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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
序章
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skelton of sea bed



(まずいっ...このままじゃ!?)


 口に出さなかったのは、物理的に口に出すことを阻まれたからだ。

 水中。

 それもついさっきの衝突時とはくらべものにもならないほど巨大な『竜』だった。何処か暗く、それでいて人一人程度は簡単に通り抜けられるらしい道《・》を通っているくらいしか外部の判断はつかない。自分が嵐の海に放り出されたような渦の中で洗濯機の洋服のようにぐちゃぐちゃに漂わされている。もはやどこが上でどこが下かなんて感覚すらも大和から失われ、代わりに底知れぬ絶望の意識だけがぐらぐらと脳を揺さぶるように訴えかける。

 欠落と焦燥。

 溺れかけているというよりは、呑まれてしまったという不安。自身の命の危惧と呼ぶよりは、これから発生するであろうどう足掻いても悪い結末しか予想されない未来。大和の立ち位置があるいはかの少女で在ったら。

 シズク・ペンドルゴンだったのであれば、まず問題なく脱出できたのだろう。

 敵の目的が自身と彼女を分断することにあるなら、この結末も別視点から眺めてみれば大成功か。大和では逆立ちしたってシズクのような高火力は再現できまい。せいぜい『万有引力《テトロミノ》』で逃げに徹する程度だろう。それでもこの『竜』からは逃れられるイメージが全く湧いてこず、焦りの汗が皮膚から『竜』へと溶け落ちる。

 水の中で僅かに瞼を上げる。液体に眼球を抉り取られるのではという懸念すら行う余裕もなかった。そのほんの少しの視界の中でさえ、意識の整理がままならない。


(上下の間隔がっ...これじゃ万有引力《テトロミノ》も使えないっ!!?)


 ぐわんぐわんと脳みそが頭蓋ごと揺さぶられる。失われかけた平衡感覚と狂い損ねた意識の中で、乗り物酔いにも近い吐き気が胃の奥から這い上がってくる感覚すらあった。

 もちろんそれだけじゃない。

 水と言うのが。回転と言う現象が発生させる人体への影響と言うのはその程度にとどまるはずもない。ましてや人知を超えた咎人の存在がもたらす『異能』がここまで甘いのに不自然を感じるほどだ。水を利用する異能、水と同化し操る異能、水分を自由に変質させる異能。いずれにせよ、本気で人体を害そうと思えば、体を内側から引き裂くなり全身の水分を奪うなり出来たはずだ。

 まだ大和がそ(・)う(・)なっていないのが奇跡だった。

 改めて拳を固く握る。ぶつけるべき相手の形すら捉えられていないというのに、その白黒螺旋のミサンガを巻き付けた右腕を水平に振るった。例え平衡を奪われどこが上でどこが下かわからない状態だとしても、触(・)れ(・)て(・)し(・)ま(・)え(・)ば(・)そ(・)れ(・)は(・)も(・)う(・)万(・)有(・)引(・)力(・)の(・)射(・)程(・)内(・)と(・)い(・)う(・)こ(・)と(・)だ(・)か(・)ら(・)だ(・)。

 探す。

 手先に意識を集中させてみると、ぎりぎりまで伸ばした指先が冷たい金属質な何かに触れる。瞬間、人一人が易々と通り抜けられるほど太く広い(西区の全域に接続された冷暖房調整用)通気口の一部が消失した。

 一つの長い長いダクトとして造られたのではなく、部分部分を接続する形だったのは幸いだった。『万有引力《テトロミノ》』の縦軸移動によって、金属パーツの一部がほんの数メートルずれた位置に瞬間移動する。


「がばっ、がはっがはあ!?こ、のォ!」


 大和が呼吸を取り戻す。

 『竜』の一部が勢いのままに零れ落ち、運動量だけ持ったまま大和の体が投げ出された。ガヅンッッ!!と固い金属に腹から落ちる。

 突然の出来事で形を崩す『竜』の様子を見る暇もない。びちゃびちゃとどんどん崩れ、しかし再集合しようと試みる液体が渦を象《かたど》り巻き上がるも、大和はすかさず自分に対しての『転移』を実行する。

 数秒後、気付いた時には景色はまるっきり変わって見える。


「ぐえっ!?」


 今度は結構な高さから落っこちてしまった。

 せっかく肺へと取り込んだ酸素が腹から落下した衝撃で気管を一気にせり上がる感覚に悶える。咄嗟だったので自分が上か下かのどちらに移動したのかもわからない。とにかく高度一万メートルを真っ逆さま、なんてことにならなかっただけでも奇跡と呼べただろう。

