『敵』だけだと思うなよ?
「ぼぇあ!!がはっ!」
血反吐をまき散らしながら輝く肢体を敵に叩きつける。出血は口からだけではない。鼻血も蛇口をひねったように溢れ、頭の奥を金槌で殴られたような激痛が襲い掛かっていた。
ふらつく体を抑え込み、それでも拳は止まらない。
「異能を使っただけでボロボロになるなんて情報になかったけど、楽に越したことはないわねえ」
にこにことアルラを嘲笑うその女性は最初に立ちはだかった『オーク・ノーテイム』ではない。最初の『オーク・ノーテイム』も既に動かない死体となって水路にぷかぷかと浮かんでいる。彼女たちに『本体』なんて存在しない。一番初めにアルラの道を塞いだ『オーク・ノーテイム』も数多の『オーク・ノーテイム』の一人でしかない。無限に増殖し、それぞれが意思を持って行動する無限の戦力。身体能力は一般的な女性のレベルでも無限に増える魔法が数で敵を飲み込む。彼女たちは『死』を恐れない。自分が死んでも『オーク・ノーテイム』が消失することはなく、次々と新たなる『オーク・ノーテイム』が生まれるからである。
『オーク・ノーテイム』は、永遠に世界から失われない。
「『私』は無限に増殖を繰り返して、このまま数で押し潰せば勝手に自滅してくれそうねえ」
アルラは範囲攻撃を持たない。寿命を削って使う唯一の魔法も足の動きを止めるだけで、無限に増殖を繰り返すこの敵には意味がない。一撃で全ての『オーク・ノーテイム』を消滅させる。これが勝利の条件。少しでも攻撃を休めれば即座にさらなる数の暴力で押し潰されるだろう。
唯一の救いは彼女たちが人間であることだろうか。黒甲冑の兵隊のように明確な弱点以外を狙っても絶命に至る。頸椎をへし折っても、胸を貫いても、頭蓋を粉砕しても死ぬ。あくまでも一般的な『人間』であるから寿命も追加される。
「たとえこの場にいる『オーク・ノーテイム』をすべて消滅させたとしても、他に配置された『オーク・ノーテイム』が増殖を繰り返す。あなたは最初から詰んでいたのよ」
また水路から生まれた『オーク・ノーテイム』が、全ての彼女に共通する人を見下すような口調で言い放つ。全身の筋力と肉体の強度を強化しているアルラの拳は、一撃で『オーク・ノーテイム』を絶命させることができる。しかし足りない。手数が圧倒的に足りていない。迫りくる一人を殴り飛ばし、踏みつけ、命を断っても十以上の『オーク・ノーテイム』が押し寄せる。99%を撃破しても1%から100%へ復活してしまうほどの増殖力は、確実にアルラの肉体へダメージを与えていく。
「埒が明かねえ!」
蓄積する疲労と倦怠感に歯嚙みするアルラは決断し、走った。
「あら?逃げるのかしら」
「数千の『オーク・ノーテイム』から逃げきれるとでも思っているの?」
「そっちの先にも私は沢山いるのよ」
後ろから聞こえる血に濡れた同質の声は違う人物から発せられた。あちこちへ分散した『オーク・ノーテイム』は増殖を繰り返し、アルラの向かう先へ先へと現れる。
(このまま戦い続けても消耗する一方だ!一旦引いて、丸ごと全滅させる手立てを探す!)
