手配書「アイリ・フェヌグリーク、28歳女」アイリ「いやああああああ」
アイリは白金魔法商会の人で、あのバニースーツは彼女が作っていたという。
通はバニーコートと言うらしいね!
でもマリーが着てるのが本物のバニーコートかどうかはよく解らないよ!
とにかく、私はこの件を忘れる事にする。
私に、余計な希望を持ってしまう事の辛さを教えてくれたのは母だった。家を出て行った後もしばらくは時々私の様子を見に来てくれていたのだ。
私はその度に、今度こそお母さんが帰って来てくれたのだと喜び、裏切られた。
そういえばパルキアの海軍紳士共は、父が英雄的にパンツ一丁で活躍したのかもと言ってたな。あんなのだってもう信じたりしない。
女子力で負けていたって気にしない。私は元々自分の足で立つ女になるつもりだったのだ。
風が少し弱まった。揺れが少なくなって助かる。
昼まで9時方向から吹いていた風が、次第に8時方向から7時方向に回って来た。
時刻は午後3時ごろ。私はゆっくりと艦尾から離れた。
うん……うん。揺れる。船って揺れるよね、当たり前……でも……大丈夫。吐かない。
出て来たんじゃない? 特訓の成果、出て来てない?
「もう少し吹かないかな。吹いて欲しいな」
不精ひげが露骨に私を見ながら言う。だから知らないってば……私で縁起を担がれても困る。
「エイリスまでどのくらい?」
「ちょっと風が落ちて来たし、明日の早朝くらいかもな」
「じゃあ風強かったら夜中に着いちゃうじゃん」
「エイリスは荷物を渡すだけだから、出来れば夜明け前に荷降ろししたいんだ」
船乗りは仕事を怠けるものと思っていたけど、仕事を怠けられるように頑張るものなのね。そうして頑張って空けた時間にエールを飲んでゴロゴロするのか。
不精ひげとしてはもう少し速く走らせて、速く着いて、その分休みたいのか。
でも私は出来ればこのままバニーガール無しで行きたいので、緩い風がいいなあ。
アイリが早めに休んで夜半には船長室を空けてくれたので、私は午前零時頃から眠る事が出来た。
そして翌朝。私は寝床から起き上がり懐中時計を手に取る。6時か。この時計は一日二回ネジを巻き、針を20分進めないといけない。
ゆっくりと船が揺れている……でもこの揺れ方は、錨が入ってるな。という事はもうエイリスに着いているのか。
という事は、つまり……
「皆様ーッ! おはよーございますッ!」
私は船長室を飛び出して叫んだ。
今夜はバニースーツを着ないで眠れたのだ。寝巻き代わりに選んだのは父の大きな茶色のチュニック。ついに私は、魔法無しで船内で眠るという冒険を達成したのである。さっそく航海日誌につけなきゃ。ぐえ。
◇◇◇
エイリス港は小さな入り江に作られた古い港だった。小さめのバルシャ船やキャラベル船が合わせて五隻ばかり停泊している。
港からの坂道には数件の石造りの家があるようだが、町は坂を登りきった所にあるらしい。この位置からだと斜面の木々が邪魔になって殆ど見えない。
不精ひげとロイが荷降ろしをしていてアレクは休み、ウラドは……本当にいつも上陸しないけどいいのかな……たまには降りたらいいのに。
一度船長室に戻り旅立ちの普段着に着替えた私は、会食室であくびをしているアイリに声を掛ける。
「アイリさん、どうする? この港にも何隻か船が来てるし、行き先とか聞いて来ようか?」
私がそういうと、アイリはひどくがっかりした様子で答えた。
「もう降ろそうとしてるし、さん付けに戻ってるし……」
「いや……でも……うちの船ロングストーンに行かないといけないから……」
昨日のうちにアレクから聞いていたのだが、金融拠点でもあるロングストーンは、多額の負債があるアイリにとって鬼門らしい。
「だから……ねぇー。私はこの船で行きたいのよー。タルカシュコーンとかどう? 建物が全部白くて綺麗なんですって! 行ってみない?」
「そ、そこだけは絶対にだめです……とにかく、一応そのへんの船長に聞いて来るから」
「えー……」
今日はリトルマリーは桟橋に着けているようだ。渡し板を歩けば簡単に上陸出来る……と思ったら桟橋が浮き桟橋のようで、少しまだ揺れている。
誰かこちらに歩いて来る……
「リトルマリー号船長、マリー・パスファインダーです」
私は歩いて来る男性にそう告げたが、男性はそのまま私の前を通り過ぎた。
うう……いきなり恥をかいた……そう思っていると、男は踵を返して来た。
「えっ、ごめんごめん、あんたが船長だったか、こりゃ驚いた」
私は露骨に嫌な顔をしてやる。
「いや、すまんて……貨物の受取証を渡しに来たんだ、ほら。あと、こっちの書類にもサインを頼む」
船の入出管理も荷物の受け渡しもまとめて扱う、小さな港を切り盛りする役人さんという所か。まあ小娘の船長は珍しいんでしょうな。とにかく私はサインをする。
「あと、これも。今朝来たばかりの手配書。どこかで見てないか? まあ、見たら注意してくれってさ。ここにもサインを頼む」
「ああ、はい、はい」
私は港の小さな露店を見て周り、生鮮野菜をたっぷりと、米を一袋、塩漬けでない肉も少々、それに干し魚数尾と活二枚貝一袋を買い込み、船に戻った。
「アイリさん」
「わあ、美味しそう! それ、私が料理してもいい? ねえ! 私この船の料理係になれない? ここ使っていい?」
私はまだ会食室に居たアイリに顔を近づけ、声を落として言った。
「アイリさん本当は何をしたんですか? 懸賞金かかってますけど? 昨日の今日なのに陸路で手配書回ってますけど? こんな田舎町にまで」
正直……手配書を見た瞬間、かなり心が揺れた。例の金貨7枚の負い目が無ければ通報していたかもしれない。
「……本当に何もしていないわ。ただ借金を踏み倒そうとしてるだけよ。金額が大きいだけで」
「手配書には危険って書いてました」
「私の事、魔法使いだとでも思ってるんじゃない?」
アイリは手を頭の後ろに組んで伸びをした。
「魔法なんて、こんなものよ」
アイリはそう言って、かまどの近くに置いてある小さな甕からひしゃくで水をすくい、テーブルの上にこぼした。
それから、その小さな水溜りの上に両掌を添え、目を閉じて、聞き取れないほどの小さな声で何か唱え始めた。
アイリの掌と、テーブルの間に、時折……キラキラとした砂粒のような物が光り、粉雪のように舞う。
「きれい……」
私は思わず呟いていた。
10秒くらいそうしていてから、アイリは何かを唱えるのをやめた。キラキラと舞う砂粒はゆっくり消えた。
アイリは机に伏せていた掌をどけた。小さな水溜りは凍りついていた。
「……すごい!」
私は声が大きくなるのを必死で抑えた。本当だ。アイリは本当に魔法使いなんだ。
私は憧れを込めてアイリを見た。アイリはだらしなく笑いながらぐったりと椅子にもたれて肩で息をしていた。
「あら? もしかして私の事見直した……?」
「ああ……そんなに疲れるんだ……」





