瞬、階段の下に誰かいたらどうしようかと考えたけど、聞こえてきたのは固い地面に物がぶつかる音。下には誰もいなかったようだ。
僕は短く息をつき、ヒトデへと切りかかった。僕は海のモンスターにはあまり詳しくない。というのも、海でモンスターに襲われることはあまりないからだ。
乗った船が大きければ大きいほど、海でモンスターに襲われる可能性は低くなる。今回は大きな船だったから、襲われる心配はないと、高をくくっていた。今までも乗り物に乗っていて、モンスターに襲われるなんてことはなかったし。
「とりゃあっ!」
かけ声一発、剣でなぎ払うと、ヒトデはさっくりと横に切れた。途端、赤ではない色をした液体が噴き出す。これが奴らの血なのだろうか。できるだけ服が汚れないよう死骸と化したヒトデから距離をとる。
剣は、いつもちゃんと手入れをしていたからか、切れ味は良好なようだ。
僕の剣は特別製で、普通の金属製の剣より、切れ味がいい。特殊な魔法で、加工してあるんだ。
それにしても、今相手にしたヒトデのようなモンスターと戦うなんて、毛ほども考えたことがなかった。大体、奴らの体では、甲板に上ってくることができないだろうし。
というのも、そのモンスターの体は、片面はただのヒトデと同じような作りなのだが、もう片方の面は、棘がびっしりと生えているという、大変気持ちの悪い見た目をしている。その棘は、牙なのだろうか、所々何かの肉のようなものがついていた。赤い血までついている。もしかして、あいつらは人も食べるのかも。
改めて、辺りの様子を見回し、僕は焦った。少し離れた所で、爆発音が聞こえたのだ。これは味方の攻撃か、それとも? 分からないけれど、風がおかしい。 暖かい風が吹いたかと思えば、冷えた風や、湿った風が吹いてきたりする。
これは魔法を使ったときに、よく見られる現象だ。火の魔法や、水の魔法など、攻撃する魔法を使うと、よく風が起こる。近くで、沢山魔法を使っている人がいるらしい。
よく耳をこらせば、比較的近いところで剣を使って戦っている人の音と混ざって、低い地響きのような音や、小さな爆発音なんかが聞こえてくる。
さて、僕はどこに加勢に行こうか。
僕から見える場所にいる人々は、まだ余裕のある動きをしているように見えた。ここは、船の内部への出入り口が近いから、たぶん、まだ出てきたばかりの、余裕のある人たちが、ここで戦っているんだろう。加勢に行くなら、内部に入る階段から遠い場所だ。それに、マオ君によれば、ブレイズが戦っているというじゃないか、早いところ彼と合流しよう。
僕がそう考えたときだった。
「おい、そこの! 何ぼーっとしてるんだ! こっちに怪我人がいるぞ!」
不意に背後から声がした。
振り返ると、僕が出てきた階段の屋根の根本の陰で、こちらに手を振る人の姿が見えた。薄暗くて、よく見えないけれど、そこに誰かいるのだろう。
それにしても、この暗さはどうにかならないだろうか。僕は走りながら光球を作り、近くに浮かべる。
これで少し見やすくなった、と思いきや!
「おい、明かりはつけない方がいい! ほら、きたぞ!!」
さっき、僕を呼んだのと同じ声がしたと思うと、僕の目の前に、例の悪魔のようなモンスターが舞い降りてきた。奴は、手に汚いナイフを握っている。
「わあっ!!」
僕は驚いて思いきり声を上げ、反射的に剣を振った。すると、偶然悪魔の持っていたナイフに刃が当たり、相手の武器を弾き飛ばすことに成功。
「おっ! おまえなかなかやるな!」
またさっきの声が聞こえる。僕はその声に勇気をもらい、魔物をしっかりと見据えた。
魔物は、軽い放心状態にあるようで、さっきまでナイフを握っていた手を見ている。僕はその隙に相手の様子を見極め、一閃!
驚くほどすっぱりと悪魔の体は切り取られ、僕の足下に悪魔の頭がぼとりと落ちた。頭のない首から液体が噴き出す。
僕はあまりにも凄惨な光景に目を瞑り、悪魔の体の横を走り抜けた。後ろでばたり、と体が倒れる音がする。
いくら相手が、こちらに攻撃してくるモンスターとはいえ、殺してしまうのはいつも気が引ける。
「魔法使いの割にやるな、おまえ! 早くこっちに来い!」
少し上から目線な、例の声のする方へ駆け寄ると、そこには、全身を黒っぽい布で覆われた不気味な人物と、それとは対照的に、腰蓑くらいしか身につけていない青年がいた。そこは屋根があり、陰になっているし、近くに屋根を支える壁もあり、敵に見つかりにくい。
ほとんど裸の、野生児のような格好をした青年が、さっきから僕に声をかけていたのだ。彼は僕より少し年上だろうか、笑っているような細い目が特徴的だ。
「こいつさ、怪我してるみたいなんだ。どうしてもローブを脱ごうとしないから、なかなか治療ができなくてさ」
青年は、片手に怪しげな液体の入った瓶を、揺らしながら言う。もしかして、それは傷薬なのだろうか。
僕はそんな事を思いながら、青年のすぐ隣に横たわる人物をじっくりと見た。
その人は、黒い布に包まれているように見えたが、よく見るとそれは、マントとローブのようだ。どちらも闇色で、薄暗い中では区切りがよく分からない。
僕は消えずに残っていた光球を、その人物の近くに引き寄せた。その人は、苦しそうに息をしている。けれど、どこが痛いのかわからない。普通だったら、傷口を手で押さえたりしていて分かるのだけれど、布で手元が覆われ、どこが患部かはっきりしなかった。
「俺、回復魔法は使えないんだ。だから、こいつのこと、任せたぜ。俺はこれからまた戦ってくるから」
青年は装飾品がじゃらじゃらとついた頭と腕を振り降り立ち上がった。
そして、瓶を腰蓑の隙間に押し込み、ボサボサの金髪を風になびかせて、指をぽきぽきと鳴らしながら去っていく。
そういえば、彼、ろくな武器も防具も持っていなかったけど、どうやって戦うんだろう。僕は、彼の様子を見ていたかったけれど、今はとにかく、怪我人を治療しなければ。
僕は少しなら傷を治したり、痛みを和らげる魔法を使えるんだ。あまりレベルの高いものは無理だけど。
「あの、どこが痛いんですか? 言ってくれたらそこを中心に魔法をかけますけど」
僕は試しにそう声をかけた。しかし、その人物は変わらず苦しそうに息をするだけで何も返してはくれない。
話せないほど苦しいのだろうか。それとも、喉をやられたのか。もしかして、話せない事情があるのか。
こんな黒ずくめで、全身を隠すような格好をしているのだから、何か事情があるのだろう。僕は多くを聞かないことにした。
けれど、これでは、魔法の効果が期待できない。
僕の使える魔法は一点に集中するのも、広い範囲で効果を発揮するのも両方ともあるけど、範囲ものは効果が下がるし、一点ものは患部に当たらなければ全く意味がない。僕がどうしようかと思案しているときだった。
バリアの気配がする。
(ケイ! あんたが見た情報を分析してみたけど、これは希に見る大事件だわ!)