燃え上がる夜の街をひた走り、追手の目から逃れようと試みる。狭くうねった路地裏を抜け、炎に呑まれそうになる煉瓦を飛び、薄く赤が混じった水路を潜り抜けて、『神花之心』の脳回転率の強化に未来をゆだねる。戦うのを中断した時点で『オーク・ノーテイム』の増殖はもやは止められぬものとなり、数千を超える『オーク・ノーテイム』が各方向からアルラを追い詰めていた。
「無駄無駄」
「あなたじゃ『私』から逃げられない」
「大人しく、早く楽になりなさい」
「苦しませずに楽にしてあげるから」
『ノーテイム』は常に人の常識の斜め上を行く。
ある時は1つの命を投げうち全体重をかけた天空からのプレスを試み
ある時は標的の体を押さえつける別の『自分』ごと貫いてしまおうとした
ある時は手首を切った血液で目つぶしを狙った。
自分の命をも命とは思わない魔獣の名を冠した『オーク・ノーテイム』の行動力は常に異常の一言に尽きた。
彼女にとっては。いや、『ノーテイム』にとってこの行動は異常性を全く持ち合わせない至って普通の行動。自分が死ななければ、自分という種が根絶しない限り命を消費する。
「だから、無駄」
背後からアルラの背に激突したのはレンガブロックのような質量をもった人間の頭部。
一人の『オーク・ノーテイム』が隣の『オーク・ノーテイム』の頭を引っこ抜き、投げつけてきたのだ。
人間の、成人女性の頭でも、ボウリング玉ほどの重さを持つ。そんなものが投げられてから少しの間水平を保つほどの速度でアルラの背を打つ。ダッシュ中に凄まじい衝撃が加算され、アルラが頭から地面に打つように前方に転がる
「げぁっ!、ぐっ、ふっ...!」
「その吐血は私の攻撃で?それとも副作用で勝手に自爆してるだけ?どっちなの?」
答えは両方。走りながらも常に脳に神花之心を使っていた。本来『神花之心』という異能は一度使ったら数時間、連続して使えば数日は間を開けなければ人体を内側からボロボロにしてしまうほどの副作用を持つ。それをこの短期間に何度使ったのだろうか。ろくに睡眠も取れず、体力回復も望めない。常に視界はぐらつき、出血も止まらない。
イラつきからか彼は四つん這いで拳を地面に叩きつけ、石煉瓦に大きな亀裂を産んだ。
「「「「「もうそろそろ終わりにしましょう」」」」」
ワザとらしく、その女性が声を重ねた。
全身を『自分自身』の返り血で染め上げ、狂気でブレンドされた殺意が容赦なくアルラへ牙をむく。
「そこだ」
「「「「「?」」」」」
次の攻撃はアルラから放たれる。
ズビチィ!!という鼓膜を直接切りつけるような音と共に、数千の『オーク・ノーテイム』の一部の意識が闇へ沈む。持ちこたえた『オーク・ノーテイム』もはっきりと意識の混濁が見て取れるほどであった。
白目を剥き膝から崩れ落ちる多くの『オーク・ノーテイム』の中から答えに行きついた『オーク・ノーテイム』が霞むような声で答え合わせを。
「なっ、に?」
「まさか」
「亀裂の先、切断された電気の地下配線!!」
「感電、血を利用して」
「なんであなたはっ...!」
その答えも、探求者である彼女はすぐに見つけ出した。先程まで明らかに虚ろに変わっていった青年の表情が、鋭くこちらへ向けられていた。電気ショックは医療分野でも使われる。主に停止した心臓の蘇生にだ。日常的にそれを目にする機会はほとんどないが、日本ではあちこちにAEDが配置され、誰でも起こりゆる想定の内に入っている。同じように、電気ショックで眠気を吹っ飛ばす居眠り防止グッズが存在する。電気量を調節して適切な電気ショックを与えれば、人の脳は睡眠から覚醒状態へ移る。電気の力が脳を刺激する!ではなく、内側から体を奔る痛みによって。
彼女は、『オーク・ノーテイム』は『神花之心』の情報をつかんでいないが、長い観察と交えた拳から能力の核心に迫っていた。筋力の強化だけではなく、自分の肉体を構成する『力』を強化する異能だと、彼女は思っていた。
「電気の耐性を、強化で調整して覚醒を促した...?それでも...!」
「ダメージは残る。ちょっと失敗したからかな、あちこち痺れてるし、動きにくいが、全身血でずぶ濡れになって、傷口を塞いでもいないお前よりはマシだ」
「あんたも、水路でずぶ濡れにっ、なったはずなのに!」
「言ってなかったっけ?この服結構高くてさ、ある程度は防水、絶縁仕様なんだよね」
やられた、と彼女は思った。少なくてもこの場にいる『オーク・ノーテイム』の大半は動けない。感電したのはごく一部だが、それが最前列だったため、このままいけば血液の水たまり触れて感電してしまう。に目の前でぴんぴんしている青年を追えない。だがそれでも、『今の自分たち』は捨てても、血液が別の液体に触れさえすればいい。
糸が切れたように動かなくなった『オーク・ノーテイム』のすぐそばの水路から新たな『オーク・ノーテイム』が上がる。そして電撃を免れた数千の内の『オーク・ノーテイム』も、『自分』の死体を踏み抜いて進む。
「この程度じゃ終わらないか!」
完全に回復したわけではないが、めまいやふらつきもマシにはなった。マシになったというだけなのでまだ若干の副作用は残っているが、再生力の強化で傷を治すことくらいなら十分だった。
相変わらずしつこく追ってくるおばちゃん集団をチラチラと確認しつつ、石煉瓦の長方形の側面に取り付けられた外階段を数段飛ばしで駆け上がる。相変わらず空を覆いつくしているのは正体不明の黄色い積乱雲のような分厚い煙。
跡から続く金属音を振り切るように、建物の上を飛び跳ねて移動する。
「っ!」
飛び移ろうとした建物の段差の死角から現れた『オーク・ノーテイム』のラリアットが格ゲーのクリティカルヒットのようにアルラの喉元に収まり、勢いのまま建物と建物の間に落下する。
「ぐえっ!!」
潰れたカエルのような奇怪な声を漏らし、それでも留まることは許されない。フランシスカ・ドーナッツホール・ホーリーよりも、『強欲の魔王』よりも、まずは現状の危機を乗り越えることが最優先事項であることは明確。
(あれは、保健委員会基地!)
