投資家「買ったら買ったで、オーガンに睨まれるよなあ」
宿敵トライダーの正義の手を逃れたマリー。
ちょっと弱気になった。
ちょっと弱気にもなったけど。
既に日は十分昇っていた。色々と計算が狂った。
不精ひげと約束したのは今日の午後……向こうは今何をしているのか。
警戒しながら街角を進む私が、ふと見た、その先に。
居た。不精ひげだ。市場の入り口で、周囲の聴衆相手に何事か話して……というか、演説している。
「バルシャ型貨物船だ、型は古いが半年前にドックで整備してるし、ギリギリまで少人数で運行出来るように改良されているし、外洋航海の経験も豊富な実績のある船だ」
聞いているのは市場に来ていた商人達だろうか。あるいは市場で暗躍する投資家か。
「慌てず売るなら金貨4000枚は固い物件だが、わけあって急いで売却しないといけないんだ。今、海運は大変な好況だ、船はいくらあっても足りないぞ」
呆れたものだ……あんなに暇そうにしてたくせに……皆さん、その男の言う事には気をつけた方がいいですよ。
私は身を隠しながら、少しずつ近づく。
「せめて金貨3000枚はいただきたいとは思っていた。そこまで安い船じゃないぞ。だけど本当に時間が無くてね、金貨2500枚だ、さすがにそれ以上はビタ一文まけられない」
ぶっ……値下げしたよ、あの男。
私が港に居るのは今日までだから? きっとそうだ。
父の城はこの二日でそんなに値下がりしたんだな……
その城以下だった私と母の値段も……おっと、これを考えるのはやめだ。
「本来ならこんな値段で手に入る船じゃないぞ。なんなら海運に投資するつもりが無くたっていい、二、三か月かけてじっくり買い手を探せば、絶対に金貨4000枚以上で売れる。本当は俺だってそうしたいんだが時間が無い」
三々五々……不精ひげの話を聞いていた聴衆が離れて行く。
逆に駆け寄って小声で何か質問している人も居る。
「ああ、船の状態には問題が無い、レッドポーチ水運組合に聞いてくれていい、もう一度言うが離島向け生活物資も積載済みで、それも含めての金額になる! 必要な届けは全て済んでいるから。だけど急いでくれ、本当に、最初に金貨2500枚の値をつけてくれた人に即決で売るから」
必要な届けは済んでいる……?
よく解らないけど、船は今誰が所有してる事になってるんだろう。
うーん……でも他ならぬ不精ひげが言ってたな……私に、遺品として船を持って行くのか? と。
だけど。
駆け出し職人の私は、商習慣についてはあまり詳しくはない。
商売の世界では、口約束は結構重要な物らしい。
そうだ。私は水運組合の建物の前で叫んだんだった。船なんかいりません、貴方達で好きにしたらいいと。
あれで何らかの契約が成立してしまったのかもしれない。
……
べつに、あの船が金貨2500枚になるとしたって。
いらない。
私は……いらない。
そんなもんより普通に父と母が居る人生を返せって思う。
もう泣かない。
私はこれ以上絶対に泣かない。
私は出来るだけ全部を見届ける。
そして、出来る限り私の思うようにする。
それだけだ。
私は近くの樽の陰に身を隠したまま、様子を見続ける。
不精ひげはしばらく、数人の商人や投資家に話し掛けられて、小声で何事か答えていた。
だんだん、不精ひげを取り巻く人間が減って行く。
ついに質問者が尽きると、今度は不精ひげの方が、立ち去ろうとする投資家に声を掛ける。
商談は捗らないらしい。
「持ち帰って検討するから」
「御願いしますよ、こんな簡単な儲け話そうそうありませんよ」
不精ひげは両手を合わせてペコペコ頭を下げる。
「大丈夫、言ってる事は解るし、俺もそう思うけど、即金で2500だろ? 少しは慎重になるよ……ちゃんと検討するから、な」
どうしよう。あの投資家が不精ひげの本命なのか。
私が行ってもっと安い値段で言ってやろうか……現状、船を売る権利が私にあるのかどうかも知らないけど。
あるいは単に、あの船はボロで乗員も怠け者ばかりで船長が死んだ不吉な船だと言ってやろうか。
だめだ。それじゃただの嫌がらせじゃないか。今の私はちょっと魂が汚れ過ぎてるかも……
仕方ない。昨日今日で私が受けたショックはかなり大きい。
多分、今の私は冷静じゃないと思う。
不精ひげは周りに人が居なくなった事を悟ったか、どこかへ歩み去って行く。また別の場所で今の演説を打つつもりだろうか。
あのオーガンとかいう男はもういいのかしら?今、不精ひげの周りに集まっていた人々と比べても、オーガンは一際金持ちそうに見えた。
また不精ひげを尾行しようかとも思ったが、昨夜も収穫が無かった事を考えると時間の無駄と思えた。
やっぱり水運組合に行こう。問題の根源をはっきりさせたい。