偽る者
二人だけの時間と呼ぶにはあまりにも荒々しく、凍える風が吹いていた。
真冬の氷山に吹き荒れる吹雪の如く。
あるいは恒星から遠く離れた星々の地表の如く。
あるいは僅かな光すら差し込まぬ暗闇の洞窟の如く。
朝焼けに照らされ突き進む列車の一両は、生き物が活動するにはあまりにも残酷な環境へと変貌していた。真冬にお湯で濡らしたタオルを頭の上で振り回せば一瞬でカチカに凍り付くという雑学を聞いたことがあるが、恐らく今の状況ならタオルどころか血に濡れたアルラの全身が凍り付くのにそう長く時間はかからないだろう。誰よりも温かい人生を望んだはずのラミル・オー・メイゲルが『氷』だなんてまた異質な属性を持って生まれるとはとんだ皮肉だ。
灰色の青年と白銀の少女。
互いに信じる信念を持つ二つの色が正面からにらみ合う。
「私は私が許せません」
泣きそうな表情で、涙も凍り付く星の下で彼女は言った。その言葉を聞いていたアルラ・ラーファは溶けるような淡い光を全身に纏う。その光景は極寒の雪原に生まれたオーロラのように神秘的で、氷柱のように刺々しい。
「いっそ、こんな命なら。生まれたくなかった」
それからそっと人差し指を向ける。本当に静かな動作一つで、獣の牙のように鋭く。ゴアアアアッッッ!!と食い込む氷の塊がカーペットから突き現れた。対するアルラはというと固まったままだ。固まったまま、右腕を荒っぽく横に振る。丁度氷の槍が接触するというすれすれのところで『神花之心』がぶつかった。
パキンッッ!!というあっけない音とともに消失した氷の背後に佇むラミル・オー・メイゲルもまた次の動作へと移っていた。
「実際に死んだこともないくせに、命を語ってんじゃねぇよ!!」
パンッ!と、また別の音が響き渡った。
仰々しい祭服を中途半端に現代風にしたような衣服の少女が、まるで空中で画面をスライドするように指を振る。
それが合図に。
「貼り付け」
小さな口から紡がれた一言に青年が目を見開き、アルラの遥か前方。少女の僅か手前の辺りで黒っぽい何かが出現して、その正体は言わずもがな弾丸だった。慌てて床を蹴った灰被りの青年はそこでさらに、連続して両手の指を空中で躍らせるラミル・オー・メイゲルを目撃する。さながら一つのオーケストラを動かす指揮者のようだ。
しかし彼女が指揮するのは『世界』。彼女だけに許された力で空間が編集されていく。弾丸の壁が、彼女を守る様に全方位に展開されていく。
「再生」
ゴオッッッッ!!という空気が引き裂かれる。それだけに留まらない。無数の弾丸は列車の壁や座席なんていとも簡単に貫通して、アルラも『神花之心』で動体視力を強化しなければ文字通りハチの巣になっていただろう。何とか弾丸の隙間を縫って空中で体をよじり、そのたびに噴き出る血がまたびちゃりと音を立てて床にへばりついた。
と、今度は白銀髪の少女の姿が薄れてゆく。恐らく『世界編集』のコマンドの一つ、透過だろう。姿を消すということはまたどこかへ逃げるつもりなのかもしれない。そうはさせないと、着地してすぐに地面を大きく蹴る。床板が割れて、爆発的な推進力で灰被りの青年が接近する。
手を伸ばせば届く距離まで接近したところで、吹雪にその美しい白銀髪を揺らす少女は完全に消える寸前で呟いた。
「拡大表示」
「!?」
少女が首を横に傾けたと同時に、その位置を辿る様な形で氷の拳がラミルの背後から突き出す。しかも宣言の通り、アルラにぶつかる寸前に何十倍にも巨大化して、だ。自分で跳ねた勢いをもろに返されて、血まみれの青年が宙を舞う。脳が揺さぶられ、気張らないと意識もあっという間に持っていかれそうだ。
さらにラミルは容赦なく『世界編集』で宙をなぞる。丁寧に調整された弾丸の壁が再び出現し、今度はアルラが着地するであろう地点に狙いを定めている。