(だ、大事件だぁ?!)
なんてことだ。やっぱりどう見ても普通じゃないとは思ったけど、希にみる大事件とはかなり大変じゃないか!
(とにかく、今はそこの人を助けるのが先ね。あなた感じる? 理由は分からないけど、ここ今魔力の密度がすごく高い)
バリアがそう言うので、少し神経を集中してみる。確かにあっと言う間に魔力を溜めることができた。
そういえば、さっきも光球を瞬く間に作り出すことができたっけ。あの時はせっぱ詰まってたから、魔力についてはほとんど意識してなかったな。
(あんた、今まで回復魔法も呪文なしで使ってたんでしょ? あたしがいい呪文教えてあげるから、それ使いなさい、天使直伝よ!)
彼女が言い、僕は今まで呪文を使った魔法を、全く勉強してこなかったことを、少し恥ずかしく思いながらも頷いた。
(とりあえず、そこの人に手を翳して、私が言う通りに、呪文を唱えなさい)
僕はこくりと頷き、神経を集中する。
(あら? 彼女人間じゃない)
不意にバリアが言った。僕は驚いて思わず手を引っ込める。
(あぁ、モンスターと人間の中間くらいの生き物ね。彼女は、きっとあたし達の味方だよ。まぁ、たぶん使う言語が違うだろうから、会話はできないだろうけど)
バリアは、これだと少し呪文を変えた方がいいかもね、と呟いた。
(結局、僕はどうすれば?)
(あぁ、あんたはあたしの指示に従ってくれればいい。手を翳して、私の言う呪文を復唱!)
どうして僕の前に横たわる人が、人間じゃないと分かったのかは、よく分からないけれど、今は彼女の指示通りに動こう。
彼女は、呪文を途切れ途切れに唱え始める。僕はそれを聞き、ゆっくり間違えないよう復唱した。
「イゴフコルエ ウヨスネツコリフタキンル カゼチウトフテニロジリマネワアイス。」
相変わらず、この呪文だけだとどんなことを言っているのか、さっぱり分からない。けれど、僕が翳した手には、明らかな変化が起こっていた。魔法を唱え始めた時から、僕の手の平に光が生まれたのだ。
僕は今まで自分で魔力を溜めて、それを傷を治す力へ変える、という、時間のかかるやり方をしていたのだけど、呪文を唱える事で僕の魔力は、あっと言う間に傷を癒す力へと変貌した。
さらに、今までの魔法であれば、手の平サイズの光を生み出して、それを傷口にあてがうくらいしかできなかったのに、今は光が輪のように広がって、横たわる人物の全身を包んでいる。
僕がすごい! と声を上げようとしたけれど、バリアの声がそれを遮った。まだ魔法の詠唱は続いていたんだ。
傷ついた人物の呼吸は、もう穏やかになり、すっかり魔法は完成されたと思ったのだけれど。
僕はもう一度、バリアについて復唱する。
「ハキラヤ ツコリアビヲロサ ヌカチアヌ スウノレコガン」
僕がここまで唱え終わった途端、瞬時に、僕の中に呪文を翻訳したと思われる文が、脳裏に浮かんだ。
(我が光よ 癒しの力へと変わり 傷ついた、人ならざるものを癒せ 光よ 力奪われし肉体に 聖なる加護を)
そうだ、今まで呪文を聞いたり、唱える度、僕の頭にはそれを翻訳したものが現れたっけ。これは一体何なんだろう? バリアが何も言わないところからすると、呪文を使う者にとって、これは普通の事なのかな。
けれど、僕が深く考える前に、僕の発していた光に変化が起こった。今までは、ただ白っぽい光だったのだけど、徐々に黄色味がかかり、輪のようだった光の形は徐々に、謎の人物の体を包むような形に変わった。そして、いつしか僕の手から光は放れ、相手の体を包む。だんだんと体を包むようにしていた光は萎んでいった。金に輝く光が、人物の影を形作った後、光は薄れて消える。
(バリア、すごいじゃないか! さすが天使!!)
僕はすっかり、魔法の光に魅了されてしまった。強力な魔法だったのか、少し疲れた気がするけど、辺りに魔力が満ちているためか、思ったより疲労感は少ない。
それにしても、いつもうるさくて、不満の多いバリアだけど、今度ばかりは大いに見直した。
(あぁら、あんたちょっと口がすぎるけど、感謝してるんならそれでいいや! そうとなれば、あたしもがんがん手伝う!)
