ロイ爺「言ったもん!わし、起こしてって言ったもん!」
オレンジを過積載したリトルマリー号。良い子の皆! このお姉さんの真似をしてはいけないよ! ストップ! 過積載。
北へ行けば、オレンジの産地でオレンジを売らなくてはならない。
南へ行けば、南からの季節風が待っている。しかし水夫達はアレクの提案に乗り、南へ進む事に決めた。
ちょっと蚊帳の外に置かれたマリー。
小さい頃、父と隣町の祭を見に行った事がある。
私はどうしても父と一緒に祭を見に行きたかったのに、父は祭の日の朝に出航するという。
小さな私は祈った。天気が悪くなって、お父さんの出港が中止になりますようにと。
翌朝、吹き荒れる嵐で父の船は出港出来なくなっていた。
それで二人で嵐の中広場に行ってみたが、祭も中止になっていた。
私があんな事を祈ったせいで天罰が下りて嵐が来たんだ。
私のせいでお父さんの船が沈んでたかもしれないんだ、無理に出港してたらお父さんが死んでたかもしれないんだ。
荒れ果てた広場を目の当たりにし、そう考えた私は、突然泣きながら父に土下座して許しを乞うた。
「ごめんなさあぁい! ごめんなさいおとうさん! うわぁぁぁぁん許しておとうさぁぁぁん」
「やっ……やめなさい、やめなさいマリー!! ちっ、違うんです皆さん、私は児童虐待なんかしてません!」
土砂降りの雨の中、祭の片づけを急ぐ人々が手を止めて、父を見ていた。
あの時の父の焦った顔が、今でも忘れられない。
「嫌な雲だ……」
舵を取るウラドがつぶやく。
私も空を見上げる。
海上付近では北風が吹いているのに、はるか頭上では薄暗い雲が、南から北へと流れて行く。
「いかんな……嵐が来る……」
老水夫、ロイ爺が言った。今度こそ、私は天気に裏切られるのだろうか。
どこか遠くで雷鳴が鳴った。
嵐はやって来た。
高まる波、吹き荒ぶ風……船が木の葉のように揺られる。
「これでもまだ北風なのか……」
「少しでも距離を稼がなきゃ」
不精ひげとアレクは帆の開きを絞る。風が凄まじいので全てが必死の作業だ。
ロイ爺はマストの補強をしている。
「船長! 10センチの釘と60センチの板、持てるだけ持って来てくれんか」
合点承知。私は下層の倉庫へ飛んで行く。揺れの中でも私だけはいつものように動けるので、使い走りにはもってこいだ。
「船長、そこの袋を全部下層に移せるか? 他の荷物の間に入れるんだ」
ウラドは舵に集中している。了解、了解。今やります。
「船長! そこの箱、危ない……からっ……! 海に投げちゃって下さい!」
さすがのアレクも普通に指示してくれる。索具が外れ甲板を走り回っているオレンジの箱。
残念だけど邪魔になる前に海へぽいっ! 中身のオレンジもとっくにどこかに行ってた。
「船長、揚げパンとエールを取って来てくれ」
不精ひげ。強風の中必死で操帆してる人間に言われたら文句も言えない。
「ああ、ベーコンも頼むわ」
はいはい……
過ぎて行く時間……辺りがまた少し暗くなっ来た。雲が厚くなったのか、日が落ちて来たのか。
私は太陽を探す……うーん……船長のくせに懐中時計もコンパスも持ってない私。
暗くて解り辛いけど、一応船は南に向かっているようだ。
「出来る事はだいたいやってしもうたな……後は祈るだけじゃ」
「ねえロイ爺、その……この船、大丈夫……なのかな?」
「大丈夫じゃ、マストも舵も壊れとらんし風も追っとる。浸水もほとんど無い」
「下層には結構水が溜まってきたけど……」
「そうかの? ふむ……これは」
老水夫が甲板の下を覗き込む。
「このくらいならいつもの事?」
「いや、これはまずいやつじゃな、早く排水せんと船が沈むの。ホッホ」
