第23話 五層の洗礼
スクールを卒業して、私は今まで入らなかった五層にも行くことにした。
五層以降は、俗に「深層」と呼ばれる難易度の高いエリアになる。
第五層への下降は、驚くほど静かだった。
階段を下りきった先に広がっていたのは、これまでと大きく変わらない通路だ。岩肌は荒れているが、天井は高く、視界も悪くない。足元を照らす光も、十分すぎるほどだった。
壁面や床のあちこちに、淡く輝く石が露出している。
魔石。
魔素が長い時間をかけて凝縮し、結晶化したもので、光を放つ性質を持つ。
魔力の源として重宝され、探索者にとっては資源であり、目印でもある。
通常、魔石の多い場所は安全とされている。
光量が安定し、魔物も集まりにくいからだ。
魔石の光は、規則正しく配置されているように見えた。
人工物ではないはずなのに、妙に「整って」いる。
まるで、この通路そのものが、誰かに「安心して進め」と言っているみたいだ。
私は無意識のうちに、過去の配信を思い出していた。
魔石が多い場所で、致命的なトラブルに遭遇したことは、ほとんどない。
探索者の間では半ば常識だ。
だからこそ、違和感は言葉にならなかった。
危険だ、と判断する材料が、どこにもなかったから。
「……明るいですね」
私はそう呟きながら、ドローンのカメラを前方へ向けた。
<コメント>
・ついに深層か……
・視界いいな
・5層って暗いイメージあった
・深層の配信レアだから助かる
・魔石多くね?
・探索しやすそう
・すぐ死にそう
出現した魔物は、小型のグラットンハウンドが二体だけだった。
二体とも、こちらに気づくのが遅かった。
深層にしては、あまりにも反応が鈍い。
私は一瞬、考える。
魔石の影響か、それとも――。
いや、考える必要はない。
今は「問題が起きていない」。
それだけで十分だ、と判断した。
相手の動きは単調で、反応も遅い。
引き金を引くと、弾丸が魔素を纏って一直線に飛び、胴体を貫いた。
二体とも、ほとんど抵抗らしい抵抗もなく倒れた。
<コメント>
・よわ
・拍子抜け
・特訓の成果出てるな
・これは余裕配信
・今日は撮れ高なしか?笑
私は弾倉を確認し、何も言わずに歩を進める。
通路はゆるやかに曲がり、天井が少し低くなっていく。
足音が、わずかに遅れて返ってくる。
反響にしては、妙に粘つく。
魔石の光も、一定ではない。
脈打つように明滅し、影の位置が一瞬ずれる。
「……」
一瞬、立ち止まりかけて、やめた。
――気のせいだ。
そう判断した理由は、単純だった。
今までの階層では、こういう違和感は「結局は何も起きない前触れ」だったから。
<コメント>
・雰囲気あるな
・ホラーBGM入った?
・気にしすぎやろ
・早く進もうぜ
・なんか怖い
少し先の通路を、別の探索者が歩いているのが見えた。
若い男だ。軽装だが、武器の扱いに無駄がない。
初心者ではない。ただ、深層に慣れているとも言い切れない。
彼は、何の疑いもなく、一歩踏み出した。
私は、その探索者の足取りを、ぼんやりと見ていた。
慎重すぎず、かといって無警戒でもない。
深層に挑む者として、ちょうどいい緊張感。
だからこそ、その一歩が、「普通」に見えてしまった。
次の瞬間――
音は、なかった。
男の首から上が、ずれた。
血は、すぐには出なかった。
切断された断面が、まだ現実を理解していないみたいに、奇妙なほど、静止している。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
攻撃音も、悲鳴も、警告もない。
ただ、世界の一部が、静かに「ズレた」ような感覚。
胴体が二歩ほど前に進み、遅れて膝から崩れ落ちる。
首が、床を転がった。
血が噴き出るまで、ほんの一拍の「間」があった。
<コメント>
・????
・え?
・今の何???
・魔物じゃないよな?
・罠?????
・ええ……
・マジでビビった
私は、息を吸うのを忘れていた。
トラップの起動音はない。
床に目印もない。
魔素の反応も、直前まで安全のようだった。
ただ、そこに「死ぬ場所」があった。
<コメント>
・マジで何今の
・初見殺しすぎる
・これどう避けるんだよ
・説明しろ
・五層やば……
助けに行く意味は、もうなかった。
分かっている。
分かっているのに、身体が一歩前に出そうになる。
私は、それを無理やり止めた。
ドローンのカメラを固定し、男の遺体を映し続ける。
私は、配信を切ることもできた。
「安全確保のため、一時中断します」
そう言えば、誰も責めない。
でも。
それをすると、この死は「なかったこと」になる。
身体は微かに痙攣してから、完全に動かなくなった。
<コメント>
・いやグロすぎ
・血ヤバwwww
・アリサ、何もできないのか
・映すしかないのキツい
・強さ関係ないじゃん
・これが五層……
・ご冥福をお祈りします……
「……今のは、私にも分かりません」
声が、少しだけ震えた。
怖かったからじゃない。
説明できないことが、悔しかった。
私は通路の奥を見る。
同じような床。
同じような魔石の光。
同じように、何も起きていないように見える。
――強さは、安全じゃない。
理解した瞬間、背中に冷たいものが走った。
第五層は、戦う場所じゃない。
「踏み外す」場所だ。
私は、配信を切らずに歩き続けた。
ここから先は、全部――映さなければならない。




