同意はあります。
「では、同意は得たということで」
ものすごく冷静に言われました。
え、と思っている間に手をひいて椅子に座らされて、ある書類を前に出されました。
大混乱。ですけど。
「名前はここに書くこと」
「は? え?」
「すぐに済む」
「な、なんですか? これ?」
かろうじて聞けました。
昨夜、ゲイルさんに言われましたね。
説明なく名前を書くように言われたら気を付けた方が良いって。
今、現実的に直面するとは思いませんでした。
ええと最初に婚姻許可証とか書いてあってですね。日付と名前を書く欄以外が埋まっているという謎の書類なんですけど。
普通逆ですよね?
不正書類ですか?
疑いのまなざしを向けても薄く笑われただけでした。
「教会から出してきたんだから構わないだろ。見越されたようで癪だが」
全く悪びれもしてませんね。なにか、ものすごく、らしくない気がするんですけど。
「今すぐっておかしくないですか?」
「先ほどの答えは嘘だったと」
「違いますっ!」
「それはよかった」
クルス様が事務的に自分の名前を先に書いていました。……あ、フルネーム初めて知りました。
それが終わって無言でペンを差し出されました。なにか、なにかが違う気がしますっ!
急って言うか、急ですよっ! そんなの婚約とかから始まるかと思うじゃないですかっ!
少し冷静になりましょう。深呼吸大事です。
そもそもあたしが婚姻の形式がどうなっているかよくわかってないのが問題です。
ぺらりと頭の中でページがまくられる音がしました。
結婚というのは一般的には両家族で書面を交わし、周りに知らせ、同居するくらいでしかない。国に婚姻したことを伝える書類くらいはあるが庶民であればただの報告でしかない。それで何かを保証されることはない。
良い点があるとすれば結婚は気軽ではあるし、離婚もすぐに成立する。ただし、揉めないわけではない。
貴族や有力な商人などとなれば別の手順などがあり、それなりに国も介入してくる。
滅多なことがなければ、無効などにはされない。
ただし、国に不都合があれば無効にされる恐れは常にある。
教会での婚姻の誓いは簡単なわりに離婚も許さない厳格なもので、あらゆる介入を拒む。ただし、教会が受け付けを拒否することがある。双方の合意のみで成立する。←今ここ。
ええ、いま、そこですけどね。
急展開過ぎてよくわからないと言います。
「急ぎすぎたとか言いつつ急ぐ理由ってなんですか?」
「気が変わると困る。介入もされたくない」
「……そ、そうですか」
他にどう言えばよかったんでしょうね。新婚ですぐに別れ別れってどうなんですか。今のところは結婚の約束程度で考えていたあたしが甘かったんでしょうか。
思ったより、トラウマが根深い気がしますよ? 本当に大丈夫?
ユウリの存在が拍車をかけているんでしょうけどね。きっと今でもあとでも書くのは変わりないと思います。たぶん。
なんとか無理矢理納得させて書くべき所に名前を書きます。日本語でもよいですよね。
それが終わるや否やキラキラが降ってきました。突然上から光る小さな粒がふわふわと。
「承認されたようだ」
「なにに?」
「神的な存在。会ったからアリカはわかるんじゃないのか?」
「説明を!」
聞いてませんよっ!
脳内の検索結果の不備がわかりましたよ。その部分の説明を意図的に排除された気がしてなりません。
知らせたくないことは、隠蔽する体質ですか。
「人の世の理の外で承認するから、人の世での干渉は不可、ということだ。さすがに神の決定に逆らおうとまでするのは少ない。無効と言い張られることはないし、無効にも出来ない。時折、神殺しとかやられるけどな。
承認したのは詩神あたりだろうからそう簡単に……」
クルス様が黙りました。
書類に何か不備が?
「あの、何か印がついてますけど?」
この六つの印ってどういう意味なんでしょう。先ほどはついてませんでした。
可愛い感じの鳥っぽいものとか、麦の穂に見えるのですが、よく見れば文字のようです。
「普通は、一つくらいなんだが。魔導師に関わる神の名といえばいいのか」
「……全力で否とは言わせない感がすごいです」
「これを否定すると魔導師全てを敵に回すかな」
魔導協会じゃなくて魔導師というところでしょうか。魔導協会、教会もあわせて魔導師がどのくらいいるのかって話ですね。
とんでもない代物ができてしまいました。クルス様もお困りですね。これ、教会に戻すんですよね。基本的に保管するのはそこでしょうから。
「どうします?」
「戻すしかない。教会で管理してこそ効果が保証される」
クルス様は紙袋に雑にいれてますけど。いいんですか。それ、大事です。破けたり折れたりすらしない気はしますが。
「そういえば日付はいつにしたんですか?」
「会った次の日くらい。説明する必要があれば、手を出した責任をとった。来訪者とは最初知らなかった、という怪しい言い訳をしておく」
「……そうですか」
今までなにもありませんけど。そのあたり聞いてくるなんてことはないと思いたいです。
そして、怪しいと自分で言うってどうなんでしょうね。そんなことをしそうな人ではありませんが。
……いや、そうでしたっけ?
