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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
一章
162/267

その悪意なき神格は



 二人はまず、アルラが『男』と遭遇した喫茶店まで訪れていた。夕方にも近い時間帯だが、やはり客足は芳しくないようだ。店内にまで入ることはなく、バルコニースペースの辺りをうろつきながら、アルラとキマイラはそれぞれで辺りを見回す。

 犯人は現場に戻りたがるとはよく聞くが、流石にそこに期待するほどアルラもラミルも純粋じゃない。現場検証、男そのものは見つからずとも、その素性を解き明かすための痕跡くらいは残ってる可能性がある...という期待を込めての行動だった。


『それで...攻めに転じるってのはわかったっすけど、具体的にはどうするんすかこれから』

『そりゃあお前......まずは奴を見つけ出して...』

『この広い街の中からっすか?相手の素性も分かりきってない上に顔すら知らない相手を?砂場にまぶした塩を見つけ出すようなもんっす』

『うぐぐ...」

『急ぐのもいいっすけど...敢えて立ち止まることも時には必要っすよ...』


 とまあ、十数分前にこんな会話があったのだ。精神年齢も含めると一回り以上も年の離れた小娘に諭されたとあっては、アルラも何も言い返せない。

 彼女の言う通り一旦冷静になって、この喫茶店まで舞い戻ったというわけである。

 注文もしてないのにじろじろとその辺をうろつくのは不審がられるというキマイラの意見で、最低限調べられそうなところだけを軽く見て回るが、やはりというべきか、それらしき痕跡は残されていなかった。

 毛髪や体液は専門機関まで持ってけば有力な情報に繋がるだろうが、風で飛ばされたり乾いている可能性の方が高いのだ。靴跡だって、残っていてもそれが特定の個人とは限らない上に、一般に出回ってるようでは個人を特定するには至れない。となると最も近づけるのは監視カメラだろうが、見たところこの店は防犯意識が薄いようだ。

 つまり、無駄足だった。

 ここには何も残されてなどいなかった。二人共、何となく察してはいたが。


「わかってたんならよぉ。わざわざ戻らなくてもよかったんじゃないか?結果的に時間を無駄にしただけだぜ」

「『もしもの場合』ってのはあるもんっす。地味でも無駄でもやるだけやってみると思わぬところで広い物をするのが裏世界っす」

「誰もそっちの世界で生きていくなんて決めたわけじゃないんだよなぁ...」

「あらら?なら表の世界で戸籍も学歴も無しにどうやって生きてくつもりなんすか?」

「面倒な将来のことはそのうち考えるよ」


 やれやれといった様子でその場を離れながら、アルラは言った。

 立ち止まるわけにはいかなかった。キマイラが言うようにこの広大な街の中から特定の人物を探し出すのは至難を極めるが、しかし動かないと始まらないのも確かなのだ。材料無くして料理は始まらない、包丁やまな板といった道具が揃っていたとしてもだ。それは子供が親の姿をまねただけの料理ごっこにしかならない。

 さて、当てが外れたとなるとここからどう動くべきか。

 ああやって何も言わずに抜け出してきてしまった以上、まずUターンの選択肢はナシになる。今のこのこ戻っていったら思いっきり蹴飛ばされるような気がしてならない。

 その全てを把握しているらしいキマイラに、アルラは真面目な口調で尋ねた。


「次の当てはあるのか?」

「無かったらこんな悠長に歩いてないっす。可能性としては喫茶店よりかは大分高いっすね」


 だったら先にそっちに向かえばよかったのに、という心の声は封じ込めた。まだこの世界での振舞い方を知らない自分で好き勝手動くよりは、それを知ってるキマイラを頼った方がいい。

 細くくねった裏路地を通り抜けて再び大通りへ出ると、キマイラの気配が薄れた。いいや、人混みの中に紛れたうえで、さも自分が周囲の景色の一部であるかのように立ち振る舞っているのだ。それはきっと反射的なもので、そうすることが当たり前の世界で生きてきた者の必須スキルなのだろう。

 言わば彼女の手札の一つだった。


(......手札、か)


 今の自分に残されたカードは何枚ある?

