最悪
神様はサイコロを振らないと誰かが言った。
例えば宇宙が二つ存在するとして、両方の宇宙で辿る現実がすべて同一なら、最終的に辿り着く終着点はどうなるのだろうか。
ある者は二つの宇宙はビデオの録画映像のように、どちらも何一つとして変わらない未来を描くと考えた。
ある者はまるで運命とやらがプログラムにおける乱数の様な働きを見せて絶対に未来は同一にならないと考えた。
答えが出ることは決してないだろう。何故なら実際に要素が完全に一致した宇宙が二つ存在するはずは無いし、仮に存在したとしても宇宙のスケールから見るととてつもなく矮小な人類はそれを観測するだけの力を持ち合わせてはいない。例えば、本物の神様でもない限りは、それを証明することは出来ない。
神様と運命に因果関係を求めるのも早計だ。
ヒトは一般的に神様が運命を支配して操る存在だと決めつけるが、逆説があり得ないとは言い切れない。
神様だって運命の奴隷なのだと。運命は言わばレールや道路の様なもので、神様自身もそこから外れることは出来やしない。神が運命を支配するのではなく運命に支配される存在の中でも人類より少し上位にいるだけなのが神なのだと。
博打を極めし神人は、大昔にそんな持論をどこかの誰かに語ったことがある。
故に。
「......ふん!!」
がらがらがらっ!!という硬質な音を響かせ、瓦礫の山の一部が不自然に持ち上がり、中から神人が姿を見せた。
血塗れでもはや意識すらない、灰色の青年を肩に担いで、だ。
結論から言えばアルラ・ラーファは崩壊から生き残った。
どういう奇跡が重なったのか、崩壊の伝播が思ったよりもなだらかだったがために、崩落にはダイナマイトを使った発破工事の様な圧倒的な勢いを伴わなかったのだ。ジェンガの塔を突き崩すというよりは雨の日の砂場の砂城に近かった。それによって砲塔の崩壊という計画破綻の要は成し遂げつつも、アルラは辛うじて生き残ることが出来たというわけか。
それでも崩壊には変わりないし、当然人が巻き込まれて無事で済むような規模じゃない。アルラが生き残れた大きな要因はやはり、博打の神人であるゲラルマギナと共に居たからだろう。
とある平凡な国の平凡な農夫が偶然掘り当てた油田が国全体の国民総所得を引き揚げるように。
ある者が何気なく振るう幸運が別人に思わぬ利益を生むことは珍しくない。
(『NOAH』は...崩壊からの時間経過から察するに既に全滅か)
とはいえ、いくらなんでもアルラは流石に重症だった。年がら年中学会とオペを往復するような天才外科医が裸足ですっ飛んでいくレベルで何時逝ってもおかしくないと言えるだろう。
早急に治療...最低でも応急処置は行う必要がある。
アルラを担ぎ上げたまま、ゲラルマギナはかつての自分の城の残骸を一歩ずつ踏みしめながら下山する。
適当な場所に瓦礫の中から引っ張り上げたブルーシートを広げるとそこにアルラを仰向けに寝かせて、手頃な瓦礫を漁り出した。
コンピューターの残骸、社内掲示板代わりのコルクボードだったもの、ひしゃげた天井照明、汚れたシーツ、社員用のウォーターサーバーの予備タンクに元が何だったかもわからない金属製の何か。すぐ見つかったものと言えばこれくらいか。
まずはあちこちの裂傷の患部をタンクからこじ開けた水で洗い、引きちぎったシーツで出来る限り圧迫した上で止血を施す。
折れていた左腕には天井照明の支柱部分を添え木代わりに、深い傷にはコルクボードの画鋲を捻じ曲げて作った針とシーツを解いた糸を用いて簡単に縫合を行い、ひとまずの応急処置を終える。この後ちゃんとした環境で手術を受ける必要はあるだろうが、早急な危機の心配は無くなったはずだ。
そこまで終わらせたゲラルマギナはほっと一息ついて、夜空を見上げた。
先刻より星から遠のいては居たが、よりヒトに近づけたと解釈すると不思議と悪い気分はしない。
「...脈拍は安定、失血性ショック症状は現状確認できない。脳内の『NOAH』は落下の直前に完全に殺しきったようだな、全くしっかりしている」
仮に僅かにでも『NOAH』を脳内に残していたならアルラが意識を失った瞬間に脳髄を食い尽くされていただろうが、その心配は無いようだ。
全ての『NOAH』は死滅した。流出や悪用を防ぐ目的でバックアップも用意していなかったデータは瓦礫の底に沈んで永遠に失われた。神人がより良い未来を夢想して創り出した哀れな小動物は、もうこの世の何処にも残されていないだろう。
一つの種と未来が潰えた。
しかし、気分は悪くない。
その意味を知ろうとして、ますます過去が虚しくなる。
思わず言葉の端に漏れていた。
「......止めてほしかったのか?我は」
背を追ってくる者はいた。
慕ってくれる者も、宗教張りの信仰や尊敬を向ける者もいた。
だが、間違いを指摘してくれるような誰かは居たのか?
