いじめの正義
男はがくがく痙攣するように震えながら、まるで涙を堪えているかのように俯いた状態で目元を手で隠していた。
まさかこの状態から『ならば力ずくで従ってもらうまで!!』みたいに戦闘パートに突入するわけはないよな?と僅かに不安を覚えるアルラだったが、どうやらそんな考えは杞憂だったようだ。
ものすごく大きな溜息を吐いた男は落ち込んでいるようだがだからと言ってアルラ達に何か害を成そうとするわけでは無く、それならそれで仕方ないという感じで肩を落としていた。
「......そういえばまだ名乗ってなかったな、オレはカイ......カイ・アテナミルだ」
「アルラ・ラーファ」
「ラミル・オー・メイゲルと申します」
「いやまあ知ってるけどねオレの方は二人共!」
「そもそも具体的に貴方が私たちに何を求めているのかをまだ聞いていませんから、そこが抜けた状態で助けてと要求されても......」
要求の根幹が見えない状態で求められても、求められた側としては何が何だかわからない。
クラスの隣の席の友人に『それちょうだい!』と箸で弁当箱を指し示されても弁当の中の具体的にどの具を求めているかで話は変わってくるのと同じことだ。
求める具がミートボールくらいならまあ良し。
玉子焼きなら交渉次第。
主役のハンバーグなら殺す。
「確かに、主語が抜けてたらそりゃ困惑するわな。こいつは失敬...」
カイと名乗る男は切り替えるように笑みを作ると、羽織っていたコートの内ポケットから一枚の紙切れを取り出した。随分と古いものなのか、あちこちに汚れやしわが見える。
『お願い』のリストか、或いは資料の類か、どうやらどちらでもない。
彼がぴらぴらと人差し指と親指で挟んで揺らすそれは、どうやら印刷した紙写真のようだった。汚れて見えるのは印刷自体がかなり昔に行われたからだろうか、或いはアルバムやラミネートフィルムのように、写真事態を奇麗な状態で保存する手段を長いこと放棄していたからか。
写されたモノを見た彼の表情が一瞬、強張ったような気がした。
ベッドの上で彼が取り出した写真でなく彼自身に注目していたアルラにはそう見えた。
「咎人狩りって知ってるか?」
カイの言葉を聞いた二人は固まった。
アルラは僅かに眉をひそめ、ラミルは片方の手のひらで小さな口元を覆う。
知らないはずがない。
二人にとってそれはもはや因縁的な言葉だった。同時に、二人の物語の原点でもある。
「十年以上も昔、『強欲の魔王』が突然始めた悪趣味だ。世界中から目ぼしい異能を持つ咎人を捕まえては自らに屈服するよう要求し従えば良し、そうじゃなければせめて敵として成長する前にと無残に殺された......らしい」
十年と少し昔の話。
武装国家ヘブンライトが人工的に呼び出した『異界の勇者』に、この世のターニングポイントを知らせるとされる伝説上の神器...始まりの導鐘が反応を示した。
が、鐘の音は誰しもが受け入れるとは限らない。
特に、世界に君臨する七人の『大罪の魔王』はそうだった。世に平和をもたらすと信じられる『異界の勇者』が数十人単位で現れたのだ、ギリギリのところで保たれている世界のバランスが崩れ、勢力図が書き換わるという奴らにとっての『最悪』を警戒しないハズがない。
何人かの『大罪の魔王』は行動を起こした。
『傲慢』、『怠惰』、そして『強欲』......世界の全てを欲し、欲望のままに生きる魔の王。奴は世界中から集めた強力な咎人を軍の一部とすることでの勢力強化を目論み、あちこちの国、街、村を襲撃したのだ。
その一つがまさに、アルラ・ラーファの故郷。
そのターゲットの一人がまさに、ラミル・オー・メイゲル。
因縁は。
浅くない。
