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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
一章
188/265

星に抱かれて飛び降りる



 ぱら、ぱら、ぱらと。

 降り注ぐのは灰色の雨。いいや、この場合(みぞれ)というべきか。光と音と衝撃に擦り潰された滑走路や格納庫の破片は、一度天高くまで舞い上げられ、そして全てが収まった今になって落ちてくる。

 一瞬だけ夜の闇を掃った光の爆弾はとっくに消え失せ、残されたのは残骸。解体爆破直後の廃ビル跡地のような悲惨な光景だ。爆破自体が原因か吹き飛んできた破片に削られたのかは分からない。が、どうやら格納庫全域に保管されていた飛行機類の燃料が飛び散って引火したようだ。二次災害的に、僅かな炎がぽつぽつと吹き上がっている。

 絞りかすのようにか細い声が、巻き上げられた膨大な粉塵の影に差す。


「ちくっ...しょぉぉぉおお......」


 少女の慟哭が響く。

 残響は煙のように消えてなくなってしまった。

 一足遅れて、積み木を崩すかのような音があった。

 膝を付き、四つん這いで血反吐を吐いたキマイラから僅かに離れた地点。白っぽい半球状の造形物が、ひび割れたところから崩れていく。内側に隠された少女が剥がれ落ちた白いドームの断面を拾うと、ミルフィーユのように途中から黒く変色しているのがわかる。

 全身を伝う冷や汗を自覚しながら、だ。もう一人の少女に()()、呪術『コトリバコ』から逃げ延びたラミルが声を震わせた。


「キマイラさん...直前に。()()()()()()().......私を庇って、そんな......っ!?」


 生物の脊髄反射は、自分の安全を何より優先するように出来ている。

 目の前で他人がクレバスに足を滑らせたのなら、誰もが人を呼びに行くだろう。ロープを張って氷の谷間に自ら救出に乗り出すのは愚か者で、しかしキマイラはそういうことをしてしまう人間だった。欠陥品のキマイラは事実、生物としての本能を捻じ曲げてまでラミルを守ることを優先してしまった。

 代償に背負った傷は大きかった。

 焼け焦げた服の一部から露出した肌は火傷に犯されている。額から流れ落ちる血液で、片目は塞がれていた。ただでさえ術式の過剰使用で壊れかけていた内側も、止めを刺されたように最大限の苦痛を信号として送り続けている。

 誰がどう見ても重症だ。動いていい状態じゃない。彼女の頭の右上にゲームの体力バーがあるとするなら、きっとそれは赤色にぴこんぴこんと明滅を繰り返しているだろう。外部から見た外傷だけでもこの酷さだ、複合術式のキャパオーバーでかき回された彼女の内側はどうなっているのだろう。

 ダンッッッ!!と。

 四つん這いで血反吐を吐くキマイラの拳が地面を叩いた音だった。

 泣きそうになりながら近寄ろうとしたラミルも思わず足を止めてしまう。


「クッッソオオオオオォォォォォォォオオッッ!!!!」


 心の底からの剥き出しの咆哮が大気を叩く。叫びというよりかは絶叫に近い種類のそれと同時に、幾度となく血の滲んだ拳を地面へと叩きつける。

 ぽたぽたと拳の先から垂れた血の玉が、焦げ付いたアスファルトを赤く彩っている。


「あのっ、あの野郎...ッ!!どこまで、どこまで人を馬鹿にすれば気が済むんだァァァァアアアアアアアッッ!!!」


 何が何だかわからず、ラミルはおどおどと狼狽えるばかりだった。

 とにかく応急処置だけでもと近寄ったラミルの肩を掴んでよろよろと立ち上がると、キマイラは視線の先でぼろきれのように転がっていた男の元へとにじり寄る。無理して動くべきではないとラミルは止めようとするも、キマイラの表情がその善意すら威圧し、遠ざけた。