道を見失った神様を引き戻してくれるような誰かは。
自分を『神人』ではなく、ただの『ゲラルマギナ』として接してくれるような誰かが道の何処かに佇んでいたのだとしたら、無理やり引きずってでも引き留めてもらえたのだろうか。
救済を求められ答え続けた。
やがて人々は自らの可能性を信じなくなり、神人を頼って当然と思うようになった。それに飽き飽きして、だったら全ての悲劇を一度でもみ消せばいいと考えて、後は見ての通りだ。
もはや何が正しくて何が間違っていたのかもわからない。始めから歪んでいたのか途中で踏み外したのかも自己判断できやしない。
ブルーシートに膝を付いて、ポケットから取り出したサイコロは薄汚れて見えた。
ゲラルマギナが手の中の立方体の感触を確かめようとして、だ。
『キミはどちらかと言えば正しかった』
咄嗟だった。
姿は見えなくとも、突如として背中に現れた悍ましい気配は感じ取れた。
片方しかないサイコロを振り向きざまに投げ放とうとして、瞬間、紫電を帯びた光の槍が空気を切り裂きサイコロを吹き飛ばす。ジェット機が音速の壁を突破する際に生み出すソニックウェーブ染みた余波が広がり、それはいとも簡単に神人の防御を切り裂き、ゲラルマギナの右の肩から先がへし折れる。
小枝を踵で踏みつけたような有様だった。
激痛よりも速く不快感が脳に届いた。
背後から感じられた気配は振り返ったその時には消失していた。
代わりに、空から声が降ってきた。
『間違いはそう......レークスを理想に掲げた事くらいか。第一キミはあの時代なんて知らないだろ?ボクと違ってさ』
玉座のつもりか、積み上げられた瓦礫の頂上でそんな風に発したソレを見て、ゲラルマギナは怪訝な顔を浮かべる。
くしゃくしゃになった右腕を庇いながら、口に出す。
「狐の...面?」
......ソレは薄汚れた黒のロングマントとフードで全身を覆い、素顔を真っ白な狐の面で覆い隠した何かだった。
今さっき積み上がった瓦礫の山の頂上から、ソレは二人を静かに見下ろしていた。
全身のフォルムの全てを隠していて、男性なのか女性なのかすらもわからない。
特徴的な面の覗き穴からは青白い光がゆらりと蠢いていて、額に貼り付けられているのは得体の知れない未知の言語で綴られた御札か何かか。
ソレは男性で在り、同時に女性でも在った。
ソレは年端のいかない幼女で在り、同時に枯れ木のように瘦せ細った老人でもあった。
ソレは血肉を貪る肉食獣でありながら、同時に土に潜む虫けらであった。
............つまるところ、正体不明。
確実に存在してはいるが、実体が曖昧。受肉を終えた悪魔、或いは生者に憑いた死者。それこそ、ゲラルマギナがソレを見て率直に感じた感想だった。
十二支のいずれの座にも興味を示さず。
その獣が示す記号と言えば、例えばとある異界の島国では神の使い。
ヒトを化かし、惑わせ、時には危害を加え、時には恵みをもたらすとされる変幻自在を象徴せし獣。
「彼の仲間...というわけじゃなさそうだ」
『だよ、けどワタシはソレに用があってキミには用が無い。だからキミと敵対するつもりは無い、理解したか?オレはソレを回収しに来ただけだ』
「回収、だと?」
『正確には『神花之心』を...なんだがね』
何の気なしにソレは語り、ぶらぶらと足を揺らしながら一点を見つめていた。
つまりアルラ・ラーファを。出自不明の『神花之心』を宿す極めて異例な後天的の咎人は、これだけ邪悪な気配に充てられてもピクリとも反応せず眠りこけたままだった。
ブルーシートの上で眠り続ける青年を背に、次にゲラルマギナが取った行動は、言わば必然なのだろう。
彼は、自分の右腕の有様を考慮した上で一切の迷いも見せず、新たな敵対者に言葉を投げたのだ。
「断ると、言ったら?」
『......おいおい』
守る。
一人の人間を、改めて人類に救済をもたらす神人として。
今度こそ見失わないために。
二種一対のサイコロなんて無くたって。
瞬間。
自己紹介の様な気軽さで何処からか放たれたレーザービームがゲラルマギナの頬を掠める。いいや、額に向かって放たれたそれを、直前で躱した結果そうなったのだ。
奴は、最初から殺す気だった。
話し合いが通用する相手ではないと、早々に結論付ける。
『『集光小銃』だ』
簡単な説明を終えた時、ソレは大気中に幾つもの紫電を侍らせていた。
見たところ大気中の光の屈折率と屈折角を弄ることで光を収束し、レーザービームのように一点から放出する異能と言ったところか。
操れる範囲によってはプラズマを生み出してこの辺一帯を塵一つ残さない焦土に還す可能性がある。
パチン!と指を鳴らしたような音があった。
同時に紫電が消え失せ、代わりにソレの周辺の空間が何重にも重ねた合わせ鏡のように歪んでいた。
悪寒が。
百戦錬磨の神人の背中を通り過ぎる。
『『引斥付加』』
また、簡単な説明を重ねる。
奴の表情は依然、面に隠れていた。
が、言いたいことは分かった。
たったの二つで満足するとでも?
