言葉の重み
現実での二人の戦いが激化する一方で、それらの影を伝うように裏から手を伸ばす影が動いていた。
人工的に生み出された世界最小の脊椎動物『NOAH』。培養層の環境制御を任されるメインコンピューター内部で蠢くそれに決まった形はない。彼(もしくは彼女)もまた人工的に生み出された人ならざる存在であり、培養層内部で着々と目標量への増殖を目指すバイオ生命体にとっては敵対関係に当たるであろう存在だった。
こういう時、人工知能は便利である。
万能ツール『ウィア』はドローン操作による主人の援護と培養層の管理システムへの侵入という二つの任務の平衡作業を、情報存在である自身を二つに分割するという荒業で成し遂げていたのだ。
固く閉ざされたシステムもあと数分でこじ開けられる。それぞれのタスクでの処理の混線を防ぐため、存在そのものを分割してるとはいえウィアはウィアだ、分割というのも一つの脳を半分ずつ分けたわけじゃない。知性のバックアップを用意し、それを動かしているのだ。それぞれが完全に独立しているため、もはや分裂や分身と言い換えてもいいだろう。
人工知能ならではというか、アルラのもとでウィアはますます成長している。そのうち人工知能という肩書から完全に脱却して情報知性体としてネット世界の住人となる日がくるのか...?
『進捗率64...69%――――予想完遂時刻まで83.5秒――――』
羊皮紙に記した2ケタの計算が自動で進む民間魔法とはスペックが違う。
機械が前提となる最■の利点。
正確無比かつ超迅速な計算そして処理は科学の発展の象徴だ。人力でキーボードにカチャカチャ打ち込ん...ザッ...で行えば数日は掛かる作業が、コンピュータなら十分も掛からない。製作目的利用用途共に不明なスーパーマルチツールのウィアなら猶更だ、独自のロジックを駆使したその処理速度は市販のパソコンの二十万倍以上に引き上げられている。
そんなウィアの計算速度を以てしてもここまで時間を稼いでいる培養層のシステ...ザジ...ム側がおかしいのだ。普通の企業レベルのセキュリティなら一秒も掛かっていない。が、結局は時間の問題だ。実際、このペースなら80秒も掛からないだろう。
もしウィアに表情などという全生物中でも恐らくは人類固有のアビリティが実装済みだったのならドヤ顔でキーボードをタカタカターンッ!!していたかもしれない。
侵食の途中、システム越しに閲覧したNOAHの情報をフォルダに纏めつつ、メインのタスクを邪魔しない程度の解析を始めた人工知能は文章を0と1の羅列に直していく。
思考ベースを人類に限界まで寄せることで、ウィアも人類の視点から間近の生物兵器の危険性の理解に成功していた。
放っておけば確実に主人に害がある。即ち自分に害が及ぶ。たったそれだけの理由で、彼もしくは彼女が全力を尽くす意味はある。
着々と目標に手を伸ばしつつあった、その時だ。
『ザッ...進捗率...75―――75.2...76―――ザッザザザジジザザッ!!?」
変...化は劇的■つ、唐突に現...ザザッ...れた。
最初は小さなノイズから始まり、まるで油に落としたマッチの炎かの如き勢いでそれは広がっていく。同時に計算に狂いが生...ザッ...じ、予想時刻がぐいんと一気に遠くなる。
ウィアの対応は迅速だった。人工知能であ■が故に焦りが無い。機■的に、そし...ジジ...て正確にエ...ザ...ラーを修正していく。
が。
『―――不明、ジジッな...エ...ー...修正......ザッ......不能』
エラーコード222『無効なアクセスです』
エラーコード3089『プロ...ジ...セスを途中終了しました』
エ...ザッ...ラーコード188『ファイル欠損を確認しました』
エラーコード?86『無謀な試みです』
エラ...ザザッ...ーコード9...ジジジッ!?...@&『実行を停止してください』
エ■ーコード337『アクセスが拒否されまし...た』
エラーコード3##『やめなって』
エラー■■ド???『ほら、気付いてる?』
ザザッ
ザジジザジザッ
ザザジッ...ジジジジゾゾッッ...ザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザッッッ!!?
