トライダー「本当は助けを求めてるんだ! 素直になれないだけなんだ!」
世間は世知辛い。
良い人にも悪い人にも見えなかった人が、普通にクズだった。
よし、マリー、状況を整理しよう。
私は旅籠に戻り、状況を整理する。
不精ひげは船を売って金を得ようとしている。
私は元々あんな船欲しいだなどと思ってはいないし、船を売って得られる金にも興味は無い……全く無いと言ったらウソになるけど。
何故船を売るのか? そりゃ、金が得られるからだろう。
オーガンという男は鼻持ちならない金持ちという所か。そして私がこの町に来ている事を知っていて、何らかの行動をしている。父との関係は不明。本人は親友とか言ってたけど。
船はどういう状況なんだろう。
不精ひげは船が出港出来なくなっていると言っていた。港湾使用料が払えなくなるとも……
まあ、金に困っているんだろう。だけど国王令のせいとも言っていたような。
船は多分、港に浮かべておいてもお金を生まない。お客さんか荷物を積んでどこかへ行かないと。
……
知りたくない。知りたくないけど、知らなくてはいけない事がいくつかあるような気がする。
どこへ行って聞けばいいのか?
多分、水運組合だ。船にどんな問題があるとか、不精ひげが何をしようとしてるとか、知っているかもしれない。
だけどあそこへはあまり行きたくない……ああ、思い出してしまった……
バニースーツ? 何なんだあの衣装は。私も針仕事人の端くれだ。あんなの許せない。
あんなの……着せる方も! 着る方も! ヘンタイじゃないか。
あんな物を売りつけようとする商人を始め、海のクズ共が一同に集まるのが水運組合なのだろう。
行きたくない……だけど行った方がいいだろう。多分知りたい事は全部そこにあると思う。
◇◇◇
翌朝。私は夜明けの直前に旅籠を出た。
あの不精ひげは旅籠に訪ねて来ても、私に会えない事を知るだろう。
まだ少し暗い道を、港に向かって歩く……よく考えたら水運組合ってこんな朝早くからやってるかしら?
だけど港はもう起き出しているみたい。
立派な商船が停泊する立派な波止場では、勤勉な水夫がこんな時間からキビキビと働いている。
どこかの船とは大違いだ。
漁船も朝が早いみたいだ……夜明け前からかなりの数が沖に出ている。
遠目に見えて来るレッドポーチ水運組合の建物……港全体を見下ろせる低い丘の上に建つそれは、当然港の方からでもよく見える。
見上げたものだ。入り口の扉はちゃんと開いている。私はそこに向かって歩く。
ふと、数十メートル先の角を、揃いの緑色のサーコートを着た鎧兜の武者が三人、曲がって来る。
あ、この町にも居るんだ……ていうか……あれは、トライダーだ。
「マリー君! マリー・パスファインダー君! 探したぞ!」
私は……必死に愛想笑いを浮かべながら後ずさる……何度言えば気が済むんだ。
「と……トライダーさん……あの! 私はこの町に保護者が居るから来たんです、私は孤児じゃないです」
トライダーと二人の部下は、大股に歩み寄って来る!
「フォルコン・パスファインダー氏は亡くなったんだろう! 官報で見たぞ、それで四日前から探していたんだ! 君を!」
私は振り向いて早足に歩き出す。
「はっ、母が居ますから! 離婚してるけど今でも母ですから! 今もこの町に……」
「君の母上なら今は王都に居られる! 安心したまえ! 君の行く先も王都なんだ! 母上に会える日もきっと来る!」
冗談じゃない。
既に他の家に嫁いでいて、手紙を出しても一度も返事をくれなかった母になど会いたくない。それに……
「私の事は放っておいて下さい、一人で生きられますから!」
「君は誤解している! ハワード王立養育院は素晴らしい所だ! 来れば解る!」
もう構っていられない。私は走り出す!
これが……これが半年前祖母を亡くした私を、益々悩ませる事になった、「孤児狩り」の……
「待ちたまえ! マリー君、君は王国令により我々が保護し王都に送り届ける! 風紀兵団、行くぞ!」
この半年間、トライダーは「ほぼ孤児」という理由で、あの手この手を使い私を王都に拉致しようと企んで来た。
それでも私は実の父が生きているから孤児ではないと、何とか突っ撥ねて来た。しかし父の死亡が官報に載ってしまった以上、もう弁明の余地は無いのだろう。
風紀兵団……例の国王陛下が新設した国王直属部隊で、様々な権限を持っている。王国全土で孤児を探し出し王都に連れ去る事もその一つだ。
「養育院は決して君が考えているような場所ではないッ! 安心して保護を受け入れるのだっ! 待ちたまえーッ!」
「風紀ある市井!」「風紀ある市井!」
とにかく、命懸けで走るしかない。
私は路地裏に転がる古びた樽の陰に居た。
逃げ切れた……風紀兵団はいつも揃いの鎧兜を着ているので、全力で走れば振り切れない事はないのだが……こちらもいつでも全力で走れるとは限らないし、もし軽装で追って来られたらどうなるのか。
……
思えば、私にはこんな港町で遊んでいる暇なんか無いのではないだろうか。
トライダーの行動の根底にあるのが善意なのか悪意なのか、それはどうでもいい。とにかく奴は仕事熱心で、私が16歳の年を迎えない限りは追跡をやめないだろう。少なくとも、私はもうあの家での生活を続ける事が出来ないのではないだろうか。
祖母と二人、慎ましい生活を守って来たあの場所を捨てなくてはならないのか。
もう泣かないと決めたのになあ。ぽろぽろと、小さな涙がこぼれる。
何だかもう面倒になってきた。
トライダーの言う通り養育院に行った方がいいのだろうか。
もしかしたら本当にいい所かもしれないし。
だめだ……ありえない。
トライダーは何であんなに自分のしている事を正しいと思い込めるのか。
彼は世間からは見た目の整っている人物と言われていて、職務熱心でもあるので、ご婦人方からの評判は高いらしい。
でも私はだめだ。生理的に無理と言う他無い。
あれの言うなりになるくらいなら、船乗りになってゲロを吐き続けて一時間で死ぬほうがマシかもしれない。
養育院そのものを否定するつもりはない。
だけど、私は少なくとも祖母に恵まれて、この年まで立派に育ててもらったし、手に職もつけてもらった。
施設に入れられなくたって、自分の衣食住くらい自分で面倒見られるし、自分の足で立って生きられるのだ。
そして繰り返しになるが、トライダーの言いなりになるのだけは嫌だ。
涙を拭け。立つんだ私。
私は恐る恐る辺りを見回しながら、街路に戻る……だいぶ走らされた……港へ戻っても大丈夫だろうか。もう一度、水運組合を目指そう。