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龍の子  作者: 二歳児
第一章
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第1話 プロローグ

 タグ確認を推奨します。各種セルフレイティングは保険です。



──────────────────



 遥か昔、この世界の覇者は龍だった。至る所に君臨する龍が、業火を喉から吐き出し、強大な魔法への耐性で他の生物を(くだ)していた。圧倒的な巨躯に逆らえる者は居らず、どの生物も龍から逃げまどって生活するのが常だった。


 ある時一匹の龍が、一人の娘と恋に落ちた。種族を超え、世界の命運を超え、全ての垣根を超えた恋愛だった。


 龍は己の姿を自分が望んだものに変えることが出来る。多くの龍が自分の姿形に誇りを持っているため、姿を変えた状態で人前に現れることは非常に珍しいことだったが。

 娘に恋に落ちた龍は、人へと姿を変えて人間との暮らしを始めた。


 その後長い時を経て、龍は衰退し、表舞台から姿を消した。娘との子供に受け継がれたあの龍の血を残して。

 龍の血は細々と、そして長々と受け継がれていった。時折先祖返りのような形で姿を現しつつ、やがて歴史の記憶の彼方へと消えて行った。


 ────そんな龍の血が一人の青年に返り咲いた。







 ザルティス、それが自分の名前だった。外見的にも体格的にも身分的にも特筆すべき点はない。家族の柔らかい愛に包まれてこの年にまで生きて来た。面白みのない幸福な人生を送っていた。それも少し前までのことだ。


 目を細めて俯きつつ、自分の左腕を眺める。まるで龍か何かの鱗のように、そこには青く鈍い硬質的な肌が浮かんでいる。一般的には『龍の子』と称される、発症例の少なくない奇病の一つだ。その病の特徴を挙げるとしたら、龍の末裔と蔑まれ、生きとし生ける人間全てに蛇蝎の如く嫌われることだろうか。


「………私たちの与えて来た愛には何の価値もなかったのね」


 母親が妙に芝居がかった台詞を呟いた後、静かに涙を流す。疲労なのかそれとも衝撃だったのか、母親は直ぐに倒れてしまいそうなほど弱々しく立っていた。それに寄り添うような形で父親もその目を怒らせている。妹も泣き出していて、龍の子のことなど視界に入れたくないとでも言いたげに下を向いていた。


 自分も幸せな家庭を築いていたと思っていたというのに、病気が表沙汰になった途端この(ざま)だった。こんな家族に育てられたのかと思うと正直なところ胸を衝かれるような落胆がある。


「何処かで死んでくれ。それが出来ないなら取り敢えず視界から消えてくれ」


 父親は遂に視線を逸らして、唸るように呟いた。龍の子になりたくてなったわけではなくともここまでの恨みを向けられなければならない謂れは何処にあるのだろうか。

 そこまで考えて、不意に過去の自分が頭を過る。龍の子に対して何かしらの同情や憐憫を感じたことがあったか。表面的に感情を表すことはしなかったにしろ、心のどこかで負の感情を抱いていなかったか。

 それが自分に返って来ただけだと思うと少し笑えた。


 ある意味、この年齢で気が付けて良かったのかもしれない。龍の子となる人間の感情の機微と、自分の家族の実態に。もし年を経たうえで同じ状況に追い込まれたとしたら、未来への希望の無さにこの場で崩れ落ちてもおかしくない。

 今の自分に希望があるかと言われたら微妙だ。それでも、何も行動を起こせないほどの絶望感に襲われている訳ではない。


 もう一度瞼を半分閉じて下を向き、同じように左腕を眺めた。

 発病した当初手の甲に少し浮かんでいるだけだった鱗は、今や左手を伝って背中にまで侵食してきている。驚くことに今のところ大した害はない。むしろ体が少し軽くなったように感じるほどだった。龍の子という病は発病者の身体に表面的だけではない変化をもたらすという。体の調子が良いのも、その内の一つかもしれない。

 ふと妹が俯いたままこちらに視線を向けているのが見えた。その隠れて伺うような視線が可笑しくて、龍の痕跡に覆われた左手を見せびらかすように引っ繰り返した。妹が目を見開き息を呑んで、母親の腕へと縋り付く。両親が殺気立つのが見えた。


 頭を下げる気にも、家族に最後の言葉を掛ける気にもなれなくて、そのまま足早に家を出る。

 龍の子が歩き回っている姿を誰かが見たら方々に迷惑が掛かるだろうというのは父親の主張で、そのせいでこんな夜中に一人何も持たずに家を出るようなことになった。こんな時間に町の外へと無防備で放り出すなんて正気な人間がすることではないと思う。

