再会
水の街の中央に位置する広場。そこは街の住民ではない者が自由の商売をすることを許されている場所である。普段からとても多くの人で賑わっているその場所に、またいつもと違った人混みがあった。
人混みの奥に位置する青年は、人混み全体に声が響くようにして声を大にする。
「押さないで下さーい!!まだ材料は残っていますし、ここにいる人の分くらいなら余裕であります!
スイーツはたまにしか逃げません!押さないで!あっちょっとお姉さん胸を押し付けないで!苦しい苦しい心が苦しい!」
煉瓦と水の街にスイーツ革命をもたらしたアルラ・ラーファは懐かしき労働に身をやつしていた。その組み立て式リアカーを組み立てただけの簡単な屋台は、押し寄せてくる人の重みで今にも壊れそうにギシギシと音をきしませている。
変化があったのは午後になってからだった。正午過ぎにはちらほらと買ってくれる人がいたのだが、突然増えた。きっかけは恐らくあのおかしな格好の少女だろう。
彼女が最初の一歩を踏み出してくれたことで、後ろから続く人が現れた。
「ここのスイーツがすっごい美味しいらしいよ!」
「聞いた聞いた!友達がすごい美味しかったって言ってた!」
こんな会話が遠巻きから聞こえる辺り、一度訪れた人たちが他の人に勧めたのか。とにかく金が必要なアルラにとってはありがたい限りだった。
ハズなのだが
「はいそこのおっぱいのお姉さん!320リクスになります!えっ?待って待って胸を押し付ければ早く食べれるわけじゃないから押さないでこれ以上思春期男児を刺激しないで!というかそこら辺のマッチョなお兄さん方達は近寄らないで大胸筋で代用できるわけじゃないから!」
一人が十人を呼び、十人が百人を呼ぶ。という感じだった。
とにかく忙しい。日本で社畜していた時でも、ここまでではなかった。というかまず地球とか日本とかのスイーツがそこそこ名を知られてる異世界だというのにどういうわけでクレープだけが無名だったのだろう。謎は深まるばかりとも言ってられず、多忙を嘆くのもアルラにとっては久しぶりの感覚だ。
現在進行形で美女と筋骨隆々な男達に同時におしくらまんじゅうされているアルラの手はまさしく神速の動きでクレープを作り上げるも、次々押し寄せてくる客は中々さばけない。我先にと他の人を押しのけてくるので転びそうになっている人もいる。遂にストレスと思春期男児のやましい気持ちが臨界点へと達した健全少年アルラ・ラーファは、その場の誰にも聞こえるような大声で呼びかけた。
大声と呼ぶよりは叫び?
とにかく月夜に吼える一匹の狼の如く、吼える。
「一列にッ!!並ばないとッ!!今日の分はおしまいだッ!!」
そこからは早かった。先程まで互いを押しのけあっていた群衆がざわっと揺らめいで、綺麗な列を形成した。一言でスイーツ求めて荒れ狂う人々を互いを尊重しあう譲り合いの精神を持った清い人間に変えて見せたアルラは、今度こそ気を取り直して両手の回転を上げて、久方ぶりの労働に勤しむのだった。
数時間たって。
「疲れた...、まさか今日買った材料全部使いきるとは...」
首に手を当てコキリと鳴らしながら、アルラは宿への帰路へ着いていた。リアカーは貸出所に返却し、その手にはフライパンなどが入った革製のバッグがぶら下がっている。
空は既に夕焼け色に染まりあがり、影が街を覆い隠そうとしている。労働の喜びなんて感じたことは微塵もないが、気持ちのいい疲弊がアルラの体に重く残った。
とぼとぼ歩くアルラがふと突然の思い付きで近道しようと薄暗い路地裏に入ろうとする。頭の中に叩き込んだニミセトの地図に従えば、この辺を通るのが宿への一番の近道のはずだ。
ザッ!と石煉瓦を踏む音があった。前から三人、後ろからも三人、囲まれた。
「よぉ、お兄さん。あんただろ?さっき変な屋台でぼろ儲けしてたの」
「ちょっとオイラ達にお恵みくださいよ~」
「嫌とは言わないですよね?」
チンピラ...むしろガッツリカツアゲか。そこそこの大人数で張っていたというなら一人一人は大したことないのかもしれない。
男たちがにやにやとしながらアルラににじみ寄る。一歩前に出た、恐らくリーダーと思われる男のその手には小振りのナイフが握られている。『本当にこういうチンピラっているんだな~』と逆に感心するアルラだったが、再び首を傾け骨を鳴らすと、リーダー格の男に問いかけた。
「大方、俺の屋台のせいで客を取られたと思ったどっかのバカに頼まれたんだろ?