『第......三ッ者...ザザジジッ...ガガッ...介,,,ニュウ...誰、ザジジジジザザザッッ!!?』
―――プッ―――...と、発展途上が霧散した。
マルチタスクの達成において完璧に見えたウィアの自己分割にも欠点がある。
双方が完全に独立してしまうため、共通のネットワークにでも同時接続しない限り互いの状況を伝え合う術が無いというのがまさしくそれだ。
とはいえ仮にネットワーク共有してしまえば混線の可能性や余計な計算が増えるだけ、自己分割のメリットがまるでなかったことになってしまうので切り離せない欠点ではあるが。
場面は再び切り替わり、ブリッツコーポレーション本社ビル屋上。
流星雨の如く頭上から降り注ぐ放射状のブレスが青年のたった一声で粉砕させられたシーンから。
「くっ」
過去にも特異な技術を用いて特別な才に立ち向かった者は大勢いただろう。
ゲラルマギナがふと思い浮かべただけでも数件、そういった例は簡単に記憶に蘇る。
例えば精神と理念を司るとある神人の片腕を喰いちぎったドラゴン・ノーテイム。
或いは十三年にも及ぶ激闘の末に大国の支配から脱却した北方の小国ボレアスが該当するそれか。とにかく弱者と敗北は必ずしもイコールで連動しているなんてはずはない。それに当てはめればアルラ・ラーファも、十分に神人ゲラルマギナへ牙を突き立てる可能性を秘めていると言える。
「『寅』続けて『辰』。双頭を以てして亡者が魂を喰いちぎらん」
閃光が瞬き、渦巻いた灼熱が無数の斬撃を帯びながら雷のように直進を開始した。が、直前に対応は成されていたようだ。
「龍虎ハ双極ヲ象徴セシケダモノ也」
記号が割り込まれる。
元の回路の配線をごっちゃに繋ぎ直し、余計な抵抗を取り付け、出力先をやたらめったらに増やされるごとに凶悪極まる『十二支賽』の術式はその凶暴性をヤスリに掛けられたかのように失っていく。
最終的に残るのはカスだけだ。まるで新品の鉛筆を使いもせずに削り散らかすように、賽子の獣は己の元の姿を忘れ去る。
「マタ一振リノツルギニヨリテ斬リ離ス!!」
また一つの確定した出目がアルラの口頭で霧散させられる。
魔法とは別口。
自身で魔法を操る術を持たない青年が、洞窟の凍えるような寒さの中で積み上げた知識の果てに師から享受したオリジナルの効果はどう見たって絶大だ。シンプルさと汎用性をもとめて編み出したはずの術式が完全に裏目に出ている。
「...馬鹿げてるな」
「てめえ程じゃねえよ。そろそろ後悔したか?二度も俺を見逃したからだぜ」
「反省はしているとも」
とてもそんな風には見えなかった。むしろ、じわじわと優勢が押し戻されていく感覚を楽しんでいる節すらある。
くるりと上半身を反転、躱したアルラの蹴りを横から両手で掴み取ったゲラルマギナ。膝を破壊する目的で振り下ろされた肘に直接拳をぶつけることで軌道を反らすと、アルラは勢いよく引っこ抜いた脚の反動を使ってすかさず後ろ回し蹴りを繰り出した。
ゲラルマギナが一歩下がったことで攻撃が空を切る。
舌打ちしてまた距離を詰めようと踏み込んだ瞬間、視線の脇を高速で突き抜けていく物体があった。
指で弾かれたサイコロだ。慌てて出目を確認しようとして、自分がゲラルマギナにどれだけ近い位置に居るかを思い出した。
乱された視線を戻すより神人の拳のフルスイングが速かった。
ベゴッッ!!?という鈍い音が頬骨から発せられ、アルラの決して軽くはない体が水平に5メートルは吹っ飛んだ。
「ぐっ、くそっ!!極南ノ蛇窟ヨリ...うおっ!!」
「上手く避けたが確定だな。『魔法を視抜く瞳』とやらは詠唱の付け足しで余計なパーツを埋め込んでいるのだろう?