今度はとても頼りになることを言い出した。さっきの魔法は、使った者も元気にさせるのか、と思えるくらいだ。
さて、そんなことより、例の人はというと。まぁ、バリアが言うにはその人物は、人じゃないらしいけど、彼女の方にも動きがあった。
彼女がもぞり、と動いたのだ。全身が黒いので、少し不気味だが、荒い息がすっかり聞こえなくなったところを見ると、だいぶ元気になった様子。
そして、突然その人は、勢いよく起きあがった。長いローブや、マントの裾が落ち、フードをかぶった顔からは、口元だけが見えた。その顔の部分だけ見ると、人にしか見えない。人の顔をした生き物なのか。
腰を丸めて、縮こまるような格好をしたその生き物は、僅かに頭を下げた後、よたよたと歩いた。そして、屋根の陰から出ていく。どこに行く気だろう。船室に戻ろうとしているのか。
僕が何をしようとしているのか見ようと、その後に続こうとした時、今、腕に抱えたヒトデモンスターを落としたばかりの悪魔が、彼女を捉えた。そいつは、長い爪と牙を煌めかせ、彼女の方へ方向転換。
(うわ、やば!)というバリアの声、僕は危ない! と叫ぼうとした、がその前に。
「キイイィイィイイィアアァアアァア!!」
耳をつんざくような叫び声が辺りに響いた。何というか、森の中でチュンチュン鳴いているような鳥が、何百と集まって思い切り叫んだような。要するに、その甲高い声は、どこか、鳥の鳴き声に似ていたんだ。
そして、その声を発したのは、今僕が助けたばかりの生き物であり、その声で一瞬辺りの物音がやんだ。空を飛んでいた悪魔、甲板で戦っている冒険者、そして、彼らが相手にしているモンスター、みんな固まった。
ぼんやりしているところへ、またさっきの鳴き声が聞こえてくる。ただ、今回の叫び声は、僕の前にいる生き物からじゃない、別のところから聞こえた。
そして、僕が辺りを見回す間もなく、僕の目の前の彼女に変化が起きた。彼女が腕を大きく広げたのだ。いや、それは腕じゃない。本来腕が生えているはずの場所に、巨大な羽が生えている。
僕は、こんなモンスターを知っていた。
「ハーピー?」
それは、冒険小説なんかで見かける、かなり有名な生き物だ。でも、それは人魚なんかと同じで、空想上の生き物とされていたと思う。でも、実際にいたんだ。
なぜ、この船に乗っているのかは分からないけれど、ハーピーが目の前に現れ、そして、一緒に戦ってくれるとなると、僕はなんだかとても誇らしいような気持ちになった。まさか、想像上でしか存在しなかったはずの生き物を、実際に見ることができるなんて。ドラゴンを見るよりも、この方がずっと嬉しいんじゃないかな。
感動する僕をよそに、ハーピーは大きく羽ばたいた。強い風が僕をなぶる。僕は顔をかばいながらも、ハーピーの様子を見た。
物語と同じく、赤やオレンジ黄色や緑など、煌びやかな色をした羽をしている。暗い中、僅かにある光源に照らされたその羽は、とても美しかった。ハーピーは空に舞い上がり、マントがひらめく。僅かに覗いた足は、鳥のそのもの形をしていた。
(ホントあんたって、びっくりするほど運のいいやつね)
半ば呆れたようなバリアの声がした。
ちなみに、辺りではほかにも羽音がし、人々の歓声が上がった。ハーピーは他にも何人、いや、何体、と数えるのだろうか。ともかく、他に沢山いたようだ。
頭上には、悪魔ではない別の者、ハーピーが飛び回り、空中から敵を攻撃している。僕は、そんなハーピーの姿に見惚れそうになった。
しかし、僕はハーピーが飛んでいる場所よりも、もっと高い位置に視線がいった。そこには、大量の黒い点が見える。そして、点が現れる先、そこには暗くて見えにくい、けれど、一度見たら忘れられない光景があった。
「空に・・・・・・穴が!!」
そう、空にぽっかりと穴が開いている。そこから黒い点が大量に吐き出されているのだ。
たぶん、あの点こそが、悪魔を排出しているもの、この騒動の現況だろう。あの穴を塞がない限り、戦いはずっと続くことになる。
しかし、だとしてもどうすればいいんだ?
(あ、あんなもの見たことない! どうなってるの?!)
珍しく、バリアがかなり焦った声を出す。
魔王を見ても、こんなに切羽詰まった声は出さなかったのに。
(ケイ、あんた本当に運がいいのか悪いのか)
バリアが、どこか哀れみを含んだような声音で言う。ちなみに、僕としては運が悪いように思われて仕方ない。
にしても、僕は不思議と落ち着いている。もしかしたら、どうにもならない状況に、何度となく直面してしまったため、今回ばかりは、もう諦めているのかもしれない。
でも、なぜ空に穴が開くんだろう。誰かが開けたのだろうか?
僕はそんなことを考えた。しかし、考える前に、今はどうにか戦わなければ、船が沈んでしまう。このままでは、船に乗っている人全員が、海の藻屑と化してしまうではないか。このままではいかん! 僕もどうにか戦わなければ。諦めちゃいけない、というのは、冒険者学校の学生時代、ひたすら言われたことじゃないか。
(・・・・・・ケイ)
不意に声がした。
「キルア?!」
何の気配もしなかったけれど、今の声はキルアのものだ。僕がようやくうじうじせずに、前向きに考え方を変えたからか、ようやく出てきてくれた。
普段であれば、僕がいきなり声を上げれば、訝しそうに見てくる人が大抵いるが、今はいない。
丁度僕は、空のモンスターから見えない場所にいるようだ。だから、モンスターがやってこないので、周りに冒険者の姿もない。
(キルア、よく出てきてくれたね)
僕はなんと話しかければいいか迷いつつ、そう話しかけた。しかし、返ってきた返事に元気はない。
(うん・・・・・・。あの、ちょっといい?)
(どうした?)
(あのさ、私をあの穴の所へ行かせてほしい。いや、私をこの場に出してくれるだけでいいから)
どうして? 僕はそう聞いたのだけれど、キルアは答えなかった。
(悪魔・・・・・・)
ぼそりとバリアが呟く。
悪魔? そういえば空を飛んでいる悪魔のような生き物、あれは本当に悪魔なのだろうか。奴らの見た目は、想像上の悪魔そのものだけど。
そして、バリアの言うように、キルアも悪魔。あいつらと、何か関連があるのかな。
(とにかく、キルアに任せてみようじゃないの。今の魔力の状態なら、あたし達二人をここに呼び出すことができるはず)
バリアが言う。確かに、さっきから僕の体はどんどんと魔力を溜め込んでいっている気がする。
ちなみに、魔力というのは、世界のほとんどの場所に多かれ少なかれある。そして、辺りの魔力が多ければ多いほど、体に吸収し易くなって、魔法を沢山使っても、疲れにくくなるんだ。だから、辺りの魔力の密度が濃い時は、普段はなかなか使えないような強力な魔法も使うことができる、というわけだ。
(前にも説明したと思うけどさ、私達には体がちゃんとあんのよ。あんたが私達の体を呼び出してくれれば、しばらくの間はちゃんとその場に、実体のある本来の体を持った状態でいられんの)
バリアはそう前置きし、自分達を呼び出す呪文を教えるから、メモするように、と言った。
今後、バリアたちと話ができない状態で、尚且つバリア達を呼び出す必要があるかもしれないから、と。
しかし、今、僕はメモ帳を持っていない。
(あぁ、仕方ないなぁ、もう。それじゃ口で言うから早く唱えなさい)
そう言うと、返事も待たずに、早速バリアは呪文を言い始める。
(天使バリアに封印されし悪魔、キルアの・・・・・・)
(え、ちょっと待って! これ、呪文・・・・・・だよね?)
