溺れた貧者
ズガガガガガガガガガッ!!という連続する発砲音が辺りの空気を叩いていた。
神人ゲラルマギナの周囲をボディーガードのように取り囲むドローン。それらがそれぞれ両脇に携えた機関銃を、標的の少女たちへ向けて一掃する音だ。弾丸が一発発射されるごとに僅かな閃光が銃身の先にちらつき、次の瞬間には二人の間近の壁や床に焦げ臭い銃痕が刻まれていく。
キマイラが『スケルトン』の術式で生み出した骨の障壁も、そう長くはもたないだろう。壁の裏でぴしぴしという、着実に進行しつつある弾丸の音を聞き、キマイラは眉間にしわを寄せた。
ドローン群の苛烈な攻撃に対して、ではなく。
感じているのはむしろ違和感。ゲラルマギナ本人が全く攻撃を加えるそぶりを見せず、ここに来てドローンに戦闘を預けていることに対する疑問だ。
直接戦ったキマイラだけが、その違和感をひしひしと感じている。一方でラミルはどうにか反撃を繰り出そうと思考を練っているようで、体から彼女の属性である『氷』の冷気を漂わせている。
(ドローンに任せるより奴自身が動いた方が効率的。なのに動かない、いいや、動けない?今の奴は術式を使えない理由があると考えるのが妥当っすね)
この予測が正しい根拠は無いが、こちらとしてもゲラルマギナが出張って来ないのは好都合。奴を縛り付けている何らかの『理由』が解消される前に取り巻きを片付け、本人と『NOAH』を積んだ飛行機群を叩くのが現状のベスト。
目標を設定すると崩れかけの障壁を飛び出し、大道芸にも似た、あるいは体操選手のような洗練された体捌きで弾丸を掻い潜り、キマイラはスタンガンを己の頭蓋に押し当てた。
ドローンの照準がキマイラ一人に轢きつけられたタイミングで、ラミルがその反対方向へ走り出す。
電撃と冷気が空を叩いたのは同じタイミングだった。
電流の形に変換された術式がキマイラのショートヘアの奥の奥へ到達し、ラミルの『氷』の属性によって形成された氷の壁が地面を奔る。
照準の一部がキマイラからラミルへ移るより早く、地面伝いにせり出た氷がドローンを巻き込んだ。ぴしぴしと小さなひび割れの音の直後、直前まで接近していたキマイラの剛脚が氷ごとドローンを蹴り砕いてしまう。
いくつもの浮遊する金属の塊が煎餅のように粉々に砕け、しかしその程度で神人の表情は変えられない。
代わりはいくらでもいると言わんばかりに次々とゲラルマギナを取り巻く機械が赤く光るレンズの先を少女達へ向け、今度は四本足の機械の獣と完全自立の装甲車両も動き出す。
キャルキュルキュルというキャタピラが地面を咬む音の次に、ボッッッ!!という機関銃とは比べ物にならない衝撃が襲い掛かる。
「ッ!!」
着弾と同時、爆炎が舞い上がった。
たかだか人間二人に持ち出すには明らかにオーバーな威力を誇る対戦車榴弾だ。飛行場という場を考慮して威力は抑えられているようだが命中すればもちろん、着弾点が近いだけでも人間如き電子レンジに入れた卵のように簡単に木っ端みじんになってしまう。
脚の強化が持続していたのが功を奏して、メジャーリーガーが頭からホームベースに飛び込むような格好で辛うじて回避したものの、抉れた地面のコンクリートの破片がキマイラの体を叩く。横殴りのコンクリの雨を体で受けた次に、今度は四本足が飛びついてくる。装甲車両はその隙に次弾を装填するという循環が成り立っているのか、完全に『殺人』を想定した行動パターンに少女は思わず嫌味に笑った。
傍観に徹するゲラルマギナ目掛けて、思ったことを口にする。
「誰も殺したくないんじゃなかったんすか?自分の手は汚さないからセーフとでも?」
「......」
回答はない。
本当にその通りなのか、別の意図があるのか。
あれだけ命を奪うのを拒んでいた神人だ、そう簡単に考え方を覆すとは思えない。何より奴が生物兵器を世界中に散布しようとしているのも、戦争や犯罪で無意味に失われる命を無くすためだった。その目的の過程で自らが人を殺しては、もはや何の意味も無い。
恐らく心変わりではない。
かと言って、殺意が無いわけでもないようだった。少女の鼻先にナイフより鋭利な四足の爪が迫る。
「もうおしゃべりもしてくれないんすね」
バズズズズッ!!と。
キマイラの手の中に電流が瞬く。
とっくに限界を超えている脳が、新しい術式の入力に悲鳴を上げている。後頭部を金槌で殴られるような痛みを押し殺し、キマイラは握っていた左手の人差し指を伸ばして四足へ向けた。
ばんっ!と一言発した直後、四足の内側から機械部品が散らばった。制御系を完璧に破壊され、断ち切られたコードから発せられた電流が染み出たオイルに引火する。続けざまにすぐ近くまで迫っていた四足とドローンに『発砲』し、無力化と同時に黒煙を立ち上げる。