俺の金は好きにしていいとか言われて、そいつらにとって俺が消えればそれでいいはずだもんな」
「っ!」
反応から見て図星のようだ。『神花之心』はこんなくだらない場面で使っていい能力ではない。何せ寿命を糧として力を得る『異能』なので、多用は避けるべきだ。
アルラはバッグからお玉を取り出すと、その先端をリーダー格のチンピラ男に向ける。こういうのは、中途半端じゃだめだ。
一度徹底的に叩き潰してやらないと、蛆虫のようにゴミ溜めから這い出てくる。
「なめてんじゃねーぞッ!!」
アルラの背後の男の一人が吠えた。握られた拳には鋼色の金属、メリケンサックだろうか、脳を揺らす重い一撃を放った。と、その男は思っていただろう。
現実では、アルラが体を半分引くとその拳はアルラの顔の前をすり抜けていった。そのまま体勢を崩して前へ倒れこむ男の後頭部へ叩き込まれたのは、お玉の底。ガッ!という音と共に、地に伏せるメリケンサックの男。それを見て遅れを取り戻すように、他の仲間たちが一斉にアルラに襲い掛かる。
アルラは地面を転がるように移動し、倒れているチンピラの指からメリケンサックを抜き取ると、それをお玉を持つ右手とは逆の手にはめ込む。炎を放った一人称オイラの肥満チンピラは、直線的すぎる炎の 属性魔法を躱され鳩尾に拳を一撃。あっさりと前のめりに顔面から石煉瓦の床と熱いキスを交わす。その太った男の背後の死角から飛び蹴りを繰り出す金髪も、アルラが体を軽く回転させればその横を通り過ぎ、そのまま攻撃に使ったほうの足を捕まれると、壁へ叩きつけられる。
「シッ!」
焦ったのか、さらに前後から挟むように攻撃を仕掛けるリーダー各とその取り巻きA。リーダー格の持つナイフが、アルラの脇腹を深く抉るような軌道を奔った。と思いきや金属同士がぶつかるような高い音が路地裏に響く。ナイフを受け止めていたのは右手に持ったお玉。左側から取り巻きAが放った雷は
アルラが腰を深く落とすと、その頭上を飛び去りリーダー格の男を射貫いた。
見事なまでに命中。
バキッッ!
アルラの左足が取り巻きAを貫く音だ。
崩れ去る五人の仲間を見て、取り巻きBは戦慄を覚えたらしく、数歩後ずさりしてから情けなくも表情を歪ませていた。
一目でわかる戦慄の表情。その姿はまるで蛇に睨まれた蛙...獅子の前にほっぽりだされた兎の子というところか?
「ひっ!?」
まるで威圧を感じない取り巻きBが取った行動は逃走。目に涙を浮かべておかしな走り方で一目散にアルラが先程まで歩いていた道の反対へ。しかしアルラは既に決めてことを忘れてはいない。『徹底的に叩き潰す』と。逃げ惑う取り巻きBの後頭部を重い衝撃が走る。遠くから叩きつけられたのは最初の男のメリケンサック。
離れた位置にいたアルラが投げたそれは、正確に取り巻きBの意識を刈り取る。
残ったのは薄暗い路地裏で一人佇む青年と、地に伏せたチンピラ六人。アルラは黒焦げになったリーダー格の男に近づくと、その身ぐるみを剥ぎ始める。
「奪う覚悟があるってことは、奪われる覚悟もしっかりしてきたんだろうからな」
誰か聞いているわけでもないが、独り言が静かに響く。そのリーダー格の男の胸の内ポケットから財布を取り出すと、現金だけ抜き取って男のポケットへそっと戻した。
もはやどちらが加害者でどちらが被害者かわからない状況だ。もしもこの状況を目撃した第三者がいたのなら、間違いなく加害者側にアルラを加害者と言うだろう。
実際は完全な正当防衛なのだが。
ほくほく顔で宿へ辿り着いたアルラはついでに購入したバスセットを持って、再び大浴場の扉を開くのだった。
「あっ」
「おっ、旅の兄ちゃんじゃねえか」
そこには朝風呂で親切にもアルラに街の説明をしてくれた海人族の男性がいた。顔が赤くのぼせた表情をしていたことから、随分と長湯しているのが目に取れる。アルラは彼の顔を一目見ると、呆れたように、
「アンタもなかなか風呂が好きだな」
「海人族は水に浸かってこその海人族さ。兄ちゃんこそそんな準備万端にバスセットなんて揃えて」
「好きなことに妥協しない主義なんだ」
体をよく洗ってから湯船に足先から入り、今度はアルラが海人族の反対側に座ると再び言葉を交える男二人。
「アンタのおかげでいい商売ができたよ。俺はアルラ・ラーファ、よろしく」
「へえ、今日の広場はかなり盛り上がったと聞いたがまさか兄ちゃんが?俺はジル。ジル・デルダスだ」
固い握手を交わす二人の風呂好き。三十分ほど会話を楽しむと、すっかりのぼせたジルが先に上がっていった。一人には広すぎる大浴場の湯船に浸かりながら、アルラはこれからのことを考えていた。
(金を集めた後は、情報屋を探さないとな。今の内から少しずつ探しておくか?)
