始まりの鐘はまだ鳴らない
例えば、世界とは横と縦、二つの軸があるという考え方がある。縦軸とはいわゆる『流れ』の軸。つまり時間を表す。
では横軸とは?時間の対となればすなわち空間だろう。横軸はいわば空間軸だ。軸の上には常に点が常駐する。時間の上には歴史が、世界の隣には世界が。
だから、並行世界というのもあるかもしれない――――。
ここは地球とは遠く離れた、『もしかしたら』の世界。地球という惑星では啄まれたまま永久に顔を出すことが無くなってしまった技術も、埋もれることなく自由に存在できるもう一つの可能性の世界。
公式に、誰が決めたか定かではないが、名を『アリサスネイル』という。かの世界には多くの種が存在し、時に共存し、時に争ってきた。どんな世界の縦軸でも、歴史の中には争いがあるのは当然だろう。
そんな世界のとある山奥の地図にも乗らない小さな村では200人ほどの人間が暮らしている。
昔ながらの民家がちまちまと並ぶ名もなき村の付近だった。自然が生い茂る森の中。とある一組の親子が背に籠を背負い、木の枝などを拾い集める光景があったのだ。そんな絵にかいたような平和の一ページを彩る親子のデカい方...つまり父親であろう人物が、額の汗をぬぐって少し離れたところにいた少年に声をかける。
「おーいアルラ、薪は集まったか?」
少年はわずかに腰を落とし、足元に転がっていた手ごろなサイズ感の枝を拾い上げた。
それで軽く近くの木の幹を叩いて見せると、枝はかんかんと小気味の良いリズムを奏でた。この音こそ枝が十分に乾燥していることを示している証拠だ。
かつてその知識を教えてくれた父のいる方向へと振り返って、だ。
「うん、これくらいでいいかな」
両手いっぱいの適度に乾燥している枝きれなんかを見せるように広げた少年は心なしか自慢げな表情だった。
それを見て、父親も嬉しそうに笑った。
「上出来だ。流石は俺の息子だな!」
「ぼくだってもう7歳だよ。これくらいなんてことないよ」
「はっはっは言うようになったじゃないか青二才が。そろそろ切り上げようか、今日は例の日だろう?母さんが待ってるぞ」
少年の名はアルラ・ラーファ。
この広く、どこまでも続く世界に生まれ落ちた命の一つ。これといって特筆すべき点を挙げられないような、言い方を変えれば良くも悪くも目立たない少年であった。
どこにでもいるごく普通の男子だ。黒髪黒目の『一般的』という言葉がよく似合うアルナは今日、生まれて7度目の誕生日を迎えていた。この世界で7歳は大きな意味を持つ年であり、7歳の誕生日を迎えた子供は属性適正の診断を受けることとなっている。
「どんな『属性』になるかなあ」
属性とはこの世界の生き物が生まれつき内包する、自然を操る力である。
属性は『火』『水』『樹』『風』『雷』『土』『闇』の基本7種が確認されており、
この世界の生き物は基本的に、この中の1つの属性をもって生まれてくる。
だが稀に複数の属性を持って生まれてくる者もおり、その者達は『複数持ち』と呼ばれている。また、稀に親の属性が混ざりあい、『派生属性』となって子に受け継がれる場合もある。この少年もまた、今日中に属性診断を受けることになっているのだ。
「ところでアルラお前、属性診断だが、ぶっちゃけどんな属性がいい?」
「どんなって?」
「なんかあるだろ?何が出るかで生活丸々変わるんだ、あの属性だと便利!みたいな憧れがよ」
そう尋ねられて、少し考える。
「うーん......『水』とか?出来ることが多いし、毎朝の水汲みも楽になりそうだし、隣のおじいちゃんも便利だって言ってた」
「ちょいと難しいかもなあ、俺は『雷』だし母さんも『火』だからなあ。混ざって『光』になったりするかもな!そしたらお前、勇者になっちまうぜ!がはははははははは!!」
「そういうこともあるの?」
「あるにはあるさ。世界は不思議ばかりなんだから」
薪を詰め込んだ籠を背負い、豪快に笑う少年の父親はダルク・ラーファ。元は村から遠く離れた王都で騎士として王家に仕えてきたのだが、しかし現在はアルナの母との結婚を機にこの村へと移住してごく普通の村人として細々と暮らしていた。騎士時代はとても腕がたち、雷の魔法を利用した剣術を操っていたことから『雷鳴のダルク』と呼ばれ、人々に親しまれていた―――――――らしい?