 忘れてはいけないが『神花之心アルストロメリア』に対価として支払う寿命が残り僅かだった。異能はアルラの持つ手札の中でも飛び切り強いカードではあるが、トウオウに来てから寿命の確保はこれまでと比べて数段難しくなったから、今すぐ寿命の補給に向かうことは出来ないだろう。第一それこそ当てがない。

 時速数百キロのスポーツカーに乗っていても、専用のガソリンスタンドが見当たらない。

 ここ最近ごたごた続きで一方的に消費してばかりだったのに、畳みかけるように襲撃に合ってしまうのですっからかんなのだ。財布だけじゃなくて命まで。

 せめて男と会話したあの喫茶店、あそこでウィアを持っていたのなら、妙に気が利くこの人工知能はアルラが気を失っても写真を残すか、音声をレコーダー機能で拾っていてくれてたかもしれない。

 しかし残念、先の咎人戦でウィアはラミルが所持していた。

 捕えられたから良かったものの、もう一機同じ端末があれば更にスムーズに動けていたのだろうか。

 そこまで考えて、ふとアルラの足が止まった。

 何かを忘れているような...?先ほどまでの思考の中で、それについてしれっと自分で言及していなかったか?

 歩くのをやめたアルラの方に、キマイラが振り返った瞬間だった。


「.........そうだった、そうだキマイラ!!忘れてた!俺たちの手札はもう一枚あるじゃねえか!!」

「手札?何の話っすか?」

()()()()()だよ!最初に襲ってきた方の!!あいつは捕まえて駅のコインロッカーにぶち込んである。脱出されないように工夫して拘束もしてある!いちいち不確定な可能性に足を運ばなくたって、あいつから情報を引き出させれば直接奴まで辿り着ける!!何処に仕舞ったっけか鍵は...っ!?」

「これのことっすか?」

「なんでお前が持ってんだよ!?」


 ちゃらちゃらと金属質な音を立てる番号札付きの鍵をつまんで揺らしながら、驚くアルラに対して何の気なしだった。

 一体いつの間に抜き取ったのだ。もしかして、気絶してる間に全身あちこちまさぐられたんじゃあないだろうな?


「ちゃんと中身も空けて回収済み、抜かりは無いっす」

「いや抜かりって...まあいいやもう...。それで何か情報は掴めたのか?あいつの所持品とかから」

「だから、それについて話しながら目的地まで向かおうとしてたんすけどね」


 一度、間をおいて。

 何処の誰が聞き耳を立ててるかもわからない人混みの中なのに、一呼吸を置いた山吹色の少女は問答無用だった。それとも景色に溶け込むスキルの延長で、この会話さえも雑踏に紛れ込ませるつもりなのか。

 雑踏の中でも簡単に聞き取れるほどの、重大な意味を持つ言葉が飛び出した。


「実は言うとっすよアルラさん。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「......は?」

「今回を含めて既に四度、それぞれ別のタイミングで襲撃に合ってるっす」


 咎人が襲撃犯だったのは今回が初めてっすけどね、と付け加えているがそこじゃない。

 金魚みたいに口をパクパクさせてたアルラが問いただしたいのは、そこではないのだ。


「どうしてそんな大事なことを黙ってたんだ!?今回の他にも三回も襲撃に合ってるって、ひょっとして飛行船の件よりずっと前からか!?」


 彼女は、確かあの椎滝大和とかいう同郷の少年が属する組織の助っ人として、事に巻き込まれていたはずだ。

 彼女の発言を信じるなら、彼女は自分が抱える問題を...自身の命にすら関わるかもしれない問題をほっぽり出してそちらを優先したということになる。


「飛行船から降りた直後にも一度襲われてたもんで...まさかこんなに早く四人目が来るとは思ってなかったっす。全ての可能性を平等に見据えられてたら、アルラさんもラミルさんも巻き込まずに済んだのに」


