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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
一章
177/265

甘い香りの地雷原



 幾種もの音が折り重なって、子供の癇癪にも似た歪な音楽を奏でていた。

 ぬぷりっ、と。

 不協和音のコンサートを途中で抜け出したかのような異音。まるで鍾乳石の先端から零れ落ちる水滴のような音を伴い、少女の体が壁をすり抜けて現れる。

 泳いでいた直後みたいにずぶぬれのキマイラの息は上がっていた。完全ランダムで全く先の読めない術式で翻弄してくる神人から辛うじて『ゴースト』の術式で退避したのは良かったが、このフロアの内部構造が頭に入ってはいなかった。立ち上がったキマイラはとにかくがむしゃらに駆け出して、奴が追ってくる前にこの場を離れる必要があった。

 どうやら壁一枚挟んだこちら側も、社員や研究者のためのケアルームらしい。壁のコルクボードに張り付けられたチラシやポスターがやたらと健康管理を推奨していることから、ここは健康相談室のような役割なのだろう。

 簡易的なパイプ椅子とテーブルと窓口だけの小さな個室を抜け出すと、左右に通路が広がっている。直観的に左側を選択し、音をたてないよう慎重に進み始める。

 と、その瞬間だ。

 ドグアアァァァアンッ!!、と。

 キマイラが進もうとした先の壁が内側から弾け飛び、ぬるりと中から大柄な影が現れる。

 神人ゲラルマギナは、そう簡単に逃がしてくれるほど甘くない。

 右手の中にサイコロを転がしながら、現れた神人は横目でキマイラを捉えた。


「追いかけっこの逆転か?一度突っ込んだ首なのだ、そう易々と引き戻せるわけがあるまいよ」

「でしょうね、あたしに計画をバラされるのは怖いでしょうし」

「何も知らぬ一般人が君の言葉と我の立場を比べた時、どちらが信用されるかは明白だがね。念を入れるに越したことはない」


 臆病は時に命を繋ぐ。

 常に『万が一』を考えて行動する当たり、流石神人はこの世の闘争が何たるかを分かっている。

 キマイラが振り返って逆の道へ進もうとするが、体が動くより早くサイコロの音が広がった。同時に、見えない衝撃に圧し潰されて両側の壁が崩された。

 瓦礫がキマイラの行く手を塞いで、袋小路が完成してしまう。


「......自分んとこの会社なのに容赦ないっすね」

「どうやら今夜は地震が起きるらしいのでな。それに普段の我もこんな感じだ、社員への言い訳には困らんよ」

「要求は?」

「暫くの拘束。命は保障する、何なら夜食も提供しよう」

「遠慮願いたいっすねえ。夜食と夜更かしは美容の大敵、あたしもさっさと終わらせてお家のベッドで休みたいんで」


 バヅヅヅヅヅヅッッ!!と、いつもより長い電撃の音が迸る。

 有無を言わさずサイコロを放り捨てたゲラルマギナに対し、キマイラは軽く一言だけ。


「ゴースト×バジリスク」


 直後、少女を中心にドゥオン!!という音と共に煙が吹き上がり、一瞬で二人の視界を遮った。

 小麦粉の袋を勢いよく落としたかのように爆発的に吹き上がる白煙に思わず神人は目を細め、サイコロを投げ放とうとしていた手を引っ込める。

 煙に紛れてまた壁を抜ける算段だろうと考え、しかしゲラルマギナは同時に複数の可能性を頭の中で構築する。


(煙...否、極々小さな石の粉末か)

「逃がさんよ」


 微細な煙(というよりは土埃に近いか)の動きを目で捉え、反射的にゲラルマギナの腕が動いた。ガシッ!?という確かな感触。

 剛腕が、確かにキマイラの足首を掴み取っていた。


「ぐっ、うっ!?」

「先に発言したゴーストとやらはハッタリ、壁抜け天井抜けを警戒させるつもりだったのだろうが甘かったな」


 宙吊り状態のキマイラが放ったやけくそパンチは、少女の体の方を揺さぶることで外させる。

 ぶおん!!というパンチの風圧が煙を揺さぶるが、それだけだ。少女の顔を見下ろすと、絶対的ピンチに陥っているはずのキマイラは、何故か好戦的に笑っていた。まるで獅子の群れに追い詰められた草食獣が、意を決して立ち向かう覚悟を決めた時のように。

 そして、おかしな現象が神人の眼前に広がった。

 足首を掴んで拘束しているはずの少女の拳が煙を掻き分けるように現れて、ゲラルマギナの顔面を打ち抜いたのだ。

 その現象を前に、ゲラルマギナの意識がほんのコンマ数秒だけ揺れる。

 その僅かコンマ数秒が大きかった。

 つんと鼻の奥まで響く衝撃が突き抜け、更に直後、掴み取っている方とは逆足の蹴りが鎖骨に打ち込まれる。それでも離すまいとするゲラルマギナの意思とは他所に、またも煙を掛け分けて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 仕方なく掴んだ足首を壁へ叩きつけるように投げ捨てるも、派手な衝突音が無い。複数人に受け止められたかのように、投げ捨てたキマイラの体は視界を遮る煙の中にふわりと溶け込むように消えてしまった。

