扉
放送が続く。
『かつて我が主から聞かされたとある異国の伝承を元にした呪術式。ふふ、何故自ら手の内を明かしたのかと不思議にお思いでしょうが理由は簡単です。対象に自ら術式を説明する事で術式を強化するという縛りを組み込んでおります』
取り出した小指大の電子機器を掌に包み込むと、キマイラは男の言葉の陰に隠れた冷笑を無視して再び移動を開始する。
呪術に詳しくはないが、その道に詳しい知り合いに聞いたことがある。
魔力を扱うという点においては魔法と同質だが、魔法は記号を並び替え思い通りの術式を構築するのに対して、呪術とは己に縛りを課すことで術式の力を底上げする技術だ。言い換えれば、己を『呪う』ことで成立させる術式と言うことになるらしい。
故に『魔法』と『呪術』の間には、明確かつ大きい違いが存在する。
魔法も呪術も必要となるのは、術式の出力を決める『器』と、その器を埋める『魔力』。術式事態を水の入ったグラスとするとグラス本体が『器』であり、その中の水は『魔力』ということになる。つまり魔法も呪術も、器が大きければ大きいほど術式を構成するのに必要な魔力は多量になるが、術式の出力自体は向上するということだ。
加えて更に、呪術には『呪い』とも呼べる制約がある。
行動の一部に制限を設けることで術式を構成する要素の一つである『器』に更なる変化を加える魔法にはない呪術だけの特徴だ。火に強く特化させたり、割れにくくしたり、とにかく代償に見合っただけの変化を器に加えて、魔法にはない特徴を浮き上がらせる。
己を呪うからこそ『呪術』。
代償の果てに得る魔法とは別ベクトルのオカルト。
足音を消しつつ走りながら、自身の手の甲に刻まれた紋様を見る。
奴が『三方』と呼んだそれは、特に痛みを放つわけでも痺れをもたらすわけでもなく、ただそこにあるだけだった。
(敵の説明通りなら、これ以上『扉』を開けるのは避けた方がいいっすね)
とはいえ、敵はこのフロア内にいるわけじゃない。
壁や天井を破壊して突破しようにも、術式のペナルティで逆にピンチを作ってしまう。直接倒しに行くには、どうしてもフロアと階段を繋ぐ『扉』を開く必要がある。
奴が降りてくるのを待つ?
いいや、遠隔からでもこちらを攻撃できるのに、敵がわざわざ降りてくる理由は無い。奴が降りてくることがあるとしたら、それはこちら側が敗北した瞬間、それを自身の目で直接確かめに来る時だけだろう。
抜け道は、あるにはある。
キマイラはこの建物に単独で乗り込んできたわけではない。地下の探索を任せたアルラ・ラーファに連絡を取って、彼に敵を叩いてもらえば......。
(ダメっす)
一瞬脳裏に浮かんだ選択肢を振り払うように首を振り、スタンガンを握る力を強くする。
ぐっと奥歯を噛み締めて、自分で背負った責任を改めて認識した。
(巻き込まないって自分で決めた。自分で突っ込んだ首を他人に引っこ抜かせるなんてかっこ悪い真似出来ないっす!!)
素早く直線状の廊下を走り抜けた先、床以外全てがガラス張りの廊下が現れる。
ガラスの先に広がる空間はというと、より実践的な研究を行うことを想定して作られた実験室か。今いるこの廊下からガラス越しに実験の景色を観察できるように作ってあるらしく、片付け忘れらしいパワードスーツのような関節サポーターやら脳波コントロール可能な車椅子が放置されてる。
ガラス越しに並走する影を見つけた次の瞬間だった。
ズドドドドドドッ!!!と、強化ガラスの壁を突き破り、無数の弾丸と破片の雨が横薙ぎに襲い掛かってきたのだ。
まともに受けては全身切り刻まれてしまう。
「くっ!!」
これだけ苛烈な攻撃を仕掛けておいて、殺す気がないとは思えない。
現れた五台の戦闘用ドローンから発射された弾丸を、キマイラは滑り込むように前方へ転がり込むことで回避するが、床に散らばった砕けたガラスの破片のいくつかは少女の柔肌に突き刺さる。
じわりと、二の腕からの出血があった。
薄い痛みを静かに堪えつつ、左手の中の電子寄生虫を投げ放つと、間近まで迫っていたドローンの内の一機が不自然に空中で揺れる。
(よしっ!)
一機だけ乗っ取った。
更に追撃を仕掛けようとする後続のドローンに対して、キマイラは床に散らばるガラスの破片を足で巻き上げる。
対テロまで想定して作られた軍用ドローンがガラス片をぶつけた程度で簡単に墜ちるわけはないが、キマイラの狙いは別にある。乗っ取ったドローンをスタンガンの画面で操作し、銃口を後続へ向ける。キマイラのドローンと残ったドローンの間に巻き上げられたガラス片を挟むようにして、だ。
ガガガ!!と発砲音が炸裂した。
狙ったのは後続のドローンではなく、中間距離に位置する空中のガラス片だった。ドローンのカメラライトの僅かな光を浴びて光をあちこちに散りばめるそれはキラキラと瞬き、次の瞬間には弾丸を受けその場から吹き飛ばされる。
結果、更に粉々に砕けたガラスの欠片がショットガンの如く扇状に拡散した。
より細かくなったガラスは残されたドローンのプロペラ部まで入り込み、回転を阻害し、浮遊するための浮力を奪う。
バヅヅヅッ!!?という電撃音が、ドローン内部から発生した。
しばらくすれば内蔵されたAIが勝手にシステムを復旧させてしまうだろうが、動きを止めてしまえばこっちのモノだった。
今度はキマイラの持つスタンガンが電流を放ち、インプットされた術式により獣のように変化した右足の回し蹴りがドローン群を薙ぎ払う。
『な...ほど。そ...年齢...でハッキ...グまで...身に着.......るとは』
壊れかけのドローンから聞こえるノイズにまみれた男の声は全く余裕を失わない。
ぐおんっ!!と風を切る音と共に更に、左右の砕けたガラス壁の向こうから追加のドローンが現れた。ちらりと横目に確認すると、部屋の天井に四角い穴が開いている。ドローンはそこから現れたらしかった。
(ドローン専用の通路!?こういう状況を想定して作られたフロアってことすか、厄介な!)
