推しと同居することになりました
新年二日目は、なんと、木の上スタートでした。
思わず叫びましたね。
「た、たすけてーっ!」
なんで、あたしが木の上にいるのかっ!
寝て起きたらこうだったんですよっ!
昨日はそのまま神社から帰り、やけ酒飲んで寝たんですよ。特別ななにかなんてなかったんで、夢ですかね? そういうことにして目を閉じても一向に起きませんっ!
現実のあたし、早く起きてっ!
ご丁寧にパジャマではなく、全く別の服を着ていました。町娘Aって感じですねっ!
だいぶいい感じに混乱してきてます。
木の上、それも5メートルはありますかね? 落ちたら死ぬ。
リアルに死ぬ。
樋口亜璃歌。享年25才。とか嫌ですっ! しかも落下事故とかっ! ぐっちゃぐちゃじゃないですか。
「……なにしてんの?」
下からと言うよりはもう少し近い位置から声は聞こえました。目を開けてあたりを見回しても誰もいません。
うっかり下も確認して悲鳴をあげてしまいました。
「なんでもいいから助けてくださいっ!」
謎の声でもいいのでっ!
「契約するかい?」
「はいっ!」
一瞬の沈黙のあと笑い声が聞こえました。からかわれたのだろうかとちらっと考えましたが今はそれどころではありません。
「目、閉じてろよ」
言われなくても目、閉じてます。まあ、相手からは見えなかったか、念押ししたかったんでしょう。
ふと小さな音が聞こえた気がします。いえ、気のせいではなく、確かになにかを奏でるような音が。優しい声が奏でる音。ほんの少し落ち着いてきた気もします。
しかし、この声、なにか聞き覚えがある気もするんですよね。
隣に誰かが座った気配がします。枝が音を立てても良い気がしますが、重さがないように全くたわみもしません。
「触るけど、悲鳴は無しだ」
「うい」
「いい子だ」
笑いをこらえているような声。くっそう。からかわれている気しかしません。
それでも驚かさないようにでしょうかそっと肩に触れられました。
燻った煙のような匂いがすると思った時にはだいぶ密着していました。抱きしめられるってこんなだった気がしますね。って!
こんな場合でなければ悲鳴あげたでしょう。今も心の中では悲鳴をあげました。
「転移」
先ほど聞いた旋律と似たものが聞こえてきます。二つの音がハーモニーを奏でて、なんだか落ち着きます。
大丈夫。とでも言いたげに手を握られましたが、とても冷たい指先でした。
「もう、いいぞ」
久しぶりの地面の感触にとても感動しました。地面に立つっていい! あんな木の上とか信じらんないです。
ほっとして泣きそうです。
「お、お手数をおかけいたしま……」
目を開けて、見上げて後悔しました。
な、なんでっ!
我が推しがおられるんですかっ!
茶色の髪がやや伸びて目元にかかるほどですし、無精ヒゲなくなってますけど。絶妙なタレ目が今は見開いてぱちぱちとしています。少々、顔色が悪いかも知れません。妙に近いので、よくわかるというか?
……あれ? 今ってどんな状況でしたっけ?
煙の匂いがとても近いですね。というか密着というか……。
え、なに、今ぎゅとかされたのマジで? 耳元で声聞いたの? と言うか今もその腕の中なの?
顔に熱が集まってくるどころじゃなくて、ですね。全身熱くなります。心臓がばくばく言ってますよ?
意識がくらりと遠のいてもしかたないですよね……。ああ、きっと夢です。幸せな夢だったなぁ……。
残念ながら夢ではなかったんです。
数時間後の無慈悲な現実です。
「んー」
なにか、苦いようなミントみたいなスッキリとした匂いがしました。なんだろうと思って、目を開けても暗かったんです。
うえになにかかけられている状況に疑問を覚えつつも身を起こしました。
一体どこで寝ていたんでしょうか。
寝たら全く動かないので逆に怖いなんて言われたことがありました。なので、掛け布団が頭にかかるってあんまりないんですよね。
周りを見回してもどこも見覚えがありません。元々はリビングか応接室のようだったんでしょう。ソファとローテーブルが置いてありましたが、本と謎の機械とかプレートに占拠されています。
ちらっと銃のようなものが見えて首をかしげます。
どう見ても日本じゃない。部屋自体はちょっとおしゃれな洋室って感じなのですが。
「起きたか」
その声に悲鳴をあげなかった自分を褒めたいっ!
びくりとはしましたがそれは仕方ないでしょう。走馬燈のように意識不明になる前のことを思い出しましたよ。
おそるおそる声の方を向いて後悔しました。
青年が、本の山を片付けている途中のようでした。こっちを見て少し笑みを浮かべてくれました。
ああ、推しがいます。前髪が邪魔なのかピンで止めておでこがでています。っていうか顔がよく見えて辛いです。
絶妙にちょいタレ目な感じがとても好きなんですよね。やる気だしたときの少し眼を細める感じも、口元だけの笑むその感じがぞくぞくしますねっ!
……おっと、色々だだ漏れしてます。
クルス様ですね。
間違いなく、彼ですね。記憶にあるより若く見えるのは、無精ヒゲがないせいでしょうか。なくても若々しくていいです。
何歳か知らないんですけど。三十前後と思ってましたけど、同じくらいだったりするんでしょうか。
……さて、もう一回寝ていいですか? 現実が現実してなくていやぁ、ほんと初夢すごいなと起きたいです。現実のあたし早く起きてっ!
「……しわになるから、それはちょっと」
思わず上にかけてあったモノを握りしめていました。布にしてはずっしり重いんですよ。苦いような匂いの元はこれですか。見れば裏地にびっしりとなにかが刺繍されています。
なにかロックですね。ドラムが音を刻みそうです。
あれ。これ見覚えがあるような気がします。ものすっごい格好いい見開きが一度ありましてね。ああ、あの時は……。
思い出しました。
こ、これっ! 武装用のマントじゃないですかっ!
