マリー「ウラドは私達が守るからねッ!」ウラド「いや……その……」
マリー船長、初めての嵐を乗り越える。
本当に大丈夫?こんな順調でいいの?
いくら追い風でもあんな嵐では皆ボロボロになってしまう。
その結果また甲板が私一人……なんて事になっては困る。
程々の北風がずっと吹いてたらいいのにな。
不精ひげが空を見上げて呟く。
「なんか程々の北風がずっと吹いてるな」
「気味が悪いくらいじゃな」
ウラドもあくびを噛み殺す。
「こう順調過ぎると、操舵手としては手抜き仕事をしているような心地になってしまう」
うーん。私の人生がこんなに順調に行くわけがない。
今までだってそうだったし、これからも多分そうだ。
私が本当に運のいい小娘だったら、今頃両親に囲まれて山の手のお屋敷に暮らしていたのではないだろうか。
この風もきっと今に南風に変わるのだ。
頭上でバタバタと音がする。帆が急にはためき、裏返った……
えっ……本当に風向きが変わった!?
「ほれ見ろ、風が回ったぞい!」
「爺さん、太っちょ、タッキングだ、ウラドは舵を頼む」
「ようやく仕事だ」
「船長! あの……残念だけどその、荷物を減らそう……」
「そんなぁ! お願い! 北風! 北風吹いて!」
私は無意味に両手を合わせて天を仰ぐ。
―― バンッ!
帆が再び激しく鳴り、元通り膨らんだ……
船が揺れている……多分。私は全然揺れを感じないので良く解らない。
「風が戻ったぞ」
「つむじが巻いてたのかな……」
私はオレンジの袋を持ち上げようとしていたアレクに懇願する。
「ね、もう少し! もう少し待って、まだ北風が吹いてるから、ね?」
「せ、船長がそう言うならその、勿論」
アレクはオレンジの袋を元に戻し、持ち場へ戻って行く。
「この風吹かせてるの、船長なんじゃないか?」
「わしも同じ事を思ったわ」
不精ひげとロイ爺がそんな話をしている。
「冗談言う程ヒマなんだったら、三人で甲板掃除やるわよ! はいモップ」
「えー」「えー」
◇◇◇
島を離れて、三日目の夜。
「有り得ない……」
象限儀を覗きながら計算していたアレクがつぶやいた。
「今で島を出てから56時間くらいなんだけど……もう700kmも南下しちゃった」
滅多に見られないアレクの笑顔。
もう少し普段から笑わせたいんだけど、やっぱりまだあまり気を許してくれない。
「3ノットどころじゃないな。俺の読み通りじゃないか」
「何で自分の手柄にしてるのよ」
昼間は強い追い風が吹き、夜は穏やかな追い風に変わる。
私は船に乗る事自体初めてなので、こういうものかと思って過ごしているが、水夫達は折に触れ気味悪がっているようだ。まあ……不精ひげは別として。
風が穏やかになると揺れも少なくなるので、私は夜になると普段着に着替えて、船酔いの克服に挑んでいる。
成果は……まだ実感出来ないけど。
「ロイ爺、何か、今だから気をつける事ってないかな?」
「気をつける事……?」
「えーと、あっ、海賊が出たらどうするとか!」
「ハハハ、このへんには海賊なぞ居らんぞ、しかもわしらは商業航路を大きく外れとるし」
「海の怪物が出るとか……」
「そんなのおとぎ話じゃ、おとぎ話。ホッホ!」
海の危険について予習しようとした私。しかしあては外れた。
「でも何かあるんでしょ、海にしかない危険とか」
「いやいや……文明のある場所は治安も良い、その代わり縄張りやしきたりにはうるさい。それは陸も海も一緒じゃ」
ロイ爺は不精ひげをちらりと見る。不精ひげがうなずく。
何? 今何かの意志を交換したよね?