少々くるもの拒まない系だったような気がするんですけど。本編での出来事を思い出しかけて封じました。あとで要確認です。
「さて、順番が逆かもしれないが」
急に指先が首に触れました。
「んっ。くすぐったいです」
慣れてない感じで鎖の留め金を外されました。
「左手の薬指とユウリが言っていたが、あってる?」
「あってますけど、なに聞いてるんですか」
「少し前に言っていた。ローゼに贈りたい、どんなのがいいと思う? とかなんとか。
どこの習慣かわからなかったが、異界ならわかるわけがない」
ユウリは全くぶれてませんね。ローゼは指輪をもらえたんでしょうか。
そして、なぜにクルス様に相談したのでしょうか? 他にも適任のチャラい男がいたような気がするんですよね。あたしは嫌いですけど。
いやちょっと俺様もチャラいのもは少しばかり好みの範囲の外でして。原因は店長。
……順調に現実逃避してます。
なにか跪かれたんですけど。
あ、むり。とか言い出しそうな意識を引き留めるのに必死です。椅子に座っていてよかったです。
黙ったあたしに少し笑って、クルス様は左手の指に優しく嵌めてくれました。
そのまま手を握られていると落ち着かないですよ。
「指輪、ください」
手を離して立ち上がり、机の上に放り投げてあった箱を手に取りました。雑すぎません?
「ん」
渡された箱の中の指輪は同じ形のはずですが、対というには石も枠も色が違います。
硬質な青みを帯びた銀の枠に新緑を思わせる緑の石がはまっています。これはこれで綺麗ですね。
あたしも立ち上がって、クルス様の手をとりました。
大きい、小さな傷のある冷たい手。
無言でぐいっと嵌めてやります。
自動サイズ調整しているようできつくはありましたが入ります。ええ、痛いとか言われたのは聞かないふりです。
クルス様は指先をさすりつつ、こんな事を言い出しました。
「これからよろしく、奥さん」
……。
うん、推しが旦那様とかパワーワード過ぎます。紙一枚書いただけでなにか変わった気もしませんが、色んなものをすっ飛ばして旦那様ですか。
え、ほんと? 何かの白昼夢では?
抱きついて実体を確認したくなったのはおかしくないとおもいますっ!
「この先もよろしくお願いします。旦那様」
しばしの沈黙のあと、きついくらいに抱きしめられたのは少しばかり意外でした。以前はもうちょっと狼狽えていたような。
「……すこしくらい、味見してもいいよな?」
は? え? な、なんですか。それ。不穏といいますか、危機感しか感じませんよ。
なにかスイッチ押しちゃいました?
あ、冷静に考えるとまずかったようなっ!
「んっ!」
耳、甘噛みされましたけどっ!
唇が耳を挟んで、甘噛みされるなんて経験ありませんよっ! ぞわりとした感覚になにか目覚めちゃいそうですっ!
「ちょ、ちょっとだめっ!」
焦ってうわずった声に楽しげに眼を細めて、可愛いなんて囁かれては、瀕死です。腰砕けにならなかっただけ頑張りました。
それ、きっと大変なことになりますからねっ!
さらに味見されるのは阻止しました。より正確に言うとキスされそうだったので、手をあてて阻止しました。
自分の反射神経を褒めたいです。
「邪魔」
とか言いながら手をとってそのまま唇をあてられちゃって悲鳴をあげそうでした。
あ、無理、これむりっ! その駄々漏れな色気しまってくださいっ!
「絶対、少しで済みませんっ! 昼間ですし、ユウリもいますしっ!」
自覚はあるのでしょうか。途端につまらなさそうな顔になりました。手は離してもらえましたけど、代わりに指先が唇を辿っていきます。
「残念だ」
そういうわりにあっさり離してくれましたけど。
じっと見ていれば、ため息をつかれ距離をとられました。
「忍耐にも限界はある」
「……すみません」
煽っちゃったみたいです。
「まあ、焦らなくても冬は出られないからな」
……なにされちゃうんですか?
そもそもその前に片付ける色々は無視ですか。
「その前に無事に戻ってきてくださいね? 即未亡人とか笑えません」
「気をつける」
確約は、どこにもありません。