「だめじゃん! どうするの!」
「そこのポンプを突いてくれんか、わしはホースを固定して来るから」
「はいはいはいはい!」
辺りははっきりと暗くなって来た。この嵐、このまま夜まで吹き続けるつもりだろうか。
みんなの疲労も限界かもしれない。
「さすがに……もう収まってくれたらいいのに」
私は空を見上げ呟いた。島を出港して8時間くらい経っただろうか。
それから小一時間と経たずに、嵐は嘘のように過ぎ去った。
太陽はギリギリ、西の水平線に半身を残していた。
行く手にはまだ黒い雲が残っていたけれど、見る見るうちに、南東の方角へ流れて消えて行く。
「おお……晴れたのう」
下甲板で一休みしていたロイ爺が戻って来る。帆船の乗組員ってお爺ちゃんの仕事じゃないよなあ。
「すまん、ロイ……操舵を変わってくれないか……」
ウラドは甲板に座り込む。無理もない、嵐の中、重い操舵輪を一人で操り続けていたのだ。
「勿論じゃウラド、早く休め……いや船長、ニックも太っちょも休ませてはどうかな」
「賛成! 三人共休んで!」
「いや……しかし……」「あの……大丈夫だから……」
「船長命令!」
私は嵐の間に散らかった物を片付け始める。
風はまだ北から吹いていたけれど。微風といったところ。
ロイ爺もさっきまで少し休んでたとはいえ、たいして疲れは取れてないのではないだろうか。
皆が回復するまで、この天気が続くといいなあ……
太陽が沈む。
今日の西の空は不思議な色をしていた。
夕焼けはほとんどなく、いきなり明るい青から深い青へと変わって行く……
雲はほとんど無くなっていた。
あんなに荒れ狂っていたのが全部嘘だったかのような、穏やかな空。
風が微風で安定しているので、ロイ爺は舵を固定して休むと言った。
「一時間したら起こしておくれ」
「りょぉぉかい!」
なんと、甲板に居るのは私だけとなった。
私はそっと、操舵輪を握ってみる。
だいたいいつもウラドが握っていて、ウラドが休む時は三人が交代で握る。
今なら固定してあるので、私が握っても大丈夫なのだ。
ふふ。
一人で船を操縦している気分だ……
……
父もこうして、この操舵輪を握っていたのだろうか。
澄んだ夜空には、瞬きもしない無数の星が浮かんでいた。
帆が微風に揺られはためく……進路は真南。8時方向の風。
順調だ。このまま南へ、どこまでも行けるといいな。
◇◇◇
東の空が……微かに白み掛けて来た……
「おはよぉぉ……あーぐっすり眠っちまった。いい天気だな」
「なんと、まだ北風が吹いていたのか……」
「って……ロイ爺が起きてたんじゃないの!? じゃあ、誰が夜直を……」
「す、すまぬ、しかしこの老人に嵐の後の二徹は無理じゃった」
不精ひげ、ウラド、アレク、ロイ爺が、船室や会食室から這い出して来た……!
「あんた達ねえ!!」
私は泣き叫んだ。
「ド素人の小娘に一晩中船を預けて、どういうつもり!? 風が変わったら!? 波が出て来たら!? あんた達、本当に海の男なの? 海で生き抜くつもりあんの!?」
涙が出る。だめだ、涙腺が弱ってる……
この男共、本当に私を一晩甲板に置き去りにしやがったのだ。
最初は綺麗だと思っていた星空も、完全に太陽の光が無くなると、吸い込まれるような闇に変わった。
おまけに昨夜は新月だった。不気味な程波のない海面には星が映り、まるで船ごと星空の中に放り出されたようだった。
誰も点けないから、船のランプは一つもついていない。誰か呼びに行こうにも足元もろくに見えない。
怖くて操舵輪から手が離せなかった。離したら星空の中へ放り出されるような気がしたのだ。