この辺、アルラは彼の言葉でしか外の世界を知らないので信じることも疑うことも出来なかったりする。
いまいち父親の発言を信用しない息子に対し、威厳を保ちたい父はというと、
「『雷』はいいぞ~?他のどの属性よりカッコイイからな!」
「ぼくはやっぱり便利な属性がいいな。『雷』ってあまり便利じゃなさそう」
息子、実用性第一派であった。親と子が必ずしも似るわけではないといういい例だ。日常生活においていまいち使い勝手に欠ける雷属性の父親は息子からの憧れの対象に自分が入っていないことに若干むくれながらも、こういうところは母親似だなと率直な感想を思い浮かべる。
他愛もない話をしながら親子は帰路に就く。緑が生い茂る森を抜けて、やがて見えてくるのはいっぱいに広がる田畑と質素な家の群れ。歩き始めて数分もすると、二人の家が見えてきた。決して豪華でもなく貧相でもない。どこにでもある村人の家という言葉がよく似合うこれまた普通の家だった。日本人十人に見せれば十人中十人が『普通だ!!』と叫ぶであろう見た目の家の扉を潜ると。
「ただいま、母さん」
「お帰りなさい二人とも」
優しい声が鼓膜を撫でる。
扉を開けた途端に、花のような可憐な香りが鼻についた。
肩のあたりまで伸びた長い黒髪に白い肌、整った顔立ち。洗濯物を畳んでいたこの女性がアルラの母、エリナ・ラーファである。エリナがダリルと知り合ったのは10年程前、村に盗賊段の一味が襲撃してきたときである。エリナはその盗賊団に捕まってしまい、あと少し遅かったら奴隷として売られてしまうというところで騎士団の遠征中に通りかかったダリルに助けられたのである。その時ダリルがエリナに一目惚れ、それ以来ダリルは時折村のエリナの家に訪れるようになり、それから数年後に二人は結婚。さらに数年後にアルラが生まれたという。
父親が酒を飲むたびに聞かされるものだから、すっかりアルラも覚えてしまっているのだ。
「アル、準備が出来たら早くおばば様の所に行きなさい、あまり待たせてはいけませんよ?」
「はーい」
元気よく返事を返し、背負っていた籠をさっさと下ろすと、少年はテーブルに用意されてた木の実を一口含んでからまた玄関まで駆けだした。
この村には魔術師の老婆が住んでおり、おばば様と呼ばれている。診断には大量の魔力を消費するため、この村では唯一の魔術師であるおばば様が村民の診断を行うのだ。
少年は背負っていた籠を投げ捨てるように床に置くと急いで支度を済ませて外へ出る。
「行ってくる!」
「気を付けてね」
そう言うとアルラはおばば様の家へ向かって歩き始めた。道なりに進むと両側に緑で埋め尽くされた畑が見えてきた。もうそろそろ収穫の季節かな。そんなことを考えていると目の前にアルラの家より少し大きい家が目に映る。そしてその家の玄関前には、腰の曲がったいかにもなしわくちゃ老婆が木製の椅子に座っていた。この老婆こそがおばば様こと村で唯一の魔術師である。
「おお、来たかアルラよ」
「おばば様、おはようございます。今日はよろしくお願いします。」
礼儀正しく挨拶をするとおばば様と呼ばれたしわくちゃ老婆はケラケラと笑い出した。
「そう緊張するでない、まったくお前は母親に似てキッチリした子じゃのお。どれ、さっそく準備をするからおまえも手伝っておくれ。儂一人では、この無駄に重たい鑑定具が運べぬでの」
「ぼくも7歳になったばかりですが...」
「御年90歳のババアよりはマシじゃ」
そう言いながら、おばば様はまたケラケラと笑い出した。90歳でこれだけ元気ならばあと30年、いや、40年は元気なままじゃないかと思うが、流石に失礼なので心の中で思うだけで口には出さなかった。二人が円卓や装飾品、水晶などを運び終えると、玄関からアルラと同じくらいの背丈の女の子が飛び出てきた。
そして少女らしい元気な挨拶も。