バリアが言い始めたのは、今までの呪文と全く違う。普通の言葉と同じじゃないか。呪文というからには今までのように、全く意味の分からない言葉が出てくるのだとばかり思っていた。
(あのね、これは魔力に対して唱える呪文じゃないの。だから、この言葉でいいの)
そう言って、僕が質問する隙を与えず、バリアはもう一度呪文を言い始める。 僕としては、魔力に対して言う言葉じゃないのなら、誰に対して言うのか聞きたかったのだけれど、言葉を挟む隙はなかった。というか、あまりのんびりしている場合ではない、と後から思い直したのだ。
キルアが待っている。それに、早くこの争いを収めるべく、キルアに行ってもらわなければ。僕はそう思い、バリアの言う文句を唱える。
「天使バリアに封印されし悪魔、キルアの身体を今この地へ。遙か彼方、空の国より導く蝙蝠よ、かの肉体を、今ここへ魂と結びつけん。レミアリオード!」
僕はそう唱えたが、反応はすぐには現れなかった。その間に、僕はバリアに、レミアリオードというのは何か聞いてみたのだけれど、それは本来、バリア達の住む世界で、目上の人にものを頼む時に使う言葉らしい。きっと、この他にもいろいろと独特の言葉があるのだろう。
そうして、僕とバリアがそんな話をしている時だった。
(来た・・・・・・)
どこか思い詰めたようで、元気のない声でキルアが呟いた。いつもの調子でベラベラと喋っていたバリアが押し黙る。
頭上を見ると、そこには大量のコウモリが飛んでくるのが見えた。キィキィという独特の鳴き声を発しながら、黒い羽がバサバサと大量に飛んでくる。
いや、目の前に来たそれらをよく見ると、鳴き声はしているものの、そいつらに身体はない。飛んでいるそれは、羽だけしかないのだ。
僕はぞっとした。空飛ぶ悪魔達も、驚いて場所を空けているのが見える。
しかし、この羽達が飛んで来たせいで、僕がここにいることがばれた、早く動かなければ。コウモリは、ハーピー達の邪魔もしているようだし。
(ケイ! うだうだ考えずに集中して! コウモリに向けて、両手を差し出すの!)
バリアが切羽詰まったように言い、僕は言われた通りに動く。
(それで、両手に魔力を込めるんだ!)
今度も言われた通り、僕は手に力を集中させる。だんだんと体が熱くなって、手に熱が生まれる。僕の両手には白い魔力の固まりができあがり、それにコウモリが一斉に群がった。僕は思わず、手を引っ込めそうになったが、そこへキルアの(ひるまないで!)という言葉が響いた。どうにか堪え、僕は手をコウモリへ差し出す。
すると、だんだんとキルアの気配が薄れていった。そして、それと同時にコウモリが、僕の両手の先で溶けていくのが見えた。
(だ、大丈夫? これ!)
(大丈夫よ! とにかく、あんたは魔力を出すことに集中しなさい)
バリアが怒鳴るような口調で言い、僕は話しかけるのをやめる。とにかく、集中するんだ。
だんだんと身体の熱も上がり、魔力も大きくなった。コウモリが群がっているせいで、真っ黒の両手。空を飛ぶモンスターは僕が見えていても、僕の異様な行動に近づけずにいるようだった。
こうして、ある程度大きくなった黒い固まりは、だんだんと膨れ上がり、人の形を形作った。そして、闇が弾ける。
「うわ!!」
僕は思わず目を瞑り、顔を腕で覆った。しかし、すぐに何が起こったのか気になり、腕をどける。
目を開けてみると、僕の目の前には、黒いマントを羽織ったキルアの姿があった。
「本当の姿で会うのは初めてだね、ケイ」
キルアは少し寂しげな表情ではあるけれど、微笑んだ。これが悪魔の表情か、と僕は毎度のことながら思う。
そして、彼女は片手を差し出した。何だろうとその手を見下ろすと、頭の中でバリアの声が。
(握手よ、握手! 私達が本来の身体でこの世界に立つことはまずないんだから、記念に握手くらいしときなさい)
さっきと同じ、怒ったような声音で言われ、僕は反射的に腕を差し出した。それを見て、キルアは少し嬉しそうな顔をし、僕は彼女と握手を交わす。キルアは僕の手を両手で包み込んだ。キルアの手は、思いの外温かかった。
しかし、なぜ僕はこんな所で、悪魔と握手をしているのだろう、なんていう気に少しなる。
「それじゃ、私行かなくちゃ」
でも、キルアの手を握っていられたのも、ほんの数秒だった。彼女はすぐに手を離し、僕に背を向ける。そうだ、あまり時間を食っている場合じゃない。僕も僕で、加勢に行かなくてはいけないんだ。
あ! それにすっかり忘れていたけど、僕は船室でタコの顔を見た。あの大きなタコも、この船を襲おうとしているに違いない。僕も早く動かなくては。
「無茶はしないでね」
僕はやはり、なんと話しかければいいのか分からなかったけれど、とりあえずそう言った。キルアは僕に背を向けたまま、こくりと頷くと、キルアの羽織っているマントに変化が起きた。マントが両端を持ち上げられるようにして不自然に浮き上がり、真ん中が裂けたのだ! そうな風に見えた次の瞬間には、マントはコウモリの物に似た羽に変わり、バサバサと大きく羽ばたいた。
身の丈ほどもある巨大な翼は、猛烈な風を起こし、キルアの身体はふわりと舞い上がる。そして、少し宙に留まったところで、再び羽ばたき、あっと言う間に飛び去ってしまった。悪魔がまた驚いて道を開ける。
そして、しばし宙に浮かぶようにして飛んでいた悪魔数匹が、僕を見た。
「わ、やば!」
僕が思わず固まってしまった時。
「ケイ!」
背後から声が。驚いて振り返ると、そこには緑の長い髪を振り乱し、すごい勢いで走ってくるクイットの姿があった。
「クイット!」
彼女はあっと言う間に僕に走り寄り、がっしりと腕を掴んだ。しかし、そのとき僕のすぐそばまで、悪魔が迫ってきていたのだ! 全部で3匹の悪魔達はそれぞれ、鋭い爪を持っていたり、剣や槍を手に持っている。
僕はクイットを守らねば、と思い、剣を構えたのだが、僕よりクイットの方が行動が早かった。
僕が切りかかる先に、クイットが叫ぶ。「ディストラクト!」と。
僕は驚いて動きを止めたが、クイットが言った言葉が何なのか分からない。
そんな僕が見つめる先、悪魔の向かう場所に、クイットの手が差し出され、そこに小さな光の玉が生まれる。それは、あっと言う間に小さな人のような形を作り上げ、その人型の光は、更に強力な光を発した。思わず目が眩む。
しかし、そんな僕のことはお構いなしに、クイットが僕の腕を掴んだまま走りだした。僕は足を少しもつらせながらも、何とかクイットに続く。
そして、そんな僕らの背後では悪魔たちの叫び声があがった。明らかに苦しそうな声だ。
「あいつら光に弱いみたいなんだ!」
走りながらクイットが言う。そのクイットに追いつき、横に並んだのが、小さな人。それはきっと、さっきクイットが呼び出したものだろう。