とっさに爪を立てて、自分の鼻先にあった車両の屋根に突き刺した。仕方ないとはいえ急激な負荷だ、右腕が悲鳴を上げるが知ったことか。なんとか片腕だけで体重を支えて、弾丸はタイミングを逃したせいでアルラの足元を通り過ぎて床を突き抜けていく。
すぐさま天井に突き刺した腕を引っこ抜いて、拳を鉄のように固く結んで極彩色を纏った。
壊すための力を、ボロボロの腕に纏った。
暗がりに落っこちてしまうほどか弱いその手を握るために。
いつか助けられた日のことを思い出して、今にも零れ落ちそうな少女へ。
「ラミル!」
白銀髪の美しい少女は宝石のように輝く瞳と、暗澹を語る表情でアルラを見据えた。
既に彼女の両脇には、今にもアルラを撃ち抜かんと待機する弾丸が置かれている。例え彼女が自分を殺す気でも、アルラは彼女に害を与える気なんて全くない。この戦いだって無駄なのだ。彼女が勝とうがアルラが勝とうが、結局彼女は不幸のままだ。自分を見失ったまま、また同じように繰り返すだろう。もはや『神花之心』に捧げる寿命が数少ない今、アルラに残されているのは言葉だけだった。
アルラ・ラーファは普通の少年だった。ただ偶然前世の記憶を取り戻しただけの一般人。あえて悪い言葉で表現するなら、村人A。所詮ゲームの世界では勇者に薬草を渡すだけのNPCでしかなかった。
世界にはアルラのように前世の記憶を持つ人間は何人もいる。
アルラは特別な一人じゃない。
それでも、ゲームの一イベントで済まされてしまうような悲劇に屈しなかった。抗った。だから、彼女だって出来るはずだ。
絶望しきった世界をもう一度見直して、ちっぽけな嘘を木端微塵に吹き飛ばすことが。
「命から逃げるな!!」
また少女は俯いて、アルラに表情を悟られないようにして。今度は投げやりに腕を横に振った。
異能に頼らなければ弾丸なんて避けられない。偶然を祈らなければ命はつながらない。そして弾丸が飛来する。パンッッ!!という乾いた音がアルラの肩のあたりを通り過ぎて、また更に増えた傷口が外気に晒された。晒されて、もう痛みすらほとんど感じなくなったのは死の前兆のようにも思えた。死ぬという概念そのものが圧し掛かるような重圧。『世界編集』という凡人にはどうしようもない戦力差。
都合よく現実を忘れたいと願う心が生んだ思考の空白があった。
アルラの肩を貫いたように、再び弾丸の群れが照準を定めている。
「お前が誰よりもわかってるはずだろ!」
叫んで、直後に奔り抜けた弾丸の群れはアルラの肌をギリギリのところで掠めていった。もはや『神花之心』を保つ気力すら失ったのかもしれない。奮い立たせた闘志を、救いたいと願う本心も。凍てつき固まり砕け散るのは、思ったより早いかもしれない。俯いたまま震える少女の声が、命を懸けた叫びの応答がアルラの耳に飛び込んでくる。
「うる、さい」
アルラは直後にまた攻撃されると予測して、今度は背後に飛んだ。そして予想通り飛び込んできた弾丸を、砕けたはずの左腕に纏った『闇』の属性で受け止める。『闇』の抑制する力がいくらかクッションになったのか、度し難い激痛こそあるものの、四肢の一つがからだからきりはなされることこそなかったのは幸いだろう。いざという時のために残りわずかな寿命を割いて魔力を練っていたのが幸運につながった。
「お前のために死んだ母親が、本当にこんなことを望んでると思うのか!?」
「うるさいうるさいうるさあああいッッッ!!」
直後に、爆音があった。
星が揺れたかと錯覚するほどの振動の後に、偶然ラミルの近くにあっただけの列車の座席が爆ぜた。いや、座席だけじゃない。空間そのものが青白く閃光を放っている。そしてそれは恐らく彼女の『世界編集』の一端なのだろう。氷結ともまた違う導火線を追う火花のような爆発を、アルラは展開した『闇』の属性で周囲を覆うことでなんとか防ぎきった。