 次の瞬間に、だ。

 ()()()()。それぞれが直前にガードを固めたゲラルマギナの全身急所目掛け、恐ろしい勢いで襲い掛かったのだ。生身の人間の骨くらい容赦なく砕き折る少女の蹴り(×3)を喰らいつつも神人が僅かに位置を後退する程度で済んだのは、直撃の寸前にわざと足を地面から少し浮かすことで衝撃を逃がしたからだろう。

 ずざざざざざ!!と靴底が床を噛み、ようやく薄まった煙の向こうに、固めたガードを解いたゲラルマギナは三つの影を見る。

 分身か、はたまた幻影か、それとも人工皮をかぶせただけの機械ロボットか。

 そこに立っていたのは紛れもなく、三人のキマイラだったのだ。


「オーク」


 三度みたびの肉弾戦だ。キマイラの方も向こうのを学んで拳を繰り出すが、それが三人分集まっても掠りもしないのだから戦慄させられる。

 三対一、本来であれば圧倒的に有利なはずのキマイラは、しかしそれでも押されている。三人になったことで力が三等分された...というわけではない。単純に、ゲラルマギナの成長によるものだ。この本当に僅かな時間で奴は、三人のキマイラを相手にする戦闘の経験値を爆速で積み上げている。

 キマイラはいつぞやに本で見たことがある。かつて、力を求めて神人と戦ったとある軍人はこう言ったらしい。

 『奴らは名に人とついてはいるが、人と思ってはいけない』と。

 術式云々よりまず、基本スペックからして人から逸脱している、とその男は言いたかったのだろう。今ならその男の気持ちもよくわかる。柔軟に数百の術式を組み合わせて戦うこちらに対し、その場その場で即座に対応する奴なんて化け物以外の何者でもない。

 が、


×(かける)


 がしっ!!と。

 少女たちの行動が一瞬で切り替わっ(スイッチし)た。

 突き出した拳に対して展開されたガードを、拳を開いて掴み取る。そのまま蛇が巻き付くかのように体勢を変えて、絡みつくように三人はゲラルマギナを己が体で縛り付ける。

 一人が右腕、一人が左腕、もう一人が胴体に。

 何よりもサイコロを警戒し、絶対に投げさせないという動きだった。例えソレが放り捨てられたとしても、誰かが必ず反応できる位置取りだ。力尽くで引きはがそうにも両腕は抑えてある。そう簡単には引きはがせないだろう。

 ピッチピチの女の子×3に全身もみくちゃにされた程度で取り乱す神人ではないが、関節技を警戒したのかすぐさま引き離そうとしている。やっぱり神人は神人だ、キマイラは全力で四肢を一本抑えるだけでも精一杯といった様子で、仮に片方腕が解放されてしまえば形勢はすぐさま覆る。

 だが、彼もどうやら気が付いたらしい。

 少女の、内側。

 まるで内臓に太陽でも飼っているかのように。切れかけの電球の明滅みたいに。内側から照らすオレンジ色の光を見る。

 そして。


「「「()()()()()()!!!」」」


 ゴオッッッッッッッッ!!?というとてつもない爆音が炸裂した。

 煙も、瓦礫も、壁も天井も巻き込んで、オレンジ色の光が空間いっぱいに埋め尽くされる。破壊音すらもが爆音の中にかき消され、三人のキマイラは跡形も無く消え去った。瓦礫は粉々に砕かれ、付近一帯の壁が焼失したことで部屋の概念が無くなって、手榴弾にも匹敵する規模の爆発によって、辺りは殆ど真っ黒に染まっている。

 ゲラルマギナからしても、まさかの一手だった。

 自爆。

 これ自体は特段珍しいことでもない。裏に潜る人間がどこかの組織に属している場合、情報を明け渡さないためにも敵と心中を図るのはよくあることだ。いては自然界にも天敵の鳥などに襲われた時に自ら体の一部を爆発させる蟻がいるくらいなのだ。自爆は生存競争で『種』を生かすための手段の一つに過ぎない。

 だが、彼女にそういった理由は無かったはずだ。どこの組織に加わっているというわけでもなく、ただただ個人で依頼を引き受け完了させる裏世界の何でも屋。

 むくりと起き上がり、焼け焦げたスーツをばりばりと体から引きちぎって、上裸に下はスーツのままという奇抜な恰好の神人は少し考えた後に、悔しそうに呟いた。


「.....やられたな」


 分身は、()()()()()()()()()()

 目くらましの煙を張ったあの瞬間、既に三人の分身を用意した本体は『ゴースト』の壁抜けで脱出、三人の内一人がおとりとなってわざと捕まり、残る二人はタイミングを見計らって煙に潜んでいたのだ。

 してやられたと感じると同時に、ゲラルマギナが不思議と現状を面白く感じてしまうのは、神人という立場故に、今までまともに立ち向かってきた者は数える程度だったからだろうか。

 こんなに楽しいことは無い。

 映画はストレートなハッピーエンドじゃつまらない。道中でいくつもの不幸とトラブルを踏み抜くからこそ、作品は完成するのだ。



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