「......らしい?」
「直接見たわけじゃないんだ、オレは。お前らとは違って」
「っ」
「おっ、その反応。やっぱ知ってたな?傷口を抉っちまったのなら謝る、けどオレの話をする上では避けて通れない道なんでな」
「...別に、構わねえよ。少しは聞く気が起きた」
そう言うアルラの言葉を聞くとカイは二人に見える位置、つまりアルラの掛布団の上に写真を乗せる。
何の変哲もない家族写真だった。
幼い少女と、恐らくは幼き頃の彼がレンズに向かってピースサインを浮かべているというありふれた写真。
血縁か、親しい友人か。
カイ・アテナミルは端的にこう説明を付け加えた。
「妹を探してんだ。十年前、強欲の魔王軍に攫われた妹を」
......何となく、彼が自分たちを頼ろうとした理由がわかった気がした。
いや...頼らざるを得なかったのかをだ。
『強欲』に限らず、全ての『大罪の魔王』は多くが謎に包まれた存在、奴らを一目でも目にして現存する人物は極々稀と言われるほどに。何人もの英雄気取りの愚か者たちが奴らに近づこうと行動したが、生きて帰ってきた者は両手で数えられるかどうかといったところだろうという話を聞いたこともある。
それほどまでに、『魔王』とは遠い存在であり、絶望の象徴でもある。
ましてや妹がそんな奴らに攫われたとあっては、思考の舵をどんな風に切ったって希望は見出せないだろう。
「十年だ、あちこちを十年探し回った。『強欲の魔王』は定期的に住処を変えるようだったからそのたびに世界中を駆けずり回ってな、なんでも試したしどんな些細な手掛かりにも飛びついたよ。正しい人の願いを叶える神龍の話、旅立った者を引き留める魔法のミサンガ、この世の全ての知識へ辿り着く秘密端末、でも全部だめだった」
口ぶりから察するに、恐らく彼は何も掴めなかったのだろう。
妹の手、安否、居場所。
失ってからのその後についても。
故に、二人のイレギュラーの存在は、彼からすれば天から地獄へ降ろされた一本の蜘蛛の糸に等しい。
どうやって突き止めたかはさておき、カイ・アテナミルからすれば二人はようやく掴んだ蜘蛛の糸。妹へ辿り着くためのとにかく貴重な情報源というわけだ。
「......俺たちは貴重な情報源、妹への手掛かりってわけか」
「妹が攫われたのはオレのせいだ。あいつが襲われてるって時、オレはずっと離れた街に出稼ぎに出てて、そんで訳も分からず夜中の避難勧告に従って逃げることしか出来なかった。帰ってきたときにはもう何も残ってなかった...異能を貸し与えたのはオレなのに、肝心のオレだけが取り残されちまったんだよ」
「......?待ってください、何を貸し与えたって...?」
「咎人は、オレだ。妹じゃない」
疑問符が頭を埋め尽くす。
この反応は予想通りとばかりに、カイは俯いた姿勢のまま目線だけを預けて微笑を浮かべた。
「オレのはちーっとばかし特殊でよ、まあアルラには一度見せたっけな。教団事件の時に」
「あの時の...」
「話すと長くなるしそれは今は関係ねえ、話の脱線だ。とにかくオレにはクソ兄貴として妹を見つけて救う義務と責任がある。それを果たすにはお前らの協力が必要不可欠なんだ」
がたっ!!と彼が腰掛けていた粗雑な椅子が横に倒れる。
クソ兄貴を自称する男は頭を病室の床に擦りつけ、両手をその隣に置いて、自分が知る中で最も心を込めた形で『頭を下げる』ことで懇願する。
ベッドに寝そべりながらでは彼の姿は見えにくい。どんな表情で頭を下げているのかもだ。
張り裂けそうな大声で、カイ・アテナミルは頼み込んでいた。
「頼む...ッ!今すぐにって訳じゃない、一から十まで全部やらせるつもりもない!だからどうか...どうかオレに力を貸してくれ!!」
