昼下がりの満月
どうも、星野紗奈です。
12月、今年も終わりに近づいてきましたね。
年々時間が早く感じられるというのは本当なのだなと、とても驚いています。
悩みながら少しずつ書き続け、公募に出し、きちんと結果が出たものもあれば、そうではなかったものもありました。
お恥ずかしながら、そういったものの方がまだまだ多いのが現状なのですが……。
歳を重ね、若年層向けの賞の年齢制限にそろそろ引っ掛かり始めることに、若干の恐怖を感じています。
それでも、何とか続けて頑張っていければと思いますので、あたたかく見守っていただけますと幸いです。
それでは、どうぞ↓
居心地が悪くなった僕は、そそくさと逃げ出しました。近くのスーパーから帰って来た後輩たちが、何やら僕のことを話していたらしく、目が合った直後、気まずそうにそらしたからです。僕は愛想が良い方ではないので、そういう陰口をたたかれてしまうのも無理はないと思います。しかし、人並みに傷ついて居たたまれないと思う心は持ち合わせていました。僕は首から下げていた社員証と、机上に放り出していた社用携帯をポケットに突っ込み、それから私用のスマホを探しました。しかし数秒して、つい先日使い物にならなくなって捨てたことを思い出しました。それはちょっとした女性トラブルが原因だったのですが、詳細は割愛します。ただ、ハイヒールに踏み抜かれて粉々になったスマホは、傑作だったな、というのが僕の感想です。仕方がなく僕は鞄から財布を取り出し、空いていた尻ポケットに押し込んで、ハンガーにかけていたコートをかっさらうと、出来るだけ自然な動きでオフィスを出ました。
エスカレーター前には、遅めのランチにでも行くのか、若手社員が数人集っていました。お疲れ様です、と声をかけられて、僕はああとかうんとか、適当な声を発してひらりと手を振りました。若手社員たちはすぐに会話を再開しましたが、僕は一緒にエレベーターに乗り込むのは気が引けたので、少しだけベルトの上にはみ出すようになった腹の肉を思い浮かべ、運動不足を理由にして階段で下へと降りていきました。アナログの腕時計は、十二時三十八分を示していました。ぼんやりしていたら一段踏み外しかけて、どっと冷や汗をかきました。この歳にもなると怪我の治りも悪いので、こういうちょっとした事故には本当に気をつけなければいけません。
自動ドアを抜けると、木枯らしがコートの中に吹き込んできたので、思わず裾を手繰り寄せました。幸い、信号はすぐに変わり、再び体を動かして温めることができました。手前の日陰はいかにも冬の寒さが塗りたくられている感じでしたが、一歩日向へと踏み出せば、冬の澄み切った青空の真ん中で燦々と輝く太陽が、からっとした陽気で包み込んでくれました。
特に目的もなく外へ出てきたので、あたたかいコーヒーでも、と思ったときには、僕は既にコンビニの横を通り過ぎていました。数メートル戻ってわざわざコンビニに入る気分でもなかった僕は、少し先、川沿いにコーヒースタンドがあったことを思い出し、そこを目指すことにしました。
店の近くには、外国人観光客と日本人カップルが数組たむろしていました。最初はそれを分け入ってレジまでたどり着けるものかと不安に思いましたが、ここまで来て何もせずに引き返したところで、社内であることないこと言われても困るので、若々しい活気ある人波をなんとか潜り抜けて、僕は店へと入りました。
コンクリートの外壁の印象からがらりと打って変わって、オレンジ色の電球に照らされた店内には狭いながらあたたかな空間が広がっていました。レトロ、ヴィンテージのような雰囲気もあり、入り口付近の客たちがこういうものを目当てに足を運ぶのにも納得できるような気がしました。
レジで初めてメニューを見て、僕はとても驚きました。おしゃれなカフェだということは入る前からわかっていたものの、まさかコーヒー一杯にしてもコンビニの三から五倍もの値段がするとは思いもしませんでした。ホットサンドなどの軽食もあるようでしたが、既に昼食は済ませていたので、もだもだしながらアメリカーノだけを注文すると、店員は穏やかに対応してくれました。支払いのとき、僕自身もよくわからないのですが、焦って、あるいは疲れて思考が上手く回らなくなった結果、何故かカードで払わず小銭をちまちまと探り出して、トレーの上に溢しました。それが妙におじさんっぽさを演出してしまったのか、生温かい視線を感じて、僕は気恥ずかしくなりました。
