拝啓。死後3000年の僕へ
『異常』となったあの日から、苦難の毎日だった。
暗闇の中で時間感覚は狂い昼か夜かもわからず、食料の供給も不安定。
数日間何も食べれない日も珍しくはなかった。食料と言えば、たまに上の川から迷い込んでくるという魚と、洞窟内の急な傾斜を上がった所に生えていたなにやら赤を基調として白い水玉模様のキノコ、それとやたらデカい蝙蝠。
魚はともかく、キノコと蝙蝠は最初のほうは抵抗しかなかった。
恐ろしいのは病気だ。蝙蝠の肉から変な菌に感染したり病気になったりでもしたら、この洞窟では助からないだろう。水玉模様のキノコももし毒キノコだったのなら、想像もしたくない。
『よくもまあ、こんな生活して正気を保てるな』
「正気か?今の俺」
『じゃないなよく考えたら』
と隣で呆れた声を上げるのは少年に異能の力、【憎悪】の罪『神花之心』を与えた自称神様である。この自称神様も人に何かを教え鍛えるのはまんざらでもないらしく、割と積極的にアルラに手を貸してくれている。
『それにしても、もう視覚拡張の魔法は使ってないのに、だいぶ見えるようになったな』
「4年もこの暗闇の中にいればな」
4年。あの鐘が鳴り、アルラが全てを奪われた日から、実に千日以上もの月日が流れている。
全てを失い力を得た。しかしまだ、この程度では果たせない。やるべきことのため、アルラ・ラーファは今日も肉体鍛錬と勉学に励む。
「人っていうのは、どんなところにでも慣れれば苦痛も減るさ。俺の故郷には住めば都って言葉があった」
『それ使い方間違っているだろう。外から見たら住みにくそうな土地でも住んでみれば案外幸せって意味だ。ここに幸せがひとかけらでもあったか?』
「無いな。辛いことだらけだ」
日本で社畜していた頃では想像もできないような生活だが、アルラはそれでも耐え抜けるのはその心に宿る復讐の炎のためか。
『『神花之心』の調整にもだいぶ慣れてきたようだ、筋力だけじゃなく視力や聴力といった五感や身体機能の強化まで出来るようになったか。いい傾向だぞ』
「まだまだ、それに最終目標は肉体強度と再生力、自己免疫力の強化だ。これを習得するまでは外には出ない。副作用|もデカすぎる、これじゃ魔王どころか俺以外の咎人と戦ったって100%負けて殺される」
『自分に厳しいな』
「心の隙間に甘えて殺せるような奴を相手にするわけじゃない。相手は魔王だ。力はいくらあっても足りない」
『まあ確かに、『神花之心』は異能だが『特別』じゃない。他の異能と基本一緒だ、使い込みが薄い分、お前は普通の咎人より弱い』
神様を自称するこの師によると、『神花之心』の再生力強化は、使用した寿命によっては部位欠損すらも治癒してしまうほどの回復力らしい。そして肉体強度はさらなる破壊力と防御力を得るため。免疫力強化は毒などの耐性として機能するという。
胡散臭い師の言うことだ。どこまで本当かわからないのが恐ろしいが、一応は師なのでアルラも信じている。...信じてはいるのだが、やはり胡散臭い。
「(やっぱり信じてないかもしれない...)」
『なんか言ったか?』
『神花之心』
アルラがこの神人から譲り受けた【憎悪】の罪の異能の力。寿命を使ってありとあらゆる『力』を強化し、殺した生物の寿命を奪う。出力の調整がかなり難しいこの異能をある程度自由に扱えるようになるのが現在のアルラの目標である。
今のアルラの問題点は二つ。
一つは前述したとおり、『神花之心』の調整。
そして二つ目が外の情報とこの洞窟の外に出るタイミングの計算。
このアリサスネイルは非常に多くの種族が存在する世界である。世界人口の6割を占める人間族はもちろん。その身に獣の特徴を持つ獣人族。背に美しい羽根を持ち森で暮らすという妖精族。頭に悪魔のような角を生やし魔法に秀でる魔人族。何もかもが謎に包まれた妖魔族。当然、人種が変われば考えも変わる。他種族との交流や友好を考える者もいれば自分の種こそが唯一にして無二、そして絶対と考える者もいる、この世界には多くの国家があるが、多種族国家よりも単種族国家のほうが多い。
