ニック「ますます印象が悪くなったぞ。何してくれるんだ」
マリーは少し反省していた。
船酔いをしたのは自分の体質のせいで、この無愛想な不精ひげのせいではない。
八つ当たりはいけない。いけない。
「ずいぶん若い子連れてるな。衛兵に見つかったらうるさいぞ、最近」
港を見下ろす低い丘の上にある、レンガ造りの建物に入った瞬間、中に居た役人っぽい男の人が不精ひげにそう言った。
理由はよく解らないけれど何か腹が立つ。
「いや、船長の娘さんだよ」
「ああ、そうなのか……マリーちゃんだっけ?」
またですか? この人は一目では解らなかったみたいだけど。
「とにかく、こうなった以上何とかしないと、今に港湾使用料も払えなくなるから……頼むわ」
「まあ、一歩前進だな……問題はまだあるが」
この人達が何の話をしているのかよく解らない。
「マリーちゃん、具合でも悪いのかい? 顔色が悪いけど」
「本人は船酔いだと言ってる。さっき船長室を見てもらったんだが」
「じゃあ港の中でそれかい。ずいぶん極端な船酔い体質だねぇ」
男達がそんな話をしていると、横から別の……小太りの中年男が声を掛けて来た。私に?
「船酔いなら、とても良い物がありますよ! ああ失礼、私、レッドポーチ水運組合で航海用品の販売をさせていただいております、グリックと申します! なんと! 着るだけで! 一切船酔いにならなくなる! そんな衣装、いえ服があるのです!」
私の困惑をよそに、不精ひげはさっきの役人さんと何か話し込んでいる。グリックと名乗った人は勝手に話し続けながら、傍らの棚から薄い木箱を持って来る。
「……そんな便利な物があるんですか?」
別に興味はなかったけれど、不精ひげの話はまだ終わらないようなので、私はそう聞いてみた。
グリックは箱を開けた。
「御覧下さい! 船酔い知らずの、魔法のバニースーツです! 何でバニーガールかって? そりゃあカジノ船で使うからですよ。今の国王陛下になってから街中は取り締まりが厳しくなりましたからねえ……だけど海の上なら国王令も追って来れませんから。お客さんとバニーガールを乗せて港を出て、博打をしながらそのあたりをクルーズして戻って来るってわけです。いかがです? 白金魔法商会謹製の……ベルベットブラック、ローズレッド、インディゴブルーにそれから……ああ、揃いのアクセサリーも着けないと魔法の効果が出ません。これを着ると船の上でも陸上と同じように歩けますし、船酔いもしません。いや勿論わたしゃ着た事無いですけど、揺れ自体を感じなくなるそうですよ。今なら1セットで金貨15枚、いえ、12枚にしましょう……あ、もし今ここで着てみせていただけるならもう銀貨5枚値引きを……お嬢さん? お待ち下さい、じゃあ銀貨8枚サービス……ええい金貨11枚におまけだ! 待ってお嬢さぁぁん!」
私はすぐに建物を飛び出していた。幸いそいつは外まで追い掛けては来なかった。
船とか海に関わる人間は皆あんななのか。聞いた事がある。彼等の頭の中には酒と女と言い訳しかないと。
頭が痛い……亡くなった父もその一味だったのか……
不精ひげは程なくして建物から出て来た。
「すまないんだが……まだ三、四日かかりそうなんだ。何とか付き合ってもらえないか、滞在費は出すから……」
もう嫌だ。船も船乗りも水運組合も嫌いだ!
「嫌です! 私は船なんかいりません、貴方達で好きにしたらいいじゃないですか!」
「そういう訳にも行かなくて……その、例の国王令のせいで……」
わざとらしく両手を合わせる不精ひげ。国王も嫌い! けどこれは叫ぶ訳には行かない最悪死刑だし。
「じゃあせめて明後日……いや、明日の夕方、いや午後まででいい、この港のどこかに居てくれ、この通りだ」
不精ひげは無表情で、ペコペコと頭を下げる。
◇◇◇
結局私は押しきられてしまった。本当は旅籠なんかに泊まってる場合ではない。
仕送りは半年前から無くなってたし祖母も同じ頃に亡くなった。
正直、お金が無い。
それでもあの不精ひげから滞在費を受け取るのは嫌だった。
もうどんな話も断る事に決めた私は、奴らに借りを作りたくない。
保護者の居ない私は何度も孤児狩りに遭いそうになりながら、針仕事の下請けをして何とか暮らしている。
何故下請けでしか働けないのか。国王陛下のせいだ。今の国王は16歳未満が仕事につく事を禁止し、保護者の居ない16歳未満は容赦なく孤児院に収容しようとしている。
大きなお世話だ。あばら屋だけど私には住む所があるし、自分ひとりくらい針仕事で養える。非正規でしか仕事を貰えないから、手間賃は雀の涙だけど。
それもあと半年。年が明ければ私は晴れて16歳、自由の身になれるはず。
夕方。私は港町の旅籠の食堂で、焼きジャガイモと、炙った塩漬け豚肉の切り身を食べていた。どっちもちょっと焦げてるけど、いい香り……何かの香料がちょっとだけかかっている。港町だからかな……その時。
「マリーさん! ここにマリーさんという女性は居ませんか!」
背後の、旅籠の入り口から突然響いた大声に、私は驚いてフォークを落としそうになった。
「あたしに何か用かい?」
誰か女の人がそれに応えた。そりゃそうよね、こんな所に私の知り合いなんて居ないはず……
「おお、ご婦人、貴女ではありません、今は亡き我が親友、フォルコン・パスファインダーの忘れ形見のマリー嬢です! 年の頃は15歳、そう、慈悲深き国王陛下の施策の元、しかるべき施設に保護されるべき、可哀想な少女なのです! おおおお……」
父の名前! 冗談じゃない! 死んでからも迷惑掛ける気!? い、いやそれはいくら何でも違うか……
だけど例によってこっちは向こうが誰かも解らないけど、向こうはこっちの顔も知ってるかもしれない!
そしてこれは勘だけど、この人、人を可哀想呼ばわりして泣き叫んでるけど、ただのいい人ではないような気がする。
どうしよう。顔を見られたら。走って逃げる? 無理だよ、私の家は近くの村だけど、この辺りにはあまり来た事がなく土地勘が無い。逃げたらよけいに目立つかもしれないし……
「ヒック……グスン。皆様どうか……マリー嬢らしい人を見掛けたら、このオーガンめにお知らせ下さい! 謝礼も差し上げますので……彼女が今日の昼間、レッドポーチ水運組合に現れた事は解っているのです……お騒がせいたしました。皆様、ご機嫌よう」
「あいつまた倉庫を増やしたらしいな……嫌だ嫌だ。あんな奴ばっかり儲けて」
近くのお客さんがヒソヒソ話している。