クイットは僕が出てきた階段の前を通り、僕がさっきまでいた階段を四角く覆う壁の、反対側へ回った。そこには、壁に梯子がかけられており、屋根に上れるようになっている。
「とりあえず、こっち!」とクイットは先に梯子を上り始めた。
僕らを見つけて、襲いかかってくる悪魔達には小さな人 ―― きっと精霊だろう ―― が、光を放って追い払う。
僕は、クイットの後について梯子を登り、屋根に上がった。屋根の上は意外と広く、人が数人上っても大丈夫そうだった。悪魔からは丸見えだが、甲板の上で暴れている海のモンスターたちはここまで上ってこれない。寄ってくる悪魔達は、クイットの呼び出した精霊がやっつけているので、しばらくは安全だろう。
「彼女、ディストラクトっていうんだ。通称ディス。光の精霊だよ」
例の小さな人をクイットが紹介し、僕らの上を飛ぶ、ディスことディストラクトは、片手を振った。
「今さっきまで私、ひのたんと一緒に、戦える人を捜してたんだけど、ケイのことが気になってさ。途中光が苦手なモンスターが多いって聞いたから、私も協力できるかと思って来たんだ」
なるほど、僕は頷き返し、クイットの話を聞きながらも、辺りの状況を見た。明らかに僕が出てきた時よりも、戦況は悪化している。冒険者、戦っている人達に疲労が出てきているんだ。最初見た戦いっぷりからして、相手はあまり強くはないようだけれど、何せ数が多い。疲れたところに攻撃されて、怪我をしている人が多いように見えた。
残念ながらブレイズやキトン、マオ君の姿は見えなかったけれど、きっとみんなどこかで戦っているのだろう。僕は船首側の方しか見なかったし、帆などが邪魔して遠くまでは見渡せないので、船全体の様子を把握することはで着なかった。
ともかく、どこか加勢に入った方が良さそうだ。しかし、屋根の下には、僕らを見つけたヒトデやクラゲ型をした水棲モンスター達がうようよいる。なかなか屋根から降りづらい状況だ。ここから援護した方がいいだろうか。
(あんた! 攻撃することよりもまず、他の人の治療を優先させなさいよ!)
不意にバリアの気配がしたかと思うと、そんな怒鳴り声が頭の中に響いた。口調はともかく、バリアが珍しく天使らしい発言をする。
(でも、治療って言ったって、僕はキルアを呼びだしたので相当消耗してるんじゃ・・・・・・)
さっきと同じく、あまり疲れた、という感じはしないけれど、なんだか眠い。もしかしたら、これは身体がだいぶ疲労しているサインなのでは?
(あのね、眠いのはただ単に今が夜中だからよ!! あんたが思っている以上に、今ここの魔力は濃いの。減る気配が見えない、むしろどんどん濃くなっていってる)
言われてみると確かにそうかもしれない。なんだかさっきより、爆発音やらいろんな魔法を使う音が増えた気がする。
ただ、天使はともかくとして、人というのはあまり周囲の魔力に気を配らないんだ。まぁ、魔法使いなら気にするかもしれないけどさ。
(あんただって一応魔法使いの端くれでしょ!)
(う、確かに)
アーマーを着て、剣をぶら下げていたとしても、魔法が使えれば立派な魔法使いだ。僕がただ単に鈍感なだけか。
「ケイ! さっきから何ぼーっとしてるの? 何か考えごと?!」
不意にクイットの声が背後からした。僕は、屋根の上から下の様子を見る形でずっと固まっていたのだ。
僕は急に話しかけられた事に驚いて、弾かれたように振り返った。しまった、なんて答えよう?
僕は何度かクイットの声が聞こえなかったみたいで、僕はクイットを無視したような状態。案の定、彼女はムッとした表情をしている。とにかく、どうにか弁明しなければ!
「どう行動するのが一番いいのか、考えていたんだ。もう少しで答えが出るから、しばらく待ってくれ」と、僕はぺらぺらと喋る。よくもまぁ、こんなことをすらすらと言えたものだ。
ただ、この言葉は嘘ではない。だいぶ正当化してる気はするけど。
「あぁ、そう。それじゃ私は一人でこいつらと戦っておきます!」
「一人じゃないよ、私もだよー!」
クイットの思いきり不機嫌な声と、彼女の精霊の声が重なった。僕は少し身を縮め、視線を甲板へと戻した。
とにかく、あまり時間はない。しかし、戦っている人たちの怪我を治すには、どうすればいいのだろう。
(怪我を治すついでに、志気も上げられればいいよねぇ)
なんて事を言っているバリアはこの際無視だ。
遠距離にかける回復魔法か。どうにかやってみる他ないかな・・・・・・。
(でぇい! あんたはなぜあたしに気づかない!)
いきなりバリアが意味不明な発言をする。気づかない? そんなわけはないだろう、さっきから思い切り邪魔をしてくれている、気づきたくなくとも存在がわかる。
(あのねぇ、そういう意味じゃない! あたしを外に出せって言いたいの!!)
「はぁ?!」
僕は思いきり叫んでしまい、クイットの「どうしたの?!」という声が背後で聞こえた。あまりに大きい声を出してしまったものだから、下で戦っていた人たちが僕を見たり、帆の陰から人が現れたりした。おかげで、下で苦戦していた人たちに新たな戦士が加勢して、いい具合に収まったけれど。
(あたしをここに出せば、怪我人をあっと言う間に治してあげられるし、天使様降臨で志気もだだ上がりよ!)
鼻息荒く話すバリア。いやいや、その性格じゃ志気も上がんないよ。
(なに言ってんの、黙ってにこにこしてりゃ、あたしは美しき天使様よ! あんたうだうだ言ってないで、早いとこ準備しなさい!)
(じゅ、準備って?)
一体何をしろと言うんだ。キルアの時と同じようにすればいいのかな。
(あのね! 天使なんだからもっとこう劇的に登場させなさいよ! ほら、そこのクイットって子にも手伝ってもらって!)
バリア忙しく指示を出し始めた。まず彼女は、僕を屋根の中央に立たせる。そうすると、いろんな方向から僕の姿が見えた。下で戦っている人も、話しかけてはこないけれど、ちらりとたまに僕を見る。ものすごく恥ずかしい。しかし、バリアは僕の心情が分かっていても、好き放題指示を出すばかりだ。
(そんで、あんたは両手を上に伸ばして、彼女の精霊使って手から光が出ているように見せる!)
そんな事を言うので、僕はかなり戸惑った。今クイットは少し機嫌が悪い。そこに意味不明な頼み事をしろ、と?
(意味不明とは何よ! 手があるから協力してくれって言えば済む話でしょ!)
僕はもう反論する気をなくした。これ以上何か言っても無駄である。ここは素直に従おう。そもそも、僕一人の力じゃどうにもできない。
相当恥ずかしいけれど、ここはバリアの言うことを飲もうじゃないか! さぁ、気分を切り替えるんだ、僕!
