第三十三話 交渉と洗礼
「えっ!? ど、どうして急に!?」
商談は終わってて、あとはお金と物の受け渡しだけだと思っていたあたしは、驚いてその場で立ち上がってしまった。
驚いたのは、アラン様も同じだったようで、しかめっ面でスィヤンフィ様を睨んでいる。
「申し訳ございません。少々こちらの都合が悪くなってしまいまして。それでもどうしてもご購入したいと仰るなら、一つ条件がございます。なに、悪い話ではございません」
もしかして、さっき少しだけ笑ってたのは、これだったのかな? この人、良い人そうだったのに……実は悪い人だったってパターン!?
「……聞かせてもらおう」
「あなた達が先程と話していた素材を、一部でいいので、私に売っていただきたい。もちろん多額の報酬は用意いたしますし、こちらの魔道具も、協力料として無料でお譲りいたします」
……あ、あれ? もっと酷い要求を言ってくるかと思ったけど、全然そんなことはない、ただの商売の交渉のような?
「確かに悪くは無い話だが……突然そう提案されても、何か裏があるとしか思えませんね」
「裏もなにも、希少な素材を欲しいと思うのは、当然のことでしょう。新しい魔道具を作り、世の中を更に豊かにするために、少しでもいただきたいのです」
わぁ……! 凄く素敵な考え方だよ! 貴族の人でも、こんな素晴らしい人がいるなんて! さっき悪い人って思ったのが、本当に申し訳ないないくらい!
「…………わかりました。その交渉を受けましょう」
「ありがとうございます」
アラン様は、何か思うことがあるのか、やや不満げな雰囲気を醸し出しながら了承した。
別に全部寄こせって言ってるわけじゃないし、対価もちゃんと支払うって言ってるんだから、そんなに悪い話じゃないと思うんだけどなぁ……。
「では、我々はこれにて失礼いたします」
「出口までご案内いたしましょう」
無事に受け取りを済ませたあたし達は、スィヤンフィ様とお店の人達に見送られて、馬車で森に向かって再出発をした――
「ふむ……まさかこんなところで、あの素材を手に入れる機会が訪れるとは。それに、あの娘……なぜ変身魔法など使っているのかと思い、席を外したタイミングで確認をしたら……まさか、スチュワート家のハーフエルフが生きているとは。ぜひ手に入れたい。それに、彼女に報告したら、どんな顔をするか……少々興味がありますね」
****
スィヤンフィ様と別れてから三十分程で、あたし達は目的地の森へと到着した。
森には紫色の霧のようなもので充満していて、奥がどうなっているのか全く確認が出来ない。立っているだけでも、なんだか悪寒が酷いし……やっぱりここは、普通の場所じゃないんだね。
「噂通り、かなり魔力が乱れているな」
「あたしには、そういうのはよくわからないんですが……」
「仮にはぐれたとしても、君の持つエルフの魔力を辿ればすぐに合流できると踏んでいたが……そんな考えは甘かったようだな。しつこいようだが、絶対にはぐれないようにな」
「はい、わかりました。って……何をしているんですか?」
「帰るときの道標を作っている。この魔法陣から発せられる魔力は、魔力が乱れていても追跡できる代物でな。辿って帰還するというわけだ」
た、たしかにこういう手段が無いと、せっかく目的の物を見つけられたとしても、帰れなくなっちゃうよね……全然そんなことは考えてなかった。
「待たせたな。さあ、行こう」
「はい」
あたしは、アラン様とはぐれないように強く手を繋ぎながら、ゆっくりと中に入る。
いざ中に入ってみると、霧が酷いこと以外は、特に変わった様子は無さそうだけど……油断は禁物だ。
「アラン様。いつどこから襲われるかわからないので、今から魔法を使っておきますね」
「ああ、よろしく頼む」
あたしは神経を集中して詠唱を完了し、動物や植物と気持ちを通わせる魔法を発動する。
いつもは魔法を使う時に、ここまで丁寧に使う必要は無いのだけど、なるべく広範囲に魔法の効果が及ぶ、よう……に……!?
「な、なに……これ……!?」
「どうした、大丈夫か!?」
「うっぷ……だ、大丈夫です……」
魔法を発動させた瞬間に感じた、この森に住む動物や植物の感情――それは激しい怒りや憎悪といった、強い負の感情だった。
それも、一言で負の感情と言っても、一つ一つがあまりにも強すぎて、思わずその場で膝をつき、吐いてしまいそうになった。
これも、この乱れた魔力のせいなの……? まるで、自分以外の生物全てを憎み、全ての存在を許さないかのような……。
「無理をするな。駄目なら退却を――」
「大丈夫です。多少離れましたから」
「そんなに脂汗が流しながら言われても、説得力はない」
「もう、相変わらず優しいんですから。これは、アラン様と手を繋いで、緊張しているだけですよ。いや~、こんな恋人みたいにギュッとしちゃうと、照れちゃいます!」
心配をかけないように、わざとおちゃらけてみせたけど、アラン様の表情は険しいままだった。
これじゃあ、あたしがただ空気が読めないバカな女みたい……。
「……わかった。これ以上君に心身共に負担をかけないためにも、さっさと採取をして帰ろう」
「わかりました。それで、どうやって探すんですか? さっきの水晶を使うんですか?」
「そうだ」
アラン様は、先程貰った水晶を取り出す。すると、水晶がほんのりと光り始め……とある方向を示すように、光の筋が伸びた。
「綺麗……!」
「こっちの方角に、目的の物があるようだな」
「みたいですね! あれ、でも……なんだか線がブレてますね?」
「この森の濃密な魔力による乱れが発生しているんだ」
「さっき言ってたやつですね」
「そういうことだ。だが、これで少しでも目的の物に近づかないと、何も始まらない」
「ですね。光をよく見て……あっ!」
「どうした?」
「なにか……こっちに来ます!」
あたしがそう言った瞬間、気の影から漆黒の体毛を持つ、巨大な熊が飛び出してきた。
前の世界の基準で考えると、大体二メートル……いや、それ以上はある大きさの熊は、飛び出してくるや否や、返り血か何かがべったりと付いて、赤黒く変色した爪を振り下ろしてきた。
「これは、手荒い歓迎だな」
冷静に、しかし迅速に動いたアラン様は、あたし達の足元に魔法陣を展開する。すると、あたし達を守る小さな障壁が生まれ、熊の爪から守ってくれた。
今のうちに、この子にあたし達が危険じゃないって伝えないと!
「やはり、ここの動物は恐ろしいほど好戦的のようだな。ミシェル、あまり長くは持たなさそうだ。慌てずに、急いで魔法を使ってくれ。ダメそうなら、俺が魔法でなんとかする」
「はい! あたしに任せてください! 聞いて、あたし達はあなたの敵じゃない……!」
「グルルルルル……」
目の前の熊から感じるのは、あたし達への絶対的な恐怖。やらなければやられるという恐怖、大切な縄張りを侵されるかもしれない恐怖……ありとあらゆる恐怖が、この子を支配していた。
元々、この子はとても臆病な子なのかもしれない。こんな森にいるせいで、恐怖で心を支配されて……こんな子に、あたしの魔法が通じるかはわからないけど……!
「やるしかない! お願い、あたしの声を聞いて! あたしの気持ちを聞いて!」




