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吾輩は犬である…同じクリスマスに、祝える町と祝えない町があった

作者: 徒然生成
掲載日:2025/12/25

✦吾輩は犬である

― 同じクリスマスに、祝える町と祝えない町があった ―


………


吾輩は犬である。

新しい主人と一緒に、

パレスチナに住んでいる。


さて、その国で迎える

初めてのクリスマスイブ。


吾輩はこの夜、

同じ暦、同じ地球、同じ人間なのに、

「祝っていい町」と

「祝ってはいけない町」が

同時に存在することを知ってしまった。


これは、犬には少々重たい現実である。


………


【目次】

1、神が生まれたことになっているベツレヘム

2、三つの宗教は、なぜ一つの町に集まったのか

3、ベツレヘム ― 守られる理由

4、ガザ地区 ― 祝われない夜

5、なぜ同じパレスチナで、扱いが違うのか

6、日本人には、なぜ分からないのか

7、犬の目に映る、争いの正体


あとがき

― 2025年 クリスマスイブ、ベツレヘム ―


■1、神が生まれたことになっているベツレヘム


吾輩は犬である。名前はまだない。

もっとも、人間の社会では、

名前のない者ほど便利に扱われる。


呼ばれないというのは、

責任も背負わされないという意味だからだ。

犬は吠え、尻尾を振り、黙って見ていればよい。

それが彼らの言う「合理」である。


さて、吾輩は今、

ベツレヘムという町の匂いを嗅いでいる。

この町は、あのパレスチナという国にある。


正直に言えば、

日本人の多くはこの町の名を知らない。


クリスマスイブの夜。

にもかかわらず、町の広場は人で賑わっている。


ツリーが灯り、石畳が光を拾い、

聖歌が、まるで遠慮するかのように夜へ溶けていく。

きれいな服を着た女性が歩き、

子どもが小走りに駆け、

誰かがスマホで撮影し、

その光景をまた誰かが別の国で眺めている。


吾輩は首をかしげた。

「ここは、戦争の国ではなかったか?」


日本のテレビは、

パレスチナと聞けば瓦礫を映し、

ガザと聞けば煙と泣き顔を映す。


ところが今、吾輩の前にあるのは、

まるで苦難が終わったかのような夜である。


人間は言う。

「ここは、イエス・キリストが

 生まれた町ですから…」


別の人間は、軽い調子で歌う。

「サンタクロース・イズ・

 カミング・トゥー・タウン♪」


なるほど。

神が生まれた場所では、

同じ夜でも“扱い”が変わるらしい。


吾輩が昨年まで暮らしていた日本では、

神は生まれない。

八百万の神が、そこら中に宿っている。


だから日本人は、

「神が生まれた場所を巡って争う」

という発想に、どうにも慣れない。


人間の宗教というものは、

吾輩には難解すぎる。


だが、理解できないからこそ、

匂いだけははっきり分かる。


今夜のベツレヘムは、

甘いパンと、蝋燭と、

そして“世界の視線”の匂いがする。


■2、三つの宗教は、なぜ一つの町に集まったのか


日本人が立ち止まるのは、だいたいここである。


なぜこの小さな町に、

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という

三つの宗教が重なってしまったのか。


吾輩なりに言えば、答えは単純だ。

人が通ったからである。


人が通るところには、必ず物語が生まれる。

物語が生まれるところには、

いずれ神様が住みつく。


ベツレヘムは、

砂漠の真ん中でもなく、

帝国の首都でもない。


しかし、昔から

メソポタミア、エジプト、地中海世界を結ぶ

通り道の交差点だった。


日本で言えば、

京都でも東京でもない。

しかし、誰もが一度は通ってしまう

“名もなき分かれ道”のような場所である。


そして三つの宗教は、

実は「三人の神様」が生まれた話ではない。

ここが、日本人に一番誤解されるところだ。


ユダヤ教は

 「最初に神と約束した一族の物語」


キリスト教は

 「その神が、人として現れた物語」


イスラム教は

 「同じ神の言葉を、最後に整理し直した物語」


つまり、

神様は一人。


話の続き方が違うだけである。

だが、どの物語も口を揃えて言う。


「最初はここだ」

「始まりはここだ」

「正統はここだ」


“最初”という言葉は、人間を驚くほど頑固にする。

柔らかく考える余地を、根こそぎ奪ってしまう。

人間とは、そういう生き物らしい。