「あっ、アル!いらっしゃい!アルラは今日が診断の日だっけ!」
駆け寄ってくるこの少女はリーナ・テリクリン。おばば様の曾孫であり、アルラとは小さいころから一緒に遊んでいた、いわゆる幼馴染という存在である。年はアルラの1つ上で、既に属性適性診断も済ませてある。明るくお転婆で、周りの人から好かれる性格だ。だが少し元気すぎておばば様も手を焼いている
「アルはどの属性がいいの?私みたいな火属性?」
「まったくどうして神はこの子に火の属性なんて与えたんじゃ…儂は危なっかしくて心も気も休まらないわい」
「えへへ~」
「何故照れる...お前もアルラを見習って少しは儂の手伝いでもしたらどうじゃ。ほれアルラ、もうそろそろ始めるぞ、そこの椅子に座りなさい。危ないからリーナも離れてなさい。これ、祭壇を弄るでないぞ!」
「はーい」
リーナが元気な声で返事をする。アルラも気を引き締め治すと、祭壇と呼ばれた円卓の周りに置かれている二席の椅子の一つに座る。反対側の椅子におばば様が座ると、円卓の淵に置かれた蝋燭に火を付け始めた。
(いよいよかあ...)
おばば様とアルラが円卓を挟んで向かい合い、そして円卓の中心にはアルラの頭ほどの大きさがある半透明の水晶が置かれた。
「手を水晶にかざし、意識を集中しなさい。これは正しく言えば『儀式』なのじゃ」
言われた通り、アルラが水晶に手をかざすと、周りの蝋燭の火が揺らめき始めた。手に意識を集中させると火の揺らめきはより激しくなり、水晶のちょうど中心部に光が現れた。
「この診断魔術は儂の魔力、そしてまだ現れてはおらぬがアルラ、お前の魔力の2種を使って発動させるのじゃ。儂の『生』の属性の魔力は他の属性の色を示す力を持つ。お前の持つ魔力に儂の魔力が反応を示し、その色をこの水晶の中に写すのじゃ。」
なるほど、と心の中では納得するも全然理解できてないアルラは、再び意識を集中させることしかできない。
しばらく息を整えた後に、その老婆は言葉を紡ぐ。
キーとなるのは、『言葉』だ。
口に出し、思い浮かべ、そして魔法は完成する。
口調が変わっていた。
「我、ここに在りし知を記す者なり」
おばば様の呪文で、水晶に、薄汚れた光が灯される。
灰を被ったような濁った光だ。
「記号は贄、色は虹。それ即ち七種からなる大球と二十一もの小球から抽出されし光球となる」
アルラが目を瞑り全ての意識を水晶へ伸びた手に向けたその時だった。
「ッ!?」
ビギィッ!!?と言う音を体の中から聞いた。
アルラの体を凄まじい脱力感と激痛が襲ったのだ。全身から力が抜け落ちて鳥肌が立つ。その上を、大粒の汗が滴り落ちていく。体の中を数千もの蟲が喰い進むような痛みが全身を蝕み、アルラの意識は一瞬にして灰色で埋め尽くされる。
これは術の副作用か何かなのだろうかと、一瞬だけ考えた。
それ以上の思考は許されない。
激痛が、恐らくはこの先の人生でもこれを超えるほどの痛みはないだろうというほどの苦痛が、少年に襲い掛かる。
あまりの激痛にアルラの思考はかき消される。
「...?、どうかしたかアルラよ」
おばば様も少年の異変に気付き声をかける
「なんかっ、ハァ....全身にっ...すごい、痛みがっ...ぐっあぁあああああああああ...!?」
「痛みじゃと?今までそんなことは一度も...とりあえず術を一旦止めるぞ!」
辛うじて残る意識でおばば様の話を聞き取り、言葉を返す。明らかに異変が収束する様子はなかった。むしろ、加速しているような感覚まであるようだ。
頭を鈍器で強く殴られ続けているような鈍い頭痛に、激しい運動後の朝のような全身の疲労。
「止まりませんっ...体が...動かないっ...!」
「なんじゃとっ!?ぐっ、これは...!」
