遠く輝く光の地で、母さんと君を見守ろう
惨憺たるこの肉塊は無秩序に、無茶苦茶に破滅をもたらす。一目でそんな常識から外れた思想に囚われるほどの異常性。既に『語り部』と呼ばれた【狂騒】の魔女、フラン・シュガーランチは死んだ。彼女の『物語』は終わりを迎えたはずだというのに、彼女の残骸だけが遺された狂気に従って破壊をまき散らしている。
その姿は黒甲冑とはどうあがいても結びつかない。全身を不気味に脈動する赤黒の肥大化した筋肉が覆いつくし、四肢という概念は最初からなかったかのように失われ、こうして今もぶくぶくと膨れ上がり続けている。ぎょろりと巨大な眼球があちこちに散らばり、一言で形容するならまさに『肉のスライム』が最も適切だろう。どうして彼女がここまで変わり果てたのかは傍で見ているしかなかったアルラには想定もできないが、ただ一つの確信はある。
このまま放っておけば、間違いなくニミセトは壊滅する。
それこそ無残に命が無残に捨てられるような地獄に変わってしまう。
「死んでもなお、命を弄び続けるのかよ...っ!」
その光景を間近で見ていたアルラは膝を震わせて、振り絞るような声だった。
生まれたての小鹿のようにがくがくと震えるのは足だけではない。全体的にがたが来ている。彼も百年という今までにない膨大な寿命を一気に使ってフラン・シュガーランチを討ち取った。覚悟はしていたが尋常じゃない、今までにない症状も現れた。全身くまなく内側から這いずる悪寒があるし、もちろん体内で出血もあるだろう。骨はギシリと歪な音を立ててるし内臓にもダメージがあるかもしれない。
5年10年でもあれだけの苦痛だったのだ。100年となればその苦痛は計り知れない。
「ぐっがぼがばっ!がっ...!」
熱したどろどろの鉄を吐き出した気分だった。力がするりと抜け落ちて膝が地面に着く。瞬間に口が赤に染まったのが口内の感覚で理解できる。これ以上血を失うわけにはいくまいと必死に押さえつけて、飲み込んで。今にも失われそうな意識を気力で奮い立てる。
フラン・シュガーランチの残骸を何とかしないと、彼女の物語に本当の終わりは訪れない。
それどころかもっと多くの、無関係な命が終わってしまう。
ズオッッッ!!と。
震える膝で何とか立ち上がろうとしていた刹那、腹部に鋭い衝撃が奔った。何が起こったか理解する間もなく衝撃が腹を突き抜ける。速度のままに飛んでいく。不意の一撃に肺から空気が無理矢理に吐き出される。撒き散らされる破滅の一端が偶然にも直撃したと気付いたのは少し後のことだ。幾本もの赤黒い触手、樹木ほどの太さのそれがアルラの腹を撃ち飛ばした。
車の衝突にも似た衝撃。実際に交通事故の被害者になったことはないが、頭の中で自然とイメージされたのはそれだ。
「ぐっ、うう...!あいつ本人の意識ないのか!?そりゃ死んでるんだから当然なんだろうけど...っ!?」
巨大な肉の塊から生まれた複数本の職種のうちの一本が鞭のようにしなり、再びアルラへ向かってきた。大質量が故に速度は大したことなかったのは幸いで、不意打ちと圧倒的な手数さえ気を付ければ回避も弾くこともできるだろう。
危なげなく大質量を持つ肉のハンマーもとい鞭を回避して観察を続ける。
見たところ彼女本来の知性はほとんど感じられない。アルラへの攻撃もただただ破壊衝動の一端だろう。複数本現れた触手は蛇のようにうねり散らし、付近の何もかもを破壊しようとしてるようにも見える。
(そう、本来の黒甲冑はフランの設定したプログラミングを実行しようと行動していた。最初に戦った群れは俺たちを足止めするためのものだったし、最高位体は邪魔者を排除するように設定されてたはずだ。アレにはプログラムがないのか!?)