でかい図体を小さく纏めて頭を下げる男から、アルラは思わず目を逸らそうとした。
ラミルは困惑しているのか、座ったままアルラとカイへ視線を行ったり来たりさせている。
どうしたものかと、こう見えてアルラも困惑していた。
正直言ってこの話、アルラにメリットが無いわけではない。というよりはそっちの方がデメリットより大きいとすら言いきれるだろう。
最終目標を『強欲の魔王』とする者同士だ、道中を共にすれば多くの可能性が広がるのは確か。ましてや彼は咎人とのことだし、それがどんな異能であろうと戦力増強には変わりない。
しかしただでさえ緊迫している金銭面などの不安が残るのもまた事実。
今すぐに結論は出せない。自分一人の問題でもない以上、ラミルともよく話し合ってからきめるべきだろうと結論付ける。
とりあえず、彼の頭の位置をそのままにはしておけない。扱い方に困る土下座をやめさせようとした瞬間にだった。
「おい、やめろよ――――......」
右手をカイへと伸ばすと同時、ちくりという怪我の痛みが胴の内側に奔り、思わず上半身のバランスが崩れる。空いていた左手が自然と体を支える支点としてベッドに乗っかり、その左手の先に硬い感触が加わった。
ベッド脇のテーブルに備え付けてあった安物のテレビ。
そのリモコンを、左手が踏んづける形で。
電源の入ったテレビが垂れ流したニュースが鼓膜を叩く。
『大変な事態となりました!!先程、突如として全世界に向け宣言された妖魔族の宣戦布告を受け、トウオウ並びに諸外国は――――――......」
思考が、爆ぜる。
真っ白に塗り潰される。
壊れたゼンマイ仕掛けのように、がくがくとゆっくり首を回すと、そこで見た画面内では酷く慌てた様子で手元の資料を読み上げるキャスターの裏で、ガラス越しに何人もの報道関係者が走り回っていた。
キャスターとは別枠で、動画が差し込まれている。
真っ白な髪、透き通るような肌。そんなアルラにとっても身近な特徴を持つ若い男が、雪景色をバックに銃器を手にしてぱくぱくと何かを喋っている。
下の方に字幕が差し込まれていた。
『忌まわしき妖魔戦争から五十年、以来我々は妖魔族というだけで蔑まれる立場にあった。我々には複数の国家へ復讐する権利がある。これは全妖魔族の総意である』と。
「冗...談、冗談じゃないぞ......!!」
視線の先にはラミルが居た。
まだテレビでなぞられた事実の意味が分からず、実感すら欠片も沸いていないであろう白銀髪の少女はきょとん顔で視線をテレビへ向けていた。
カイ・アテナミルも頭を上げて、ニュースの方へと意識を向けているようだった。こちらもやはりぽかん顔、元々妖魔族と関わりのある『白の使い』に潜入していたとは言え、アルラの浮かべたものと同種の恐怖を考えるには時間が足りなかったか。
つまり。
テレビが伝える内容が意味するモノを理解したのは、アルラ・ラーファただ一人だ。
(生きていけなくなるぞ)
ごくりと喉を鳴らす。
包帯に冷や汗が滲む。
戦争が現実のものとなった時の最悪を想定して、仲間の少女の未来を思い浮かべる。
思い浮かべたのはこんな光景。
クラス全体からのいじめに遭っていた『被害者』の少年はある時爆発して、『加害者』の一人を殴り飛ばしてしまう。社会から見た立場が入れ替わる、『被害者』は一瞬にして『加害者』になる。指導とは名ばかりのいじめが正当化されるだけの『理由』を、元々は『加害者』だった『被害者』が振りかざせるようになってしまう!!
(妖魔族ってだけで『加害者』扱いされるようになる。直接関係ないラミルまで普通に生きてるだけで周りから石を投げられるような世界になっちまうぞ!!)