ただ生きたかっただけ
現象には理屈が伴う。たとえ地球と勝手が違う異世界であってもそれだけは揺るがない。揺らいではならないのだ。さしずめ魔法と呼ばれるこの世界独特の技術にもその原理は当てはまる。この世界には、独自の技術である魔法はもちろん、遠い世界よりもたらされた科学も、その土地に古くから住まう民族の呪術も存在する。そして、人々を揺るがしかねない『罪』と呼ばれる異能の力も。
他の三つはどうでもいい。この世界のルールに乗っ取っている。だが問題は異能の力。何処からこの世界に侵入したのか、何時から存在するのかも不明な、法則と理屈を揺るがす力。
大昔、人々はそれを恐れ、異能の力を『罪』と呼び、その身に罪を宿す存在を『咎人』と呼び、忌み嫌ってきた。生まれながらに異能を持つものは、半強制的に巨大な教会に送り飛ばされ、罪の名を知らされる。
人々はその罪の名を、その者が生まれながらに内包する心の断片だと勝手に解釈した。
しかしある時、一人の魔術師が現れる。その魔術師は生まれながらにして【卓越】と呼ばれる罪をその身に宿していた。魔術師は己の異能を世のため人のために使い、魔法を、科学を、呪術を、飛躍的に発展させたのだ。この時から、世界に歪みが発生した。本来この世界のルールともいえる、現象の法則や理屈を、魔法や科学、呪術がまるで異能の影響を受けたように歪め始めた。
人々はその歪みを世界の発展と捉え、多くの恩恵をもたらした『咎人』である魔術師を崇め、奉るようになる。
いつからか『咎人』は人々の憧れの存在となり、異能は世界に認知されつつあった。
この世界の主流技術は魔法である。国によっては科学や呪術のほうを重んじることもあるが、大抵の国は魔法を主流技術として取り入れてきた。しかしどうあがいても、魔法だけでは為せないこともある。
遡ること十数刻前、武双国家ヘブンライトの王城。広く煌びやかなこの王室に、景観的に全くこの場に似合わない一台の機材が運ばれる。バスユニットほどの大きさの直方体は、側面にいくつものパイプが走り、上の面には液晶には、円の中に文字と記号を刻み、まるで年輪のようにいくつも重ねた魔法陣が映し出されている。
側面の左端には基板に直接配線されたコードのようなものが伸び、その先は機械の隣で様子を見守るヘブンライトの王女、ヘルン・アルマテラスの手に持たれたリモコン繋がっている。
機械の名は『3.S.U.』現在の魔法と科学の複合技術の最高峰。この世界とは異なる次元へ無理やり魔力を関連付け、引っ張り込んでくる異世界からの片道切符だった。
本来転移の魔法は膨大な時間と正確な計算、座標の指定から適合者の捜索といった複雑極まりないしがらみが付いて回るモノだが、それを大部分の演算や座標指定などを科学製の演算装置に担わせ、『闇』属性の抑制効果で世界の正しい座標を歪ませ、空間に特異的を生み出し、そこを『入口』と仮定する。
分かりやすく言うなれば世界を締め切った部屋、歪みを窓や扉と仮定するのがいいだろうか。部屋に入るためにはドアを開けなくてはならない。しかしドアには何重にも厳重な鍵が掛かっている。窓も同様にだ。ならば外から部屋に入るにはどうするか?簡単な話だ。壁に穴を開ければいい。チェーンソーやドリルなどで壁に大穴をこじ開け、中の人物を引きずり出す。
注意すべき点は穴の後始末だろう。無理やりこじ開けた穴を塞がなくてはやがて部屋は脆くなり、崩壊してしまう。
この3.S.U.は先端の金属部分を取り外しできるドリルの役割というわけだ。となると当然金属部分も必要となる。ヘルン・アルマテラス王女。薔薇のような真っ赤なドレスに豊満な胸部が浮かび上がり、その妖艶な体付きを全方向へアピールするかのような、目つきの鋭い金髪美女。頭の後ろで結ばれた金髪の上には宝石に彩られたティアラが飾られ、首元から黄金十字の首飾りをぶら下げている。
キッ!と鋭く光るその瞳からは、武力だけで一国を纏め上げた父、エスカル・アルマテラス王の力の片鱗が垣間見えるようだ。
3.S.U.には『闇』の魔力の抑制効果を利用するという性質上。術者は『闇』属性を持つ人物に限られる。その身に『闇』、『炎』の基本属性二種、そして『溶』の複合属性の合わせて三種の属性を操るヘルン王女は、まさにドリルの金属部分に適任というわけだ。