つまりあのフラン・シュガーランチだった肉の塊は本能のままに破壊を繰り返すだけの化け物というわけだ。才能がそうさせたのか、彼女の本質的な狂気がそうさせたのか、真相は定かではないがこのままではろくな結果は生まれないことだけは確かだった。先述した通りまず間違いなくニミセトは壊滅するだろう。となれば街のどこかに避難して震えている人たちの命も危ない。
どんな姿でもフラン・シュガーランチはフラン・シュガーランチ。
【狂騒】の魔女は往生際が悪い。
打開策を探る灰被りの青年に、大きな剥き出しの瞳が一つだけ視線を向けた。その悪意に満ちた瞳がぎょろぎょろと転がるだけで背筋に嫌な感覚が伝う。元の何十倍、何百倍にも膨れ上がった肉塊から裂けるように隙間が生まれる。そう、まるで人の口のような――――。
直後に何かが発射された。弾丸なんて軽く超えた速度をたたき出し、それは飛来する。
標的のアルラへ向けて。
「っ!」
どすりと。重い衝撃が足元へ伝播した。着弾した物体は本体以上に不気味な黒と赤の比率が大きく黒に偏った球体。大きさはボーリング玉ほどだろうか。ごぼごぼと不気味な音を立てる物体は膜に覆われているようにも見える。
というか思いっきり脈打ってる。
「まずいっ!!」
アルラが横に飛んだ直後にくぐもった破裂音が炸裂した。飛び散る赤黒の液体はいちいち分析せずともわかる。フラン・シュガーランチの体液。つまり『肉の種』を感染させるための媒介だった。触れただけで死人同然と化してしまう笑えない呪術はいとも簡単に量産され、撒き散らされる。美しく描かれた絵画を黒で塗りつぶすように、煉瓦と水の街を徐々に染め上げていく。
触れたら終わりの恐怖が街を充満する。
どうやら自分をお仲間に加えたいのは死んでも変わらないらしい。いったい彼女はどこまで悪意の核を伸ばしてゆくのか。球状の肉の塊のところどころに形成される口のような発射口から次々となだれ込んでくる『肉の種』の媒介液。
足場も徐々に制限されてゆく。
(くっ、そっ!!)
全身を使ったアクロバティックな動きで空の媒介液を飛び避け、足元に飛び散ったものから的確に離れる。内側からの痛みと戦いながらも『神花之心』は使い続けなければならない。どうしてもダメージは増えていってしまうのは許容するしかなかった。
今まで見てきた『肉の種』のセオリー通りなら同じ呪術式で変貌を遂げたフラン・シュガーランチにも、弱点となり肉体に信号を与え続ける銀の武器があるはずだが表面上には見当たらない。どこまで行っても赤黒い肉の塊と玉に大目玉、さらに媒介液の発射口。
(空中で撃ち落とすにも万一破裂でもすれば発射時の勢いのまま俺に降りかかる、かといって避けてるだけだと足場がどんどん減っていく!)
こうしてもたついている間にもフラン・シュガーランチだった何かは肥大化し続け、破壊を繰り返している。
近づこうにも『肉の種』と巨木のような筋肉の鞭、そもそも直接的な打撃攻撃があの見るからにぶよぶよな体に通用するのだろうか?下手したら弾かれた勢いのまま地面にぶちまけられた『肉の種』の媒介液にダイブなんてのもあり得る。遠くから石か何かを投げつけようにもあの超巨体にそんなちっぽけな攻撃が通用するとも、灰被りの【憎悪】アルラ・ラーファには到底思えなかった。ここまで事件の中心に首を突っ込んだ以上あとはよろしくで放っておくわけにもいかないし、逃げ続けるだけだと『神花之心』の副作用で体が持たないだろう。
冤罪吹っ掛けられ始まった鋼蜻蜓との鬼ごっこ
無限に増殖を繰り返す『オーク・ノーテイム』
雷鳴の騎士の成れの果て、最高位体
ここまでの戦闘で『神花之心』を使った影響が大きく出ている。出血量も尋常ではないはず。再生力の強化で傷を塞いでなければ出血死すらあり得たほどに、だ。10年間ひきこもった末にやっとの思いで遂げられそうな復讐を志半ばに終わりたくないアルラ・ラーファ青年は当然立ち向かわねばらないのだが、倒そうにも手段が頭に浮かんでこない状況である。
さて、どうしたものか。
「何をしている?ちゃっちゃとあの化け物をぶっ倒したいんじゃないのかね?」
「いやだから倒そうにもどうやってあんなやつを...はえっ!!?」
やや高めのソプラノボイスがすぐ隣から聞こえた。アルラがハッとして振り返ると、そこには黒髪ツインテールの美少女の姿があった。腕を組んでにやにやと笑う少女の面影はどこかで見たような顔だ。
「ああ、私だよ。『精神看破』だ」
