第十一話 慣れた頃に
「ふぃ~……よし、ピカピカ!」
同日の夜、今日もお店をオープンさせるために、あたしはテーブルを綺麗に拭いていた。
三ヶ月も働いているおかげで、ここでのお仕事には慣れてきた。最近はあたしが接客をして、リシューさんがレジに座って、お会計のお仕事をしている。
「いらっしゃいませー! あっ、アラン様! 本日もご来店、ありがとうございます!」
「ああ。今日も元気だな、ミシェル」
「明るさと元気が取り柄みたいなところがありますから!それで、ご注文はいつものでよろしいですか?」
「ああ」
常連さんであるアラン様が、オープンと同時に来店した。
この人、決まった曜日と時間に来店して、同じものを注文するうえに、とんでもなく綺麗だから、凄く印象に残るようになっちゃったよ。
「オーダーでーす!」
「ああ。いつものだな」
「はい、いつものです!」
少し苦笑気味に答えると、イヴァンさんは慣れた手つきで料理を始める。
イヴァンさんの料理の手際は、一切無駄が無い。あたしも料理は出来るけど、あたしの腕前なんて、おままごとレベルなんだって思わされるくらいだ。
もしかしたら、どこか凄いお店で働いていたのかって思って、前にリシューさんに聞いたら、イヴァンさんはとある貴族の家で料理人をしていて、リシューさんはその屋敷の使用人をしていたそうだ。
その話を聞いた時は、思わず目が点になっちゃったよ。
それと同時に、どうしてそんな素晴らしい職場を辞めて、ここで店を開いてるのかって疑問に思った。
そうしたら、イヴァンさんは自分の店を開きたいという夢があったそうで、当主様とその弟様が後押しをしてくれて、こうして店を開いたそうだよ。
世の中には、そんな素晴らしい貴族もいるってことだね。
前世の両親や、あたしを追放したお父様に、その二人の爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだよ……あはは……はぁ。
「ミシェルちゃんも、随分とこの店に慣れたもんだねぇ。今じゃ、すっかりうちの看板娘だよ」
「いやいや、あたしなんてまだまだですよ~」
「なに謙遜なんてしてんだいこの子は。こういう時は、当然だ~くらい言うもんだよ!」
さ、さすがにそこまで自分を褒めるのは難しいかも……これでも、一応中身は生粋の日本人なもので……なんて言っても理解されないのはわかってるから、黙っておこっと。
「あっ、ねえねえそこのお兄さん。よかったらお姉さんと遊ばない?」
「…………」
今日もいつものように仕事を続けること数時間。随分と酔っ払った若い女性が、アラン様をナンパし始めた。
ナンパしたお姉さんは、同性のあたしから見ても美人だなって思うし、随分と胸元を強調した服を着てるから、普通の男性なら少しは魅了されてもおかしくなさそうな相手なのに、アラン様は無視を決め込んでいた。
「ちょっと、聞いてるー?」
「他を当たってくれ」
「そんなことを言わないで、お姉さんと遊びましょ」
「丁重にお断りする。俺は君に興味は無い」
あまりにもズバッと言われてしまった女性は、舌打ちを残して席から離れていった。
見ての通り、アラン様は基本的に誰に対しても、あんな感じで興味を持たず、適当にあしらう。それが例え、男性だろうが女性だろうがお構いなしだ。
そのせいか、他のお客さんのアラン様に対する評判は、良いものではない。むしろ、怖くて危ない人だというレッテルを張られている。
「あいつ、本当に愛想がないよなー」
「目つきも悪いしな。あれ、誰か殺してますって言われても、不思議じゃないぜ」
アラン様に貼られたレッテルを証明するように、他のお客さん達が、遠巻きにアラン様を見ながら、コソコソと内緒話をしているのが耳に入ってきた。
あたしの時は、普通に話してくれるのに、他の人とは一切関わろうとしないんだよね……この違いは何だろう?