 水に濡らされてしまったせいか、脇腹の傷口が異様に激痛を帯びたいた。よく見てみると傷が開いてしまったのか、巻き付けておいた包帯が赤く染まる。しかし立ち止まれない。現在地がどこかもわからない『異界の勇者』がシズク・ペンドルゴンと合流するためには、とにかく『竜』より逃げるほかないから。

 と、大和が立ち上がったその時だった。

 天井がまるでビスケットか何かのように簡単に粉砕されて、奥からぬるりと顔を出す影。

 『竜』が蠢く。

 鰐と蛇を足した上で更に胴を長くしたような姿の大和にとっての邪竜。歪に禍々しく、狂気を孕んだ赤い宝石のような光を放つその瞳が大和の姿を捉えていた。否、それは瞳ですらない。液体の中を漂う、漂流物のような二つの丸い球体。自ら光輝き周囲を照らしつける恒星のように、燃えるようなぎんぎらぎんの赤で大和を睨んでいる。

 大和ははじめ、その根幹に眠る感情を探ろうと試みた。例えば身近な例でいえば『憎悪』

 人にぶつけたいと願うのであればこれ以上ないほどの感情のエネルギーと言えばそれだ。七つの大罪に数えられる憤怒と似ているようで、実は破片の一部だって似通う点など存在しない恨みの心。

 しかし、大和の思考は中途半端なところで絶たれることとなる。


 『竜』がその大顎をこじ開けた。

 ぎょっとして目を見開いた大和が腹から滑り落ちるように転がる直前に、呑み込んだすべてを吹き飛ばし斬り離してしまう高圧水流のブレスが放射される。そして気が付けば、床と更にはその先の壁までもが、真っ二つに裂(・)け(・)て(・)い(・)た(・)。


「っ!!?」


 大和の喉が一瞬にして干上がる。

 もしも。

 もしも自分の手足が部分的にでもアレの直撃を受けていたら?あるいは今もじゅぐじゅぐと血をにじませる脇腹へ、再び抉るような水鉄砲が撃ち込まれたら?『もしかしたら』は時に強烈なイメージすらも本人に植え付けていく。大和はいつの日か、その繰り返しで培われるのが『害意に対する直感』である、という文章をどこかで見たことがある。

 脳裏に焼き付いていた。自分の肉体の一部が失われた姿と、丁度腰の辺りから上下に引き裂かれて鮮血を撒き散らかす自身の姿を。実際に体験したわけでもないのに、本当にその記憶があるのかもと錯覚するくらい鮮明に。


「この野郎!!」


 叫んで、運よく近くに転がっていた握り拳サイズの瓦礫を掴み取る。これだけでは自由に流動し、うねり、攻撃を回避してしまう『竜』を倒すことなんてできるはずもない。相手が明確な実態を持たないというならなおさらだ。

 だから大和は瓦礫を掴んだまま床を勢いよく転がった。攪乱《かくらん》の意味もあったが大和の本意は違う。自身の胴体へ巻き付けてあった包帯を躊躇なく剥ぎ取り、そのまま瓦礫に結び付けた。

 完成したのは即製のボーラだ。血のにじむ包帯を紐部分、崩れた天井の瓦礫を錘として振り回す、古い時代の狩猟につかわれていたアイテムと言えば分かりやすいかもしれない。本来の用途は遠心力を利用した投擲を行うことで獲物の脚や体に巻き付かせるものだが、今回大和が数秒で作り上げたこれには別の使い方がある。

 狩猟、というよりオリンピック選手のハンマー投げに格好に近かったと思う。

 包帯と言う楔を抜き取られ、更には水に使った影響で今もなお激痛を発する傷口を他所に、お手製ボーラの片側を両手で握りしめる。救急箱に詰め込まれる安物とはいえ、トウオウ製の包帯ということで伸縮性と耐久の心配はいらなかった。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 『投げる』じゃない。

 『振り回す』が正しい。

 ただただその狩猟具もどきを振り回しながら、大和はこうしている間にもずっと水を駆使した攻撃を繰り出す『竜』の懐に潜り込もうと試みる。が、苛烈極まる『竜』の攻撃をギリギリのところで回避するだけでも精一杯だった大和だ。足元も徐々に水で埋め尽くされていき、行動が徐々に阻害され始めている。

