ロイ爺「何かが船長に似とるんじゃが……?」アレク「……土下座じゃない?」
パルキア港を出港したリトルマリー号。
太鼓のように鳴り出した不審な樽。飛び散る上蓋。
夜空に響くマリーの悲鳴。
樽から飛び出した二本の女物の生足が……樽の中に戻った。
次に樽の縁に現れたのは手だった。女物のサンダルを持っている。
サンダルはポトンと甲板に落ちる。
「はい、はい、御邪魔してます、ごめんなさいね」
樽の中に居た幽霊が……立ち上がった。女の格好をしている。
緩い曲線で構成された亜麻色の長い髪がまとわりついていて、その顔は見えない。
幽霊は二、三度、首を振り払う……
「あー息苦しかった……死ぬかと思ったわー」
長いスカートから生足をちらつかせながら、樽をまたいで、幽霊は……まあどうも幽霊ではないらしいその女は……甲板に降り立った……
「貴女は……何ですか……」
私は、どうにかそう言った。この船の責任者は私なのだという自負が、なんとか勇気をくれた。
「わあ! 貴女こそ何! こんな若いバニーさん初めて見たわあ、可愛いー!」
あっ。
わあああ!? 違うこれは仕方なく着ているもので決して好きで着ている訳ではなくて私はこの船に乗らなくてはならなくて……って! そりゃ私もどうかと思うけど不審者にとやかく言われる筋合いは無いよ!
「何、じゃないでしょう! 貴女は何なんですか!」
「やだ密航者に決まってるじゃないのー、見た事ないの? 貴女船長さんでしょ?」
「……パルキアに戻ろう。まだすぐそこだ」
上甲板でウラドが言った。
「待って! 待って下さい! ちょっと待って!」
女が突然飛び掛って来た! と思ったら私の目の前に着地した……というか、土下座した。
「お待ち下さい皆様! 私、あの街を出たいんです! この船に乗せて下さい! お金なら、船賃ならあります! お支払いしますから!」
……
そして、少し頭を上げた……
「船長」
ウラドは私の号令を待っているようだ。私が転進と言えば転進するだろう……パルキアへ。
お金ならありますと彼女は言ったけど。船の上にはお金で済ませてはいけない事があると思う。
帆船での航海には乗員全員の命がかかっている部分もある。信用出来ない人間を乗せたまま航海する訳には行かない。
「お金があるなら、パルキアに戻ってちゃんとした手続きをして正規の客船に乗って下さい。その前に衛兵さんからお話しがありそうですけど」
「お願い……! 絶対に迷惑は掛けません! どこか南大陸の港か、そこへ行ける船に乗れる所まで乗せて下さい!」
「では、訳ぐらい言ってみたらどうだ……ただし、船長には敬意を払うんだ」
そう言ったのはウラドだった。
「はい」
女が顔を上げた。目の前に居るので今度はよく見える。
凄い美人。私もそういう長い睫毛と切れ長の目元が欲しかったなあ。
いや、今はそんな事考えてる場合じゃなかった。
彼女は私が白金魔法商会を訪れた時から、こっそりついて来ていたそうである。
ロイ爺と話しているのを聞いたのだと。
「こんな女の子が船長って、最初は信じられなかったけど……私も女ですから、密航するなら船長が女の子の船はうってつけだと思ったのよ……無いでしょ、普通」
そりゃあ、普通は無いでしょうなあ……バルシャ船の船長がバニーガールはないと思う……いや今バニーガール関係無いか。
「まさか船長がバニーガールとは思わなかったけれど……」
「ウラド、転進」
「待ってってば! 白金魔法商会……うちの製品でしょ? それ……カジノ船で働く海に不慣れな女の子の為に作った物だけど、それを女船長が着るっていう発想は私にはなかったの、驚いただけなの、本当よ!」
「転進やめ……うちの製品って?」
「ええ。白金魔法商会で働いていたの、私。名前はアイリ。あの店がどうなったかは見たわよね? だから私はもうあそこで働けないし、街を出たかったの」