「クイット!」
僕が呼びかけると、彼女は不機嫌そうな顔を僕に向けた。
クイットは空から襲ってくる悪魔を退け、僕を守ってくれてもいたのだ。
「さっきはごめん、守ってくれてありがとう」
僕はとりあえず謝って感謝の意を伝えた。バリアが鼻を鳴らすのが聞こえる。
「ふ、ふーん。・・・・・・まぁ、どういたしまして」
クイットは僕からすっと目線をそらした。機嫌は・・・・・・よくなってくれたかな。
とにかく、今はあまりのんびりしている場合じゃない。
「今いい手を考えたんだ。協力してくれない?」
他にいい言葉が思いつかなかったからバリアが言ったままの言葉を使った。またバリアが鼻を鳴らす。
「あぁ、いいけど」
どこか素っ気ない返事だったが、了解してもらえたならそれでいい。
「僕が空に向かって手を伸ばすから、精霊を使って、僕の手から光が出ているように見せてほしいんだ」
(思い切り強い光で! できるだけ神聖な感じの!)
僕の頭の中でバリアが注文を付ける。
「え、えっと、できる限り強い光で。それで神聖な雰囲気がでると嬉しいな」
僕が言うとクイットは少し首を傾げた。そして、空を飛び回り、悪魔を退けてくれている精霊を見る。
「あ、ダイジョウブ! たぶんできるよ!」
頭上の精霊はぐっと親指を突き出し、元気よくそう言ってくれた。よし、その言葉を信じよう。バリアも(うむ)と満足気な声を出した。
「そんじゃ、やるよ」
僕は二人に声をかけ、両手を伸ばす。その手の先に精霊が飛んできて、光を発した。光は黄色っぽい色をして、波のように広がる。近くを飛んでいた悪魔たちが目を押さえて逃げていった。
「わぁ、すごいすごい!」
クイットが歓声を上げる。
黄色い光は水の波紋のような形で広い範囲に延びていく。
ちらりと屋根の下を見ると、戦士もモンスターたちも攻撃の手をやめ、光を見ていた。といっても、モンスター達の目の位置は分からないものもいたから、正確にはみんながみんなこっちを見ていたかは分からない。
(あのね、モンスターの注目はどうでもいいの、要は味方勢があたしを見ててればそれでいい)
バリアの声が頭の中で響く。そして、気がつく。これからどうすればいいんだ。
(あぁ、はいはい、後は呪文を雰囲気たっぷりに唱えれば完了)
雰囲気たっぷり?! どんな雰囲気?
(天使が降りてくるような雰囲気!)
いや、それじゃわからん! しかし、僕の心の声は空しく響き、彼女はもう呪文を朗々と唱え始める。なんだか芝居がかった声音だ。そうか、それを真似しろということか!
僕はみんなの注目の中、腕を突き上げ、呪文を唱える。
「悪魔の封をその身に受けし天使、バリアの身体を今この地へ! 空の彼方、天空の地より導く黄金の翼よ、かの肉体を今ここへ、魂と結びつけん。レミアリオード!」
できるだけバリアの声の調子に近づけ、どこか芝居っぽくはあれど、僕は朗々と唱えた。
下の方では物音がしない。気づけば下には人が増えていた。いや、人じゃない見た目の人物もいる。イタチのような頭にけむくじゃらの身体、という特殊な種族の人物。あと、地面に降りたハーピーや、そのハーピーを介抱していた野生児のような青年もいる。そんな人々を含め、僕の周りにいる人達、全員が僕を見ていた。
僕は慌てて視線を逸らす。余所見をしてはいけない。
急いで手の先に視線を戻すと、いつの間にか僕の頭の中ではバリアの気配が消えていた。指示がなくなったので、僕は手を下ろす。 そして、僕の動きに続くかのように、広がっていた光も狭まっていく。
こうして、僕の頭の上に、光が集まり、光に包まれ見えなくなっていた精霊の姿が現れようとした時、集まっていた光が突然、細い線となって空へと延びた。驚いて光の向かう方向を見ると、雲に切れ目ができ、そこから何か金色に光るものが大量に近づいてきている。
下の方で人々のざわめきが聞こえた。クイットも、僕の後ろで息を呑む。
光は徐々に僕らの元へと近づき、離れた所へ避難していた悪魔たちが騒ぎ始めた。頭上で奴らの騒ぎ声と、ばたばたという羽音がする。ただ、奴らは光を警戒しているのか、僕らを襲ってはこなかった。たぶん、遠巻きに僕らを囲っているのだろう。しかし、だんだんその鳴き声が近くなってきた気がする。
遠くに見える光はじりじりと近づいてきてはいるものの、こちらに届くまではもう少しかかりそうだ。
そうやって、僕が遠くをぼんやりと見ていると、線のように延びる光から小さな人影がぽとりと落ちた。僕は反射的にそれを受け止める。落ちてきた影、それは、精霊だった。
「ディス?」
クイットが口元を押さえ、恐る恐るといった様子で小さな声を出した。僕の両手にすっぽりと収まった精霊は、疲れたような表情で、どこかぐったりしていた。
「私はまだぜんぜん消耗してないのに、どうして?」
クイットが泣きそうな声を上げた。
精霊は明らかに元気がない。クイットの様子を見る限りでは、今までこんな事はなかったようだ。どうにか、元気にしてあげられないだろうか。
「魔力をあげれば、この子は回復するの?」
僕はクイットにそう聞いたけれど、彼女は力なく首を振った。
「分からない?」
そう聞くと彼女は頷く。
こうなればもうお手上げだ。僕には精霊についての知識がない。どうすれば僕の手の中の精霊が力を取り戻すのか分からなかった。
更に面倒な事に、精霊が衰弱している事が分かり、さっきからうるさかった悪魔達の声に活気が戻り始める。大きな声で鳴き始め、羽音がだんだん近くなってきた。
しかし、気づけば先ほどの金の光も、猛スピードで近づいてきている。悪魔はというと、今向かってきている光も精霊のものだと思っているようで、完全になめてかかっていた。これならもしかすると、悪魔達が集まってきた所を一網打尽にできるかもしれない。
「ケイ、ディスを助けて・・・・・・」
僕がこの後の事を考えていると、すぐそばでクイットの消え入りそうな声が聞こえた。僕ははっと手の平に受け止めた小さな人を見る。小さな彼女は、熱にうなされる病人のように、赤い顔をして、荒い息をしていた。
これは一体どういう状態なんだろう。精霊も病気になるのか? とにかく僕は、魔力を両手に込めた。手が白くぼんやりと光る。
とりあえず魔力を与えてみれば元気になるんじゃないのか? 確か精霊はほとんど魔力の固まりのようなものだと、昔どこかで聞いた気がする。
僕は彼女の体が乗っている部分に、更に魔力を込めた。するとそこで、僕の顔の先にある、沢山の黄金の光のスピードが上がった気がする。視線を上げると、光の姿がはっきりと確認できた。
キルアを呼びだした時は、黒いコウモリの羽のようなものの集まりがやってきたけれど、今回は黄金の鳥の翼だ。
「わ、突っ込んでくる!」
クイットがおびえたような声を上げた。その光はスピードを全く緩めず、僕らの方へ突進してくる!