コーヒーを手渡すとき、店員は親切にも、二階のイートインスペースが空いていることを教えてくれました。行き場を失っていた僕にとって、それはとても運の良いことでした。転ばないように恐る恐る階段を上っていけば、こじゃれた木製の椅子とテーブルがいくつか並んでいました。店舗の入口とは異なり、二階には人気がなく、一階と同じ暖色の照明に照らし出された空間は、下よりも幾分か広くがらんとしているように思われました。
僕は窓際のスペースに腰かけ、カップの蓋を取ると、上品な香りが鼻腔をくすぐるのも待たずに、苦みを喉の奥に流し込みました。誰に見られているわけではないとはいえ、空間のデザインと相容れない自分の恰好に気がついたことで、オフィスとはまた違う居心地の悪さを感じてしまい、それを誤魔化そうとしたのです。しかし、鈍った舌でも案外その味わいの良さがわかることに、僕は驚きました。それから少し落ち着きを取り戻し、半分ほど飲み進めて、天井の光が真っ黒な液体の中にぼんやり現れてきた頃、僕はやっと窓の外の景色を眺め始めたのでした。
正面に設置された四角いガラス窓からは、川辺の様子がよく見えました。春であればおそらく、満開の桜がこの景色を彩っていたことでしょう。とはいえ、冬の今日でさえも、この店でコーヒーを買った客や、あるいは近くまで観光に来たらしいグループのいくつかが、近辺を周遊して賑やかに楽しんでいるようでした。その中でも、写真を撮る人は特に多く、やたらと目につきました。ドラマのロケ地にでもなったのか、あるいは川の先々まで続いていく様子が開放的で構図として映えるのか。真意はわかりませんが、様々な人々がポーズをとり、それをスマホのカメラでおさめているのでした。しかし、よくよく川を見てみれば、水が流れていませんでした。少しずれた場所で工事でもしているのか、ただ石が湿っているだけの溝を背景に、人々が楽しそうに写真撮影に熱中しているのを見ていると、なんとも滑稽な気がしました。
そうやって人間観察をして時間を潰していると、一人、気になる人物を発見しました。橋を渡った先、川沿いのベンチでおにぎりをほおばっている女性です。体格が小さかったので、一瞬、女子学生かと思いましたが、そもそもこんな真昼に学生が外で昼食をとっているはずはありませんし、遠目でもわかるオフィスカジュアルらしい恰好から、おそらく近くに勤務している社会人女性なのだろうと思いました。この寒い日に外で、しかも一人で昼食をとっているというのは、僕の中に何とも言えない不安をかきたてました。かなり若そうですし、もしかするとまだ新卒で、会社に馴染めていないのかもしれない、などと勝手な想像を広げて、余計なお世話だと思いながらも身勝手に心配し始めました。
そうやって彼女を眺めながらコーヒーを啜っているうちに、ふと、彼女の姿に見覚えがあることを思い出しました。そういえば、通勤のタイミングがよく重なる若い子がいたな、と。例えば、満員電車の中でつり革を掴めずに、人にぶつかってしまって小さく謝っている様子だとか。改札の近くで子どもの靴を拾い、走って親子を追いかけて、丁寧に履かせてやっている様子だとか。高架下で水滴が落ちてきて、シャツに染みが出来てしまったのを、慌てて消そうとしている様子だとか。道端の地蔵に微笑みかけて、こっそり会釈している様子だとか。そういうものを振り返って、改めて彼女を見てみると、一生懸命涙をこらえながら必死に人生に食らいついているようで、なんとなく放っておけない気持ちになりました。
僕には家庭がありませんが、もし娘がいたら、こういう気持ちになるのかもしれません。ご飯をきちんと食べているか、風邪を引かないようにしなさい、いびってくる悪い上司はいないか、とか。最後の一つについては、僕自身に対しても少し刺さりました。後輩にはもう少し優しくしてやろうと思いました。
僕はまだ、人の愛し方というものがよくわかっていません。人を愛するどころか、どうやって自分を大事にしていけばよいのかすら、未だによくわかりません。川辺で一人堪えながら米粒をのみ込む彼女を見ていると、そういうことに思い悩み過ぎていた過去の自分を思い出します。
臆病な自尊心の持ち主であることを自覚し、恥の多い生涯を送ってきて、それでいて消えてしまった後ですらも、なおかつ永遠にそこに生きていたい。そんな不適切な強欲さを抱えていた僕のまぶたの裏にはいつも、満ちることを知らない空っぽの新月だけが浮かんでいました。アイラブユーを月が綺麗ですねと訳した人がいたそうですが、僕からしてみれば、その美しい月も見れないような出来損ないの人間に、到底愛など理解できるはずもないと思っていたのです。そういうとき、僕はいつも、満月は水面の奥に沈んでいるのだと考えていました。きっと月はあの水の中にある、だから、僕もそこに混ざらなければ、そうして本当の月を見つけなければと、自暴自棄になっていました。そういう自滅的な思考に支配されていたあの頃の僕にとって、さらさらと外壁を擦って流れゆく水の音は、ひどく魅惑的なものでした。乾いた風に揺れる木々が歓声をあげている気がして、僕の股の下をくぐって真直ぐに与えられた道を進んで行く液体がひどく羨ましくて、嫉妬のような熱が胸元で渦巻き、僕もそこに混ざりたいと常々思っていました。だから、気を病むたびに企てていた一人旅も、東京の玉川上水だとか、静岡の掛川だとか、金沢の犀川だとか、そういう場所ばかりを選んでいたのだと思います。