今回の勇者強制転移作戦に、ヘルン王女は特別な意識を持って参加している。作戦が成功し、強力な勇者が複数名誕生すれば、拮抗している『傲慢の魔王軍』との戦況も大きく変わるだろう。
失敗は許されない。作戦の中枢を担う者として、確実な成功と、我が国の勝利を。そんな愛国心が、彼女の原動力の根本に働きかけていた。ヘルン王女が3.S.U.の液晶部分に映る魔法陣に手を当てると、リモコンケーブルでつながれたリモコンを置き、
カツカツとヒールの音を響かせながら3.S.U.から15メートルほど離れた位置に移動すると、周りで控えていた従者たちが等間隔に円陣を組むように王女を丸く囲う。
小さく汗を浮かべた王女が、ポツリとつぶやく。
「始めます」
巨大な円陣の中央。スーッと息を吐くと、王女は薔薇色ドレスの裾を軽くたくし上げ、勢いよく足に履いたヒールを床に叩きつける。
カァンッ!!という甲高い音が王室に響いた。音の出所である王女の真下の床から、閃光と共に黒い線が広がり、黒い線は生き物のように地面を這いずると、やがて王女を囲む従者の足元のところで円を描き、その中に3.S.U.の液晶に映し出されたモノと同じ魔法陣が投影される。
ゴオォォォォォォォォォォォ!!というジェット機のエンジン音のような轟音と共に、黒く文字や記号を床に描いていた線が白銀に輝いていく。
「うっ...!」
嵐の海に放り込まれたかのような烈風が、王室の煌びやかな装飾や天井に吊り下がるシャンデリアをこそぎ落とす。暴風の中心で黒を白へと変えた線を制御するヘルン王女もその凛々しい顔を苦難に歪める。
が、遂には動き出した。
カァンッ!!
二度目のヒールの音が轟音にかき消されながらも、魔法陣の上から新たに正五角形を重ね掛ける。途端に閃光が勢いを増し、王室どころか王城全体を白に染める。
ざわめきが起こった。発生源はもちろんヘルン・アルマテラス王女やその従者ではない。
ヘルン王女を中心点とする半径15メートルほどの大きさの円の中。ついさっきまで王女と従者しか存在しなかった王室に突如として現れた、異界の人間たちがその音の発生源だった。
年齢は見た目から予想するに総じて十代後半くらい。三十名超の男女。身に着けている衣服は男女では別なものの、明らかな関係性を示している。いわゆる日本の学生と呼ばれる者達が身に着ける衣服。
ボロボロになりながらも、未だにその豪華絢爛な姿を保つ王室には似つかわしくないその異世界人たちの瞳には、明らかな不安と動揺が見て取れた。
各各々が思ったままの感想を慌ただしく口に出す。
「なんなんだよこれ!」
「ここは何処なの!?」
「なにがおこったんだ!?」
皆口々に突如自身に発生した非現実に悲観の声を上げ、中には涙を流し震える者や、わなわなと期待に目を輝かせる者もいる。頃合いを見計らい、いつの間にか玉座の前に移動していたヘルン王女が声を張り上げるがその美しいな表情には毒を含むような微笑が見える。
そしてだ。
「ようこそおいでなさいました!運命に選ばれし異界の勇者様方!」
張り上げられたその声への反応もまた様々で、不安そうな表情は残っているもののしっかりと話を聞く者、声を発した金髪美人に見惚れる者、未だにへたりこんで泣きじゃくる者。しかしそこで一人の青年が同郷の仲間たちに声をかける。
「みんな一旦落ち着くんだ!状況は分からないけど、まずは話を聞いてみよう!」
「聞くったって、何が起こったのかもわからないんだぜ!?」
「だからこそだ!状況がわからないからこそ、落ち着いて、まずは状況をしっかりと判断しよう」
声を上げたイケメン青年の名は音賀佐翔。成績優秀 文武両道 品行方正のクラス委員長。『クラスごと異世界転移したらこんなイケメンキャラ一人はいるよね』を体現したかのような人物だった。その身も心もイケメンっぷりでクラスからの信望はとても厚く、他の転移者もその意見を尊重して話を聞くことに。ある者は未だ突然の恐怖に泣きじゃくる女子生徒を静め、またある者は突如として降りかかった非日常に瞳を光らせる中。しばらく間を開けて、やがてクラスメイトが落ち着きを取り戻す。玉座の前に立つヘルン王女が暴風に崩れた身だしなみを整えると、美しい紅の口を開いた。