ようやく見えた希望の光にアルラの表情が少し明るいものへと変わる。
彼が可能性を見出したのは、ノバートが居るかもしれない環境委員会ではなく、街の医療関係を取り仕切る保健委員会の基地施設。今回の事件による怪我人は別にある『病院』へ送り込まれているのでこの基地に滞在するのは、薬品を扱う薬剤師やデータで管理する管理職の者だけである。それでも巻き込むことに変わりはない。
「今すぐ逃げろ!街の敵が来るぞ!!」
ドアを開ける手間も惜しいのでガラスにタックルをかまして簡潔に伝えたいことを叫ぶと、当然の反応が返る。すなわち通信機器に手を伸ばし、通報しようと。だがその試みも既に別に行動する『ノーテイム』の手によって未遂に終わる。
「つ、繋がらない!?どうして!?」
「もしもし!?もしもし!?手配中の人物が基地内に侵入!!もしもし!?」
ガラスタックルをすぐそばで見ていた建物を警備するために配属された警備委員会が二人、アルラを取り押さえようと動くが、その時既に無数の女性の拳によって吹き飛ばされた後であった。
「「「「「邪魔」」」」」
屈強な筋肉戦士が丸められたティッシュのように飛んで行く。その光景を見ていた保健委員会達も、状況の深刻さを肌で感じたのか、各々の行動に移る。
ちょび髭を生やした一人の男性がロビー奥に設置されたガラスを叩き割り、中のいかにもな赤のボタンを押す。
建物内に鳴り響く緊急事態を知らせるサイレンと共に、避難勧告が。
『異常事態が発生しました。建物内の委員は速やかに建物外へ避難してください。繰り返します。異常事態が―――』
繰り返されるアナウンスと共に、正面入り口を塞ぐ同じ顔つきの女性が再び表情を変える。
「こんなところに逃げ込んで、何をしようと?全員で一か所にまとまるほど私が馬鹿に見えるの?」
「だろうな。あんたは外に『ストック』を残して自分が世界から消失しないように、最低でも常に1の自分が存在し続けるように保っている」
日頃から行われている避難訓練のおかげか、『病院』の方へ人員が駆り出され元々人が少なかったからか。既に建物内の保健委員会のほとんどは裏口からの脱出に成功している。建物に残されたのは大量の『オーク・ノーテイム』とアルラ・ラーファだけである。
小学校程度のサイズの医療品を扱う建物だ。薬品にそこまで詳しいわけじゃないがやるしかない。酸でもガスでも使えるものを使って勝利を収める!
