からくり仕掛けの木箱の中身
灯りが落ちた薄い暗がりを、キマイラは足音も気にせず全力で走り抜ける。
たった今撃墜させた戦闘用ドローンの後ろから、同様のモーター音がいくつも響いていたのだ。振り返るまでもなく、追加のドローンが現れたということがわかった。
ズドドドドドドッ!!と、足元へめがけて弾丸が押し寄せる。
露骨に機動力を奪おうと奪おうと動くドローンに対して、キマイラはまた頭に押し当てたスタンガンのスイッチを入れて、同様に術式を構築する。
再び少女の口から放たれた高周波攻撃に重ねるように、ドローンが動いた。
ッッッ!!!と。
(逆位相の音波をぶつけて攻撃をかき消した!!音響兵器まで積んでるんすかあのドローン!?)
『近年の技術進歩は目まぐるしいものですね。特に兵器類の開発でトウオウの右に出る国家は無いでしょう』
Az-proto。
一機で数百万もの金が動く超高性能軍用ドローンが、撃墜されたもの含めて計12体。高性能の人工知能を搭載することであらゆる攻撃を学習、解析、対策するとされる自立飛行物体が、キマイラを前と後ろから囲い込む。
両脇は壁に阻まれ、前後からはドローンが迫っている。
骨の外骨格を纏ったキマイラが、脱出のために自身から見て左側の壁を破壊したその時だった。
『それはルール違反ですよ?』
「ッ!!?」
どぐんっ!?と。
神経が途切れたかのように、両膝が崩れ落ちる。
手足に電流を通したかのような痺れが、体の動作を阻害する。
起き上がろうとする意識とは裏腹に、目の前が真っ暗になるような錯覚と共に脳みそがぐわんぐわんと揺れていた。
毒ガスの類を疑ったが、違う。
思考に異常は無い。異常があるのは思考や動作を筋肉へと伝える神経の方か。次第に、呼吸すらままならなくなっていく。
「かっ...はっ!?」
『ペナルティです。指定範囲内の壁や天井を破壊した場合、私の術式は破壊された質量に比例した時間だけ伝達神経の自由を奪う』
じゃきん!と無慈悲に銃口が突きつけられた。
9機もの戦闘用ドローンが、照準を示すレーザーポインターを少女の体へ当てる。赤い光の点がいくつも浮かび上がった直後に、辛うじてキマイラの指先が微かに動いた。
弾丸が発射されるよりも速くスタンガンの電流が躍る。
ゴオッッ!!!と、床からカルシウム質の柱が何本も飛び出して、それはドローンではなくキマイラに直撃した。
胴体に下から強い衝撃を受けたキマイラの体が横合いに吹っ飛ぶ。
突き上げる骨の柱の勢いを利用して、キマイラは先ほど自ら攻撃して開けた壁の穴へと飛び込んだのだ。ドローンが侵入してくるよりも早く追加の骨の柱がせり出して穴を塞いでしまう。少女の体は勢いを殺しきれずごろごろと転がって、やがてデスクか何かにぶつかって停止した。
落ち着いて、まずは呼吸を取り戻す。
やがて指先から術式の束縛が抜けていき、十数秒も経つと完全に体は解放された。
(ペナルティはそれほど長くない...が、あれを相手にしてる時に喰らうのは流石にヤバいっすね。壁や床を破壊しての脱出は不可能、と)
『扉』を開ければ爆発が襲い、かといって壁や天井を破壊すればペナルティを課せられる。
術式としての完成度はかなり高いと言えるだろう。攻撃にドローンを組み込むことでこちらに考える時間もろくに与えてくれない。
「くそう...。よくできた術式っす。フロアの入口は『扉』、完全に閉じ込められたってことすか...っ!!」
改めて辺りを見渡してみると、どうやらここは電子顕微鏡や実験機材を保管しておくための機材置き場らしかった。部屋自体はそこまで大きくない上に、出入り口の『扉』はきちんと閉まっている。
壁の向こうに逃げ込んだのは逆効果かもしれない。
術者のアナウンス男がドローンの銃撃によって破壊された壁のペナルティを受けていないことから考えるに、恐らくドローンは壁を破壊してここに侵入することが出来るはずだ。
となるとここも安心できる場所ではない。早急に離れて、可能であれば一度撒いてから対策を立てたいが......。
そうこう考えているうちに、部屋の外から銃撃音が轟いてきた。
たかだか機材置き場の壁如きが、あの弾丸の雨をしのげるとは思えなかった。
また壁を破壊して脱すれば術式の『ペナルティ』を喰らい、かといって馬鹿正直に『扉』から出ていけば爆発が発生する。
どちらをより喰らいたくないかと考えれば、それは前者だ。
銃器を備えたドローンが周囲で待ち構えている中、身体の自由を奪われたら今度こそおしまいだ。あっという間に全身穴だらけの蜂の巣にされてしまうだろう。
覚悟を決めて、二つある出入口の内の一つに歩み寄る。
がっ!!と。
扉を開けたその瞬間、ダイナマイトに火をつけたような大爆発巻き上がる。
あらかじめ自身の体をカルシウム質の柱で体を固定し、風圧に耐え切ると、衝撃でバランスを失ったドローン群の間を潜り抜けていく。
そして先程の音響攻撃で、ドローンを破壊する行為自体にペナルティが発生しないことは分かっている。