あの機体は搭載されたAIによって自分で学習する。同じ手は恐らく二度と通用しなくなる。完全に位置を把握された以上、また道を塞げば逆に自分の逃げ道を潰す結果にもなりかねない。
そこまで考えて、キマイラはとにかく思考を『逃げる』一択にシフトする。ドローンと戦って削れるものと言えばこの会社の予算くらいのものだ。長期的に見れば有効打かもしれないが、だったら今は役に立たない。
足を動かせ。
とにかく逃げ回れ。
そして考えろ。
離れた位置からこちらを遠隔で狙う敵に勝つ方法、考えることをやめてしまえば、そこから先はもうジリ貧だ。
ぼそりと呟いた。
「漬け込む隙は必ずある、頭も足も動かし続ける...!」
ガラス張りの廊下を通過して、角をいくつも曲がり、横幅が広い廊下に出る。
今までの通路とは違い、床は薄い絨毯だ。となるとこの辺りに立場的に偉い者の部屋でもあるのか、もしくはより人通りが多いための配慮なのか。
確か位置的には、この辺はフロアの中央より少し外側の辺りのはずだ。
絨毯に踏み込むと、走る際の足元の感触が変わった。更に進むと横道ナシの直線空間が現れ、その先にはガラスの扉が行く手を阻んでいた。
引き返せない。
一発だけ喰らわなくてはならない。
そう思い覚悟を決めたその時だった。
がぐんっ!?と。
踏み込んだ足に力を入れたとたん、床の下に突き抜けた。
『四方』
ゴオッッ!!と、下から吹き上がるような爆風が叩きつけられる。
それ自体は大したことが無かったが、一瞬足を取られたことで体勢が大きく崩れてしまう。追手のドローンが放った弾丸を左手に受けて、更にうつ伏せに転んでしまった。
ばっ!と足元の絨毯を確認すると、そこだけが四角く切り抜かれたかのようにへこんでいる。どうやら絨毯の下に小さな空間があり、キマイラはそれの蓋を足で押し外してしまったらしかった。
(なんっ...絨毯の下、落とし穴!?)
『既にお気付きでしょう、ドローン用の通路です。天井だけとは限りません』
慌てて沈んだ足を引き抜き、ドローンを振り切ろうとした直後に、少女は横目に見る。壁に取り付けられているのは、この国の何処ででも見ることのできる当たり前の設備に過ぎない。
センサー式自動ドア。
ウィーンと、ドローンとはまた違う機械音だった。
しまった。と、思った。
小さな焦りが大きなミスに繋がってしまう。
『扉』が、キマイラによって開かれた。
『五方』
空間が爆ぜる。
手の甲の刻印の数字が書き換わると同時に、どこかの山の頂上に立ったかのように酸素が薄くなる感覚があった。
轟くような爆風が廊下を満たして埋め尽くす。背後まで迫っていたドローンもあっという間に吹き飛んでいき、キマイラ自身も踏ん張りきることが出来ない。
凍てつく冷気を帯びた爆風が、血の滲んだキマイラの肌に突き刺さる。
「しまっ、く、そ!!」
『六方』
不幸の連鎖はこれだけに留まらない。
空間を埋め尽くすような爆風が突き当りの扉を奥へと押し開けた。
扉の向こうで光が瞬く。
音を置き去りにするような凄まじい衝撃がキマイラを攫う。次の瞬間には、爆ぜた扉の真反対の壁に激突させられていた。
肺の中の空気が暴れだす。呼吸がままならず、数時間走った後のような息切れは、いくら呼吸を整えようとしても止まなかった。
呪術『コトリバコ』の副次効果。
発生した爆破回数に応じて対象の呼吸を奪う。それが、連続攻撃によってただでさえ冷静さを失いかけているキマイラの余裕をがりがりと削り取っていってしまう。
『焦り』という毒が全身を回りつつあることに気付けない。
だから、最後の最後で取り返しがつかないミスを犯してしまった。
震える体で立ち上がろうとして。
壁に手で触れて、支えにして立ち上がろうとして、だ。
キマイラは、触れていてもなお、そこにある『扉』が見えていなかった。
ある特定のフロアにだけ繋がり、社内でも一部の者しか使用する権限のないエレベーター。
彼女の手は、壁際に設置されたその開閉ボタンに触れてしまっていた。
『七方』
何かが確定した。
言葉が最後までつながらなかった。
「やばっ――――」
ゴォッッッッッッッ!!!!と。
ただただ白を纏う閃光が空間を埋め尽くした。