「あんたが数で押し潰すように、俺にも俺なりの戦い方があるのさ」
ポーチから取り出した白色ピンポン玉サイズの玉を三つ、向き合った『オーク・ノーテイム』へ投げつける。蠅を払うような動作で砕けた、直後に陶器製の玉からロビー全体を埋め尽くす白煙が飛び出す。
「煙玉!?」
標的の姿が煙の向こうに消える前に、最前列の『オーク・ノーテイム』が数名飛び出し、拳を突き出した。その場には漂う煙しか残されておらず、青年の姿はなかった。
「味な真似を...まあいいわ。下からゆっくりと、しらみつぶしに探していけばいい。そこからそこまでの私は入り口、裏口前で待機してて」
後方30人ほどの『オーク・ノーテイム』に指示を飛ばし、新たに外から侵入した『オーク・ノーテイム』から報告を受け取る。
「外からぐるっと確認したけど、開いている窓は一階から二階までの計七か所。三階と四回の窓は締め切ってあったわ」
「捜索と同時に完全な閉鎖空間を作り出す。開けておくのは入り口だけでいい」
顎に指をあてた一人の『オーク・ノーテイム』がゆっくりと口角を上げ、邪悪な笑みを作り出す。
彼女の扱う術式『愛すべき子』は封鎖された空間を『子宮』と定義している以上、入り口は一つに限られる。他の入り口がある場合、その空間は閉鎖空間とは呼べず、新たな『オーク・ノーテイム』は生まれない。
(『無性生殖』の特性を理解して建物内に入ったのかしら)
外には上階から逃げられないように内部以上の『オーク・ノーテイム』が待機している。万に一つも逃がしはしない。
一方、ファンタ商会の便利アイテムのおかげで一時的に姿をくらますことに成功したアルラは建物の最上階の一室、薬品置き場のガラスケースを漁っていた。
「使える薬品...使える薬品...!うわっニトログリセリンなんて医療設備に置くなよ!!」
瓶に張り付けられたラベルを見て思わず落としそうになる。どうしてこんな危険物が医療機関の薬品置き場に置いてあるのかは知らないがろくな理由がない気がする。上手く扱えば相当な武器になるに違いないのだが、そのまえに大爆発で肉片になる可能性の方が圧倒的に高いので放置。聞いたことがないような名前の薬品もパス。下手に扱ってこの世界特有の薬品とかだとやはり死ねる。となると―――
「消毒用のアルコール、これだ!」
瓶の下段に大量に置いてあった半透明に白く曇った瓶に入ったアルコール。
ロッカーからくすねた職員の私物と思われる大容量登山用バッグを掴み、一つ一つ瓶同士がぶつかって割れないように丁寧に中へ。別のポケットの中には同じくロッカーからくすねた大量のライターや着火剤が見える。必要な物品を揃えるために音は立てずに次々と扉を開け、搔き集める。
(今後のためにこいつも貰っておこう)
何も入ってないポーションケースに痛み止めを注いだ試験管を収め、バッグを背負えば準備は完了だ。
すぐにでも迎撃に―――。
「あらあら、少し見ないうちに随分と荷物が増えたのね」
階段前に立ちふさがる『オーク・ノーテイム』の集団が嘲るように笑う。具体的な数は把握できないが、階段を埋め尽くす程度には多い。階段の下にはさらに多くの『オーク・ノーテイム』が構えているのだろう。
彼には怯える理由はない。
絶望に打ちひしがれることもない。
やるべきことを、やるべき時に。
今現在、彼はやるべきことのために奔る。
固く握った拳を振り回し、敵を殲滅せんと。
さらに一方で。
包帯だらけの体のあちこちに電極を張り付けられ、ストローレベルの極細チューブを通して失った分の血液が送り込まれる体が合った。
意識は倒れた時に落としてしまったのだろうか、酸素マスクを覆われた口元が動くことはない。
「奇跡的に、弾丸が心臓に達してはいませんでしたがいつ目覚めるか、本当に目覚めるかもわかりません」
目の下に黒いくまを作った看護師が、重たい表情でそう語った。隣で替えの包帯を用意する白衣に白髪の男性の顔も険しいものだ。
「この男は街の未来に必要不可欠な存在だ。絶対に死なせてはならない」
一通りの処置を終え、保健委員会の医者と看護師が出ていった後。動かないハズの、意識がないハズの肉体の目が平日の朝、日光を浴びて目覚めるように開いた。天井を見上げたまま眼球だけをきょろきょろと動かし、周辺を探る。
意識の主はここが病院なんだな、と理解した。薄青色の髪が彩る頭を揺らし、ゆっくりと上半身だけ起き上がり、指を動かして体の自由を確認する。
『問題ない。全く感謝してもらいたいものだよ』
その口から本来の体の持ち主とは程遠い、若々しい男の声が発せられた。
『せっかく遠い王都から演算処理を担ってやったのに、仕方がない奴だ』
自然な動作で酸素マスクを外し、ベッドから立ち上がるとベリベリと音を立てて電極が外れる。未だに血が滲む胸を撫でおろして、壁に掛けてあった衣服を手に取る。
「あえっ!?なんでぇ!?」
『あっ看護師さん、退院します』
投薬のため再び病室に入った看護師が驚きのあまり間抜けな声を漏らしたがそんなことを気にもせず、薄い青髪が特徴的な男は看護師の静止を振り切って病院の外へ。
『ちょっと借りるね。ジル』