いつの間にか辺りはまだ昼過ぎのはずなのに急に暗くなり、黒い霧がアルラとおばばさまの周りを覆っていた。闇夜を救って空気に溶かしたような霧に周辺の木々は騒めき、虫は木の葉に身を隠し鳥は彼方へと飛び去っていく。いつの間にか、円卓の上に灯っていた蝋燭の火も消えている。
「ばあちゃん!アル!」
儀式を二人の最も近くで見ていたリーナが異変を察知したらしく、二人の元に駆け寄ろうとするが、
「リーナ!来るでない!早くここから逃げるんじゃ!」
「でもっ...」
直後、突然リーナの体が淡い光に包まれ、足先から砂のようになって崩れ始める。
「えっ!?」
リーナが驚愕の声を漏らす。が、次の瞬間にはリーナの体は砂となってその場に崩れ落ちた。崩れ落ちたリーナだった。砂の背後には見慣れた人影が写る。
「来たかっ!エリナ!」
現れたのはアルラの母、エリナ・ラーファだった。
異常なほどに息を荒げて今にも倒れそうだ。額には大粒の汗の塊が浮かんでおり、しかし本人はそれ以上に、息子の異常な姿を見て動かずにはいられないようであった。
「リーナちゃんは私たちの家へ避難させました!おばば様っ!これはいったいどういうことですか!?」
「助かったぞ!説明は後じゃ!アルラを転移させるんじゃ!」
「それがっ、できません!発動しないんです!」
聞き取った言葉の意味を脳が理解しない。
映画を見ながら手元で携帯の画面を弄っているように、手元にあるはずの情報が正しく脳まで伝わっていない。
得体のしれない何か。
その色はなんだ。
これは、
(なんっ、だ...ッ!?)
真っ黒。
安寧を示す暗闇、もしくは陽の光が当たらない日陰の色。夜空を見上げ、星の一つさえ映らないときの宇宙と同じ色。
(おれは、何を見ている...?)
ぎぎぎぎぎぎぎぎっ!?と奥歯が軋んだまさにその時だった。アルラの頭に今までの激痛をはるかに超える痛みと共に、膨大な量の何かが流れ込んでいった。余りの痛みにアルラは虚ろだった目を見開き、口は大きく開き、全身を震わせる。
感じたこともない波が痛覚を通り抜ける。
全身の血管に針が埋め込まれたかのようなそれに、たかだか7,8歳そこらの少年が打ち勝てるはずもない。
「あああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
身に覚えのない走馬灯のようであった。
それは記憶だった。自分のものではない。別の誰か、もしくはなにかの記憶。頭の中でアルラは一瞬にして膨大な時間を過ごしたかのような感覚に囚われた。少年は自分が何者であったかを、思い出したのだった。膨大な知識の波が、少年の意識を攫い、名を呼ぶ声を遠ざける。
「アル!アル!しっかりして!アル!!」
この感覚には、覚えがある。遥か遠い昔に、実際に体験したことがあるとしか思えない追体験の感覚。
デジャブと言う現象と類似するそれに。薄れゆく意識の断片を彷徨い歩くことしかできない少年ははっと息を吞む。
あの日。
あの日曜日。
どこか遠い遠い世界で、名も知らぬ青年が世界から零れたあの日の地続きだ。あの日と、あの人物と、あの世界と、あの記憶と、あの数々の想いが。
栓を弾き飛ばしたように、溢れ出た。
(そうだ)
ここはアリサスネイル。
少年の想う遠い遠い世界とは、可能性の幅が異なる世界。
しかし。
本当は。
知らない世界は、あちらじゃなくて......
(そうだ...)
少年の体から何かがどろりと音を立てて抜け落ちる。
ついに凍っていたはずの秒針が動き出したのだと。彼は抜け落ちていく意識の片隅でそう思っていた。失われたはずの、失われていなければおかしいはずの何か。
これはもしかしたら形を持つ物体なんかじゃなくて、『概念』だとか『魂』だとか、そういう抽象的な何かでしかないのかもしれない。
とにかく。
(僕は)
確かに。
(灯美...薫)
秒針が動き出す。
少年の意識は、あの日あの時あの青年のように。
深い深い闇の中へと沈んでいった。