だ、大事なものをこんな、こんなっ!
「他に使えそうなのがなくてね。これ自体は燃えたりしないから」
あたしの焦ったような態度を勘違いされてしまいました。危険物だと思ったわけではないんです。
「い、いえ、大事そうなものだったのでびっくりしたというかですね、えっと、えっと」
なにを言えば良いんですかっ!
「格好いいですねっ!」
……爆笑されました。ええ、腹抱えて笑わなくてもよくないですか?
いえ、滅多にないことにきゅんきゅんきましたけど。推し、尊すぎる。
クルス様はおかしーと言いながら目元の涙をぬぐっています。泣くほど笑うって。
「ありがとう」
楽しげな口調ではあるので、いいんですけど。いいんですけど……。
あたしは黙ってマントを差し出します。両手で持ってもずっしり重いです。なに仕込んでるんですかね。
なんというかこれを見ていると頭のどこかで、音が聞こえるんです。ゲームのバトル系中ボスくらいのBGMっぽいですね。怪現象すぎます。
クルス様はマントはそのまま腕に抱えています。最初は羽織ってたんですかね、見損ねてしまいました。残念です。
そして、近いです。
マントを渡したくらいですから、お近くにはいるんですが、うろうろと視線が彷徨います。ちらと見上げては顔が赤くなります。不可抗力ですっ!
「さて、事情を聞いてもいいかな?」
「朝起きたらあそこにいました」
事情説明おしまい。
まあ、クルス様も眉を下げちゃいますよね。あたしもわからないので、同じように眉がハの字になりますけど。
「そもそもここってどこなんですか?」
「ブロンディの森。ここは俺の住処」
聞いたことというか見たことはあります。漫画で。大きくはないのですが、守護の樹があり、王都の結界の一部を担っているという説明がありました。
「今は、何年なんですか?」
ついでに尋ねてみました。
「ディガイン歴293年。今は、ええと9月、だったか」
雑誌の予告では前年292年の11月だったはずです。雪がちらつく、冬のこと。
「……良かった」
終戦後、です。フラグは回収されませんでした。推しが生きてますっ!
いやぁ、戦中とか物語が始まる前とかだったらどうしようかと思いました。なにせ、一般人に出来る事なんてなにもないんです。
今から魔導師とか無理ゲー過ぎます。素質がいるとかなんとか説明されてましたから。一体その素質がなんなのかは本筋に関係なくて一切カットされていましたけど。
「良かった?」
クルス様に怪訝そうな顔をされてしまいました。さらに思案するようにあごに手をあててます。
それから急にしゃがんでソファに座っているあたしに目線をあわせてきました。
じっと見つめ合うとか心臓に悪くないですか。あたしだけですね、そうですね……。
なんて思ってたから油断したんですかね。
「ち、ちかいちかいっ!」
近いっ! いつの間に顔を覗きこんでんですかっ!
逃げようとしたらがしっとあごを押さえられました。
「黒だな」
クルス様は金茶ですね。相手の目の色がわかるくらいってどのくらいの距離なんでしょうね。狼狽したあたしの顔が相手の目に映るくらい。
妙に幼げに見えたのが気に掛かりますが、今は誘惑に耐えています。あー、なんか、色々出来る距離ですねー……。
「そうか」
クルス様は納得したのか、急に離れて行きました。ええ、本当に死にそうな気持ちです。顔どころか全身熱いです。刺激が強すぎます。
「契約の対価を決めてなかったな」
全く何事もなかったような態度に少々傷ついたような気もしてくるんですけど。意地悪で説明しないっていうキャラでもないので、言いたくないって事ですかね。
そう言えば契約するとかなんとか言ってましたね。色々刺激的すぎて記憶が遠いです。
まず、お礼の一つも言っていないことに気がつきました。
「助けてくれてありがとうございます。色々面倒もかけてしまって」
「仕事だから」
そっけないような口調ですが、ちょっと照れているからそんな口調になるのを知っているのです。原作を知っているってのも功罪がありますよね。
にやついてしまいそうでうつむいておくことにします。
まあ、それはともかくとして、対価を用意するにも身一つでなにが出来るって言うんでしょうね?
一応、ポケットも探ってみましたが特になにも入ってませんでした。
「本当にあるのは体だけですね……」
「……おい」
呆れたような顔をされる理由がわからな……。
自分の発言を反芻します。
……気がつきましたよっ!
まるで体で払うみたいな言い回しじゃあないですかっ!
「は、え、っっとぉ、肉体労働しかできませんっ」
訂正は入れましたが、膝を抱えて顔も埋めます。恥ずかしい。なんという言い回しをしてしまったのでしょうか。
「死にたい。恥ずかしい。死にたい」
よりにもよって推しに言うとか死にたいです。いや、他の誰でも問題ございますし、これ幸いとおいしくいただかれなくて良かったというか残念というか。
「しばらく、無償労働で手を打ってやるよ」
はい?
なんですか、今頭をぽんぽんと撫でられた気がするんですが。
「助手兼家政婦。期間はそうだな。半年くらい」
「えええっ! む。むりむりっ!」
顔を上げて拒否します。断固拒否します。
同居って事ですよねっ! 推しと同居。死んでしまいますっ!
「部屋は提供してやるから掃除してこい」
「むーりーっ!」
そこが一番むりーっ!
抵抗しても無駄でした。
後で考えれば、鍵もきちんと用意してあったのであたしが意識ぶっ飛ばしている間に決めてたんでしょうね。