――なんて思っていると、急におしりを何かに鷲摑みにされた。
「うひゃあ!?」
「お、可愛い声を出すじゃないか」
「ちょっと、何するんですか!」
「ふごぉ!?」
眼鏡をかけた、いかにも偉そうな学者って雰囲気の男の人の頭に向かって、持っていた銀のトレイできつい一撃をお見舞いした。
ああビックリした! 急におしりを触ってくるなんて、セクハラも良いところだよ! 見覚えが無い人だから、多分ご新規の人だろうけど、誰だろうと関係ない!
「おい、ここの店員は客に暴力を振るうように教育されてるのか!? これだから、頭が空っぽの連中が通うような、汚い店なんて嫌だったんだ!」
「す、すみません先生……ですが、ここの料理とお酒がおいしいって話をしたら、バカな連中を貶しながら飲めるって、ノリノリだったじゃないですか……」
「なんだと!? 貴様、私を愚弄する気か!」
学者風の男性は、一緒に来店した若い女の人を相手に、きついビンタをお見舞いした。
酒場という職場の関係上、こうやって態度の悪い人は度々見かけるけど、女性を相手に暴力を振るうなんて、悪質過ぎるよ! そもそも、悪いのはこの人の方なのに!
「ちょっと! あなたがあたしのおしりを触ったのが悪いんじゃないですか! その人は関係ありません!」
「なんだい、騒がしいと思ったら、うちの可愛いミシェルちゃんに手を出したのかい!? いい度胸じゃないか、表に――うぐっ、腰がぁ!」
話を聞いていたリシューさんが、顔中に青筋を立てながら、腕まくりをして学者風の男性に近づくが、その途中で腰を押さえながら座り込んでしまった。
腰が悪いのに、急に動いたら痛めるのは当然だよ! ああもう、今はこんな最低男のことよりも、リシューさんを介抱しないと!
「なんだこの眼鏡ハゲ! 偉そうにミシェルちゃんと女将さんをいじめてんじゃねーぞ!」
「ぶっ飛ばされてえか!」
「ふん、バカどもめ。貴様らが束になったところで、私の魔法で一捻りだというのに!」
「せ、先生……恥ずかしいからやめましょうよ……」
「お前は黙っていろ!」
彼は周りの常連さん達のヤジにも屈しず、半分涙目になっている女性の説得に応じず、ギャーギャーと騒ぎ続ける。
耳まで真っ赤だし、既にだいぶ酔っているんだろうけど、だからといって人様に迷惑をかけるのは許容できない。
「いい加減にしなさいよ! 男性が女性に手を上げるなんて、何を考えているの!? それに、周りのお客さんに迷惑ですから、騒がないでください!」
「どれもこれも、全部お前が冗談も流せないのが悪いんだろうが!」
はぁ!? ここまで来ると、理不尽を通り越して笑っちゃうくらいなんだけど!? どういう生活をすれば、ここまで理不尽に――って、あたしも記憶が戻る前は似たような感じだったから、強くは言えないかも。
「……なにを、騒いでいる?」
「イヴァンさん!」
さすがに騒ぎ過ぎたのか、珍しく店の奥からイヴァンさんがやってきた。
「ほ、ほう……いかにも頭の中まで筋肉で出来てそうなバカが出てきたじゃないか。店員に暴力を吹き込んでいても、おかしくない!」
「奥で……聞いていた。うちの……大切な妻と従業員と客に迷惑をかけるバカは……今すぐ消えろ」
「私は客だぞ!? それが接客する人間の態度か!? この店はちょっとした冗談をした客を追い出すような店なのか!?」
見た目がかなり怖いイヴァンさんが出てきたから、大人しくなると思ったけど、それは大きな勘違いだったみたいだ。
こうなったら、多少の反撃は仕方がないと割り切って、無理やりにでも帰ってもらうしかない。
でも、どうやればいいんだろう。あたしは自慢じゃないけど、人を傷つけるような魔法は使えないし……ええい、考えていても仕方がない! 出たとこ勝負だよ!
「……失礼。少しいいか?」
あたしが一大決心をした直後、あたしの前に一人の男性が割って入ってきた。
その男性とは……なんと、アラン様だった。