ドローンのプロペラへ衝撃で外れたドアノブを差し込むと、ががががっ!?という歯車をかみ合わせるような音と共にドローンが墜ちる。
(このままじゃジリ貧っすね...!術者本体を叩こうにも奴は絶対に近づいては来ないでしょうしっ)
何せ近づくメリットが無い。
向こうは遠距離から一方的に攻撃できるというのに、わざわざ自分から出向いては反撃のチャンスを与えるだけになってしまう。
あのドローンこそが、『近づかれたくない』という術者の思想の体現そのものだろう。
「か弱い女の子にそんな馬鹿でかい機関銃を向けるとは感心しませんね!!親からどんな教育受けたんすか?」
『か弱いとは、ご謙遜が過ぎるんじゃありませんか?私としてはこれでも足りないと思っているのですけれど』
ガガガガッッ!!!と弾丸が足元に着弾する。露骨に足ばかり狙う理由は分からないが、機動力を削いでから確実に止めを刺すのが狙いと見た方がいいだろう。
キマイラの敵は呪術師だ。
呪術は魔法とは違う。
自身に一定の制約を掛け、行動の自由を自ら削ぐことによって、代償に等しいだけの『効果』を得ることが出来る。
キマイラが知る由もないのだが、アルラ・ラーファがかつて水の都で戦ったフランシスカ・ドーナッツホール・ホーリーという少女は、自らの『本名』を捨てたことで尋常ならざる力を手に入れた呪術師だった。
キマイラの敵が何を代償に術式を構築したのかはまだ分からないが、突くなら『そこ』だろう。呪術師が捨て去った代償は、多くの場合において弱点になりうるからだ。
どうにかして、この場から術師本人を叩かなくてはこのフロアから延々抜け出せない。
足を動かしながらそこまで考えて、キマイラは異変に気付いた。
額に浮かんだ汗を手で拭おうとして、それが切っ掛けに。
「これ...は...っ!?」
T字の廊下の突き当りを曲がった直後、再びカルシウム質の柱で壁を作り、一時的に封鎖する。
ドローンが追ってこないのを確認してから改めて異変に目をやると、やはりそれは幻覚などではなくきちんとそこに存在していた。
右手の甲に大大と描かれた、『Ⅲ』の文字。
蛍光塗料で描かれたようにも見えるこの模様も、ついさっきまで存在しなかったはずだ。
(どのタイミングで、何が切っ掛けで!?いつから存在していた!?)
これが何の影響をもたらすのか、はたまたどの瞬間に発生したモノかは分からない。
ただ一つ言えることは、まず間違いなく『敵』の仕業であるということ。更に『敵』が意図的に付与したマークならば、確実にこちらが優位になるような事象は起こらない。
必ず、何かしらのアクションが発動してくるはずだ。
思いつく限りのトリガーを模索する。
術式の対象区域内に滞在した時間?ドローンの撃破数?それともまた別の術式効果......?
『そろそろ気付いた頃かと思われます』
どこかのスピーカーから、フロア全体に響く放送があった。
咄嗟に身構えたキマイラが周囲を見回すと、少し離れたところの天井に、恐らくは社内放送に使われているであろう大型のスピーカーが設置されている。
今となっては、ペナルティを恐れてあれを破壊することも出来なくなってしまった。
チッ、と小さく舌打ちして、念には念を入れてその場から離れようと足を動かし始めた。
『私の術式は「扉」をトリガーに、その空間の大きさと比例したマ素爆発を引き起こします。手の甲に刻まれた数字は貴方が術式を発動した回数、私の数え方が正しければ現在貴方は「三方」、まだ影響は薄いと思われます』
よほど自己顕示欲が強いのだろうか。
聞いてもいない術式の詳細をべらべらと喋り続けるアナウンスの男を他所に、キマイラはやがてフロアと上下階層を繋ぐ階段の近くまで移動している。
『その数字はマ素爆発を引き起こした回数であり、呪いです。数字が増えるごとに貴方の体の自由は奪われ、最終的には呼吸すらままならなくなり窒息する。そういう術式なのです』
......奴の言っていることが真実ならば、これ以上数字が増えれば体に悪影響が及ぶというわけか。ただ、この放送の内容自体、全てが全て真実という保証はどこにも無いのだ。嘘の内容をでっち上げでこちらを錯乱しようとしているだけかもしれないし、本当にただの親切で術式を教えてくれているかも分からない。
男の意図が読めない。
読めないだけに、不気味な重圧がある。
『呪術「コトリバコ」』
術式の名が告げられた。
可愛らしいネーミングとは裏腹に、閉じ込めた人物をじわじわと嬲り殺しにしていく意地の悪い術式の名に、キマイラは興味を示さなかった。
例え見つかったとしても咄嗟に動けるような姿勢を維持したまま壁に寄りかかり、いざドローンが現れたら今度は内部から操ってやろうと『電子寄生虫』を取り出した。
これに操作権を乗っ取られた機械類は、操られてることに気付けない。ドローンは男が操縦しているわけじゃなくてAIの自立稼働だ。一機を乗っ取ってしまえば、そこから侵食するように寄生を広げられるはず。
上がった息を整える。
不気味な緊張感がフロアを満たして、少女はまた好戦的に頬を吊り上げる。
次回投稿は4月5日になります。