どうやってその状態から持ち直したのか、僕は覚えていません。それどころか、実際のところは、今も抜け出せずにいるのではないかと思います。なぜなら、僕はつい先日、月が砕けて、光の川となって流れ出ていくのを見たばかりなのですから。僕の中にあるささやかな愛の存在を証明する満月は、まだ見つかっていないのです。
僕の話はさておき、ああいう人を見ると、僕はどうしようもなく報われて欲しいと思ってしまいます。泣き出したところで、そこには無機質な染みができるばかりで、混ざる術のない僕だけがこの世界で立ち止まり、置いていかれている、という途方もない絶望感を今でも鮮明に思い出すことができるからこそ、一秒先へ動き出して欲しいと祈ってしまいます。死を願ってから欄干に足をかけて川に飛び込むまでのコンマ数秒の戸惑いの意味を、無自覚にも愛している自分のために悩んだ時間を、見つめ直して欲しいのです。
本来の僕の社内での立場を考えれば、いや、そもそも同じ時代を生きる一人の人間として、他者のそういうことにもきちんと気にかけなければならないはずなのですが、自分にもわかりきっていないものを他人に伝えるということの難しさは、実際にやってみなければ理解できないということを僕は身に染みて学びました。
報われる、というのは、とても難しいことです。どんな善人であっても、全ての事象が一貫されている、なんてことはないはずです。順調に経験を重ねて、一本道を辿って成長していくのであれば、――もしそんなつくられた物語の中に僕たちが生きているとすれば、――報われたと判断するのは幾分か容易なことでしょう。でも実際には、進んで、戻って、寄り道をして。もしかすると、そもそも通った道筋を覚えていない部分だってあるかもしれません。そういうふうに曲がりくねって、絡まって、そうやって紡がれてきた人生に、その複雑さの中にいる当人が、報われた、と区切りをつけて、また生き続けなければならないのです。それがどんなに難しいことか、僕には到底説明しきれません。
きっと、よくわからないことの積み重ねが目の前にあるばかりで、人生の大半の時間は苦しみに悶えることになるのだと思います。でもそれがどこかの瞬間で、星の軌道が噛み合って日食が起こるみたいに、これまで重ねてきたことにつながった意味を見出せる瞬間がやってくるのでしょう。それは突然に見えて、実は必然なのかもしれません。しかし、それは必ずしも全ての事柄の積み重ねの上に成り立っているわけではない上に、途方もない時間の先にあるのです。だから僕たちは、時折垣間見える月の虚像に縋りながら、水面の幻影ではない本物の月が昇るのを気長に待つしかないのです。
そんな自己満足的な哲学について考えを巡らせていると、川の向こうの彼女はいつの間にか食事を終えていたようで、ベンチから立ち上がりました。腕時計は十二時五十一分をさしていました。僕もそろそろ戻ろうと、光の波紋が揺れる黒い液体を飲み干しました。カップを揺すってそれが空になったのを確認し、ゆっくりと腰を持ち上げたとき、一瞬、窓ガラスの向こう側の彼女が立ち止まったのに気がつきました。彼女は何かを見つけて、口元に小さな三日月を浮かべていました。家を出るときに誰かにいってきます、と挨拶をするような、そんな何気ない仕草でした。一体何が彼女にあんな表情をさせたのだろうと、僕は窓の隅の方を覗き込みましたが、あいにく壁に遮られて、それが何かはわかりませんでした。
それから、僕は、踏み外さないように慎重に段差を下りて行きました。そして、店を出てすぐに、彼女が何を見ていたのかを探してみると、それは案外簡単に見つかりました。コンクリートの地面の上に浮かぶ、たった一つの丸い月。理屈を説明するのは簡単です。太陽の光がカーブミラーに反射して、丸く光があたっている、という、ただそれだけのことでした。しかし、数十分後には消えてしまうであろう幻の月がこんな近くに転がっていたことを、二十年近くこの辺りに勤めていた僕は、今日、初めて知りました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました(*'ω'*)




