ロイ爺(なんでマリーが居らんのじゃろ)ニック(なんでロイ爺が居るんだろ)
ブルマリンに着くと、アイリはサラリと船を降りて行った。
その事情は結局解らないままだった。
「それで落ち込んで遊びにも行かずのびていると?」
会食室でのびている私を見て、不精ひげが言った。
「あの様子じゃさ……たまたま私が船長室に行かなかったら、私にすら挨拶せずに出て行ったでしょ! 絶対!」
絶対そうだ。妹が出来たみたいとか言って、白々しい……妹にも何も言わず出て行くんですか。そういう人なんですか。
不精ひげはそのまま何も言わず仕事に戻ってしまった。冷たい奴だ。船長がこんなにめげているのに。
早くアレク戻って来ないかなあ。アレクなら解ってくれるよね、きっと。
「うーん、僕はアイリさんの気持ち、ちょっと解るな」
その瞬間、アレクの言葉が甲板から降って来た。
「え……」
「手配書を見せられたとか、偽名を名乗って欲しいとか言われたら……アイリさん優しい人だから、これ以上迷惑掛けられないって思ってたんでしょ」
私は思い切り立ち上がり……会食室の天井の低い所に頭をぶつけた。
「おい、いい音がしたけど大丈夫か」
不精ひげが振り返り、会食室を覗き込みながらそう言った。
「じゃあ! アイリさんが出て行ったのって、私のせいじゃん!?」
「そう、船長のせいだな」
私は上甲板に駆け上がり、跳ね上げブリッジへと突進……した所を、不精ひげに先回りされ通せんぼされた。
「待ってくれ、いつも俺の言う事は全部疑うのに何で今回に限って信じるんだ」
「本当の事を言いなさい!」
「わざと素っ気ない態度で出て行ったのも船長の為だぞ、心配させたくないから」
「ニック! 何でそんな事言うの!」
「だって本当の事を言えって」
アレクが不精ひげに抗議する……私は後ずさりして、舷側に座り込む。
「ありがとう……不精ひげ」
「お、おう」
こういうのは、はっきり言われてしまった方がスッキリする。
いやスッキリはしないけど、ここでまた気を遣って誤魔化される方が辛い。
「船長、仕方ないよ……アイリさんが決めた事だもん」
「ここまで運んでもらっただけでも、かなり助かったのかもしれないぞ。彼女にすればパルキアに居るよりはマシだろうからな」
私は両手を握って天に突き出し、笑った。
「うーん、考えてみたらそうだよね! ここまでは運んだんだし、本当にここからは大丈夫なのかもしれないし。ちゃんと当てがあるならいいのよ、もう」
そして立ち上がる。
「ま、縁があったらまたどこかで出会えるでしょうね。お騒がせしました、っと。一応航海日誌につけとこ」
「気にするなよー」
不精ひげの間延びした声に、私は背中越しに手を振る。
船長室に戻った私は壁のサーベルを手に取り、そっと鞘から抜く。
鏡のように磨き上げられた刀身に、自分の顔が映る。高かったもんなーこの剣。
少し伸びたな、後ろ髪。私はそれを束ねて引っ張り……
ぶちっ……と。サーベルで切り落とした。あー。やってしまった。気合だ私。
私は帽子を深く被りなおしながら、上の様子を伺う。不精ひげとアレクが何か話しているが、よく聞こえない。
懐中時計のネジを巻いて……毎日遅れるので、針を20分程進めて……
次はどうする。
……
数分後。私は再び上甲板に居た。
水夫達は……ああ、不精ひげとアレクがまだ居る。私は二人に近づく。
「ねえ、ロイ爺知らない?」
二人は顔を見合わせていたが……やがて頷いた。
「ロイ爺ならそこの水運組合に行ったよ」
「ありがと、水運組合ね。じゃあ見つけて買い物に付き合ってもらおっと。貴方達も何かお土産要る?」
「じゃあ……たまにはワインのいいのが飲みたいなあ」
「僕は……揚げパンがいいな」
「了解、了解。じゃあお留守番よろしくね」
私はニッコリ笑ってそう言い、軽くスキップしながら、跳ね上げブリッジを降りて行った。