 片足を引きずりつつも、辿り着く。

 うつ伏せに転がっていた秘書...カララ・オフィウクスの肩を掴んで無理やり仰向けに転がすと、馬乗りの体勢になって、血濡れた左右の拳を連続で叩きつけ始めたのだ。

 べぎっ!!ごしゃっ!?という、肉と骨の交わりが一定のリズムを刻む。怒りに満ちたキマイラの表情は逆に、今にも泣きそうな子供のようにも見えた。ラミルが止めに入ろうとした直後に、二人から数メートル程離れた位置に転がっていたヒビだらけの端末から電子音が鳴り響く。

 着信ボタンを押さずとも、そのバキバキの画面からは声が届いてきた。

 正確には声どころか、言葉にも満たない咳払い。公衆の面前で恥ずかしい言動を繰り返すいい歳の娘を、父親が静かに指摘するようなそれだった。

 ぷつりと、キマイラの中で何かが切れた。


「キッッ...サマァァァァァアアアアアアアアアアッッ!!!」

『そう怒るな。我としても遺憾が残る終わり方だ、初めからこうなるとは覚悟していたが...。やれやれ、いくつになっても恨まれるのには慣れないな』


 噛み締めすぎた奥歯が砕けるほどの圧が加わり、キマイラのぎりぎりという歯軋りの音はマイクを伝って向こうまで届いているようだ。子供をなだめるような奴の口調に耐え切れず、少女の怒りはいくら抑えようとしても沸騰し続ける。

 一人ついていけないラミルは、目の前で起こった全てに思考が追い付いていないようだった。


「何が一体どうなって...?キマイラさん、その端末の声って、じゃあ私たちが今の今まで戦っていた彼は...?」


 ぼそぼそと独り言を繰り返し、しかしキマイラの様子からただ事じゃないことが起こってしまったのだけは何となく察することが出来ているようで。

 だが無理もない。

 そもそもの話、キマイラアルラの二人と違って彼女だけ情報に穴がある。先のブリッツコーポレーション本社での戦いと神人ゲラルマギナの人間性を口で説明されただけというのが特に大きく、自分で直接見て経験するのと他人の経験を聞くのとではどうしても差が出てしまうのは仕方がないことだった。

 ただならぬことだとわかっても、それが具体的にどういう問題なのかが分からないのがもどかしい。

 かけて埋まらないピースを補うために彼女がかがんで拾い上げたのは、ゴムみたいなべろべろの感触を持つ肌色の鱗。キマイラが馬乗りで滅多打ちにしていたあの男から剥がれ落ちた、特殊メイクのようなものだった。


(...なりすましていた?でも、私たちの動向を...?)


 そう、ゲラルマギナが知ることが出来たのはおかしい。

 キマイラとラミルが格納庫を目指したのは、キマイラが負傷したアルラを病院まで連れて帰ってからほぼノータイム。その間に誰かが介入出来る隙は一切なかったし、第一、介入して二人が格納庫を目指しているという情報を掴めたとしても、その瞬間から二人が格納庫へ到着するまでの短い時間にあれだけのドローンや兵隊を準備することなど、果たして可能なのか?

 となると、二人の向かう先に先回りするのではなく、二人が向かう先を()()()と考えた方が自然だろう。

 そこまで考えてようやく、ラミルも現実と事実に触れることが出来た。

 急激に息が荒くなっていくのを自覚して直後に、恐ろしい現実と後悔に圧し潰されそうになる。

 前提からして、間違っていた。

 誰が『敵』で誰が『味方』なのかを、あまりにも安易に決めつけていた。

 キマイラに非は無い。だって、誰も考えつかないし、思いついたとしても実行しようだなんて思わない。


「まさか」


 奴は、自ら依頼していた。

 己の悪事を暴き、白日の下に晒してくれ、と。

 なんのために?