ボゴォッ!!と。
地を蹴る勢いによって浅く陥没したコンクリがゲラルマギナの踏み込みの速さを示している。
気が付いた時には既にゴツイ掌が視界を覆い潰してた。
後頭部から衝撃が突き抜け、意識が飛びかける。アイアンクロー式に顔面を掴まれて後頭部をコンクリに叩きつけられたと理解が及んだのは痛みのおかげだ。
指の隙間からアイツがこちらを覗いてる。
「であれば対処方もまた明確、禍の源たるその口を塞げばいい」
神様らしく容赦の欠片も含まれていないとこまでは想定できた。
右腕で顔面下部を抑えつけて『魔法を視抜く瞳』による妨害を封じる。ぱっと開いた左手の中から零れた一対二種の立方体がアルラの顔面脇に転がって、確定した術式は抵抗しようのないアルラを上から叩き潰す。
木の枝を纏めてへし折ったような乾いた轟音が炸裂し、顔面だけでなく全身がコンクリに浅く沈み込んだ。
口元を抑えつけられているので吐血も許されない。行き場を失った口内の血が鼻と口の隙間から微妙に噴き出した。何度も言うが、常人ならとっくに死んでる。
「がぶ...ごぼっ」
「これだけやって脳震盪すら起こさないとは。やはり少々...いやかなり異常だぞ、君は」
テメェに言われたくないという言葉は握力に埋もれた。
いい加減その手をどけろと掴んだ奴の右腕を極彩色で握りつぶそうと力を籠めようとして、だ。
三度衝撃が地を奔る。
二度目と同様の獣、恐らく『午』。人類史と切っても切り離せない縁で繋がった家畜代表の象徴は強靭な脚力から繰り出される踏み付けだ。不可視の重圧による鎮圧が本来の目的なのだろうが、効果時間を一瞬に圧縮すればさながら巨大な杭打機の一撃。原形を保っているだけマシなレベルですらある。
いい加減意識も限界だった。
感覚的にはぴんと張ったゴム糸が途中で太さの半分辺りまで千切れ掛かってる感じだ。ちょっとでも風が吹いたり重圧が掛かれば、即座にぷっつりイってしまうだろう。
ぼたぼたと額から流れる血が生暖かかった。
ゲラルマギナが未だにアルラの顔面を掴んだまま小さくぼそりと呟いた。
「これでも意識を保つとは。まさかとは思っていたが」
顔を近づけ、まるでアルラの頭の中でも覗き込むような態勢をとり、神人ゲラルマギナは頬を僅かに吊り上げていた。好奇心に逆らうことが出来ない研究者としての部分が出てきたのだろう。直後に奴の笑みは、ほんの僅かではあるが、驚きを含んだ表情に切り替わっていた。
が、そんなことに興味はない。
ここが瀬戸際、死にかけの本能がそう叫んでいる。
憎ったらしい敵対者の顔をより間近で視認し、【憎悪】の咎人アルラ・ラーファの闘争本能が目を覚ます。ぎゃりっ!!と口の内側を噛んだ痛みで意識をはっきり覚まさせると、頭部に纏わりつかせた極彩色を前方に振り抜くことで掴んでいた腕ごとゲラルマギナを押し出したのだ。
一瞬だが体勢が崩れる。こっちは座った状態で奴はちょっと深めの中腰状態、しかも重心が後方に傾きかけている。状態の優勢の一瞬を狙った全力の殴打が腹の真ん中を捉え、遂に危機的状況脱出に成功する。
からん、と。
奴が後退ざまに放ったサイコロが雑踏に埋もれてしまいそうなほど軽い音を奏でていた。
「臼ハ頭上ヨリ降リテ押シ潰サン!!」