 そして龍の子の持ち物は即刻捨てるべきだと主張したのは母親で、それを一つ残らず燃やしたのは父親だ。脳裏に蘇るのはそれを見て泣いていた妹。彼女がなぜ泣いていたのかは今を以て分からない。


 こんな状況であっても自分の頭はそこまで混乱していなかった。この数週間は家から外に出ることもなく家で家族に猜疑と恐怖の視線を向けられる生活だったからか、清々するとまではいかなくても、何かから逃れられたような心持がある。

 怒りというほど熱に満ちた感情はなく、諦めというほど冷たいわけでもない。問題に直面した人間が面倒になって考えることを放棄したかのように、何かを感じる機関が麻痺している。


 これまで幸せに生きて来た気がしているのだが、どこで道を間違えたのだろうか。


 座り込んで涙を流すような気にもなれなくて、町の門を出た後は森を真っ直ぐと進んで行った。夜中に森の中を出歩くと危ないからやめろと、何度父親に言われたことだろうか。帰りが少し遅くなった時は母親にも叱られたものだ。


 何の影響だろうか、以前よりも夜目が効く。


 周囲を見渡すために止めた足をもう一度前に踏み出した。







 数時間後、森の中の一際開けた場所で自分は休んでいた。


 ここまでの距離を歩いて来た疲労は全くと言って良いほどないが、疲労がなくとも足を止めたのは、ずっと後を付いて来る蛇の存在が理由だった。こうして自分が屈み込んで覗き込んでも、疑問を頭上に浮かべているかのように首を傾げるだけで、逃げる様子は殆どない。

 特徴的なのはその色だ。森の薄暗い景色の中で一段と溶け込むような色合いの冷めた白色をしていた。しかし特筆すべきはその色だけで、その他については輪に掛けて普通だ。薄汚れて体色が目立たなくなれば、町で見かけても何も疑問を抱かないかもしれない。


 そんな白い蛇が、何故か楽しそうに体を揺らしながら、座り込んだ俺の右足に擦りついて来る。


 蛇の体は細く、触れると拉げてしまいそうで怖かった。指先だけで鼻先を撫でると温かい舌がその指先を舐める。

 こうも懐かれているのは龍の子の影響なのだろうか、と頭の中でそんなことを考えながら蛇へと伸ばした自分の左手の鱗を眺める。月の光が染み込む青黒い鱗は、目の前の蛇のそれと似ても似つかなかった。


「人間なんかに着いて来ない方が良いんじゃないかな」


 口ではそう言いながらも蛇の首元を擽ると蛇は嬉しそうに目を細めて尻尾を揺らし始めた。


「一緒に来てくれるの?」


 通じないとは分かっていながらも、言葉を吐き出すのを()められなかった。無意識のうちに張り詰めさせていた緊張が少し(ほど)けて行くのを感じる。

 問い掛けられた質問に動きを止めた蛇は、返答をするわけでもなくじっとこちらを見つめていた。


「………長生きするかは分からないけどね。それでも良いなら」


 生きる当てもなく、自暴自棄でただただ森の中を彷徨っているのだ。何もしなくてもいつかは命を落とすだろう。そう思って行ったのだが、当の蛇は『何で!?』とでも言いたげな様子で、抗議をするように頭突きを何度かしてきた。

 心が癒される。


「じゃあ、着いてきてくれる? 肩に乗ってでも良いから」


 手を伸ばしてやると、蛇は嬉しそうに昇って来た。そのまま首元の方まで這って、体を落ち着ける。立ち上がっても落ちる様子はなかった。


 たかが一匹の蛇だったが、急に生きる気力が湧いてきたような気がした。人生死にかけると思考能力が大幅に低下するらしい。変に楽しくなって蛇のことを撫でた。


「名前はあったほうが良い?」


 気まぐれにそう聞くと、首元をせっつかれる。擽ったいので止めてくれと言ったら、今度は肩を甘噛みし始めた。


「どんな名前が良い? ハクとかで良い?」


 また肩を噛まれる。これでは賛成されているのか反対されているのか分からない。まあ怒られたら変えたら良い。ハクという名前は呼びやすく分かりやすい。当分の間はこれで良いだろう。


 空腹はない。疲労もない。

 肩に乗る小さな重みを動力源に、夜中の森を更に歩いて行った。

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