もしかして、今僕が出している魔力に向かってきているのか? でも、今更手の中の魔力は引っ込められなかった。もう衝突は免れない!
頭上で悪魔たちの驚くような叫び声が聞こえた。バサバサと盛大な羽音をたてて、光輝く羽は僕らをもみくちゃにする。
集中が途切れたせいで、僕の手の平にあった魔力はかき消え、翼にもまれて僕はバランスを崩し、手の中の精霊の体が宙に浮いた。そして、その体は翼の中にもまれて消えてしまう。僕は手を宙に伸ばし、開いた手を閉じたけれど、金の翼が潰れて、輝く粒に変わっただけだった。
こうして、羽達は最終的に僕らの周りを渦のように取り囲み、ぐるぐると回り始めた。空を見上げると、船内で見た時とは違って、雲が消え、大きな星が見える。青く輝く丸いその星は3番目の月だ。黄金の壁に包まれた先に見えるその星は、とても幻想的だった。羽音に阻まれて他の音は聞こえない。ここにいるのは僕とクイットだけだった。モンスターの姿もない。
僕は無意識のうちに片手を上げた。さっきキルアを呼びだした時の事を、思い出していたからだ。
さっきは僕が手を伸ばし、魔力を溜める事で、キルアを呼びだした。今回もそうじゃないだろうか。
僕は伸ばした手の先に魔力を集める。
クイットがそんな僕を見た。
僕は自分の手を見つめる。
だんだんと手には白い光が宿り、それに吸い寄せられるようにして翼がより集まる。僕とクイットを取り囲んでいた光の壁が徐々に崩れ、僕の手の上の光はどんどんと大きさを増していった。羽音が消え、代わりにだんだんと周囲の喧騒が聞こえ始める。
どうやら戦闘が再開しているようだった。水棲モンスターが攻撃を再会したのだ。
そして、僕らの頭上にはいつの間にかおびただしい数の悪魔達が飛んでいた。そう、まだ悪魔は吐き出され続けていたのだ。やつらは冒険者達に倒されるでもなく、空に溜まっていく。こちらが少しでも隙を見せたら、一斉に飛びかかってくるつもりだろう。僕はその様子を想像して、集中力が切れかけたが、それでも、手の先に魔力を注ぐ。
こうして、キルアが現れた時のように、一通り集まり、光の塊と化した翼は、人の形をとった。どこからか歓声が上がる。
そう、ついにバリアが姿を現したのだ。クイットが口元を押さえるのが見える。
そうだ、バリアとクイットの間にはちょっとした因縁があった。しかし、今はそんな事を気にしている場合ではない。
目を瞑り、羽を広げた状態で宙に静止したバリアは、音もなく片手を宙へ伸ばした。丁度、さっきまでの僕と同じようなポーズだ。そして、彼女はぎゅっと手を握り、いきなり目を開いた。
彼女の握り拳から、波が起こる。眩い光を放つそれは、あっと言う間に空へと広がり、悪魔たちの目を灼いた。
「うわ、神様だ!」
下でそんな声が上がる。見ると、さっきのイタチのような顔をした人が僕らを見上げていた。
バリアはそんな人達を見てにっこりと微笑み、宙に浮かんだまま、口を開いた。
「私が来たからには、もうご安心なさい。私はこの悪魔共を片づけます。あなた達は船の上の魔物を倒すのを優先なさい」
普段とかけ離れた優しげな声音でゆっくりと彼女が言う。そこで、下にいた人たちの志気はぐっと上がった。
「おっし! 神様が味方に付いてくれたんならすぐに勝てるぜ!」
「さあ、早く船の上のモンスターをどうにかしよう!」
「悪魔がいなくなりゃこっちの勝ちだ!」
なんて声が各所から上がり、すぐさま人々の雄叫びや、朗々と呪文を唱える声が聞こえ始めた。バリアの力恐るべし。見た目からして普通じゃないもんなぁ、宙に浮いてるしさ。みんなすっかり神様だと思い込んだみたいだ。まぁ、中には僕らを胡散臭そうに見る人もいたけれど。
一通りそういった人々を見て、「それじゃ、片しますかな」とバリアがぼそっと言った。周囲がうるさくてはっきりとは聞こえなかったけど、その時だけはいつもの調子。僕はなんだか鳥肌がたち、腕をさすった。
屋根の上では、モンスターと戦う人々を見ておくくらいしかできない。魔法で遠距離攻撃はできないこともないけれど、僕はまだ魔法を使い慣れていないところがあるから、味方に当たると大変なので、使うのは控えておこう。
となれば、下に下りて加勢するのが一番いいのだろうけど、梯子の下は混乱を極め、下りられる状態じゃない。下りた途端、味方に切られるか、モンスターに噛みつかれるかのどちらかだ。飛び降りるスペースもないし、落ち着くまで屋根の上、か。
僕は下を眺めるのも申し訳ないので頭上を見上げた。すると、バリアが僕らよりも少し高い所に浮かんでいるのが見えた。彼女の手には、どこから出したのか杖が握られている。杖はとても珍しい形をしていて、学生時代教科書なんかで見た、大昔使われていた物と少し形が似ていた。なんだかその杖、伝説の一つや二つは持っていそうだ。
こんな事をのん気に考える僕が見つめる中、バリアは金に輝く翼を羽ばたかせ、杖を突きだした。
バリアはさっきの様子からすると羽なしでも飛べるようだ。だったら何で羽がついているのだろう。天使だからかな。
彼女の周囲を遠巻きに悪魔達が囲んでいる。一体どうやってこんな大勢の悪魔を一人で倒すというんだろう。
やっぱり強力な魔法を使うんだろうな。あの杖で殴りかかるのはさすがにないだろうし。そうやって、僕がまだまだいろんなことを考えつつ、バリアを見ていると、彼女は動きを開始した。
悪魔は明らかに警戒していて、バリアが何かやろうとすれば、すぐにでも逃げられるよう準備している。ばたばたとせわしなく羽ばたき、既に逃げている者もいた。バリアはそんな逃げる悪魔達の事も気にせず、杖を空へ翳し、思い切り降り下ろした。すると、杖の先からリボンのような金色の光がいくつも放たれ、宙をくるくると回り始めた。リボンは輪のように広がっていき、悪魔達を絡め取る。逃げていた者も容赦なく捕まえ、金のリボンの絡まった悪魔達は、どんどんとバリアの前に集められていった。しつこくモンスターを船に落としていた者、戦場で戦っていた者も全て集められる。