「えー...まずは自己紹介から、私はヘルン・アルマテラスと申します。勇者様方をこの世界に召喚したのは私です」
「えっと、その勇者様というのは?」
「そうだ!意味が分からないこと言いやがって!」
会釈する王女にイケメン委員長が質問を投げ返すと、話を聞いていたクラスメイトの一人が怒りに満ちた声を放つ。が、王女の隣に控えている執事風の老人が「王女様に何たる無礼を!」と言外に睨みを利かせるとしゅんと縮こまってしまった。
「やめなさいデッテ。勇者様の不満も当然よ、悪いのはすべてこちら側なのですから」
こほん、と王女は咳払いをすると両手を前に重ね、深く頭を下げる。
「私共の勝手でこのような目に合わせてしまって、本当に申し訳ありません。お詫びと言っては些細なことですが、勇者様方がこちらにいらっしゃる間は何不自由ない生活を保証いたします。どうかこの世界をお救いください」
気品漂う女性が目の前で深々と頭を下げる光景は、翔には辛いのかもしれない。慌てて頭を上げるように頼むとヘルン王女はゆっくりと頭を上げ、話を続ける。
「ここは勇者様方が住んでいた世界とは異なる次元。異世界、とでも言うべきでしょうか。アリサスネイルと呼ばれる魔法と科学と呪術の世界。そんな世界の国家の一つ、ヘブンライトという王国の王城です。現在このアリサスネイルは魔王と呼ばれる存在の手によって崩壊の危機にあります。ですが異世界から現れる勇者様には、それを退ける力があるといわれているのです。」
大ブーイングが起こる。当然だ。勝手な都合で呼び出して、関係性のない赤の他人に『この状況を何とかしろ』と言っているような我儘。
聞いてやる義理は全くない。しかしクラスメイト達の不安は別にもある。横断歩道を渡れぬ年寄りがいたら一目散に駆けて誘導したり、頼まれてもないのに次々と他人の仕事を奪って区ような超が付くほどのお人よしである翔は思わず『はいわかりました』と言ってしまいそうなことだ。実際に、翔は王女に詰め寄られておろおろしながら周りに視線で助けを求めていた。一人でそんなことを決めるわけにもいかず、クラスメイトのほうへ顔を向ける。
目に映る表情は先程までとは少し異なり、今話題の『異世界転移』というワードに胸を弾ませている者がちらほらといる。しかしやれ部活だやれ勉強だで忙しいイケメン委員長はくぐもった表情が晴れない。
「一つ質問をいいですか?」
「はい、なんでしょう」
「僕たちを元居た世界に返すことは、可能ですか?」
「可能です」
王女が即答する。この応答によって、不安げな表情が顔を覆っていた翔とその他のクラスメイト(主に女子生徒)の表情にぱぁっと光が灯った。
だが自体はそう単純なことではない。
そうしら示すように、深刻な表情を浮かべる王女の言葉が流れる
「しかしそれには魔王が持つ魔装が必要不可欠になります。魔王を討伐することは、お互いにとっての利益となるのです」
「それなら...」
「横暴じゃないか?」
何か言おうとした翔を遮るように、目付きの悪い一人の男子生徒が強い口調で言い放つ。
「横暴じゃないか、と言ったんだ」
「横暴ですか。それはまたどうして?」
「あんた達の勝手な理由で変な状況に俺らを巻き込んどいて、『その魔王とかいうやつを倒せば帰れるし世界も平和になってwin win!』なんて、言ってることがおかしいと言っているんだ。あんた達はただの集団誘拐犯だぜ?それに俺たちみたいな平穏そのものを生きている学生に、そんな魔王だなんて大層なファンタジー物の頂点と戦って勝つ力なんてものがあると思うのか?」
強い口調で王女に問いかける、その目付きの悪い男子生徒の名は椎滝大和。
右手首に灰色と黒が螺旋を描くミサンガを付けた目付きが悪い青年。その見た目からクラスメイト達に勝手に不良として恐れられている、だけども本当は小心者の高校3年生。今の発言も小心者なりに勇気を出して震える声で頑張ったのだが、なにやら脅しているような雰囲気になってしまって内心若干焦っている。
(あれこれ俺がなんかまずいこと言ったみたいになってる?いや待って待って誰か何か言ってよ、確かにオレ友達いないけどさ!)