 本当に、心の底から申し訳ないと思っているような自責の表情を浮かべていた。

 確かに彼女があの時無理やりにでもアルラ達を突っぱねていたのなら、二人は今一緒に行動なんてしていなかっただろう。面倒な事件にも巻き込まれることなく、アルラは自分たちの懐事情だけを気にしていればよかった。

 しかし、既にそんな未来は淘汰された。

 あるのはこの現実だけであって、そこを悔いたところで何とかなる話ではなかった。なのでアルラはそのことに関して彼女を責めるようなことはしなかった。

 溜息にも似た重圧を含む息を吐いて。代わりに、話の続きを訪ねるだけだ。


「...それで?今回の奴も含めて、襲撃犯から情報は引き抜けたのか?こうして五体満足で俺と話ししてるってことは他の三人もきちんと撃退したってことだよな?」

「ええもちろん。それについてアルラさんには見てもらいたいものがあって―――...」


 その時、ぷおーんという汽笛のような音があった。

 目の前のバス停で停車した、やけに近未来的なフォルムのバスの停車音だった。運転席に人が座っていないのが正面からガラス越しに見てわかる。無人運転バスという奴らしい。

 キマイラに手を引かれバスに飛び乗り、アルラは何が何だかわからず彼女と共に席に着く。そのタイミングでキマイラがポケットから取り出したのは、手のひらサイズまで何度も折りたたまれた四枚の紙切れだった。

 開いてみると、中は真っ黒。クレヨンで塗りつぶされた落書きかと思ったが、よくよく観察してみるとそれはレントゲン写真のコピーのようだった。

 訝しんで、自然と眉間にしわが寄る。


「またレントゲン写真(これ)かよ」

「さっき病院でも話した通り、あたしは『脳』のスペシャリストっす。それは全部あたしを襲ってきた襲撃犯の脳を写した写真。もう一度、それをよく見てほしいっす」


 首を傾げながらも、言われた通りに全ての写真を並べて比較してみる。

 『素人だからこんなものを見せられてもピンとこない』と口に出そうとしたその時、発見した。


(...なんだ?)


 写真の中。黒い一面の中央に寄った脳と思しき白いシルエット。その更に中央付近に、素人目でも不自然だと感じるほどの黒点があるのがわかる。

 それも一枚や二枚だけじゃない。四枚のコピー全てに、だ。

 他に客のいない静かなバスの中。タイヤがアスファルトを擦る音だけがほんのわずかに響く空間で、つい疑問を口に出してしまう。


「.........脳みその中に、穴?」

海馬かいばという人の記憶を司る部分。記憶障害とか認知症の物忘れはこの海馬の血管や神経が萎縮したり損傷したりして引き起こされるんすけど」


 キマイラは携帯のように改造してあるスタンガンを指先で操り、その画面に保険の教科書に載ってそうな簡単なイラストを表示させる。一部分だけ赤く表記されているパーツがあった。

 海馬というパーツに限らず、脳みそというのは基本そのすべてが重要機関だ。血管の一本、神経の一本が断絶しただけで人は簡単に死んでしまうし、ましてや長さ約六センチもあるような最重要部位の一角が抜け落ちればどうなるかなんてわざわざ言葉にするまでもないだろう。


「例えば本人に気付かれず、それを外部から直接破壊して、尚且つ生存させることが出来るとしたら」


 しかし。

 もしも、その現実を覆す手段があるとしたら。

 人体を...それも脳みそを切り取って、しかし切り取られた本人にはその事実を欠片も悟らせることなく、さも自らそう思考したかのように錯覚させたら。

 催眠術とは似て非なる技術体系。

 電子回路に流れる電流を操るのではなく、回路そのものを切り貼りして思考を誘導する技術。

 そんなものがもしも、存在してしまったら。


「脳みその一部分だけを切り離して、尚且つその持ち主を生存させる術があるのだとすれば」


 その一言が、理解を放棄していたアルラの思考を呼び覚ました。

 どんな文章が彼女の口から飛び出るのかを容易に悟らせた。


「おい、待て、まさか。キマイラ、そういうことなのか!?あいつっあの襲撃犯は、みんなっ!?」

()()()()()()()()()()()()()