僕はその様子を見て、悪魔達を吐き出している穴の事を思いだした。空を見渡すと、まだ穴は開いている。しかしさっきと違って、時折穴の近くで、紫色の光が走った。目を凝らすとその光が走る周りに、何か赤い色も見える。けれど、その赤はとても小さいので、はっきりと何なのかは分からない。元を絶たねば、今いくら悪魔達を倒しても無駄になりそうな気がしたが、このまま船の上の悪魔を放っておいたら、余計大変な事になりそうだ。僕は空の穴についても気にかかったが、バリアの方に視線を戻した。彼女が一体どんな力を持っているのか、どんな技を使うのか、それを見たかったから。
ふと横を見ると、クイットも頭上で繰り広げられる天使の魔法に見入っていた。僕も再び上を見上げると、空には所々黒が混じった金色の塊ができていた。まるで小さな五つ目の月のようにも見えるそれは、緩やかに回転し、辺りに悪魔の姿はなくなっている。バリアはそれを見て満足そうな表情を見せ、杖で大きく円を描いた。すると、巨大な光の玉はだんだんと薄くなっていく。まるでボールが、上から潰されていくみたいだ。まさか、このまま悪魔達を潰してしまうのか?いくらキルアっていう悪魔の影響を受けているからといって、ここまでえげつない手を使うだろうか。僕は顔をしかめながら、そんな事を考えたが心配は無用だった。
ある程度玉が潰れると、バリアは杖を下ろし、一瞬の間を空けて杖の先を跳ね上げた。すると、上から押さえていた力が急になくなったかのような形で、玉が勢いよく縦に伸びる。
そして、光はさっきまでのような丸い形に戻らず、円柱となった。その筒の中にはぎゅうぎゅうに悪魔が詰まっている。これだけを見ると、どこかかわいそうな光景でもあった。
さて、ここからバリアは一体どうするのだろう。今頭上には悪魔の缶詰ができている。まさかこのまま海に沈めるとか?
僕がごくりと喉を鳴らすのと同時に、バリアは杖を軽く上へ持ち上げた。すると、そこで予想外の事が起こる。筒の上部分、缶詰のふたのような役割をしていた所が消えのだ。これ幸いと、悪魔達が筒から抜け出そうともがく。悪魔たちはなかなか筒から抜け出せないが、それら中身はどんどん上に偏っていった。そうやって悪魔に好きなようにさせている間に、筒の底に何か文字が浮き上がってくる。
「あれは、魔法陣?」
クイットが横でぼそりと呟く。そう、筒の底部分に浮き上がったのはどう見ても魔法陣だった。
悪魔達はそれには全く気づかない。這い出る事に夢中だ。一体バリアは何を考えているのか。このままでは悪魔達がみんな逃げてしまう。僕はそう考えたが、やはり心配はいらなかった。
魔法陣が輝き、様々な文字や紋章が白く浮かび上がる。魔法陣は丸から三角へと形を変え、さらに次の瞬間にはまた新たな三角形が重なりあうようにして現れた。そうして現れた2つの三角形、その6つの角を、線が繋ぎ合わせ、大きな魔法陣が描かれる。ここまできて、ようやく悪魔達は下方の魔法陣に気づいた。しかし、今更それに気づいたって仕方がなかった。筒から飛び出し空に広がった悪魔の足下にまで陣は広がり、そして、ほとんど間を空けず、魔法陣から光が発せられた。極太の光線はあっと言う間に悪魔達を全て包み込む。気づけば辺りの喧噪は止み、続々と穴から飛んできていた悪魔達も、頭上を見れば勢いをなくしていた。
光線は徐々に細くなっていき、直にぼやけて消えたが、船上にも空中にもなかなか動きはなかった。僕もなかなか動き出せず、ぼんやりと見ていた空の端、そこに僕は動きを感じた。空に開いた穴に、いや、その周辺に変化が起きている! というのも、その穴は今まで絶えず悪魔のようなモンスターが吐き出されていたのだけれど、今や最初の勢いはなく、穴から出てくる影は少なくなっていた。さらに、穴の近くでは何回も赤い光が瞬き、爆発が起こっている。爆発した後から下に向かって黒い点が落ちていくところを見ると、悪魔は出てきたそばから続々と倒されていっているようだ。これは、きっとキルアがそこにいて、悪魔達を退治してくれているのだろう。そして、他に穴の付近ではとても小さな赤い点が二つ揺らめいては、爆発を起こしているのが見えた。そこで僕は閃く。そうだ、すっかり忘れていたけど、さっきから見えていたあの小さな赤、あれはきっとマオ君だ! マオ君もキルアと一緒に奮闘してくれているに違いない。
「おい! あそこ、穴が開いてねぇか?!」
「うわ、なんだあれ?! あそこからなんか黒いのが出てる!」
「もしかしてあの穴からこのモンスターどもが出てきてるんじゃ!」
僕がじっとその穴を見つめていたからか、船の上の人々も空に開いた穴の存在に気づいた。だんだんと騒ぎが大きくなる。しかし、それを凛とした声が抑えた。
「静粛に!」
辺りがすぐさましんと静まり返る。その声の主、それはバリアだった。いつの間にか彼女は、僕のすぐそばまで下りてきていて、屋根の下の人々を見下ろしている。
「私はこれから船で怪我をした人々の救援に回ります。空に開いているあの穴は今、私の使いが塞いでいる最中なので、気にする事はありません」
私の使いとはよく言ったものだ。まぁ、悪魔と魔王が塞いでいる最中だなんて言ったら、余計な混乱を招くだろうからそれでいいんだけどさ。
「あなた達は引き続き、船に残った魔物を倒しなさい」
見るとまだ甲板には、悪魔達が投げ入れたり、自分から乗り込んできた海のモンスターが沢山残っている。さっきバリアが使った魔法に放心していて、まだ動きがのんびりしている奴が多いけれど、直活発に動き出すだろう。
「そ、そうだな! 神様の使いが行ってくれてるんなら、心配ねぇ! 早くモンスターをおっぱらうぞ!」という野太い声があがり、それを合図に、屋根の下に溜まっていた人々は動き出した。
「ケイ、そんじゃあたしは怪我人見てくるから。あんたはあんたで考えて動くこと!」
バリアもそう言い残すと、すぐさま飛び去って行ってしまった。