ヒューゴ「見るがいいユリウス……この輝きを」
公海上で母国の軍艦に遭遇したリトルマリー号。
水夫達によれば、それはあまりいい出来事ではないらしい。
上甲板に上がる私。さっきまでバニーガールだったので、今の所船酔いは大丈夫。
軍艦はすぐに目についた。100mくらい先で、帆を弛めて漂泊している。
大きい……全長だけでもこちらの倍以上ありそう。マストも三本あるし船尾楼も立派だ。
こちらも既に帆を降ろしていた。
向こうからボートがやって来るのが見える。ボートの漕ぎ手だけでも八人。
漕ぎ方もうちとは全然違う。あれが本物の海の男なのだろう。力強く無駄が無く、一糸の乱れも無い。
ボートに乗っているのは漕ぎ手だけではない。鉄紺色の外套を身につけた人が二人……あれが海軍士官だろうか。
士官の一人の容貌は一際目を引くものだった。相当背が高い。私より40cmくらい高そうだ。
銀髪をオールバックにしているので、ただでさえの細面がますます細く見える。手足も長い……
都に居れば御婦人方が放っておかないタイプの人間と思える。
「御公務、ご苦労様です、わざわざこのような小汚い船にすみません」
不精ひげが揉み手で迎える。
「アイビス海軍ロットワイラー号、艦長のヒューゴ・ベルヘリアルだ。手間を掛けて申し訳無い」
ベルヘリアル……軍人さんはそう名乗り、一礼した。鷲鼻で眼光鋭く、いかにも軍人、という感じの人だ。
って、黙って聞いてる場合じゃなかった。私も名乗らないと。
大丈夫かな……この人、小娘が船長だなどと言ったら激怒したり哄笑したりしないだろうか。
「リトルマリー号船長、マリー・パスファインダーです」
私がそう言うと、目の前に、本当に目の前に大きな手が差し出された。
えっ、何……? あっ、握手か!
「よろしく」
ごくごく普通。
当然の対応。かなり身長が違うのでおかしな絵になるけれど、私達は船の代表者として普通に握手をしていた。
「……何か?」
「いえ、何でも」
私は空いていた方の手で、たちまち目尻に滲んだ涙を拭った。
「この海域で北から南へ向かう商船を見掛ける事は大変珍しい事だ……航海は順調かね?」
「はい、季節外れの風のおかげで……」
「それは何より……さて」
ベルヘリアル艦長は、もう一人の士官の方に向き直り、頷いた。その士官は、手紙のような物を私に差し出した。
「急用があるのだが……この報告書をパルキアの海軍司令部に、最優先で届けてもらいたい。海軍は通信の謝礼を払うだろう」
そ……
そういう事か!
軍人は気軽に民間人にこういう事を言って来るのか。
彼らは王国の為に働いている。王国の国民ならそれに協力するのは当然なのかもしれない。だけど国民にも色々事情がある。
パルキア? レッドポーチから西へ100kmくらいの港町だ。もちろん、今そんな所へ行かされたら、私達の商売は終わりである。
断れるのか? この話は断れるのか?
振り向きたい。振り向いて仲間と相談したい。
だけど何かの勘が、そうしてはいけないと私に告げていた。
ここは一人で判断しないといけない。
考えろ考えろ考えろ私!