更に今度はゴドンッ!!という重い感触が上から降ってきた。それはさっきまではそこになかったはずの直径50㎝程の岩の塊だった。恐らくは、何処かで見つけてきた瓦礫を縮小表示で縮めて懐に忍ばせておいたのだろう。彼女の『世界編集』は基本範囲がラミルを中心に半径3メートルという制限がある。裏を返せば範囲を出てしまえば、彼女が保存しない限り全ての編集はリセットされるということだ。縮ませて透過した瓦礫は元のサイズを取り戻し降り注ぐ。総数は三つで、そのうちの一つが的確にアルラの上空に置かれていた。
そしてアルラは落下する瓦礫に対して、頭上でへし折れた左腕を振ることで対処する。当然『神花之心』による強化もなく、重力に従って押しつぶされた腕はべギギギギ!という耳障りな音を立てるが、激痛をこらえて振り払った。
床板が陥没して、裂けるような音を伴いながら岩は砕ける。
爆発した少女の心が、再び叫んだ。叫ばずにはいられないとばかりに。
「もう嫌なんです!意味もなくただ絶望を歩むだけなんて、歩む道の先に苦痛があると知りながら歩むことなんて私にはできない。これ以上私のせいで誰かを犠牲にすることなんてできない!いっそこんな冷酷な世界なら生まれたくなんてなかった!せめてこのまま楽にさせてくださいよ!!」
その言葉も一部は、賭け値無しの純粋な本心だったのだろう。
かつて失ったモノを思い浮かべて。誰よりも自分を呪ったのは他でもない。彼女自身だ。
アルラもそうだった。
何も持たず生まれた己を呪い、人以下にまで堕ちた己を恨み、最愛を失って己を憎んだ。
灰被りの青年はただもう一度、拳を固く握る。
「そうか」
これは、彼女一人の問題だ。
アルラ・ラーファは第三者。ほんの一か月前に偶然出会い、たまたま協定を結んだだけの関係に過ぎない。だから出会ったときにラミルの本心に気付くこともできず、抱え込ませてしまったのもアルラ・ラーファだと。少なくとも本人はそう思っていた。身勝手にも、勝手に他人の問題に首を突っ込んだ気でいた。
冷たかった。
寒かったのだ。
彼女は、ラミル・オー・メイゲルはただ。運命に恵まれなかった。生きる意味すら見いだせないほどに、この世の不幸はすべて自分のせいだと錯覚するほどに歪曲してしまった。本当なら、どこにでもある普通の家庭に生まれて、どこにでもある普通の生き方を見つけていたはずなのに。生まれるときに、少し人とは違う才能を選んでしまったが故に。
「ずっと、辛かったんだな」
白銀髪のラミル・オー・メイゲルは泣いている。
涙を流して、極寒の中で佇んでいた。特に両手の先が恐ろしい。冷気が、冷たい風が全て彼女の両手に収束していくのがわかる。神秘的なその光景は『神花之心』に共通していなくもない。
列車もあとわずかで目的地に到着するだろう。
ダンゲアの街。更に森の奥に、ラミルの思い出の結晶が残されている。あと一歩押せば、アルラ・ラーファという最後の障害を取り除くことが出来る少女は、涙を流したまま両眼を閉じていた。その宝石のように輝く瞳から流れる雫もまた、音もなく頬から滴り落ちる。
そして、ぱちりと。
ばちばちばちばちばちばちばちばちばちばちばちッッッ!!!と。
青白い閃光が、ラミル・オー・メイゲルを中心に瞬いた。凍り付くような空間で夜空を照らす星の如く輝くそれが、最後の一撃だというのは、言葉を交わさずともアルラには伝わっている。
灰を被ったような頭の青年も、彼女の想いに答えるつもりで。その血にまみれた右腕は煌めきと極彩を纏った。この時初めて『神花之心』を救うために。助けるために使ったということを本人が自覚したのはほんの少し後のことだ。右腕の極彩がより輝くと同時に、青年の灰色の髪は、雪のように純白へ変わりつつあった。
