事務官「かかっ、閣下! あっ、あっ、あのリトルマリー号の新船長が、海軍文書を持参して事務棟に!」
もう父の事は忘れ、目の前にある仕事に励もうと誓ったマリー。
その途端に今度は向こうからやって来る、父が起こした事件の影。
陽気なミゲルおじさんは、フォルコンの事件を知っていた。他にどれくらいの人が事件を知っているのだろう。
アレクはパーム油を購入していた。在庫は港の倉庫にあったから、昼には積み込みも終わり、出港出来るという。
やっぱり父なんか居なくても商売出来るじゃん。あれを何か月も探していたせいで、リトルマリーは貧乏になったのだ。
積載量を控え目にしてあるのは船足にも配慮してるのかな。アレクは頼れる。
船長室に戻った私は手早く着替える。じき出航だし、今日はもうバニーガールでいいか。うーん、いやあとでまた訓練しよう。
さて、今日の出来事を航海日誌につけなくてはならない。
しかし……私の航海日誌は二冊になってしまった。どっちにつけようか。
どうも最初から船長室にあった方は、航海日誌ではなくただの個人的な日記のような気がする。私の事しか書いてないし。
だけど私は既に、ここまでの航海日誌をそのページの続きに書き込んでいた。
私の航海日誌としては、これをそのまま使うとしよう。
私は船員室に隠してあった方の日誌を後ろから開く。
ああ。普通。ちゃんと入出港の日付が書いてありますね。でもそれだけ。
字体もいろいろだ……持ち回りで書いていたのね……アレク以外はどれが誰のか解らないけど。ふーん、この船の水夫は全員字が書けるのか。凄いじゃん。
……
これを読み進めていけば、いずれ父の筆跡に出会えるんだろうけど……
私はその日誌を閉じた。これはもうやめよう。
ここからまた何か出て来たらどうする。またリトルマリー号を南洋の迷子にするのか?
そんなのはもうだめだ。この日誌は船員室にこっそり返す事にする。彼らの物にすればいい。
父は勝手にサメのいる海にパンツ一丁で飛び込んだのだ。もう十分に迷惑を掛けたのだ。
この日誌は、そんな馬鹿者と水夫達の想い出の品であればいい。
海上では、期待通りの季節風が吹き続けた。
本来の商業航路なら、北へ直行したりせず、この風を少しずつ利用しながら南大陸を西へ進み、海峡近くまで行ってから北大陸沿岸に渡り、また南風を利用しながら北東へと、様々な港を経由しながら向かうのがいいらしい。
だけど今は海軍の文書を早く届けたい。
有り体に言えば、私は今お金より名誉の方がちょっと欲しい。キャプテン・マリーは正直者なのである。
ニスル朝の港町、バトラから、アイビス王国海軍の軍事拠点のある町、パルキアまで。海図ではおよそ1000km。
四度の夜が過ぎた。その間はこれといった事もなく。
私はほとんどバニーガール時々普段着で時を過ごした。普段着の時は概ね船尾で手摺りにもたれている。
神様、人は何故船酔いをするのですか? 船乗り共は人ではないのですか?
天気はずっと良かった。南風は吹き続け雨も降らない。
北大陸は私が見張り台に居る時に見えた。私が船長になってちょうど二週間目の昼頃の事だ。
パルキアが近づいて来る……
背後になだらかな丘を抱えた大きな港町だ。レッドポーチやマトバフよりずっと大きい。
周囲にも大小たくさんの船が居る。全長50mを超えるような大型船も何隻もある。
教会の尖塔や大きな城も見える……私は少し緊張していた。
バタフライ諸島や異国のマトバフ、バトラとは全く違う。ここは母国の大都市なのだ。
田舎娘の私が、母国の大都市に来てしまったのだ。
そういえば……例の王国令は大丈夫なんだろうか。私は捕縛されて養育院に放り込まれたりしないんだろうか。
海軍の仕事で来た船長の私が、孤児狩りに遭うなどという事が許されるのだろうか? 御願いしますよ陛下。
パルキア港は今まで来たどの港よりも大きかった。水先案内船もなんだか立派だ。
「リトルマリー号、船長はマリー・パスファインダー……ずいぶんお若いですね」
小船で乗りつけた港湾役人が言った……私の年齢までは確認してないよね……? 書類にはそんなの書く欄無いし。
「あの、海軍司令部へ行きたいのですが。なるべく早く。定期報告書を預かっておりますので」
「それは失礼致しました……私のボートに乗られますか? まさに今から海軍司令部に向かいますが」
リトルマリー号にはパーム油を売るという使命もあったが、この港で第一にすべきは海軍の仕事だろう。私はロイ爺を伴い港湾役人のボートに同乗し、アイビス王国海軍司令部へ連れていってもらう。
港内とはいえボートは揺れる……
私は少し後悔していた。やっぱりリトルマリー号のボートで来れば良かった。
こっちはすぐ桟橋に上げて欲しいのに、ボートはわざわざ海軍司令部の目の前まで行ってくれるらしい。
今日の装いはシンプルな黒のズボンと白シャツ、緑色の上着だ。上着は父の遺品をリフォームさせてもらった物である。
さすがに海軍司令部にあの船長服で来る度胸は私にはなかった。あの装いだったら……せめてあそこに浮かんでるキャラック船の船長でないと。
海軍司令部は五階建ての立派な建物だった。まあ私の行き先は隣の二階建ての事務棟のようだ。
私は用心の為一度辺りを見回す。トライダーは居ないな? さすがに居るわけないか。
「マトバフとバトラからの報告書……検収するので暫くお待ちいただけますか」
事務方の軍人さんにそう言われ、私とロイ爺はロビーで待たされる事になった。
「これでいくらか貰えるのね?」
「まあ……そのはずじゃな」
ロイ爺は少し落ち着かない様子で辺りを見回している。うーん、ロイ爺をお供に選んだのは気の毒だったかも……
とはいえアレクには商売があるし、ウラドは船を降りたがらないし不精ひげはあまり連れて歩きたくない。
「なんか、ごめんなさい」
「何じゃ突然。ホホ」
「陸でも海でも、軍人には近づくなって教えてくれたのロイ爺なのにね。こんな所連れて来ちゃって」
「いやいや、あれは半分冗談じゃ、こうしていい仕事に繋げてくれとるしの」
「でも」
ここまでも小声で話していた私は、さらに声を落としてロイ爺に囁いた。
「私も……早く帰りたくなって来た」
ロイ爺は黙って頷いた。
「何か……ここには長居しちゃいけないような気が……」
「リトルマリー号の方」
その時。先程の事務方の軍人さんが戻って来て、私を呼んだ。
「二階へ上がって下さい、行けば解りますので」
その軍人さんは素っ気無く、それだけ言うと、もう別の訪問者の方へ向かってしまった。
私とロイ爺は顔を見合わせた。





