兄「へんな格好だけど、とてもいい人だね」妹「うん。オレンジ、すごくおいしい」
第二章最終話。
三人称視点で御送り致します。
「禁断の青い果実! 触れてはいけない未熟な果実だよ! 買う前のお触りは厳禁だ! 遠く北の緑豊かな小さな島の小さな村で育った、ぴちぴち、つやつやの青い果実だよ! 黄色く染まって一口食べて、赤く染まって一口食べて、成熟して行くその色香、独り占めにするなら今しか無いよ! 禁断の青い果実だ!! こんなチャンスは二度とないよ!!」
競売人が仲買人を呼び込む、威勢のいい掛け声が響く。
砂漠と城壁に囲まれた港湾都市マトバフ。ターミガン王朝の勢力外にあるこの地はアイビス王国との関係も良好で、商業が盛んだ。
それでも今まで、南からの季節風が強いこの時期に内海を真っ直ぐ突っ切った船が、新鮮なオレンジを運んで来るなどという事は無かった。
マリーは競りの様子を見学していた。
「男なら手に入れてみたいと思わないか、この遠く海を越えてやって来た幼い果実を! もちろん、成熟した芳香を放つ熟れた果実もいいだろう! だが、この時期にしかない青く儚い香りを放つ、この禁断の青い果実を手に入れられるのは今しか無いぞ! 一度でもいいから味わってみたい、そうは思わないだろうか! それが男というものではないのか!」
「アマル! それ以上煽るな!」
「とっとと始めろー!」
「まだだ、まだ、ここに向かっている同志達が居るんだ、勝手に始めてしまったらそいつらのチャンスがなくなる! 誰だって手に入れたいはずだ! この誰も手にした事のない! 禁断の青い果実を!」
マリーは傍らのニックに尋ねた。
「不精ひげ、あの人達何て言ってるの?」
言語が違うので、マリーには競売人達が何と言って仲買人を煽っているのか解らないのである。
「知らない方がいいぞ」
結局、島を出航してから88時間程で、リトルマリー号はマトバフ港に入港してしまった。
損失したオレンジは嵐の時に波間に消えた数箱くらいだった。
最初マリー達は、まだ熟れきっていないオレンジを少し寝かせてから出荷しようかとも思ったが、競売人に相談してみると今すぐ売るべきだと言われた。
南を目指す隊商などは今のこの実が欲しいらしい。この状態なら内陸の都市や宮殿に持ち込んでも耐えられるだろうと。
皆、この時期にこの場所で、こんなに水分がありまだ青いオレンジなど、見た事もないという。
マリー達は船じゅうに雑に積まれたオレンジを、雑なまま競売人に引き渡したのだが、一時間後の競売場では、全てのオレンジが色、大きさ、傷の有無などによって7つの等級に分けられ、箱詰めされて並べられていた。
競売が始まった。
奪い合いのような勢いで売り買いが成立して行く。特に最高級品は一瞬で姿を消した。
マリーは高価な物から売れて行くオレンジを眺めていた。
アレクの手元には次から次へ何かの証券が届けられていた。アレクはそこに次から次へサインをして行く。
「借金は返せそうかの?」
「最初の5秒で吹っ飛んだよ」
マリーはこの光景をあの島の人々に見せてあげたいと思った。
あの村のオレンジを欲しがる人が、こんなに居たんだ。
マリーは修理の為に入港していたロットワイラー号の元も訪ねた。
「ヒューゴ艦長、先日の海戦の目撃報告書をお持ち致しました」
「おお、かたじけない……しかしこの報告書、少々重いようだが」
報告書を収めた箱の下に、オレンジで大当たりの分け前を少し詰めてあるのだ。
「海軍の皆様のおかげで私共は海賊の手を逃れる事が出来ましたので……お土産代にでも是非」
「度々のご厚意、痛み入る……必ず水兵達にも分け与えよう」
ヒューゴ艦長の事は、マリーにはまだ判断がつかなかった。
間違いなく有能で勇敢な海軍士官だとは思うが、少々賄賂に弱過ぎではないだろうかと。
ともかく、今後どこかで会っても味方であって欲しい人物だとは思った。
「あの……海軍司令部への定期報告書、まだお持ちでしたら私共にお任せ下さい」
「勿論だ。是非マリー船長に御願いしたい」
ここでこの仕事を請けるのは全く問題が無かった。
公文書は小さくて軽くて文句も言わず金払いもいい、上等の乗客である。
「しかし、そんなやり手なんだったらもっと早くに教えてくれたら良かったのに。船長も人が悪いな」
不精ひげは無表情でそう言った。
「軍人まで手玉に取るとは……可愛い女の子じゃと思っていたが、人は見た目によらぬものよのう……」
ロイもいじりを重ねる。
「聞こえない、何も聞こえない」
マリーは耳を塞いでいた。
「これで借金は完済出来るよ。一度ロングストーンに行かないと……金利が勿体無いから早めにね」
アレクはホクホク顔だった。
「その前に……ちょっと買い物にでも行かない?」
マリーは提案した。
「この絹の反物、このベルベット、そのレースにその糸、その羽根もください! なめし皮と針とボタンとモールも!」
「こんなにどうするの船長……」
「この帽子欲しい! このタイも! あーっ! このピカピカの煙管欲しい!」
「煙草吸わないだろ……」
「このシルバーのサーベル! かっこいい! 欲しい!」
「何に使うんじゃ」
「ねえこの短銃! 似合う? ねえ似合う!?」
「自分の足を撃つのが落ちだぞ」
「あったー! 懐中時計! これ絶対欲しかったの!」
「船長、そんなに高いのじゃなくていいってば!」
「こんなに金遣いが荒いというのも、知らなかったのう……」
◇◇◇
それから二晩が過ぎた。
夜明けのマトバフ港は炊事の薫りに包まれていた。
この町の港湾一帯は食料市場にもなっており、外食好きな町の人々の為の食堂や露店が、朝から様々な食事を提供している。
埠頭の船舶係留用のボラードと呼ばれる曲柱に、幼い兄妹が腰掛け、パンとハムを分け合って食べていた。
「禁断の青い果実だ、半分だけでも味わってみないか! 新鮮なオレンジだよ!」
露天商がカットしたオレンジを売っている。
値段が少々高いらしく、手をこまねき去って行く人が多いが、時折売れる。
「どんな味なんだろう」
「おいしそうだね……」
妹の方が立ち上がり、二、三歩、露天商の方に近づく。
兄がそれを止める。
「買えないよ、高いもん」
「食べたいなあ」
不意に。兄妹の後ろから誰かが声を掛けた。
二人が振り向くと、兄より五つくらい年上の、異国人らしい女性が微笑んでいる。
白いズボンに革のブーツ、金モールと金ボタンのついた濃紺の上着、白いスカーフ、腰には彫金の施されたサーベル、大きな羽根付きの帽子。
女性は手にした小さなナイフで、黄緑色の大きなオレンジの皮を剥いていた。
「ドウゾ」
彼女はそう言って兄妹に、剥き終えたオレンジを手渡した。彼女が発した短い言葉はこの国のものではなかったが、その意味は兄妹にも通じた。
「食べていいの!?」「あ……ありがとう、お姉さん」
異国の女性は微笑み、手を振って立ち去って行く。
後に残された兄妹は、オレンジを分け合って口に運ぶ。