クラスメイトは小声でそれぞれ近くの人物と『確かに』と賛同している。王女は俯き言葉を濁し返答を探す。あまりにも的を射ている。誰も、何も言いようがないのだ。
「私達も私達なりに、必死にあがいたの結果なのだよ」
ぎい、と王室の重たい扉が開き、その扉の向こうから男性のモノだろう低い声が響く。現れたのは焼けた肌に太い四肢、整った『男らしい』顔つきに顎髭を生やし、短く逆立った黒髪を持つ剛健な男性だった。
エスカル・アルマテラス。
数十年前、その凄まじい戦闘力とカリスマ性で兵を率い、一国を纏め上げた国家のトップは分厚い筋肉で覆われたその肉体が持ち主の戦力を体現している。
「父上」
「召喚を成功させたか、よくやったぞヘルン」
王女を呼び捨てにするその男がどのような立場であるか、地球から連れてこられた青年達には容易に想像がついた。
全身を飾る王女に負けず劣らずの煌びやかな恰好に、王女から『父上』と呼ばれる熟年の男性。
この人物が王。全ての元凶だ。
「私がこの国の王、エスカル・アルマテラスだ。もちろん君たちが勇者として戦ってくれるというなら、それ相応の報奨を用意しよう。そうだな、魔王討伐の暁には我らに叶えられる望みなら何でも聞き入れよう。もちろん、元の世界への帰還とは別にだ」
「だけど俺たちに、戦う力なんて...」
翔が全体の意志を汲み取り、代表するように言う。
そう。少し前まで日本の高校でひたすら机に向かっていただけの彼らだ。戦う力なんてあるはずがない。
日本には『戦い』の歴史こそあるものの、それは現代には引き継がれてない。戦うといっても、せいぜい空手だとか柔道だとかボクシングといった、あくまでスポーツの範疇を出ないのが現代の日本。
「その点に問題はない。私達が求めているのは『素質』なのだ。君たちの世界がどうであったからわからないが、ここは魔法と科学と呪術の世界。我が国ヘブンライトには、人の『素質』を限界まで引き出す能力を持つ"咎人"がいる。」
「素質...?」
固まっているクラスメイトの内の誰かが、そう呟く。一人一人、異世界の住民を観察する王がクラスメイトの集団から一歩前へ出る二人の青年のどちらかに言葉を投げる。
「まずは君たちに属性適性診断を受けてもらう。そしてその後、君たちの素質を引き出す。
何人かは罪...『異能』の力を手にするかもしれんな』
美しい鐘が鳴った日だった。
新たに三十名超の勇者が誕生し、世界中の運命を捻じ曲げた。
陰謀と虚言に彩られ、罪なき元一般人は、理不尽な祝福をその身に浴びる。
彼らもまた、被害者なのだ。誰も彼らを責めることなどできない。
勇者となった彼らも、ただ平穏に生きたかっただけなのだから。
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