なるほど。まあ、自分が働いている店があんな風になったら嫌だとは思う。
だけど。
「でもそれだけじゃ、お金があるのに密航してまで港を出る理由にはならないわ」
「そうよね……」
アイリは貨物の木箱に座り、サンダルを履き直していた。
「私が白金魔法商会に入ったのは二年前で……その頃から商会の財務はあまり良くなかったらしいんだけど」
「うん」
「私、いつの間にか商会長って事になってたのね」
そこまで話して、アイリは俯いて暫く黙っていたが……私が何も言わないので、口を開いた。
「まあ、あとはよくある話」
いや、よくある話と言われましても……私は見ての通りの小娘で、社会経験が浅いので何とも言えません……
「いや、解るの、解るのよ、お金を貸した人から見たらね? 貸したんだから返してもらわないと困るじゃない? 返せないじゃ困るじゃない? ねえ?」
アイリさんが続ける。うーん、借入金はうちにもあります、うちは今それを返しに行くわけですが……
彼女が何の話をしているのかも解らない私は、黙って聞くしかなかった。
「でも返せないんだもん。こんなくたびれた女一人叩き売ったって利息分にもならない金額なわけ」
……
「だけど私が目の前に居たら責めざるを得ないじゃない? お金貸した人も。そんなの大変じゃない? 責めても何にも出ないのに、毎日毎日責めないといけないじゃない? 気の毒でしょそんなの? だから私、消えないといけないの」
「念の為お伺いします」
「ええ、なに?」
「その借金って、二年前に会長になったばかりのアイリさんが払わないといけないんですか?」
「そうみたいねー」
「おいくらくらいなんですか?」
「七万」
「……金貨で?」
「金貨で七万ねえ」
桁が違う。リトルマリーの借金とは二桁違う。
私に出来る事なんて、溜息をつく事くらいだ。
「これを言うのは僕の役目かな。船長、訳を聞いちゃった以上、僕等はパルキアに戻らないといけないんだけど……」
アレクが言った。アイリさんは……ゆっくりと頷いた。
「……そうよね。貴方達まで債権者さんに恨まれるわ」
「でも船長の事だから、どうするのかなって。もし戻らないなら、今のは聞かなかった事にしないと」
皆、ごめん。実の所、今回はパスファインダー商会のマリーでもヒーローのキャプテンマリーでもない、バニーガールのマリーの良心の話になってしまった。
私はこの服のおかげで船に乗れた。だけど。私はその正当な代金をまだ払っていなかったのだ。金貨15枚の値がついていたのに、8枚しか払ってない。
その時はお金が足りなかった。だけど、オーガンがリトルマリー号を買い叩いてしまってからでは間に合わないと思った。
それで前金だけで強奪するように商品を持って来てしまい、今に至るのである。
パルキアの水運組合でも、債権者はこのバニースーツを持って行ったという。それはつまり、水運組合はこのスーツを買い取って販売していたのではなく、委託されて販売代行をしていたのだという事になる。
要するに私は白金魔法商会が負債を負った原因の一部なのだ。
それは今、このお姉さんに残りの代金である金貨7枚を渡して済むような話ではないのだ。
私はこのお姉さんの借金の一万分の一部なのだ。
私の頭の中の、悪いマリーがささやく。誤魔化せ。誤魔化すのだマリー。
「解りました……皆、今のは聞かなかった事にしてくれる? アイリさん……私はこの船、リトルマリー号の船長、マリー・パスファインダーです。うちは客船じゃないから乗るなら乗務員として乗っていただきます。南大陸へ行けそうな船に乗り換えられるまで、その間……船上では私に従って下さい」
もう一つ気になる事があった。
この女の人はさっき土下座した時、間違いなく爽やかにはっきりと発音し、心の中で三つ数えた。