何度も言うがアルラの最終目的は『強欲の魔王』の討伐である。今日のクレープ屋もその為のロードマップのマスの一つに過ぎず、その次のマスが『強欲の魔王』の情報というわけだ。
そして情報には金が掛かる。
(酒場にでも行ってみるか...? けどしばらくは屋台で金稼ぎだな)
あれこれ考えているうちに時間は流れ、街には夜が訪れる。中心地の人影も流石に徐々に減りつつ在り、あちこちの建物の窓から光が漏れている。アルラは宿のロビーのお姉さんから街の地図を借り、夜の街を徘徊していた。
情報と言えば酒場。間違ってはいない。酒場というのはその街の情報が最も集まる場所だ。
表の人間。裏の人間。あらゆる人種が集まり、酒を交わし持ち得た情報を提供しあう。その情報はアイドルのスリーサイズから貴族の公の場では決して離せないような話まで多種多様にわたる。
しかしアルラが求めているのはこの世界の『支配者』というジャンルにおいて最強を欲しいがままにする魔王の情報。流石にそんな国家の機密事項にも勝る情報はポンポンと回ってこないだろう。だからそこに行き着くまでの、欠片の探索をメインに絞って行動した。
行動はした。
行動はしたのだが......
「だめじゃん」
暗闇の中、幾つもの酒場を訪ねるが全て空振り。七件目の酒場からつまみ出されたころには流石にアルラも諦めがついたのか、トボトボとした足取りで帰路に着いていた。
何もここで終わるわけではない。それでも成果が得られないというのは心に堪えるものなのだ。時刻は既に深夜。建物からはみ出た光も消え、住民の大半が夢の中へと迷い込む時間帯。
「うう、真夏とはいえ夜は少し冷えるな...それにしてもここまで厳しくなるとは思ってなかったぜ...」
そもそもの話。たとえ魔王の情報を得てそこまで辿り着いたとしても、してもだ。魔王を討ち倒せる確率のほうが圧倒的、ほぼ絶対的に低いのだ。その確率を0.00001%でも上げるために、10年を使った。
魔法を学んだ。世界を知った。力を鍛えた。
藁にも縋る思いだったのだ、この十年間は。
ガシャンッ!
重たい音だった。
人は平穏の中に現れた突然の異常というのを敏感に察知する生き物だ。例えば静かに授業を受ける学校の一クラスで、ペンケースを落とす。これだけで教室という領域内のほぼ全ての視線を集めることが出来る。例えば通勤途中の満員電車、『痴漢です!』と叫ぶだけ。
それだけで車両という領域内のほぼ全ての視線を集めることが出来る。そしてその音は、路地裏という教室のペンケースであった
そこにあったのは。
どす黒い輝きを放つ甲冑。その腰には銀の鞘に収まった剣を携え、足先から頭まですっぽりと黒甲冑が包んでいた。星に照らされた黒は昆虫が纏う外骨格のように艶めき、鮮やかで不気味な夜を演出してしまう。
見覚えがある。程度の話ではない。
血が煮えたぎるのを感じた。心の奥に閉じ込めておいた負の感情が、溢れ出てくるのも。かつての『平穏』を奪ったその存在の一つに、青年の顔が怒りに染まった。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」