 ......決まってる。


「裏切るために?」


 一つ、ゲラルマギナはヒトに非ず。

 二つ、神人はヒトに測れない。

 ......三つ。

 みんながみんな、神人という生き物を甘く見ていた。いいや、ゲラルマギナという一個人を甘く見過ぎていたのだ。だからこんなことになってもう取り返しがつかない。

 時間。

 労力。

 用いた資源。

 もう戻らない、それらは既に失われたエネルギー。燃えた脂肪や海水に溶けた廃水と同義、タイムマシンでも使わない限り、過去は回想するものであるという決まり(ルール)から脱することは叶わない。

 神を名の一部に加え入れたある一人の博徒は、世と人を想い行動した少女の善意すら浅く否定してしまう。


「たったそれだけのために、『協力者』としてキマイラさんの信頼を積み重ねていたんですか...?さっきの一瞬だけのために...ずっとずっと前から?」

『.........いざ計画を実行に移そうとなったあの日、障害に成り得る人物をリストアップした』


 画面の向こうで奴は今頃、二人の知らない計画の本筋をなぞっているのだろう。

 少女らを欺くために分けた枝に、薄っぺらい端末一つで干渉しながら。

 今更奴がどんな手段を用いて生物兵器をばら撒こうとしているのか、もはやどうでもいいことになってしまった。移動手段ホバーボードは既に墜とされているし、奴が今どこで何をしているのか、見当もつかなかったからだ。

 掌で踊らされていたという無念は、正しさを信じて戦った少女らを蝕んでいく。


『悪性を強いる政治家、表社会の著名なヒーロー、逃走中の連続殺人犯。とにかく計画に影響を及ぼしかねない人物を片っ端から調べた。暴力以外のあらゆる手段を用いてそれらを排除してゆくにつれて、最も警戒すべきある人物の存在が浮き彫りになった。故意か偶然か、彼女はトウオウの古今東西の事件に首を突っ込んでは殴り合いで解決し、結果誰をも幸せにする人物だった。何もせずとも災難の方から彼女に惹きつけられていく、息を吐くように問題を解決しては次の災難に巻き込まれる。今から問題を起こそうとしている我々とっては脅威以外の何者でもない性質を内包した、善人の理想形のような人物』


 違う。善人なんかじゃない。

 ただ誰かの背中を押した気になって、悦に浸りたかっただけだ。知らない人が喜ぶ顔がちょっと嬉しくて、だけど、いつの間にか両手は返り血でべたべたになっていたのだ。


『それが、君だ。究極の巻き込まれ体質、何もせずとも事件の方から君に近づいていく悪人の天敵。我が危惧したのはまさに君のその体質だよ。ただ普通に道を歩いているだけでも強盗に出くわし、買い物に向かえば見知らぬ少女が助けを求めてくる。不幸もここまでくると『呪い』だ、故に我はこう考えた。どうせ後々首を突っ込まれるのなら、最初から関わらせてしまおう、と。協力者を装い、己の計画を明かし、最終的に我に優位な方向へ動くように仕向けた。たったそれだけだよ、結果は見ての通りだな』


 ギリギリギリッッ!!と。

 行き場のないキマイラの怒りが、逆流する。何度も何度も何度もアスファルトに拳を叩きつけ、両の手は痛々しく変色し始めている。

 本物のゲラルマギナは夜空が良く見える空間でただ一人、そこから見える街の景色を眺めていた。

 特徴的な形の建造物だ。六角ナットを縦に積み上げたような鏡面ビルの屋上に吹く風は冷たい。なにより、ここからは街の灯りの一つ一つが良く視える。

 外灯の光。まだ光の残る働き者の務めるビルの影。車のヘッドライト。一つ一つに人の意思がある、全てに感情が籠っている。可能な限りすべての無駄を省いた、美しい社会の姿勢とやらが、ここだと本当に良く視える。


「君達には悪いことをしたと本心から思っている。こんなことをしでかした我を許してくれだなどと言うつもりもない。せめてここから先は―――.........」


 ...最初にそれを感じ取ったのはラミルだった。

 電波越しの神人の声に空いた奇妙な間を、やや遅れてキマイラが知覚した。常人離れした五感及び聴覚が画面越しに聞き取った風の音の中に微かに混ざる()

 リズムが一定では無かった。

 足音の主は、どちらか片足を僅かに引きずるようにして歩を進めている。

 ザッザザッ!!と、やがて。

 その痛々しくも勇ましい、死刑台を目指す罪人にも似た足音が止む。


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