つまり主張のぶつかり合い。つまり相容れぬ文化の違い。
敢えて言葉にするならば『戦争』だ。
種の繁栄のための滅ぼし合い、土地や物資を奪い合う種族や国家間の衝突。それはアリサスネイルではあまりにも自然に起こりえることだった。
アルラは思考を巡らせていた。現在『異界の勇者』と『大罪の魔王』の件で各国がピリピリしている。らしい。武装国家ヘブンライトが『異界の勇者』の召喚に成功したことによって、各国の情勢が大きく変化した。ここまではあの日の後、師匠に聞いた話だ。
そしてここからはアルラの想像の延長線に過ぎない。
壮絶な争いが生まれる。
魔王が平和を脅かし『安全』を何よりも必要とするこの世界で勇者の存在は大きい。
"勇者が守る国"というだけで民が集まり、国は発展する。ではその民はいったいどこから?もちろん他国からだ。ヘブンライトは人間族の単種族国らしいので、他の種族が集まることはないと思われるが、世界人口の6割を占める種族の国の一番は決して小さい数字ではない。
民が減れば税も減る。作物を育てる農民も減る。軍事力ももちろん低下する。つまりヘブンライト以外の人間国家は、ヘブンライトが存在するだけで不利益しかないのだ。しかしヘブンライトをどうにかしようにも、勇者がいるヘブンライトを簡単に倒せるわけがない。そう考えた人間国家が大勢集まって同盟を作ってしまうことすら考えられる。
そうなれば大戦争が始まる。
『大罪の魔王』関係なしに人間族が滅ぶことすらあり得る。重要なのはタイミング。
外のいざこざがなくなり安定と調和を取り戻した時が、アルラが解放されるべき時。
『外はまだピリピリしているからな。数年はかかるだろう』
「『大罪の魔王』以上に世界を揺さぶってるのが『異界の勇者』なんてな、とんだ皮肉だ」
『言えてるな、おっ?』
外を覗いていた少年の師が、何かに反応する
『これはこれは...フハハ!』
「どうかしたのか?」
『小僧はもっと師を敬うべきだぞ。口調から直していけ口調から』
「師と思ってもらえるような態度を心がけるのが先だろ。大体口調の変化は後天的に異能を取り込んで人格がぶっ壊れた体ってアンタが言ったんだぞ」
『そうだったか?』
RPGゲームの悪役のような笑い声をあげる自称神様は、やはり神様ではなく悪魔とか邪神の類に見える
『利用されるだけの哀れな『異界の勇者』共がやらかしやがった。戦争が始まるぜ』
「いよいよか」
『原因はお前の予想とは別のモノだ』
「?」
『 【蛮勇】の罪を背負う『異界の勇者』が軍を率いて『傲慢の魔王』の本拠地に攻め込んだ。勝算なんてあるわけないだろうに。推しても引いても、待っているのはそう変わらない地獄だぞこれは。ヘブンライトの王は戦争において右に出る者はいないほどの智将と聞いてんだがな』
この神人はいったいどこまで先を見据えているのだろうか。得体が知れないのやら、それともただ胡散臭いだけなのか。何処まで行っても分からない存在だ。
「【蛮勇】ね、先のことも考えずに振るう向こう見ずの勇気なんて、なんの意味も持たないだろう」
『異界の勇者のリーダー格らしいな、この【蛮勇】の咎人は。ちらほらと他の『異界の勇者』も見える。それ以外は別行動をとっているようだ』
「ちなみに【蛮勇】の能力は?」
『さあな?そこまでは分からんさ』
「本当かよ」
この自称神様は話の何処か不明確な部分を隠そうとする節がある。油断すればあっという間に真実を歪めて隠しかねない。アルラもこの師の捉え方を身に着けたようで、こういう時は隠されないようにとことん突き詰めるのが一番いい。と自称神様に言い寄った。
自称神様も、男でもあり女でもあり少年でもあり老婆でもあるような不確定な声でそれに返答する。
『本当だよ。俺には【蛮勇】の異能なんてわかりやしない。シーンを見て予測することは可能だが、こいつはなかなか異能を使わない。実際俺も一度も見たことがない』