「っ!?」


 ぞわりと。

 ふかふかの座席に背中を預けているはずなのに、極寒の吹雪が圧縮されて突っ込まれたような錯覚を覚える。

 その卑劣さに。吐き気すら覚えてくる。


「......おかしいとは思っていたんすよ。二番目の襲撃犯なんかは、仕事帰りによく立ち寄る総菜屋のおばちゃんだった。常連だからって特別に一個おまけしくれるような、ごく普通の人間だった。それがある日突然、身に覚えのない憎悪を唱えながら肉切り包丁を振り回してきた!!他だって、全員の人生を隅から隅まで洗っても、あたしみたいに『裏』の世界と関わった様子なんて全くなかった。彼らは全員、表の世界で生きていた!!」


 キマイラのいっそ泣いてしまいそうな声、アルラも震えていた。

 全てを悟って震えていた。

 これが『悪意』じゃなかったら、何と呼べばいいのだ。戦争を嫌い、争いを嫌い、世から排除しようと手を伸ばしてきた『奴』は、そこに至るための犠牲を必要経費とでも考えているのか?

 だとしたら、これ以上の冒涜は無い。


「まさか」


 悍ましさと、怒りに。震えを隠せなかった。

 無人のバスで、立ち上がって、思いっきり叫んだ。


「あいつらを捕まえて!自分の目的のためだけに脳みそを抉り取って!俺を気絶させた男は、お前を殺すためにそいつらを利用したっていうのか!?」


 アルラ達を襲った襲撃犯は、どこにでもいるようなサラリーマンの格好をしていた。スーツとネクタイ。持ち物は財布とハンカチ。周囲の景色に溶け込むための完璧な偽装だと、アルラはそう勘違いしていただけだった。

 偽装もくそもない。それそのものが、彼の本来の姿だったのだ。

 たまたま今回が咎人だったというだけで、襲撃犯はその場その場で現地調達されていた。彼もアルラ同様に、身に覚えのない憎悪を植え付けられただけの『被害者』でしかなかった。

 作られた加害者と狙われた被害者は同一で、ただ掌で弄ばれただけ。

 ......何が、全人類の収束。


「あの時、地下駐車場であたしが『敵』の名前を言わなかったのは、言わないんじゃなくて言えなかっただけっす。いいや、当てはあったけれど、確証はしていなかった。けど今回、図らずもアルラさんが『奴』と接触してくれたおかげで、やっと確証が得られたっす」


 そんなことはどうでもいいのだ。

 今求められている情報は、そんなことじゃない。もっと具体的で、過去ではなく未来を予測するものでなくてはならない。過ぎてしまったことにもう興味はない。


「こんなことが出来るのはこの技術大国でも限られるっす。脳を正確に弄る技術体系、分野ジャンル()。とにかくその手に携わる人物がまず容疑者としてリスト化された」

「......敵は、誰だ」

「知らないとは思うっすけど、この国の医療技術関連はそのほとんどがとある民間企業によって開発されていて市場は独占。アルラさんが聞いた言動とリストを参照して浮かび上がった『奴』はそこのトップで、極端なまでの平和思想を持つ国の英雄―――...」

「『敵』の名前を言え!キマイラッ!!」

「国内超大手製薬会社ブリッツコーポレーション。CEO」


 複数ある肩書の一つでしかなかった。

 それでも、インパクトとしては十分なはずだ。

 なのに、更なる付け足しが加わった。


「『神人』ゲラルマギナ。あたしたちの『敵』は、こいつとしか考えられないっす」



諸事情により次回投稿は1月上旬になります

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