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第二八話






 ライネリカの従者二人は、リュグザが飛ばした早馬が来たことで、ライネリカが目覚めた事を知り、急いで本殿へ戻っていった。

 心情としては、ライネリカが待つ部屋まで送り届けたかったが、アスターには大国での建前がある。フィーガスを客殿に残したまま、王太子妃自ら従者を案内するわけにもいかず、彼女は冷めた紅茶を飲みつつ、両肘をテーブルにのせた。

 剣呑に中空を睨みながら考えるのは、ライネリカがシガリア加工施設で相対した、ジャダル第二皇子が身に付けていた宝石だ。

 左耳に埋め込まれたあれは、間違いなくシガリア鉱物を加工したものだろう。ジャダルは飾り気のない武人だ。装飾品は特に関心が薄く、ライネリカが訪問するとはいえ、わざわざ耳に穴をあけて洒落っ気づくとも考え難い。

 十中八九、感情を司る神経を麻痺させる成分を含む加工物だ。

 大国でも戦時以外はご法度の代物で、シガリア鉱物を加工する際に、薬物を混ぜ込んで作る代物である。戦時は兵士の士気を高める為に使用される事もあるが、神経をやられる薬品が使われるので、日常的な使用は命に関わった。

 ジャダルは第三皇子、その危険性を知らないわけがない。しかしエイロス国第二王子ラヒューレの打診により、リュグザの背後でライネリカを眺めるだけだった男は、初めて近距離で女神と相対する機会を得た。

 あの男は、その為にあの装飾品を身につけたのだろう。

 気分を高揚させ、戦場に出ている時と同じように、目の前にいる少女を獲物と定めて。

 アスターは秀麗な顔に似合わず、表情を歪ませ舌打ちする。

 ライネリカが加工施設に足を運んでいると知り、急いで駆けつけて、本当によかった。もしあのまま、あの汚い手が女神に触れて、どこかへ連れて行こうとしたら。考えるだけで悍ましい。左耳の装飾品を木端微塵にする前に、あの男を串刺しにしてしまう。

 ライネリカの容姿は、他の人間と一線を画する。アスターの贔屓目があったとしても、白い素肌と指通りの良いショートボブ、星空を散りばめた深い夜の瞳は、神聖で美しい。同じ容姿のラジレイシアと何かが違って見えるのだ。


「……君のような猫被りを、僕も少し見習うべきだろうな」


 独り言混じりの言葉に、アスターは視線を下げる。絨毯に伏せたままのフィーガスが、ぼんやりと出入り口の扉を見つめていた。


「なぁに、嫌味?」

「まさか。感心しているし、羨ましくも思っている」


 アスターは片手を伸ばし、彼の立髪を優しく撫でる。されるがまま無言になる白馬に、柔和に口元を緩ませた。


「……貴方はよくやったわ、閣下。主さまには、あれくらい強く言える誰かが、必要なの」

「だが……もう少し上手くできるんじゃないかと、君も思うだろう? 彼女を見ると、どうしても感情的になる。……シガリアと同じ顔で、死ぬ事が当然だと言われると、どうしたって悔しくて、憤ってしまう」


 アスターからは、白馬であるフィーガスの表情の変化は読み取れない。しかし歯痒く唸る声は、確かに彼の悲しみを表していた。

 彼から話に聞いたシガリアは、通常、人と同じ姿を取っていたのだという。その理由は分からないが、彼女はライネリカと同じく、身姿の美しい目を引く異形であった。


「貴方は、養母さまを愛していたのね」

「……愛していたよ、家族として。彼女は躾に厳しく、性格はキツかったけれど、……父や母のような打算はなく、僕ら兄弟を愛してくれた。……大切な、養母だった」


 再び沈黙するフィーガスに、アスターもそれ以上の言葉を探せず、同じく口を閉ざす。暫く時計の秒針が進む音を聞いていれば、客間のドアが叩かれ顔を上げた。


「閣下、開けても大丈夫っスか?」

「どうぞ」


 キリノスの声に応えれば、礼を述べてから彼が扉を開ける。入ってきたリュグザとキリノスに、アスターは席を立ち、僅かに怪訝な顔で首を傾けた。


「主さまは……?」

「ああ、アスタロイズ。客殿に連れてくると、フィーガス閣下がいるとはいえ目が届き難いので、お前の部屋に通しました。不在の時に申し訳ない」

「それは全然、問題ないけれど……、二人とも、どうしてここに?」

「あいにく、追い出されました」


 わざとらしい大袈裟な仕草で落胆するリュグザに、キリノスが苦笑する。

 ライネリカが目を覚ましたまではよかったが、すっかり警戒してしまい、大急ぎでバラとリンドウを呼び戻したのだ。今の彼女は手負いの子猫を思わせ、キリノス自身は少し笑ってしまったが、不安げにリンドウに抱きついたまま、一言も発しないのである。

 ひとまず近しい者達だけが良いだろうと、男二人は退散してきたのだ。


「そうなの……。あたしは主さまが心配だから、部屋に戻るわ」

「ええ、そうしてください」

「……でも、その前に一つ、ジャダル第三皇子について報告を」


 腹の前で軽く手を組み、剣を帯びた表情で対峙するアスターに、リュグザは片方の眉を吊り上げる。


「あのゲス、汚い手で主さまに触れようとしたわ。わざわざシガリア鉱物に薬品を混ぜ込んだ、装飾品を身につけて、気分を高揚までさせて」

「んなっ……!?」


 驚愕に目を見開いたキリノスだが、あまりにも苛烈な感情を横から感じ取り、思わず飛び退いた。

 慌てて目を向けると、金眼を見開き口角を吊り上げたリュグザが、掠れた息で笑みを零す。真っ向からその視線を浴びたアスターは、顔面蒼白でドレスを持ち上げその場に膝をついた。

 およそ人間が漂わせてはいけない、強烈で明確な殺意だ。自分に向けられたものでないのに、息が出来ない。目の前に佇む男はまるで、死という概念そのもののようだった。

 冷や汗が吹き出し小刻みに震える体は、これ以上の怒りが向かないよう、首を垂れて許しを乞うことしか出来ない。

 静かに立ち上がったフィーガスが、馬具を彩る装飾品を揺らしながら、リュグザに近寄る。そして頭部を垂れると、柔らかな声音で呟いた。


「…………怒りを静めた方がいい。二人とも怯えているだろう、──()()


 




 





 

 

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