アレク君、今「あのかっこで行った!」って言いましたね? 聞こえましたよ。
しかし情けない大人達だ。こんなに簡単に小娘の小芝居に引っ掛かるとは。ロイ爺が水運組合に行ってる事もウラドが船員室で休んでいる事も知っている。
私は一旦水運組合の方へ向かうふりをして、そのまま往来の雑踏の中へ飛び込む。
ここが船長の真似事か本当の船長かの分かれ目だ。
リーヤ君。私は船長として君の下船を許可した覚えはない。君はまだリトルマリー号の乗組員なのだ。
北大陸南岸の多くの港町がそうであるように、この港も背後には山があり、港全体を包み込むように見下ろしている。
そして港を取り巻くようにして作られた市街地にも坂が多い。
この街の豊かさはパルキアともマトバフとも違う種類のものだ。豊かな人だけが集まって作った、土地の豊かさとは無関係の作り物の豊かさだ。
服装はこれで完全に正解だった。キャプテン・マリーの制服。水夫達は笑うが、この街にはよく馴染む。すれ違う人達の視線もどこか好意的だ。
私はまず街の治安を預かる司法局を探した。ただ衛兵に聞いただけである。こういう時は本当に姿形が物を言う。それは親切に教えて貰えた。
司法局には、誰でも閲覧出来る形で手配書が置いてある。
ありました……アイリの手配書。罪状は……詐欺罪? 何で? ああ、返す気が無いのにお金を借りたから詐欺罪ですか。
ただ、そんなに大きな扱いはされてなさそうだ。似顔絵もついてないし。
少なくとも街の衛兵が血眼になってアイリを探してるなんて事は無さそうだ。
「アイリ・フェヌグリークという人物について知りたい」
背後で誰かが、その名前を口にした……ここは司法局のロビー、一般人、警吏、判事、色んな人間が居る空間だ……誰が居てもおかしくないが。
「ふむ……しかしこの人物の問題はあなた方の任務とは無関係と思えるが」
「うん……我々にも事情が……いや。同じ司直の人間として判断して欲しい。我々は同じ方向を向いているはずだ」
「ハッ。風紀ある市井、か」
「……お願いしたい」
何故ここに居る……トライダー!!
奴の名はトライダー。
こんな街で、風紀兵団の鎧兜とサーコートを着ているトライダーだ……
風紀兵団とは、現在の国王陛下が独断で創設した国王直属の私兵組織である。その任務は王国内での治安活動……なのだが。
普通、どんな国にでも治安組織はある。司法局は元々の王国の治安維持を司る役所で、各地に支局がある。ここもその一つだ。衛兵も判事も司法局の管轄だ。
だけど風紀兵団は国王という絶対不可侵の権威をバックに、その縄張りをいとも簡単に超えて来る。
既存の役人さん達からしたら、気に食わないんだろうな……そりゃ。
「お願いと言われても、我々も手配書を受け取ったばかりで、何も解らんね」
「アイリ・フェヌグリークは以前から足繁くこの街に出入りしているはずだ。何も情報が無い訳はない」
「この手配書が着いたのも昨日だぞ? 何で情報があると思うんだ。国王陛下の直属部隊だからって、少し仕事熱心過ぎるんじゃないのかね。ハハハ」
トライダー本人は知らない事だが、彼は私が船長になる過程に結構重要な役で関与している。
レッドポーチ港で暴徒の群れから私を守ってくれたのは風紀兵団、トライダーとその部下達だった。
まあ……トライダーはただ、私を孤児院に閉じ込めたいだけの仕事人間なので……感謝とか尊敬を捧げる必要は無いんだけれど。
だけど奴の仕事に賭ける情熱は本物だと思う。そのトライダーが馬鹿にされるのは少し腹が立つ。トライダーを馬鹿にしていいのは私だけだ。
でも何でトライダーがアイリの事を嗅ぎ回っているのか。彼の専門は私みたいな孤児の捕獲と収容のはず。
風紀兵団が、指名手配犯の追跡に方針を変えたのだろうか。
私は落胆して司法局を出て行くトライダーを尾行してみる事にする。