アルラ・ラーファは鋭くも力強い瞳を向けて
ラミル・オー・メイゲルは涙に溺れる瞳を背けて。
咆哮
「「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」」
ぶつかった。
巨大すぎる衝撃破は二人を乗せて走る列車を揺らし、ラミル・オー・メイゲルが瞳から僅かなところで炸裂させた爆撃は、正面から突き抜ける青年の拳と激しく混ざり合った。線路から遠く離れた地の小鳥は驚き枝から転げ落ち、どこかの悪の象徴がぴくりと眉を動かした。
踏み込んだ足が押し返されていく。懐に飛び込もうにも、滅茶苦茶な衝撃が邪魔をする。アルラ・ラーファは己の終わりすら容易に想像できた。
「っっっ!!」
拳が。
『神花之心』が、砕けていくのがわかる。激痛なんて貧相な表現では物足りないほどの苦痛が濁流のように押し寄せてくるのも。『世界編集』に呑み込まれていくのも。嵐のように渦巻く異能が喰らい付く。固く握りこんだはずの拳が爆発のなかで削れていく。食いしばった歯を緩めただけで、ごっそりと命が持っていかれるようだった。
この先は完全な未知数だ。
数秒後にはこの体もガラスのように砕け散って、カーペットの染みの一つになるかもしれない。
もうその先が残っているのかすら危うい右腕を押し返す。メギベギベギッッ!!と壮絶な音を伴って。
『神花之心』が。
アルラ・ラーファが突き抜けた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
そして、ボロボロの拳は。
もはや元の色が赤だったかのようにずたずたに引き裂かれた拳が、少女の額の寸前で停止する。
感覚だけを頼りに、指で一つの形を作る。
ぺちんっ!と。
ぽかんと口を開けたまま、額をデコピンで弾かれた白銀髪の少女がその場で尻もちをついて。すぐさま同じようにアルラも腰から崩れ落ちた。二人の格好は芝生にでもゆったりと座り込んでいるようで。二人の見上げる天井は衝撃で剥がれ飛んでいた。ゆらりゆらりと流れる雲が、陽の光が。絶対零度の世界に差し込んでいく。
「聞かせてくれよ」
虚ろな瞳で、アルラは囁いた。
もはや怪我していないところを探す方が難しいくらいにボロボロになってまで手を差し伸べて。白銀に染まった青年は、差し込む光を眺めた。
「本当のお前を」
ラミルは尻を付いたまままた俯いて、小さな肩を細かく震えさせている。アルラは顔を見られるのが恥ずかしいのか、と思ったが、どうやらそうではないらしい。今まで抑え込んできた分だけ反動も大きいのだろう。それから少し赤くなった額を両手で隠すように覆って。
「...アルラさん」
「おうよ」
ぽたり、と。また何かが零れたようだ。いくつも存在するもしもの世界で、ひょっとしたら出会うことすらなかったであろう二人がいた。だけど、この世界が可能性の一つだとすれば。間違いなく二人は出会ってここにいる。
アルラ・ラーファはラミル・オー・メイゲルを救いあげることが出来た世界は、確かにここに存在した。
「助けてください...っ」
青年は、少女の嘘を殺すことが出来たらしい。
ほっと安堵の息を吐いて、今度こそ終わったと。満足げに笑って、こう返した。
「やっと、聞こえたよ」
偽る少女の嘘が粉々に砕けたことで、溶けて割れた氷の破片がぱらぱらと外に散っていく。まだまだ夏は終わらないという時期に、雪風の如きひんやりと涼しい風が吹いた。アルラは自分が成し遂げたとこの実感がいまいち持てずに、また自分の姿を眺めて、やっと『神花之心』の極彩を霧散させる。
空気と混ざった淡い光が、風に乗って世界に溶け込んだ。
誰よりも抗った青年の伸ばした手が、ようやく握り返された瞬間だった。