「一つだけ……大きな声では言えないがの」
ロイ爺は声を落としながら壁のランプを手に取り、自分の顔の下に持ち悪そうな笑みを浮かべる。
あっ、解った! 幽霊船でしょ! 幽霊船の話が始まるんでしょ!
「軍艦にだけは……! 気をつけるんじゃ……」
「軍艦……?」
「ああ。用も無いのに軍艦に近づいてはならん。自国の軍艦でも他国の軍艦でも、そして海の上でも、港の中でものう……」
軍艦が危ない……? まあ大砲はたくさん積んでるだろうし、水兵は皆何かしら武器を持ち歩いてそうではある。
だけど彼らは統制のとれた集団で、金品を目当てに一般市民を気まぐれに襲ったりはしないのでは?
だんだん眩暈が酷くなって来た。そろそろ限界か……私は着替えの為、船長室に戻る。
翌朝。私は夜明け前に起きて、また普段着に着替え朝の船酔い克服トレーニングに向かう。
今朝の夜直は不精ひげか……上甲板に居るいつもの姿に、朝の挨拶をしようと思った、その時だった。
「船長、出るな」
不精ひげは背中を向けたままそう言った。声が緊張を帯びている。
「ロイ爺を呼んで来てくれ。ウラドと船長は出ない方がいい」
「何て言って呼んで来たらいい?」
「アイビスの軍艦だと言ってくれ」
アイビス王国は私が生まれた国だ。現在の国王は戴冠以降次々と国王令を乱発する困った人だが、一応国民の事を思ってそうしていらっしゃるらしい。
一番上がそういう人だと、末端もあのトライダーのような人になるのだとすれば、その軍艦に乗っているのもあの手合いだろうか。
だけど……ここはアイビス王国ではない。公海上だ。ここでアイビスの国王令に縛られる謂れは無い。
あまり友好的でない国の軍艦に遭ったというならともかく。母国を離れた海の上で母国の軍艦に出会い、何を警戒する事があるのだろうか?
私はとにかく二人に不精ひげの言葉を伝えた。
船員室の中身、思いっきり見えたけど……壮絶に洗濯物が散らかってるだけで別に何でも無いじゃない。
後で掃除させてもらおう。
「うーむ、口は災いの元じゃったか……」
何で私が出てはいけないんだろう。気にはなる。
気にはなるが、今回は身の程をわきまえよう。大人が判断した事に従おう。
私は公海上で母国の軍艦に遭う事の、何が良くないのかも解らないのだ。
「信号旗だ……了解でいい?」
アレクが不安そうに、不精ひげとロイ爺に尋ねている。
「やっぱり止めて来るか」
「止めるじゃろうなあ……」
私とウラドは、とりあえず会食室に籠って様子を伺う事にした。
「ねえ、聞いてもいい?」
「何だろうか」
「私が居ない方がいい理由って、国王令のせいかしら? 16才未満は働かずに保護者の元に居ないといけないっていう……」
「海上では関係無いと思うのだが……見ての通り、私はアイビス王国の人間ではないので、よく解らない」
あんまり考えた事無かったけど、そうか、ウラドって外国人なのね。
「ウラドも居ない方がいい理由って何かしら」
「こう見えて私の種族は、軍用艦の艦長達には人気がある。丈夫で忠誠心が高いと考えられているようだ」
軍艦の艦長がウラドを見つけたらどうなるのだろう。高い給料を提示して引き抜こうとするのだろうか。
よく解らないけど、それは困る。この船にはウラドが絶対必要だと思う。
「私自身、捕鯨船に乗っていた時に軍艦に強制徴用された事がある。あれも公海上での事だった……拒否は許されなかったな」
「えええっ!?」
「そこ、声が大きい……」
甲板の覗き窓から不精ひげが覗いて来る。
「あれ? 何だ船長普通の服だったのか、じゃあ出て来てもいいぞ」
そういう事ですか! ほんとこいつは本当の事を言わないから!