『『精神乱読』、『因果逆転』、『等価交換』』
「.........おい、待て―――...」
灼熱が躍り出たかと思えば氷山が顔を見せ、それらはすぐさま金塊の山へと移り変わる。
瞬きの次の瞬間にはそれらはどろどろの液状になり、やがて針金の枠組みに粘土を張り付けて形成するように白銀の狐の像が現れる。
それすらも消えて無くなった。
声が。
替わる。
『『思考整理』『補正無視』『貧困思想』『実際問題』『連帯責任』『無償の愛』『色素変換』『安心安全』『捻くれ者』『鋼鉄皮膚』『反福横駆』『不在表明』『集中轟雨』『命中不安』『完全燃焼』『四面楚歌』『気配察知』『極小精神』『荒唐無稽』『死屍累々』『視界良好』『自動引数』『命大事に』『全体攻撃』『組立除法』『発芽能力』『魔法少女』『裸の王様』『捕食吸収』『模倣天体』『異能開発』『球状氷弾』『発煙能力』『血骨武器』『運命招来』『過剰重圧』『害意誘導』『硬柔自在』『物体引力』『着磁能力』『年齢逆行』『絨毯爆撃』『防御破り』『場面観測』『逆探磁場』『人格複製』『虚像操作』『発風能力』『精神順応』『怪々傀儡』『外見偽装』『再起不能』『緊急再生』『形勢虐転』『恐怖政治』『相互通信』『沸点操作』『熱波噴出』『物象憑依』『視点移動』『電源切断』『遺伝奪取』『貴人偏塵』『好悪転換』『落物追跡』『浸水戦艦』『効率強化』『印象操作』『侵入禁止』『万能切削』『症状悪化』『障壁透過』『超速計算』『発光能力』『治癒能力』『自動操縦』『人体改造』『快速救急』『阻害因子』『荒波刑砲』『空圧低下』『変身能力』『炭化能力』『物体送信』『打暖断弾』『荒昏軍隊』『価格予想』『複製連鎖』『推定無罪』『位置交換』『秘密基地』『不幸傍受』『音波追従』『汚染蹴撃』『麻痺付与』『一華団蘭』『集合特権』『曲射日光』『口頭無形』『硝子操作』『本体切替』『機械工作』『強制自殺』『焦却火砲』『幽体離脱』『誘導電力』『夢幻連鎖』『放射性毒』『鼓動加速』『光波干渉』『臓器複製』『劣化液晶』『魔力増幅』『土石流弾』『自在調理』『焼身傷命』『突然変異』『吸収効率』『悪性腫瘍』『連続行動』『超暴風壁』『誤差修正』『猛突槍角』『怪蟲操作』『花園之長』『炎温上昇』『真相解明』『速度重視』『嗅覚拡張』『発闇能力』『超絶気合』『空間歪曲』『伸縮自在』『幽霊文字』『治癒吸血』『模型人類』『精神差込』『関連不明』『溶解技術』――――――.........』
洪水のように押し寄せるソレは器用にゲラルマギナとアルラ・ラーファだけを避けていく。
瓦礫を押し崩し、残骸を溶け流し、破片を塵に還し、塵すらも無に帰した。
ルールが壊れる。
『異能』は咎人一人につき一つ、いや、もっと基本的な世界のルールを簡単にガン無視して、ソレは改めて全てをリセットするかのように景色を巻き戻し、再び瓦礫の玉座に腰を落としてこう言った。
『その他、使ったことも無い2000以上の異能全てがワガハイだ。理解したか?』
気付かぬうちに。
くしゃくしゃにされた右腕すらも、巻き戻っていた。
絞り出した声は、悍ましい光景の全てを目撃してなお彼を守るという意味を孕んでいた。
「貴様は...何者だ......!!」
星の光を浴びて僅かな白銀をきらめかせる面を空に傾けて、ソレは少し考えた。
そして、さほど重要でもない忘れていた何かを思い出した時の様な、『夕飯はハンバーグだから牛肉と玉ねぎを買っておかなきゃ』くらいの軽さで。
紡がれた言葉の意味はなんてことないくらい単純で。
明解。
『ワレワレは、「WORST」だ』