「ふーん」
『あっこら信用してないな小僧!』
「アンタを信用したことなんて今まで一度もないかもしれない」
『てめえこの野郎』
ぴちゃん、と。
水が揺らぐ音があった。話の途中でもアルラはそれを聞き逃すことはなく、急いで川へとつながる水場へ走るとその目にオーロラのような淡い光を纏う。足元に転がる石ころを拾い水面の一点へと叩きつけると、バスに似た大きめの魚が水面に浮かんだ。
『お見事』
「何日ぶりの魚だ?これは...」
『まあ生だけどな』
「日本人は昔から魚を生で食うんだよ」
『その食文化だけは異世界とは言えども理解しがたいものがあるな』
「ジャパニーズ寿司の旨さは永久にわかるまい」
久しぶりのご馳走に物理的にも心理的にも目を輝かせるアルラをよそに、
こほん、と光の球が咳ばらいすると改めて話題を物騒なほうへ戻す。
『そろそろ始めたほうがいいか?』
「何を」
『魔法の勉強』
「俺には魔法は使えないぞ」
『一度『神花之心』をかませればなんてことはない。確かマ素を魔力に変換できないんだろ?ならば魔力生成力を強化すればいいだけのこと』
「0からも強化できるのか?」
『『神花之心』は0に何をかけても0になる掛け算じゃない、足し算だ。引いた寿命の分だけ力というXに足すことが出来る計算式だ。元が0でも、相応の寿命さえ差し出せば変換できる』
「便利な力だ」
『ちゃんと残りの寿命は把握してるんだろうな』
「4年間魚と蝙蝠を殺し続けて溜まった寿命から使用分を差し引けば26年と言ったところだな…残りの寿命がイメージの蝋燭に反映されるなんて無駄に多機能だよ」
数年前、アルラは夢にまで見た魔法を使えないと宣告され、実は内心かなりのショックを受けていたこともあり、師匠からの魔法を異能の使い方次第で行使できると言う言葉は、本人の知らぬうちに心のテンションスイッチを数段階高く切り替える。
『おい、興奮してる暇はないぞ。今日からは肉体訓練、勉学、そして勉学とは別に魔法を学ばせるからな』
「まじかよ...」
『俺の弟子を名乗るんだ。それくらいやってもらわんとな』
がっくりと近くの岩に腰を下ろし、アルラが頭を俯かせる。それを楽しそうにけたけたと笑う自称神様の声が洞窟の岩壁に跳ね返り、何度もアルラの耳を打つ。
それにつられて、少年も頬を緩める。
暗闇の中に二つの笑い声が響く。それは一瞬だったかもしれないし、とても長い時間の中だったかもしれない。
失った愛情も、受け継いだ希望も、全ては少年の道へと通ずる。
灰になってしまった希望も、燃え盛るような復讐心も、何一つとして変わりはしない。
それでも少年の『異常』な日常は一歩ずつ、着実に終わりへと続いてゆく。
いつか来たる復讐の時まで。
こんな掃き溜めのような暗闇の中で過ごした時間も、全てを力に変えて。
失って。
泣いて。
叫んで。
誓って。
出会って。
喰らって。
学んで。
暗闇に生きる少年がいた。
少年は命を差し出し力を手に入れ、復讐を胸に誓い理不尽を呪った。
激動の時代が蠢き新たな歴史が始まる。
何が起ころうが時計の針は戻らない。
この救いのような出会いも、
悲劇のような時間も、
何もかもを糧とし呑み込め。
『全ての原初は時計である』
ある日、暗闇の中から一つの声が消えた。
その日は『始まりの導鐘』が鳴ってから、ちょうど10年になる暑い夏の日の夜だった。暗闇から抜け出した青年は夜空を眺めていた。
まさに、あの日のようだ。
そう、頭のどこかで呟いた。青年は振り返ること無く歩き出す。灰に染まった頭を揺らし、首に右手を当て骨を鳴らす。
復讐を誓い『異常』となった、元『普通』の青年。
その身に宿す罪は【憎悪】異能は『神花之心』
その青年の名はアルラ・ラーファ
今、復讐劇の幕が上がる。
出来るだけ毎日書くようにしていますがなかなかに辛い。それでも読んで下さる人がいるというのはとても励みになります。。。次回から、『青年編』です。