 足を滑らせたなら、どうなるのか。

 これ以上自分で自分の恐怖を煽るのは揺らぎを生んでしまう。そう思って、更に足元を勇気で整えた。闘志を振るいあがらせる。せめてシズクと合流するまでの間に、自分で出来ることをやろう、と。


(万有引力《テトロミノ》で『竜』を飛ばせないのは、胴(・)体(・)が(・)異(・)常(・)性(・)を(・)持(・)た(・)な(・)い(・)水(・)と(・)接(・)続(・)し(・)て(・)い(・)る(・)か(・)ら(・)だ(・))


 ゾッッッッッッ!!と。

 水圧カッターのブレスが頬を掠めて、大和の黒髪を少しばかり切り離す。言葉にならない悪寒が背筋をなぞる様に通り抜けていくのを堪えるも、額から滴り落ちる汗のほうが大和の緊張を言外に語っているようだった。


(だったら足元の水から切り放す!そうすれば、あとは『蝶』や『蜥蜴』と同じで異能の形を取っただけの物体になるッッ!!)


 全神経を自身の肉体の一点に集中させる。押しつぶされないために。自ら掲げた目標とやらの重圧に耐えきれるだけの精神を一秒未満で固めあげる。両手に滲む緊張の汗と脇腹の傷がかえって現実を教えてくれている。

 もう怖くない。例えこんな自分の手でも、出来ることなんていくらでもあると考えたから。あくまでポジティブ思考へ繋げるように、自分を誘導させればいいだけのこと。

 一点で腰を大きく捻る。

 全体重をかけて、両手で強く握りしめたボーラの紐部分を使って『竜』の胴体を切断しにかかる。後は腰をひねった勢いのまま適当にボーラを捨てて、片手を当てて『竜』を飛行船外へ吹き飛ばすだけだ。そうするだけで『竜』の脅威はひとまずこの場から跡形もなく消し飛ぶ。そう思い込まなければこの心は保てない。

 意を決した大和の手製狩猟具が『竜』に触れる寸での所だった。勝利を確信していた――――。確信しなければここまで辿り着くのだって危うかったであろう『異界の勇者』の眼前に、悍ましい狂気が花開く。


「こいつっ『蝶』ッ!?」


 ブボッッッ!!と。

 爆発じみた重音が青年の鼓膜を突き抜けた。

 いや、音だけに留まらない。衝撃から光、何から何までが『異界の勇者』の体面を叩いて、少なくとも三メートルは床から離れた地点へと吹き飛ばす。何度目かもわからない落下の衝撃を体感するまでもなく、バチャンッ!!と飛沫と着水した大和の背中から腰に掛けて鈍い痛みを走らせる。

 しかし、痛みはその程度で収まらず。むしろ大和を本当の意味で苦しめるのは体の表面の痛み......熱源に近づきすぎたことで皮膚が焼かれてしまったかのような持続的な激痛だ。それも『蝶』の爆発をより接近して受けてしまった側頭部の辺りは特にひどく。衝撃も相まって鈍器で強く脳を揺らされたかのように大和の視界が消失しかけた次の瞬間。

 追い打ちとばかりに『竜』の追撃がぼろ雑巾のように床に転がった大和を撃ち抜いた。

 

「ぐ、ぐ...ううううううううう...っ!」


 どこから漏れたのか、埋め尽くす床上の水が僅かに赤を孕んでいく。鋭利に尖った槍で突かれたというよりは、柄の先の方で力の限りどつかれたような感覚に悶えるしかない。

 どこか大和をいたぶるような意味合いでも込めた攻撃だったのか、膨大たる水圧の刃物で胴体を真っ二つに...何てことにはならずにすんだようだ。それでも攻撃は攻撃、少なからず殺意を浴びて研磨され続けた『悪意』は、一撃ずつ着実に。椎滝大和の外側と内側を削り取っていく。

 『竜』の双眸《そうぼう》が赤く揺らめく。狂気と称するには果てしなく純粋で、憎悪と称するにはどこまでも禍々しい赤。


(く、そ)


 寒い。

 まだ夏の終わりだというのに、単身裸で海底に引きずり込まれたように冷たかった。

 どうやら体温が外《・》へと流れ出る血液に乗じて逃げ出しているようだ。このままでは、なんて物騒な未来は考えたくもないが、どうやら本気で覚悟しないといけないらしい。

 泡沫として消える前に、立ち上がらねばなるまい。



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