■3、ベツレヘム ― 守られる理由


だから、ベツレヘムは

ただの町ではいられなくなった。


ここは、世界の物語の起点である。

もしこの町が壊されれば、

世界中のキリスト教徒は

「自分の心が壊された」と感じる。


それは軍事的な問題ではない。

文明の話になる。


吾輩は犬であるが、

人間にとって

「評判」や「物語」が

食べ物以上に大切な場合があることは知っている。


空腹は吠えれば誤魔化せるが、

物語を壊すと、

何世代も恨まれる。


だからイスラエルの側は、

ここを簡単には攻撃しない。


壊さず、

管理し、

監視し、

そして「平穏に見せる」。


兵士はいる。検問もある。

だが今夜、銃は鳴らない。

ここでは平和は、

自然に生まれるものではなく、

見せ続ける必要のある状態なのである。


■4、ガザ地区 ― 祝われない夜


同じ夜、吾輩はガザ地区を思い出す。

行ったことはない。

だが匂いは届く。


煙と鉄と、焦げた空気。

ガザには、ツリーがない。

聖歌もない。


あるのは非常灯と、

空の唸りと、走る足音だけである。


ガザで祝えない理由は、

「危険だから」だけではない。

もっと冷たい理由がある。


ガザは、

見せなくてもいい場所になってしまった。


ニュースは来るが、

名前は来ない。

数字だけが来る。

死者〇人。

負傷者〇人。


その数字は、

翌日のニュースで上書きされる。


ベツレヘムには、

記者が来る。

巡礼者が来る。

カメラが来る。


ガザには、

数字しか残らない。


吾輩は犬である。

だがこの違いは、骨よりはるかに硬い。


■5、なぜ同じパレスチナで、扱いが違うのか


答えは残酷で、単純だ。


ベツレヘムは、舞台である。

ガザは、箱である。


舞台は照らされ、

箱は閉じられる。


同じ「パレスチナ」という言葉の中に、

「祝っていい町」と

「祝ってはいけない町」が

同居してしまう。


吾輩がこの夜に学んだのは、

宗教の難しさではない。

人間が引く線の冷たさである。 


多くの人はそれを

差別ヘイト」と叫んで

声を荒げているはずなのに(笑)…


■6、日本人には、なぜ分からないのか


日本人が混乱するのは、無理もない。

宗教のOSが違うからである。


日本では、神は生まれない。

神は宿り、山になり、風になり、

祭りの中で呼ばれる。


場所は大事だが、代替がきく。

神は移ろっても許される。


しかし、この地では、

神が生まれた。

そして生まれた場所は、代替できない。


だから土地は、

単なる土地ではなく、

正統性であり、

生きる権利そのものになる。


日本人は、よく

「宗教はわからん」と口にする。


だけど、それは…

彼らと同じこと 


根っこは同じ

ホモサピエンスだからね。


■7、犬の目に映る、争いの正体


吾輩は犬である。

犬には分かる。

これは、信仰そのものの争いではない。


物語の“最初の一行”を

誰が名乗るかという争いである。


ベツレヘムは、その一行が刻まれた町だ。

だから守られ、

同時に憎まれる。


ガザは、その一行を持てない。

だから閉じられ、

数字にされる。


同じ夜、同じ空、同じ人間。

それでも扱いは違う。 


この理不尽は、犬の倫理でも、

なかなか飲み込めない。


【あとがき】

― 2025年 クリスマスイブ、ベツレヘム ―


2025年のクリスマスイブ。

ベツレヘムの広場に、ツリーは立った。


SNSには動画が流れてくる。

加工なし。

BGMなし。


ただ、石畳と、寒そうな夜と、人の声。

「今年も完璧じゃない」

「でも、私たちはここにいる」

そんな短い言葉が添えられている。


喜びというより、

生存報告に近い。


一方、日本では、コンビニでケーキが並び、

「メリークリスマス」が軽く流れる。


2つを比べる必要はない。

だが、知ってしまった以上、戻れない。


同じ夜に、

祈るしかない町があり、

何も考えずに眠れる国がある。


それを“当たり前”だと思えなくなったら、

この物語は役目を果たしたのだと思う。


【あとがき】


吾輩は犬である。


だけどこの夜、

日本で「幸せ」を語れる場所に生まれたことを、


犬の吾輩は、

少しだけ誇りに思った。


「みんな違ってみんないい」


そんな詩のある国に

生まれたことに感謝したい…

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