吹き上がった黒煙に紛れて装甲車の照準から姿を消したのだ。
だんっ!!と。
砲塔に飛び乗った何者かを認識するより速く、砲身内部が固形異物で満たされる。装甲車が手動操作なら操縦者が一時停止するだけで良かったが、AIによる自動操作があだとなったのだ。榴弾は発射直後に装甲車丸ごと呑み込む大爆発を起こしてしまい、ついでに装甲車周辺で構えていた機械の兵隊たちも道連れにしてしまう。
続々と新手の機械兵が現れてキマイラを取り囲む一方で、だ。
「あなたのことは二人から聞いてます。あなたがこれからやろうとしていることも。正直、私は怒っています」
面と向かって、ラミル・オー・メイゲルは話しかけていた。
取り巻きのほぼ全てをキマイラへの増援へ回し、一人っきりになった神人に。しかしどうしてだろうか、二人が語ったほどの威圧感はどうにも感じられない。手元に注意するも、だらんと開いた奴の両手の中には、聞いていた白と黒のサイコロなんて見当たらなかった。
臨戦態勢が整っていない。
身体能力に優れる神人といえど、わざとやっているなら流石になめすぎている。
ラミルは神人がどんなものなのか、キマイラ以上に分かっていない。まずこの世のほとんどの人類は、神人なんて希少生物と縁がない。ラミルもその内の一人であり、神人という名称こそ知ってはいても実物をその目に収めた事なんて、今までの短い人生でたったの一度だってなかった。
今日この時までは。
「あなたが世界に何を見たのかは知りません。あなたの挫折はあなただけのもので、そこに私が介入する隙はありませんから。だから、あなたが一人で諦めるのは勝手です」
ラミルにしては珍しく、明確な怒りを露わに語りかけているようだった。
仲間を...アルラを二度も傷付けた事。何も知らない大勢の人を巻き込み、その人たちの自由意志を奪おうとしている事。
理由はいくらでも揃ってる。
「きっとあなたは人々のために神人になった。医療系の会社を設立して、人類に多く貢献してきた。それ自体はとっても立派なことなのに、あなたは結局諦めた。救うための力を支配するために使って、誰も殺したくないなんて言いながらも平気で人の心を汚して、全く悪びれずこんな事をしている!もう誰もあなたを神様とは認めない!」
『氷』の魔力が感情に呼応している。ぱきぱきと小さな氷柱が、少女の足元から浮き上がる。夜の風より冷たく、夏の日差しより熱い怒りが冷気という形で立ち込めていた。
初めて、自分から武器を向ける。
己を守るために武器を構えたことはあっても、誰かを守るために自ら戦地へ赴くなんて、考えたことも無かったのに。
改めて、恐怖は無かった。むしろ、嬉しいという感情が芽生えていた。もう守られるだけの立場じゃなくなったという実感が背中を押してくれる。
心臓はバクバクと高鳴って、墜落によってまき散らされた炎の明かりが不気味な夜に揺れている。
パチンッ!!と。
ゲラルマギナが天に向かって指を鳴らした音だった。
擬態が剥がれる。
滑走路脇にひっそり佇んでいたヘリコプターに異変が生じる。
無機質かつ機械的な異音が大音量を聞き、その変化を目で追っていたキマイラは、悔しそうに呟いた。
「......あくまで自分の手は汚さないつもりなんですね...っ」
最初ヘリコプターのように振舞っていたそれは、実のところはただの『箱』だった。合図一つで留め金が外れ、内部が露出するだけの全長約10メートルにもなる巨大な入れ物。
鋼の箱の内容物も、また鋼。
開いた箱の剥き出しの内部が露出する。
ざらざらと零れだす、メタリックシルバーとメタリックブラックの『パーツ』があった。
ざら、ざら、ざら、ざらざらざらざらざらざら!!!!と。
蠢き、独立し、交じり、組み合わさる。一つ一つが部品で、このレベルまで細かく分解し持ち運べ、非常に高い戦闘能力と工業作業能力を併せ持つ人型の兵器。
ショベルカーとトラクターを足したような、メタリックシルバーとメタリックブラックを併せ持つ四本腕の巨人。いいや、下半身に当たるパーツはもはや人ですらなく、フォルムとしては戦車の砲塔に当たる部分に人の巨大な人の上半身が突き刺さったような見た目をしていた。
無人操縦、高度な戦闘用AIを内蔵することで、機械的に対象をすりつぶす。殺意の塊のような兵器がラミルに立ちふさがった。
「覚悟してください。私は彼ほど優しくありません!!」
最近少し忙しいので投稿がこれからもちょっと遅れると思います。申し訳ありません。