「やっぱりてめえか!ああ、心臓に悪い!!」
ぼちゃり、と。再び近くに媒介液の入った塊が落ちた。二人はほぼ同時に飛び上がり、話しやすいように大きく距離を取ってから会話の続きを始めた。少女は何かしらの強化を受けてるらしく、迫る攻撃をことごとく躱しきると、ようやく落ち着けたので息を吐く。
「待てよ?あんたがその子の体を乗っ取ったっていうならジルの体はどうなったんだ?」
質問に対して、黒髪ツインテールの少女は目を瞑って一方向に人差し指を向けるだけだった。指された方角へアルラが顔を向ければ、何やら二つの影がこちらに手を振りながら走ってきているようだ。まず暗闇の中に姿が浮かんだのはノバート・ウェールズという名のニミセト区環境委員長。アルラを最高位体から遠ざけてくれた元一般人であり、最高位体討伐の功績者である。もっとも、アルラは彼の雄姿など知る由もないのだが。無事なようで何よりだ。
「......なんか動きがぎこちなくない?」
「私の『精神看破』で身体能力を底上げした反動だ。今彼の体は全身筋肉痛で悲鳴を上げてるのさ」
「そっとしといてやれよ」
「彼が付いてくると言ったんだが」
ひらひらと手を払う少女が答え、もう一つの影が闇夜の中に浮かび上がる。やはり、という感想しか浮かばない。空いた器のほう、つまりジル・ゾルタス警備委員会第二支部長だ。胸は白い包帯がぐるぐる巻きにされており、どうやら命に別状はなさそうだった。むしろぽっかり胸元に銃弾で風穴開けられた男のほうが普段からデスクワークばかりとは言え無傷な強面目の下傷男より元気なのは一体どういうことなのだろう。
ちょっと物申したいアルラだったが非常時に着き押し黙った。
「これを」
ほっとした表情のアルラの顔の前に、少女が姿に見合った細い腕を突きつける。正確にはその手の中に握られていた大人の指の爪サイズの黄金の矢じりが。
「彼の形見だ。君が持っておくといい」
「......そうか」
覚悟はしていても、なかなか受け入れがたい現実というのもあるものだ。病院で父が亡くなったという知らせを受けて、その病院まで足を運ぶひと時。子供が交通事故で運ばれたと連絡が入り、会いに行くまでのひと時。それに等しい感覚が、アルラの心を苛む。
でも
それでも
負けるわけにはいかなかった。
ありがとう、と。アルラが誰かへ向けて言った小さな言葉を、少女は聞かなかったふりをする。
「アルラ君、無事...とは言えないか。とにかくあれはいったいどういうことだ!?」
「おうアルラ。俺が眠ってる間にいろいろあったらしいけどとにかくよかった。こうしてまた再開できたんだ」
合流したジルとノバートが口々にアルラを心配して言葉を投げかける。しかしその背後には破壊を撒き散らし続けるフラン・シュガーランチだったものの姿が映り続けていた。
「あれはフラン・シュガーランチ、『語り部』の成れの果てだ。自らの術式で無限に再生する黒甲冑と同等の存在になっちまった」
アルラの一言で二人の表情が怪訝なものに変わった。恐らくアルラが話していた特徴と目の前の存在を見比べているのだろう。『精神看破』はともかく、二人はやがて考えるのをやめたらしく向き直る。
「よくわからないがわかった。とにかくあれをぶっ倒せばこの事件は終わりなんだな?」
「ああ」
「とは言ってもどうするんだい?私に『精神看破』ではフラン・シュガーランチを倒すには至らないと思うぞ。万全の状態ならまだしも、今は18%が限界。そもそも彼女...と言ってもいいのかな。アレには脳が見つからない。どうやら体内に取り込む形で生成した銀の武器が全身の筋細胞に直接指令を伝達しているようだ」
アルラは一度空を見上げてから、やがて振り返り少女の残骸を見据える。彼女を止めなければ、ニミセトに起こった一連の物語に本当の結末はやってこない。もしかしたらこの街を破壊しつくした後に、また別の街を襲いに行くかもしれない。何が起こるか全くわからない現状で、ニミセトに住むすべての命は彼ら四人に託されている。人間も、海人も、獣人も。ニミセト全ての物語がアルラたちの手にかかっている。
「『精神看破』とノバートは遠くから石でも投げてフラン・シュガーランチの注意を引いてくれ。ジルは動けるか?動けるなら『噓発見器』で攻撃の軌道を読んで、大声で俺に伝えてくれないか」
「何をするつもりかな?」
「終わらせるんだ」
短く、簡潔な答えが返ってきた。
小さな一言が、彼ら戦士を動かす。
「もう何もかも終わらせる。あいつの物語は、命はここまでだ」