「あの……南の沿岸で何かあったのでしょうか?」
「反乱を起こした船が逃走している。我が国の船ではないが早急に捕捉すべき標的だ……君達が報告書を届けてくれるのなら、我が艦は今すぐ南の沿岸での哨戒任務に戻れる」
「では、報告書を届けるのはとても大事な仕事なのですね」
「うむ……いや……これ自体は単なる定期報告書なのだが。軍の決まりなのだ」
背後で、私の水夫達が見守っているのを感じる。
いや、見守っているというより、私が何か余計な事を言う前に引っ込めてしまいたいと、ハラハラしているのだろう。
「海軍の仕事は大変なのですね。私は商船の家系なので……海軍の家系の方には頭が下がります」
「いや……私の家は……よくある海軍一家ではなかった。そうだな……」
ベルヘリアル艦長は微かに俯き、舷側へと歩いて行く。私はゆっくりとついてゆく。
「マリー船長、貧しい歩兵の家というものを想像してみてくれないか」
「……はい、ベルヘリアル艦長」
「ヒューゴで結構だ……私の家は、今君が想像しているものより三倍は貧しい!」
「さっ……三倍ィッ!!」
私は一歩後ずさる。
「君は、実の父母と食べ物を奪い合って争い、血を流した事があるかね?」
「さすがにそれは……ありません」
「私は……十回以上ある!」
「じゅじゅじゅ、十回以上ッ!!」
私は二歩後ずさりする。
ヒューゴ氏……は私に背中を向けたままだった。
「君……ちょっと」
私はそう言って辺りを見回す。
不精ひげ、ロイ爺、もう一人の士官さん……アレク。
私はアレクに歩み寄る。
「せ……船長?」
私はアレクに預けてあるパスファインダー商会の財布を取り出そうと、いきなりアレクの懐に手を入れる。
「船長ッ……そ、それは駄目ッ、駄目だってッ……」
アレクは小声で言い、抵抗するが、私が財布を取り出す方が先になった。
借金持ちの貧乏船ですから、中身は心許ないけれど……急な入用の時の為に、金貨50枚くらいは入っていたはず。
他の仲間も私を見ているようだ。脂汗を流すロイ爺。不精ひげは、私を抱えて下層甲板に投げ込んでしまいたいと思っているだろうか。
だめだったら、君達は運が悪かったんだと諦めて下さい。こんな小娘、船長にするんじゃなかったと。
ただ、今回はちょっと自信がある。
「ヒューゴ艦長……私共は王国の軍務への協力を惜しむつもりはございません、しかし私共はただ今、生鮮食品を輸送しておりまして……」
私は背を向けているヒューゴ氏の横に並び、金色のだけを分けてある小袋を差し出した。
「これは……?」
ええと……こういう時何と言うのだろう?
はいクッキーです、お口に合うといいのですが、とでも言えばいいのかな。
「はい、賄賂です、お気に召すといいのですが」
あ。
逆! 本音と建前逆!
「マリー船長」
今度は私が脂汗を流す番だった。
「は、はい……」
「私は……賄賂が好きだ……」
……
「その為に軍人をしていると言っても過言ではない……ありがとう……定期報告書の件は忘れてくれ」
ヒューゴ氏は袋を手に取り、満足そうに中身を眺めて言った。
「それにこの輝きは私の背中を押してくれる。逃走中の賊徒は既に数隻の民間船を襲っている。本来なら定期報告の為に司令部に帰る暇などない、一刻も早く討伐せねばならんのだ。しかし、軍隊というものは杓子定規でね。私は迷っていた」
居るじゃん! 海賊! ロイ爺、ほんとあてにならない……
ヒューゴ艦長は私に向き直り、堂々と言っ放った。
「だがこうして賄賂を受け取った以上、私は賄賂をくれた商人の期待に応えねばならない。迷いは晴れた。実の所、海賊はこの付近に居る公算が高い。我が艦は君達を大陸まで護衛しよう。ユリウス、帰るぞ!」
ボートが帰って行く。ヒューゴ氏は最後にもう一度私に手を振ってくれた。
私の背後では、三人の水夫が倒れていた。
「な……なんという……なんという無茶をするんじゃお嬢ちゃん……」
ロイ爺は半笑いで転げ回っていた。
「さすがの俺も……心臓が破裂するかと……」
不精ひげも甲板に這いつくばっていた。
レッドポーチの件のお返しだ……あれ……これって恩を仇で返した事になるのかな……?
「無茶だよ船長! 軍人なんてどんな人かも解らない、賄賂を臭わせただけで激怒する人も居るんだよ! 無茶はやめてよ! 君に何かあったら僕等フォルコンさんにどう詫びたらいいんだよ!!」
そして、アレクが私を叱ってくれた。嬉しい。
でもまずは、種明かしをしないと。
「あのね、皆船乗り生活が長いから知らないかもしれないけど」
私は一旦言葉を切る。
「あの人、王都仕込みの綺麗な発音で喋ってたから、もしかしてと思って。王都辺りの暗黙のルールでね、役人が子供の頃の貧乏話をして来たら、私は賄賂オッケーですって意味なの」
三人がもう一度転げ回る。会食室のウラドも転んでいるようだ。
「こちらから軽く話題振ってみたら、ものすごく解り易く貧乏話返して来たから、絶対大丈夫だと思ったの」