そっと、アルラが歩き出した。彼らの返答を待たずしてゆっくりと、着実にフラン・シュガーランチへと近づいていく。
彼女まで、あと70メートル。
「ったく!『噓発見器』はお前らの異能ほど便利じゃねえんだよっ!!」
大きな瞳の一つが彼女へ歩を進めるアルラに焦点を合わせる。さらに排除にかかる。形成された口から射出した媒介液は、アルラの簡単な動作でいともたやすく避けられた。続いて現れた赤黒い筋肉の鞭に。
「右上から左下へ!フェイント入れながら振り下ろしてくる!!」
ジルの指示が、アルラをより的確な動作へと導く。もはや回避、というより体を横にずらしているだけだった。歩が走に移り変わって、両手がゆっくり閉じる。
彼女まで、あと40メートル。
一本で届かぬのならもっと用意すればいい、と。
触手の数が一気に増えた。その数は六本。害意の軌道を先読みできても流石にジルも口が追い付かないのか、指示の途中で巨木の幹のような鞭が蛇のようにのたうち回り、アルラへ迫る。
バツンッッ!!と。
極彩色の拳が弾き飛ばせなかった鞭の動きが急停止する。まるで途中で時間でも止められたかのように、ピクリとも動かない。
「脳がなければ操れない。本当にそうか?18%でも、神人をなめるなよ」
少女の掌が、遠くから薄気味悪い肉の触手へと向けられていた。
『精神看破』
生き物の心を自由に動かす異能の力が、彼女の意思とは別に職種の動きを止める。
彼女まで、あと30メートル。
アルラは振り返ることなく、一歩一歩と歩を進める。ノバートはというと職種の動きを随時乗っ取る黒髪ツインテール美少女の隣でアルラの指示通り、崩れた建物などの瓦礫を投げつけていた。筋肉痛プラス運動不足の彼が重い瓦礫をそう遠くまで投げ飛ばすことはできないが、もしかしたら効果はあるのかもしれない。ばしゃりばしゃりと着地点の媒介液が跳ね、フラン・シュガーランチの無数の目が目まぐるしく動いている。
彼女まで、あと10メートル。
固く握られた量の手に極彩色が現れる。走りながら、アルラは考えていた。彼女と自分がどうしてこのニミセトの街で出会ってしまったのかを。もしかしたら、神様が味方してくれたのかもしれないな、と。彼らしくもないことを考えながら。
彼女まで、あと5メートル。
復讐は彼女だけでは終わらない。むしろまだ始まったばかりなのに、ここまでボロボロになって。本当にあの戦将を討ち取れるのだろうか。『強欲の魔王』を討ち取れるのだろうか。復讐を果たす前に、志半ばで力尽きてしまうのではないか。
そんなジメジメとした不安が頭をよぎる。怖くて仕方がない。
だけど。
だけど今は、残してくれた父のために戦おう。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああああああ!!!!!!」
100年の輝きが、少女を討ち取った極彩色が再び現れる。赤黒い筋肉の壁を貫いて衝撃が巨体に響き渡った。歯を食いしばり、内側で暴れる痛みを抑え込んで、かつてかつて少年だった灰被りの青年の腕が、黒い植物に覆われていく。
「やるよ。片腕くらい」
アルラの右腕が。固く握られた拳が引きちぎれる。強引に残った左腕で落としたアルラの腕は既に『肉の種』の媒介液、フラン・シュガーランチの体液に侵され、黒甲冑を纏っていた。ぼとりと落ちた黒甲冑の右腕の先から、彼女の赤黒とは別の赤が流れ出る。
「そうか」
街の景観を守る者。ノバート・ウェールズは遠くからその光景を眺めて、呟いていた。空を見上げた彼の姿をどこかに映し出しながら。
「雲から生まれるものが雨だけとは限らない」
右肩から先を失ったアルラの顔は、苦痛に歪んでいるわけでもなかった。むしろ誇らしげに、清々しい表情で。自身に唯一残された左手の中を見つめている。
フラン・シュガーランチだった肉の塊はびくびくと痙攣したまま、全体に散らばった目をせわしなく動かしていた。まさしく誤作動を起こした考える心すら持たない機械のように。全ての混乱の元凶は変わり果てた姿になったところで、希望を求め神に祈ることなど求めることも無く。
そして小さな光を見た。
天へと羽ばたく小鳥の如き、儚い光を。
「さよなら、父さん。またいつの日か」
手の中の黄金の光が空に向かって、雲に向かって吸い込まれていく。
雷天使の鉾。
半分に割れた黄金の矢じりの欠片が、少女と雲の間に到達した。
『ああ』
その時、物語は終焉を迎える。
ただ一筋の雷の到来を以て。




